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マヌ・チャオが語るチェとキューバ-番外編

チェ・ゲバラについて, マヌ・チャオ タグと , , への Quatre Gats による投稿 (2010/07/23)

今回は『マヌ・チャオが語るチェとキューバ-番外編』ということで、前回までに紹介したインタビューを行った雑誌ラ・ヒリビジャに掲載された『チェに捧げ たコンサート』の記事をご紹介します。インタビュー記事を初めから読みたい方はこちらからどうぞ。

マヌ・チャオ、ハバナでチェに捧げる歌

フランス-スペイン国籍の歌手マヌ・チャオは、サイス兄弟協会の招聘でキューバを訪れ、ハバナ大学の外階段で何千人という若者前に、チェに捧げるコンサートを行った。ゲバラのTシャツを着た元マノ・ネグラのリーダーは、ラテンアメリカにある様々な国旗を手にした観客と共に50分を過ごした。

コンサートの冒頭でチャオは「今晩はキューバ。ここにいられて光栄です。」と語り、ラジオ・ベンバ・サウンド・システムのギタリストマジッドと共に、Fernando Bécquerフェルナンド・ベッケル、Diana Fuentesディアナ・フエンテス、Toni Ávilaトニ・アビラ、Adrián Berazaínアドリアン・ベラサイン、Kelvis Ochoaケルビス・オチョアなどのキューバ人ミュージシャンと共演した。オチョアは「Volando Voy」「Desaparecido」を演奏して、コンサートの最後を飾った。

わずか3年前に反帝国主義広場でコンサートを行ったチャオは、キューバと強い一体感を感じていることを明らかにし、曲の間には「ハバナ、愛してる」を何度も叫んだ。さらには、公演後マスコミに「バンドを全員でできるだけ早く」島に戻ってくることを宣言した。

今回のハバナへの旅の間にラ・ヒリビジャが行ったインタビューにおいて、彼はキューバが彼の人生、そして彼のミュージシャンという職業に対してどんな意味を持っているのかを明らかにしている。「小さな頃から父親を通じてキューバ文化は家の中にあったんだ。家にはキューバ音楽のレコードがたくさんあって、ボラ・デ・ニエベが当時僕たちの一番のお気に入りで、僕たちのアイドルだったんだ。彼の歌は全部知ってるよ。いつも僕たちは、父親のレコードの山から、ボラを選んで聴いた。僕はキューバとかフランス、スペインなんていうものをあまりよくわかっていない子供時代から、キューバ文化に育まれてきたんだ。」

「不幸なことに僕たちは、上手く機能していないことをたくさん抱えた世界に生きている。…自分の怒りを吐き出す必要性を最も感じるのが、自分が好きになれないものを見たときだ。そのとき、僕には歌を作ることが必要になる。そうしたものを浄化するために。」と付け加えた。

今回の広場でのコンサートのためにマヌ・チャオが選んだ曲目には「Bienvenida a Tijuana Venvenid」「Clandestino」などのヒット曲が含まれており「Alas rotas」のイントロでは「この曲をキューバ国民の全ての敵に捧げる」と言った。

またコンサート中に、ポーランド人Jacek Wozniakヤセク・ワズニャックやキューバ人アーティストJavier Guerraハビエル・ゲラ、Carlos Guzmánカルロス・グスマンが、ステージの裏側でチェに捧げる一連の壁画を制作した。

来週月曜日にマヌはゲリラの英雄の亡骸が眠る町サンタ・クララで再びコンサートを行う。ゲバラはここで1959年の革命の勝利を決定づけたと言える闘いの一つを率いたのだ。マヌ・チャオは、キューバのバンドTrovuntivitisトロブンティビティスを伴って、アウグスト・セサル・サンディノ・スタジアムでライブを行う。

幼い頃から彼が、我が国との間に持っている絆とキューバ革命に対する支援は父親ラモン・チャオをゆずりのものだ。2006年の忘れがたいキューバとの出会いにつて、マヌはこう語った。「僕は住民たちの間にある何千という小さな革命を夢見ている」。ゲバラの死から42周年に当たる今回、マヌはチェが「今も世界の左派にとって象徴的な人物である」ことを我々に思い出させてくれた。

記事の原文はこちらをご覧ください。

ラテンアメリカを繋ぐTV局Telesurテレスールで放送されたコンサートのニュース映像です。

この記事の最後には「マヌのキューバに対する支援は父親のラモン譲りだ」と記されています。このラモンとキューバを繋ぐ絆については、近々ラモン自身の言葉でご紹介する予定です。

マヌ・チャオが語るチェとキューバ-6

チェ・ゲバラについて, マヌ・チャオ タグと , , への Quatre Gats による投稿 (2010/07/16)

LJ-腰を据えて映画を作っていた時期があったよね。

MC-撮影も編集も大好きなんだ。好きなものにかける情熱は暴君みたいなものだね。音楽もそうだけど、一端捕われたら最後一日24時間、週7日間君を拘束するんだ。ちょっと強迫観念みたいなものだね。アルバムをレコーディングしているときと同じ。一時夢中になったけど少し身を引くことにしたんだ。ギターを手に取ってないことに気が付いた瞬間に我に返ったよ。とは言っても、映画を作るのは今でも大好きで、脚本もたくさん書いてある。カメラで撮影して編集するのが好きなんだ。今は数年前と比べると手軽にできるようになったよね。今ではポケットに入れて持ち歩ける小さな機械で何でもできる。今持ってるこれで、映画も撮影できるし、次のアルバムも作れるし、なんでもできるんだ。これは大きな自由を与えてくれるよ。僕の問題は、一日に十分な時間がないことだね。それで、音楽と映像の両方に自分を振り分けているんだけど、近頃は音楽の方に傾いてるね。

LJ-映画作家としての視点や具象芸術への興味が、君にもたらしてるものってどのくらいある?

MC-いつもたくさんのことをもたらしてくれるよ。僕の歌の多くは映像を編集しているときに生まれたものなんだ。だって映像には音がつきものだからね。僕やマジッドが朝の6時に歌っている映像なんかが、一曲作るためのアイデアを与えてくれることもある。そこにギターを加えて、再び録音して、ここから一曲生まれるんだ。僕の歌の多くは「映画」を編集しているときに生まれたんだよ。どんな芸術活動も全ての要素が一緒になんているんだと思う。これは芸術というより、情熱と言った方がいいのかもしれないね。全てがお互いにに栄養を与え合う。一つ一つが閉じたものではないんだよ。

LJ-君にとって文化って何?

MC-僕にとって文化は、すでに存在している文化が持つ知恵であり、次に自由だね。どこの国でも、その文化を理解して何らかの形で実践してみるために、自分を取り巻いている文化に染まってみるのはいいことだと思う。その次に来るのが自由だ。文化とは自由で、創造とは自由のことだと思っている。だからといって、そういうことを考えてばかりでは、何も創造されない。考えてばかりいたら、クンビアもルンバもレゲエもレコーディングできない。型を破らなければならないんだ。ちょっとくらい冒涜した方がいいものなんだよ。

LJ-じゃあ、マヌ・チャオにとって冒涜って何? 君は良くも悪くも世界をちょっと冒涜していると言えるんじゃない?

MC-難しいテクニックだね。冒涜にはいつでもある種の敬意がないといけないんだ。文化の世界の中でも僕が行くようなところではだいたいにおいて、ちょっとくらい冒涜を実践しても悪くないと思っている。だって、ほとんどの人々があらかじめ決められた型に合せて作業しているからね。僕を夢中にさせたり、新しいものを運んできてくれたりするアーティストは、いつもちょっと冒涜的なんだよ。予想もしてなかったものを聞いたり、見たりするのは素敵だよね。周囲の人たちが行っていることを吸収するのはとても素晴らしいし、それが学ぶということの基礎だとは思うよ。でも、その後で少しばかり背徳的なことをしないとだめなんだ。

LJ-3年前に反帝国主義広場で行ったコンサートで君は「ジョージ・ブッシュは、僕たちや僕たちの子供たちの未来にとって、世界で最も危険な人間だ!!!」と叫んだよね。今ではもうブッシュはホワイトハウスにいないけど、君はどういった方法で世界を変えていけると思っている?

MC-ブッシュが去ったことは何はともあれポジティブなことだよ。あれは最悪だったからね。注意して見ていないといけない。世界中のバランスが物凄いスピードで変わっているからね。今は不穏であると同時に熱い時代なんだ。確実なことなど何もない。明日の世界が今日作られているのだから。経済の世界もテクノロジーの世界も物凄いスピードで変化している。不幸なことにそんなスピードで変えることができないのが人間関係の世界だ。でも、資本主義システム、結局のところこれがこの世界を支配しているんだけど、このシステムが最期に近づいているか、さもなければ、僕たちを集団自殺に追いやっていることに気がつく人が日ごとに多くなっている。以前よりたくさんの人たちが、このまま資本主義の社会が続いていったら、地球が終わることに気づいている。日常生活を変えて、自然の法則にもっと合った方法で生活しようとする人が増えているんだ。ここに希望があるんだよ。

LJ-ラテンアメリカの隅々をあっちこっち訪れた後で、アメリカ大陸の変化についてはどんな展望を持っている?

MC-ラテンアメリカを日ごとに反動的になっているヨーロッパと比較するなら、ラテンアメリカで起こりつつあることは総じてポジティブなものだ。成果が目に見えるようになるまではまだまだ時間がかかるだろう。けれど、以前は身の毛もよだつほど酷い状況だったのだから、それは5年や6年で改善されるものではないんだよ。15年とか20年とかの単位で考えるべきものだ。それでも自分たちの道を歩んでいるよ。その方法は国ごとに違っているけどね。もっと公正な社会を目指すための希望となる実験室が、ラテンアメリカにあることは明白だ。今日のヨーロッパはそういう状況ではないからね。

LJ-未来に対する信頼を失っていない?

MC-この先の未来には厳しい危機に何度か見舞われるだろう。中期的な視点で見る未来は暗雲に覆われている。きっと困難なものになるだろう。必要不可欠な変化が起こるからね。アメリカ合衆国の覇権が終焉して、中国の台頭を止めることはできない。新しい世界の均衡が生まれようとしているんだ。僕たちは凄まじい変化の時代にいるから、この先起こることに対して備えるのは非常に難しい。でも長期的に見てみれば、この夢と日々の闘争は、いつの日か太陽が顔を出すためのものなんだ。(完)

インタビュー原文はこちらをご覧ください.

前回ご紹介したアルゼンチンのプロジェクトLa Colifataを扱ったドキュメンタリー映画『LT22 Radio la Colifata』のワンシーンから。

「気が狂った人とそうでない人の間に引かれた境界線や、国と国の間に引かれた政治的な境界線というのは、僕には全くもって非現実的なものに見える。実際はそんなもの全て偽物で、誰もがそれぞれの狂気を抱えているんだ。おそらく現在のこの世界で僕が知っている最も気が狂った人物は、ジョージ・ブッシュって言うんだけど、どこの精神病院にも入ってないんだよな。」

マヌ・チャオが語るチェとキューバ-5

チェ・ゲバラについて, マヌ・チャオ タグと , , への Quatre Gats による投稿 (2010/07/09)

LJ-君は今までにたくさんのバンドを組んできたけれど、最も良く知られているのはMano Negraマノ・ネグラ、そしてRadio Bembaラジオ・ベンバ、現在のRadio Bemba Sound Systemラジ オ・ベンバ・サウンド・システムだよね。この3つのバンドの共通点と相違点は何?

MC-違う点は、それぞれのバンドには異なる人間がいたところ。共通点はエネルギーだね。ステージで最後まで最初と変わらないパワーで演奏するバンドなんだ。

LJ-君にとって彼らバンドのミュージシャンたちは…

MC-僕の家族だよ。僕たちの間には特別な信頼関係がある。それぞれが自分の役割を完璧に理解していて、他のメンバーのことを深く信用している。僕たちは一致団結しているんだ。これはとんでもなく幸運なことだよ。まあ、幸運なだけではなく、このバンドで何年もやってきているからだけど。ぱっと結成したバンドじゃないからね。年月とともに磨かれてきたんだ。その時期の音楽シーンで一番いいミュージシャンを集めてバンドを組んでも駄目なんだよ。最初に友情があって次が音楽の知識、つまり音楽を知ってる友達か友達に僕たちと一緒に音楽を学んでいくチャンスを与えるってこと。ラジオ・ベンバはあっちこっちに姿を表すバンドだけど、たくさんの人たちにとっては音楽の学校でもあったし、これからもそうだろうと考えているんだ。これは僕の誇りだね。2、3年ここで過ごして、ここで学んだものを身に着けて立ち去り、自分のバンドを組むって人がいるってことを、僕は誇りにしているんだ。

LJ-今回のコンサートには、新顔のミュージシャンが一緒に来ているね。スペインのグループFesticultoresフェスティクルトレスのメンバーたち。

MC-実は今まで一緒に演奏したことがなかったんだ。でも、むこうのフェスで演奏しているのを何度か目にしていたから、こっちに演奏に来ても音楽的な問題は何もないだろうとわかっていたんだよ。完全な信頼関係があるっていう、こう僕はいうのが大好きなんだよ。何かが自然に生まれてくるのは、物事が健やかに進んでいて、エネルギーが清らかだってことだからね。

LJ-今準備中のCDは?

MC-完成している2枚がもう発表されているよ。1枚はアルゼンチン人グループのラジオLa Colifataラ・コリファタと一緒にレコーディングしたんもの。彼らは精神科病院から放送しているんだけど、そのラジオは病院の患者が運営しているんだ。これはインターネットのサイトでしか発表していない。そのサイトはvivalacolifata.orgで、彼らたちの意向で無料でダウンロードすることができる[1]。あとはマリにも行ったよ。かつてあるカップルのアルバムをプロデュースしたことがあって、その二人のアーティストは盲目の夫婦なんだ[2]。4年前に彼らのアルバム製作のために滞在したから、彼らが住んでる地域は僕にとって自分の家みたいなものなんだ。ちょうど彼らの息子のアルバムのプロデュースしたところ。彼はサムという名前でバンド名はSMOD、もうすぐ発売になるよ。こうした旅の道中で書いた歌が何千とあるから、どっかでレコーディングしなければならないんだけど、今のところ旅を止められないんだ。でも、ここ数日演奏している歌をレコーディングしたいのは山々さ。

今回のキューバへはMadjidマジッドと僕だけで来たから、二人のときはいつもやるように、酒場で演奏するような歌やルンバを演奏している。僕たちにはLos Musicariosロス・ムシカリオス、los asesinos de rumbaロス・アセシノス・デ・ルンバ、lo peor de la rumbaロ・ペオル・デ・ラ・ルンバと呼んでるバンドがあって、まあ僕たちのことなんだけど。こうした曲を近いうちにレコーディングしたいと思っているんだ。

LJ-後で作品に使うために、旅先で印象に残った音を録音するって本当?

MC-昔はよくやっていたよ。特に『Clandestinosクランデスティーノ』の準備期間だった数年の間、ちょっと行き先を見失った感じでラテンアメリカ中を旅していたときにね。この先自分の人生で何をするのかよく分からなかったんだ。率直に言って新しいアルバムをレコーディングすることは考えていなかったから、自分のために音を録音したんだよ。聴いたり、声やギターを載せたりするためにね。人に聞かせるための作品というよりは、個人的なテラピーだったんだ。こうやって長い間、音、周りの音を録音することを続けた。今も続けてるのは、こういう方法で歌を作るのは本当に素晴らしいことだから。ある環境の中にはめ込むとと、とってもしっかりとした歌ができるからね。(つづく)

[1] このプロジェクトについての詳細はこちらを参照ください。

[2] Amadou & Mariamのことです。

このときキューバで行われたコンサートの模様です。

マヌ・チャオが語るチェとキューバ-4

チェ・ゲバラについて, マヌ・チャオ タグと , , への Quatre Gats による投稿 (2010/07/02)

LJ-君のキャラクターを特徴づけているものの一つが、ステージの上で発するエネルギーだよね…。

MC-若い頃は、観察する方の立場だったんだ。パーティを計画するのは友達で、僕は注目の的になるのが嫌でしょうがなかった。いつも一番暗い隅っこで回りを観ながら「どうか僕を踊らせようとする人がいませんように」って思っていた。今はどこに行っても誰もが僕を見る。もう慣れたけど、自分にとって自然なことではないんだ。だから、コンサートの前っていうのは、それがどこであっても、僕に重くのしかかってくるんだ。この感じはいつでも僕につきまとってる。今だってあんまりいい気持ちじゃないよ。緊張して不安でしょうがない。この状況をを変えるためだったら、世界中の黄金をあげたっていい。それで(コンサートをやらなくてすむのなら)今夜は河に釣りに行くことにするだろうね。ところが、その後でショーが始まって、自分がステージに上がる瞬間になると幸せを感じて、ショーの後は最高に幸せな気分になるんだよ。

ショーでいい思いをする分の代償を全部ショーの前に支払っているってことだよね。人 生においては全て収支が合うようになっている。こうしたことを受け止め、平静になってパワーを得るために、いろいろ努力しているよ。コンサートの一時間前に社交的に振舞うのは大変なことだけど、何度も自分に繰り返すんだ。「恥ずかしくても死なない」って。ショーの前に静かに通りを歩いてる僕を見た後で、ステージに上がった僕を見ても、僕だとわからない人がたくさんいるよ。「同じ人間じゃない」って言うんだ。もちろん同一人物だよ。だけど、異なる瞬間にいるんだ。ステージに踏み出す第一歩がアドレナリンに変わる。僕の持論は、ステージ上でのエネルギーは全て、ステージに上がる前に感じる恐怖から来ているっていうものなんだ。

LJ-歌を作るのは、好きになれないものを見たときに、君の 『怒り』を吐き出すためだって…。

MC-いつもそうだよ。個人的な小さなテラピーなんだ。気に入らないことを見たときに書くことが多いね。これがエゴイズムなのかどうかわからないけど、小さな幸せを感じている瞬間には書きたい気持ちにならない。その幸せを生きてそれで終わりさ。何か僕を不幸にするものや悔しい思いをさせるもの、例えばこの世界がどう動いているとか、そうしたことがあるとき、僕はそれを文章にして、外に吐き出す必要があるんだ。これは僕の人生において救命胴衣みたいなものなんだよ。

LJ-何かに心を動かされたときにも書く?

MC-うん。でも、改善の余地があるようなことに心を動かされたときに書くことが多いね。例えば愛に心を動かされたときよりも、不当なことを目にしたときだよ。僕にはラブ・ソングもあるけど、それは失われた愛の歌なんだ。「La Despedida(別れ)」は壊れた愛の歌で、書いたのはその女の子との別れから立ち直ったときなんだ。(歌が)喜びから出てくるのもいいことだよ。喜びを扱い、喜びを表現するアーティストもいて、僕たちもある意味では同じだ。歌詞ではないけど、音楽で喜びを扱っているからね。歌詞はもう少し悲しいもので、僕たちはこの二つを混ぜ合わせる。そこから、”malegría”マラグリア(mal不幸とalegria喜びを合わせた造語)が出てくるってわけさ。僕の歌の中にあるちょっと悲しい歌詞とそれを包む音楽の喜び。

LJ-ライブCD&DVDの Baioaneraバイオアネラが11月に発売の予定だけど、この発売後はどういう計画になっているの?

MC-僕たちはいつも短期の計画しか立てないんだ。今年については、11月にアルゼンチンとチリに行くことになってる。まもなくフランスのバイヨンヌでやったコンサートのライブCDが発売になるよ。バンドはとてもいい調子で、今一ヶ月のフランスツアーから戻ってき たところなんだ。9月の一ヶ月間は全力疾走だったよ。観客の盛り上がりは尋常じゃなかったし、僕たちが一致団結して演奏するこのバンドは友情に溢れてるし、もう何年も一緒にやってきたから強い結束力があるんだ。僕はとっても幸せさ。(つづく)

BaioaneraのDVDに収録されている映像から、マヌのパワーがよく表れている一曲ご紹介しておきます。

マヌ・チャオが語るチェとキューバ-3

チェ・ゲバラについて, マヌ・チャオ タグと , , への Quatre Gats による投稿 (2010/06/25)

LJ-キューバにやって来て、こちらの人々との関係はどう?

MC-人々との触れ合いはとても美しいものだよ。それがハバナだろうが、とても家族的な雰囲気のエル・メフンヘだろうともね。今やりたいのは、バンドのメンバー全員と一緒に一刻も早くここに戻ってくること。ルンバ[1]もいいから、みんなに気に入ってもらえることを願っているけど、バンド全員で戻ってきたくてしょうがないよ。ハバナやキューバの他の場所を回って、3時間のステージをやるためにね。サウンド・チェックの間に若い子たちに会ったんだけど、このコンサートのために100キロも旅してきたって言うんだから、本当に可愛いよね。実際、とっても美しい人々との触れ合いがあったから、もっとたくさんお返しするために、バンドと一緒に戻ってきたいと思っている。

LJ-今までラテンアメリカのさまざまな場所で暮らしてきたけど、 キューバに一定期間住もうと思ったことはないの?

MC-ここに来るたびにそれを考えるよ。ミュージシャンをのぞいて、この人生でなれたらいいなと思っているものの一つが医者で、医学を学びたいんだ。そのために世界で最良の場所はキューバだよ。この一週間人生の選択肢の一つとして、このことを考えていた。人々を治療することを学びたいから、世界中で先生を探している。もう少し時間が必要だけど、いつの日かそれを決断するつもりだ。そしてこの一週間、いい先生を見つけるのに世界で最良の場所はどこかを考えていた。それはキューバ。なぜなら、ここではさらに音楽の先生も見つかるから。キューバ人は全員音楽の先生さ。

LJ-想像してみてよ。何年後かに、君の診療所に入ってきた人が言う。「あなたのCDは全部持ってますよ」って…。

MC-多分診療所で治療することはないだろうな。今と同じようにその辺をふらふらしていて、たどり着いたところで人を治療することになると思う。診療所にいる自分は想像できないな。想像できるのは、ギターと治療の知識を携えて歩く自分の姿だよ。痛みを取り除いてあげることは、人にしてあげられる最高のプレゼントだからね。本当に素晴らしいことだと思う。少しずつ勉強していて、和らげてあげることができるようになった痛みもあるけど、まだまだ道は長いね。

キューバに関して僕に足りないのは、本当はもっと長い期間滞在したいんだ。いつもコンサートをしたり、一週間程度過ごしにくるばかりだから。キューバをより良く、もっと奥深くまで理解するためには6ヶ月かかるって言うけど、そこに至るまでにはまだまだ時間が足りていない。

LJ-今回の旅には、長い間共に仕事をしてきた画家Jacek Wozniakヤセク・ワォズニャックが一緒だよね。つまりチェへオマージュとして捧げるのは、コンサートだけではなく、造形芸術もってこと…。

MC-一番最初、僕の代理人のホルヘからこの日のために来るっていう話を聞いたとき、まだコンサートの話はなかったんだ。そのとき僕はワォズニャックと一緒にいたから、最初に考えたのが二人で行って一緒に絵を書くことだった。なぜなら僕たちは一緒に展覧会をするんだよ。ワォズニャックはよく僕の家に絵を描きに来るんだ。僕が住んでいるのは作業所みたいなところで、たくさんスペースがあるからね。 初めて一緒にした仕事がSiberie m’etait contée[2]の本だ。その頃、何年も前からほったらかしにしていた文章がたくさんあった。若い頃にフランス語で書いたもので、自分にとっては失敗作の歌だった。ある日彼がスタジオにやってきてこれを全部読み始め、僕に持って帰っていいかってきくんだ。それから一週間後に戻ってくると、それぞれの文書に絵がついていた。そのとき、僕がダメだと思っていた文章が、彼の絵を一緒になったとたんに上手く回りだしたんだよ。それでこの本を作ることを決めた。彼が僕の文章に絵を描いて、一緒に一つの職業を学ぶことになった。一年に渡る作業を通じて、本の作り方を学んだんだ。全部自分たちでやったからね。文章を書く、絵を描く、見本版を作る、紙を探す、印刷所に行く。とても美しい経験だったよ。

そのあとも、彼は絵を描きに僕の家を訪れ続けた。そしてある日、僕の心にナイフを突き立てた。「今度は、君が僕の絵の上に文字を書いてくれ。」って僕に言うんだ。絵を描くのに何ヶ月かかったとかいう問題でなく、Photoshopで作業すること、つまり上手く行かなかったとしても、消すことができるから大丈夫というのと、二度と消すことができない絵の上に文字を書くというのは、全く話が違う。僕にはなんの技術もないんだから。でもあまりにもしつこいから、ついにある日僕は彼の絵の上に落書きを始めたんだ。そこから今やっている展覧会が始まった。マヌとワォズニャクだからManwozマンワォズ。図書館や誰もが見ることができるオープン・スペースで展示したんだ。いつかここに持って来られることを願っているよ。夢の一つだね。(つづく)

[1]アコースティック・バージョンでの演奏のこと。

[2]この本についてはラジオチャンゴJPのnahokoさんが作成したこちらのサイトを参照ください。

Siberie m’etait contéeに付属のCDに収録されている「Sibérie fleuve amour 」です。

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