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	<description>ラモン本を我らの手に！</description>
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		<title>ステファン・エセル・インタビュー1</title>
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		<pubDate>Fri, 27 Jan 2012 12:17:12 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Quatre Gats</dc:creator>
				<category><![CDATA[Spanish Revolution]]></category>
		<category><![CDATA[オルター・グローバリゼーション]]></category>
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		<description><![CDATA[先週2011年のベストセラーが発表されました。以前の記事でご紹介したStephane Hessel ステファン・エセルの『Indignaos! （憤慨せよ！）』は、大ベストセラーとなったダイエット本『el método dukan（デュカン式）』に次いで２位にランクイン。ちなみに３位は『風の影』の著者カルロス・ルイス・サフォンの新作『 El prisionero del cielo（天空の囚人）』（1/17付Publico紙参照）。 この本がスペインで爆発的に売れ、15-Mの動きへと繋がって行った裏にあるのが、序文を寄せたスペイン人経済学者José Luis Sampedroホセ・ルイス・サンペドロの存在。「私も1917年に生まれた。私も憤慨している。私も戦争を生きた。私も独裁を耐え忍んだ」と始まる『私も』と題された序文によって、スペイン人は、ナチスへの仏レジスタンスとフランコ独裁政権での民主化要求運動を重ね合わせ、さらには経済危機で社会福祉が風前のともしびとなっている現実を目の当たりにして、エセルの言葉を自分たちへの呼びかけとして受けとめたのです。 そして、サンペドロはDemocracia Real Ya!（真の民主主義を今すぐに！）に賛同し、「スペインに民主主義は存在しない。人々よ、立ち上がれ」と自ら15-Mのデモ参加を呼びかけたのでした。 改めて言うまでもないですが、『Indignaos! （憤慨せよ！）』はその簡潔さが最大の魅力。しかし、その反面、背景をある程度共有していないと、メッセージが今ひとつピンとこないのも事実。日本でも『怒れ！憤れ！』のタイトルで翻訳が出たようなので、この機会に彼自身が本書について語ったインタビューをご紹介することにしました。スペインでの15-Mのデモから続く一連の抗議活動が、世界的な注目を浴びた直後に新聞に掲載されたものです。エセルのメッセージを理解する助けになれば幸いです。 憤慨の次に来るべきなのは、行動を誓うこと 93歳の作家や活動家の顔も持つフランス人外交官は、著作のスローガン『憤慨せよ！』の下、ヨーロッパの若者たち、とりわけスペインの若者に強烈なインスピレーションを与えた ステファン・エセルは、パリにある自宅のサロンのテーブルの上に、怒れるスペインの若者達の写真が掲載された本紙（EL PAÍS）を一部とってある。彼の著作のタイトルの下で一連のデモが呼びかけられた最初の数日間の写真だ。この著作はスペインでは40万部に届く勢いで売れており、フランスではすでに200万部に到達している。 この93歳の若者は、的確な時期に的確な言葉を伴って現れた。実のところ彼が行ったのは要約である。自由、平等、正義、正当性、義務、人権といった何十年もの闘争と犠牲を払って獲得したにもかかわらず、今日脅威に晒されている価値観を高みに置いたこと。血と炎を礎に刻まれた言葉は、彼の場合は安っぽい煽動とはならない。なぜなら、こうしたものが消滅の危機にあるのを目にして、エセルが憤慨するのには理があるからだ。彼はペテン師でもなければ、煽動家でもない。彼が要求していることは、マルクスとエンゲルスが『共産党宣言』（彼はこの思想を共にしていない）に記述したことや、ゾラがドレフュス事件に関する著作『私は告発する』に込めたのと同じものだ。 1917年にベルリンに生まれ、両親がナチの脅威から逃れた後にフランス人となり、パリに落ち着いた。レジスタンス活動に参加し、ゲシュタポに死刑を宣告され、拷問を受け、いつくかの強制収容所で一時期を過ごす。世界人権宣言の起草という歴史的な出来事の数少ない証人の一人となった。その人生と高い倫理観は世界レベルでの意識を揺さぶるのに十分すぎるほどだろう。民衆のヒーローであり、明確な考えを持った平和主義のアジテーターだ。 −スペインでは『憤慨せよ！』と叫んでデモを行っている人々が何万人もいます。あなたは満足でしょうか？　あなたのメッセージが浸透しているのです。 もう見ましたよ。嬉しいです。この小さな本のアイデアが持ち上がったときには、フランスのことしか私たちの頭にはありませんでした。しかし、わずか数週間の間にたくさんの出来事が生じる事態となりました。サルコジの人気が下落すると、イタリアのベルルスコーにも同じことが起こり、スペインのサパテロ、ポルトガルのソクラテスまで。北アフリカの反乱が起こる前は、世界各国の政府が人々の憤慨を誘発するような行動に関与しているというような考え方を、ほとんど目にすることがありませんでした。 −それでその考えを書いて、本にしようと思いついたと。 それは、全くもって文学的な仕事ではありません。私たちは短くて刺激的なものを出版したいと思っていました。全体として纏まっていなくても構いませんでした。ちょうどあなたが今いるところに編集者が座って、私は話を始めました。彼女が文字起こししたものに、二人で手をいれて出版したのです。 −まるでインタビューのようですね。その相手が私でなかったことが残念です。今みたいに、相手が私でも良かったのに。 まさにその通り、こんな感じでしたよ。まるで会話のように自然な形で生まれたんです。そして、一端通りに出ると瞬く間に広まりました。 －たくさんの人が、ある種の感情を一つにまとめるスピーチを待っていたのです。的確な言葉、誰もが知っている表現。それが憤慨です。 事実、そうだということを確認しました。本は二つの文章に基づいています。一つは抵抗のプログラム。これはあまり良い出来ではないのですが、的確な時期に的確な場所、つまりナチにという敵に包囲されているとフランス人が感じているときに書かれたものです。もう一つが世界人権宣言です。 －あなたが数少ない目撃者の一人となったものですね。 世界人権宣言が起草されていたとき、私はその場にいました。12人の学識者のグループに参加するには若すぎたので、私は助手でした。会議の開催や議事録の作成を手伝っていたのです。参加していたのは、ルーズベルト未亡人エレノアなど政治と法律の分野で第一線の人々でした。ニューヨークやジュネーブで会合を行い、私は書類の作成や作業状況の確認を担当しました。 －秘書のように見守りながら？　 私は若い外交官で、権限が足りませんでしたが、好奇心は溢れるほどにありました。この作業ができる限り素晴らしいものとなるように、心から願っていました。とても大きな動機が私にはあったからです。3つの収容所で戦争を終えたという事実は、私を駆り立てるのに十分なものでした。 －あなたはブーヘンヴァルト強制収容所にいましたね。 そこでJorge Semprúnホルヘ・センプルン(注)と知り合いました。大親友の一人です。彼に関して重要なエピソードがあります。収容所に着いた彼は職業は何かと聞かれ、学生（estudiante）と答えました。記録を取っていた者が「もしそう記入したら、ただちに君は殺されるだろう。私は最初の文字を残して、漆喰職人（estucador）に変えよう。こうしておけば、少なくとも手作業を振り当てられるだろうから」。彼らが求めていたのは、それ（働き手）だけだったのです。さて、『憤慨せよ！』の話に戻りましょう。 －あなたにとってのこの言葉が何を意味するのか、教えていただきたいと思っています。ポジティブな意味で用いられている言葉で、それを感じている人に訴えかける。彼らが、それを感じていない他の人たちにも伝染させるように。 ポジティブな面がありますが、暗い面もある言葉です。 －もしそうであるのなら、どうしてあなたはその光の部分が伝染すると考えたのですか？ 実のところ、このタイトルは編集者シルヴィ・クロスマンの提案でした。私はすぐにＯＫしましたが。 －命令形を使うというのも？ その通りです。そして、エクスクラメーションマーク付けることも。強烈なタイトルです。私が提案していたら、もっと穏健なものになっていたでしょう。私は自分のことを革命家ではなく、非暴力を信じる外交官だと考えているからです。私は人々が合意に至ることを目指します。人々を対立させることではありません。 －それは現在の状況では十分に過激なことです。私たちを戦争に送るような政治家たちに囲まれているのですから。対話は今日において革命的なのでしょうか？ そうかもしれませんね。しかし、意味に関して語れというのであれば、私にとってこの言葉が説得力を持って感じられるのは、もう一つの重要な用語を含んでいることだと言うでしょう。尊厳（dignidad）です。尊厳が問題とされるときには、反応することが必要なのです。人間の一人一人が持つ尊厳を踏みにじられることから、憤慨（Indignación）はやって来ます。だからこそ、いつも私は世界人権宣言を参照するのです。その第一条には「私たち人類はみな尊厳と権利において平等である」と謳っています。 －そして、今度は行動を誓う時がきました。 新作のタイトルがまさに『Comprometeos(行動を誓え)』です。憤慨に続く倫理的なステップです。他人が何かをすることを誓っても、迷惑に思う人はいません。反乱を起こしたり、衝動的に行動したりすれば、迷惑をかける可能性があります。それはマリーヌ・ル・ペン（フランス極右のリーダー）のような人々の利となります。それが彼女が示していることですが、私が支持するのは反対方向の憤慨です。私が憤慨で身を震わすのは、基本的な権利が攻撃されたり迫害されたりしたときなのです。私にとっては、（感情的に）怒るだけでは何の意味もありません。怒りはどこにも導いてくれませんから。その後に行動を誓うことが来るべきなのです。 －難しいですね。 私が人々に提案するのは、理由なく怒ることではありません。私たちが受け継いできた基本的な価値が現在揺らいでいて、危機に置かれているのはなぜなのかと自問することです。簡単なことではありません。 －特に、こうした混乱の真っ只中で、自分の考えを明らかにすることですね。（この本は）今までとは違うタイプの憤慨や興味を培養するためのスープです。 この本を読むと、大切にしなければならないものや危機にあるもの、そして挑戦すべきことがはっきりします。 －フランス革命のことから始まって、３つか４つですね。 それはその中の一部で、他のものもあります。何度も繰り返しますが、世界人権宣言です。 [...]<img alt="" border="0" src="http://stats.wordpress.com/b.gif?host=ramonbook.wordpress.com&amp;blog=12906008&amp;post=1779&amp;subd=ramonbook&amp;ref=&amp;feed=1" width="1" height="1" />]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<blockquote>
<p style="text-align:left;">先週2011年のベストセラーが発表されました。<a href="http://ramonbook.wordpress.com/2011/06/14/indignaos/">以前の記事</a>でご紹介した<strong>Stephane Hessel ステファン・エセル</strong>の<strong>『Indignaos! （憤慨せよ！）』</strong>は、大ベストセラーとなったダイエット本『el método dukan（デュカン式）』に次いで２位にランクイン。ちなみに３位は『<a href="http://ramonbook.wordpress.com/2010/04/22/%E9%A2%A8%E3%81%AE%E5%BD%B1%EF%BC%88%E5%89%8D%E7%B7%A8%EF%BC%89/">風の影</a>』の著者<strong>カルロス・ルイス・サフォン</strong>の新作『 <strong></strong>El prisionero del cielo（天空の囚人）』（<a href="http://www.publico.es/417389/el-metodo-dukan-e-indignaos-libros-mas-vendidos-en-espana-en-2011">1/17付Publico紙</a>参照）。</p>
<p style="text-align:left;"><strong></strong>この本がスペインで爆発的に売れ、<a href="http://ramonbook.wordpress.com/2011/05/18/democracia-real-ya/">15-Mの動き</a>へと繋がって行った裏にあるのが、序文を寄せたスペイン人経済学者<strong>José Luis Sampedroホセ・ルイス・サンペドロ</strong>の存在。「私も1917年に生まれた。私も憤慨している。私も戦争を生きた。私も独裁を耐え忍んだ」と始まる『私も』と題された序文によって、スペイン人は、ナチスへの仏レジスタンスとフランコ独裁政権での民主化要求運動を重ね合わせ、さらには経済危機で社会福祉が風前のともしびとなっている現実を目の当たりにして、エセルの言葉を自分たちへの呼びかけとして受けとめたのです。</p>
<p style="text-align:left;">そして、サンペドロは<strong>Democracia Real Ya!（真の民主主義を今すぐに！）</strong>に賛同し、「スペインに民主主義は存在しない。人々よ、立ち上がれ」と自ら<a href="http://ramonbook.wordpress.com/2011/05/18/democracia-real-ya/">15-Mのデモ</a>参加を呼びかけたのでした。</p>
<p style="text-align:left;"><span style="text-align:center; display: block;"><a href="http://ramonbook.wordpress.com/2012/01/27/entrevista-a-s-hessel1/"><img src="http://img.youtube.com/vi/yyOp8IRxgoo/2.jpg" alt="" /></a></span></p>
<p style="text-align:left;">改めて言うまでもないですが、<strong>『Indignaos! （憤慨せよ！）』</strong>はその簡潔さが最大の魅力。しかし、その反面、背景をある程度共有していないと、メッセージが今ひとつピンとこないのも事実。日本でも『<a href="http://ec.nikkeibp.co.jp/item/books/P48760.html">怒れ！憤れ！</a>』のタイトルで翻訳が出たようなので、この機会に彼自身が本書について語ったインタビューをご紹介することにしました。スペインでの15-Mのデモから続く一連の抗議活動が、世界的な注目を浴びた直後に新聞に掲載されたものです。エセルのメッセージを理解する助けになれば幸いです。</p>
</blockquote>
<p style="text-align:center;"><em><a href="http://ramonbook.files.wordpress.com/2011/12/stephane_hessel.jpeg"><img class="aligncenter  wp-image-1780" title="Stephane_Hessel" src="http://ramonbook.files.wordpress.com/2011/12/stephane_hessel.jpeg?w=218&#038;h=325" alt="" width="218" height="325" /></a><strong>憤慨の次に来るべきなのは、行動を誓うこと</strong></em></p>
<p style="text-align:center;"><em>93歳の作家や活動家の顔も持つフランス人外交官は、著作のスローガン『憤慨せよ！』の下、ヨーロッパの若者たち、とりわけスペインの若者に強烈なインスピレーションを与えた</em></p>
<p><em>ステファン・エセルは、パリにある自宅のサロンのテーブルの上に、怒れるスペインの若者達の写真が掲載された本紙（EL PAÍS）を一部とってある。彼の著作のタイトルの下で一連のデモが呼びかけられた最初の数日間の写真だ。この著作はスペインでは40万部に届く勢いで売れており、フランスではすでに200万部に到達している。</em></p>
<p><em>この93歳の若者は、的確な時期に的確な言葉を伴って現れた。実のところ彼が行ったのは要約である。自由、平等、正義、正当性、義務、人権といった何十年もの闘争と犠牲を払って獲得したにもかかわらず、今日脅威に晒されている価値観を高みに置いたこと。血と炎を礎に刻まれた言葉は、彼の場合は安っぽい煽動とはならない。なぜなら、こうしたものが消滅の危機にあるのを目にして、エセルが憤慨するのには理があるからだ。彼はペテン師でもなければ、煽動家でもない。彼が要求していることは、マルクスとエンゲルスが『共産党宣言』（彼はこの思想を共にしていない）に記述したことや、ゾラがドレフュス事件に関する著作『私は告発する』に込めたのと同じものだ。</em></p>
<p><em>1917年にベルリンに生まれ、両親がナチの脅威から逃れた後にフランス人となり、パリに落ち着いた。レジスタンス活動に参加し、ゲシュタポに死刑を宣告され、拷問を受け、いつくかの強制収容所で一時期を過ごす。世界人権宣言の起草という歴史的な出来事の数少ない証人の一人となった。その人生と高い倫理観は世界レベルでの意識を揺さぶるのに十分すぎるほどだろう。民衆のヒーローであり、明確な考えを持った平和主義のアジテーターだ。</em></p>
<p><em>−スペインでは『憤慨せよ！』と叫んでデモを行っている人々が何万人もいます。あなたは満足でしょうか？　あなたのメッセージが浸透しているのです。</em></p>
<p>もう見ましたよ。嬉しいです。この小さな本のアイデアが持ち上がったときには、フランスのことしか私たちの頭にはありませんでした。しかし、わずか数週間の間にたくさんの出来事が生じる事態となりました。サルコジの人気が下落すると、イタリアのベルルスコーにも同じことが起こり、スペインのサパテロ、ポルトガルのソクラテスまで。北アフリカの反乱が起こる前は、世界各国の政府が人々の憤慨を誘発するような行動に関与しているというような考え方を、ほとんど目にすることがありませんでした。</p>
<p><em>−それでその考えを書いて、本にしようと思いついたと。</em></p>
<p>それは、全くもって文学的な仕事ではありません。私たちは短くて刺激的なものを出版したいと思っていました。全体として纏まっていなくても構いませんでした。ちょうどあなたが今いるところに編集者が座って、私は話を始めました。彼女が文字起こししたものに、二人で手をいれて出版したのです。</p>
<p><em>−まるでインタビューのようですね。その相手が私でなかったことが残念です。</em><em>今みたいに、</em><em>相手が私でも良かったのに。</em></p>
<p>まさにその通り、こんな感じでしたよ。まるで会話のように自然な形で生まれたんです。そして、一端通りに出ると瞬く間に広まりました。</p>
<p><em>－たくさんの人が、ある種の感情を一つにまとめるスピーチを待っていたのです。的確な言葉、誰もが知っている表現。それが憤慨です。</em></p>
<p>事実、そうだということを確認しました。本は二つの文章に基づいています。一つは抵抗のプログラム。これはあまり良い出来ではないのですが、的確な時期に的確な場所、つまりナチにという敵に包囲されているとフランス人が感じているときに書かれたものです。もう一つが<a href="http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/udhr/">世界人権宣言</a>です。</p>
<p><em>－あなたが数少ない目撃者</em><em>の一人となったものですね。</em></p>
<p>世界人権宣言が起草されていたとき、私はその場にいました。12人の学識者のグループに参加するには若すぎたので、私は助手でした。会議の開催や議事録の作成を手伝っていたのです。参加していたのは、ルーズベルト未亡人エレノアなど政治と法律の分野で第一線の人々でした。ニューヨークやジュネーブで会合を行い、私は書類の作成や作業状況の確認を担当しました。</p>
<p><em>－秘書のように見守りながら？　</em></p>
<p>私は若い外交官で、権限が足りませんでしたが、好奇心は溢れるほどにありました。この作業ができる限り素晴らしいものとなるように、心から願っていました。とても大きな動機が私にはあったからです。3つの収容所で戦争を終えたという事実は、私を駆り立てるのに十分なものでした。</p>
<p><em>－あなたはブーヘンヴァルト強制収容所にいましたね。</em><em></em></p>
<p>そこで<strong>Jorge Semprúnホルヘ・センプルン</strong>(注)と知り合いました。大親友の一人です。彼に関して重要なエピソードがあります。収容所に着いた彼は職業は何かと聞かれ、学生（estudiante）と答えました。記録を取っていた者が「もしそう記入したら、ただちに君は殺されるだろう。私は最初の文字を残して、漆喰職人（estucador）に変えよう。こうしておけば、少なくとも手作業を振り当てられるだろうから」。彼らが求めていたのは、それ（働き手）だけだったのです。さて、『憤慨せよ！』の話に戻りましょう。</p>
<p><em>－あなたにとってのこの言葉が何を意味するのか、教えていただきたいと思っています。ポジティブな意味で用いられている言葉で、それを感じている人に訴えかける。彼らが、それを感じていない他の人たちにも伝染させるように。</em></p>
<p>ポジティブな面がありますが、暗い面もある言葉です。</p>
<p><em>－もしそうであるのなら、どうしてあなたはその光の部分が伝染すると考えたのですか？</em></p>
<p>実のところ、このタイトルは編集者シルヴィ・クロスマンの提案でした。私はすぐにＯＫしましたが。</p>
<p><em>－命令形を使うというのも？</em></p>
<p>その通りです。そして、エクスクラメーションマーク付けることも。強烈なタイトルです。私が提案していたら、もっと穏健なものになっていたでしょう。私は自分のことを革命家ではなく、非暴力を信じる外交官だと考えているからです。私は人々が合意に至ることを目指します。人々を対立させることではありません。</p>
<p><em>－それは現在の状況では十分に過激なことです。私たちを戦争に送るような政治家たちに囲まれているのですから。対話は今日において革命的なのでしょうか？</em></p>
<p>そうかもしれませんね。しかし、意味に関して語れというのであれば、私にとってこの言葉が説得力を持って感じられるのは、もう一つの重要な用語を含んでいることだと言うでしょう。<strong>尊厳（dignidad）</strong>です。尊厳が問題とされるときには、反応することが必要なのです。人間の一人一人が持つ尊厳を踏みにじられることから、<strong>憤慨（Indignación）</strong>はやって来ます。だからこそ、いつも私は世界人権宣言を参照するのです。その第一条には「私たち人類はみな尊厳と権利において平等である」と謳っています。</p>
<p><em>－そして、今度は行動を誓う時がきました。</em></p>
<p>新作のタイトルがまさに『<strong>Comprometeos(行動を誓え)</strong>』です。憤慨に続く倫理的なステップです。他人が何かをすることを誓っても、迷惑に思う人はいません。反乱を起こしたり、衝動的に行動したりすれば、迷惑をかける可能性があります。それはマリーヌ・ル・ペン（フランス極右のリーダー）のような人々の利となります。それが彼女が示していることですが、私が支持するのは反対方向の憤慨です。私が憤慨で身を震わすのは、基本的な権利が攻撃されたり迫害されたりしたときなのです。私にとっては、（感情的に）怒るだけでは何の意味もありません。怒りはどこにも導いてくれませんから。その後に行動を誓うことが来るべきなのです。</p>
<p><em>－難しいですね。</em></p>
<p>私が人々に提案するのは、理由なく怒ることではありません。私たちが受け継いできた基本的な価値が現在揺らいでいて、危機に置かれているのはなぜなのかと自問することです。簡単なことではありません。</p>
<p><em>－特に、こうした混乱の真っ只中で、自分の考えを明らかにすることですね。（この本は）今までとは違うタイプの憤慨や興味を培養するためのスープです。</em></p>
<p>この本を読むと、大切にしなければならないものや危機にあるもの、そして挑戦すべきことがはっきりします。</p>
<p><em>－フランス革命のことから始まって、３つか４つですね。</em></p>
<p>それはその中の一部で、他のものもあります。何度も繰り返しますが、世界人権宣言です。</p>
<p><em>－踏みにじられているように見えますか？</em></p>
<p>十分に。しかし、あの宣言が起草された時代のことを忘れてはなりません。まだ世界がいくつかの全体主義の脅威にさらされていたのです。ファシズムは敗れましたが、共産主義は存続していました。そして、その後、市場、ただ市場だけに基づいた邪悪な別のイデオロギーが課されていくことになりました。そして今日はあなたも私も、私たちの費用で自分たちの利益を追求している特権グループが招いた結果に苦しんでいるのです。代替案として何を提案するか？　<strong>真の民主主義</strong>です。</p>
<p><em>－美しい言葉ですね。</em></p>
<p>人々が必要とするものを政府が最優先で解決するように、権力をもっと共同体に託すことを信じる。これが一つ目の課題です。政府は自由、友愛、平等、社会的正義を保障するべきです。</p>
<p><em>－そして進歩。これは危機におけるもう一つの概念です。私たちは進歩を技術的なもの、科学的なものと混同しています。しかし、福祉と混同することはありません。</em></p>
<p>まったくその通りです。とても簡単なことなのですが、進歩とはより良い形へ近づいていくことを意味するのではありません。より良いという言葉は重要です。善と悪の間にある違いはなんでしょうか？　どんなコストを払ってもお金を稼ぐことと、品位や誇りを護ること、どちらがより良いのでしょうか？　ありとあらゆる犠牲を払っても科学的進歩の螺旋の中に入ることと、人間の尊厳を越える発見を警戒することでは、どちらが良いのでしょうか？　進歩とは速度を上げることではなく、より良い世界を支援するためには、何が良い価値観で何がそうでないのかを意識することを意味します。民主主義とはそれ自体が多くを要求するものです。（真の）民主主義は政治家により多くのことを要求し、悪事を働いたものが良い思いをすることが困難なように、システムを改善していくことを可能にするのです。</p>
<p style="text-align:right;"><em>2011.05.29 <a href="http://www.elpais.com/articulo/portada/Hessel/indignacion/debe/ir/seguida/compromiso/elpepucul/20110529elpepspor_8/Tes">Hessel: &#8220;La indignación debe ir seguida de compromiso&#8221;</a></em></p>
<p style="text-align:left;"><em>訳注：スペインを代表する知識人の一人で、昨年6月7日に</em><em>フランスで</em><em>逝去</em></p>
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		<title>スペインが引きずる独裁政権の闇</title>
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		<pubDate>Sat, 21 Jan 2012 23:00:15 +0000</pubDate>
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		<category><![CDATA[デモクラシア・レアル]]></category>

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		<description><![CDATA[ちょうど一週間前の1月15日にこの世を去ったスペインの大物政治家マヌエル・フラガ。ラモン・チャオとこのガリシアの政治家は同郷で、奇妙な縁で結ばれていました。その詳細は『チェのさすらい』の番外編に収めたエッセイ『検閲』の中で、ラモン自身が明らかにしています。 スペインは、独裁者フランコが後継者として指名した現国王フアン・カルロスが民主化を選択したことで、民主化への道を歩むこととなりました。つまり、独裁政権が倒されることがなかったのです。そのために、フランコ時代の権力者は民主移行後も権力を維持することができました。その結果、独裁政権時代の弾圧に対しての責任の追求が曖昧なまま、歴史の中に置き去りにされてしまったのです。 ラモンの「音楽家としてのキャリアを誰よりも支援し、ジャーナリストしてのキャリアを誰よりも傷つけた」マヌエル・フラガの人生を辿ると、民主化したスペインが抱える歪みが透けて見えてきます。そして、この歪みから生まれて来たとも言えるのが「真の民主主義を今すぐに！」というスローガンでした。 マヌエル・フラガ死す−権力を追い求めた60年 昨年11月までPP国民党の議員を務めたガリシア人政治家は、自らの政党の政権下で死去した スペインの歴史60年分がすっぽり入る百科事典のように膨大な内容が収められた伝記。あるいは、独裁政権、移行期、民主化、そして自治州国家までが一望できる概説。この書物が、昨日の夕方マドリードにおけるマヌエル・フラガの死によって閉じられた。89歳、今年の初めから患っていた呼吸器疾患から回復することはなかった。彼の死によって、 時を隔てて現在の右派をフランコ主義と結びつける最後の輪が消え去った。フランコの下で傑出した役職―まさに宣伝相であった―を務めた後に、独裁政権の崩壊から無事に抜け出すことに成功した人物は、彼以外にはいない。 フラガは政治の世界でさらに36年生き延びた。昨年の11月まで議員を務め、現スペイン政権与党の創設代表として死去。彼は伝説的な適応能力によってこうしたことを全て可能にしてきた。新憲法において自治の発展にブレーキをかけようとしたわずか数年後に、ガリシアに隠居して自治州の偉大な指導者となるということすら、やってのけたのだ。高く尊敬されていると同時にひどく憎まれてもおり、常に曖昧さのない態度で、最も無慈悲な敵すらも彼の政治的能力を否定しないという状況を作り上げて、この世を去った。火曜日いつも夏を過ごしていたペルベス（ガリシア州ア・コルーニャ）に、亡き妻とともに埋葬されることになっている。慰問所はマドリードの自宅に月曜日の10時半から設置される。 また、フラガとともに、決して帰ってくることのない公的指導者の階級が別れを告げる。政治的な正しさとプレハブ方式の演説というアンチテーゼ。デモ参加者に喧嘩を挑む、新聞記者たちの前で協力者を笑い者にする、ある女性代議士に向かって、「そのお嬢さんが示してくれたもので興味が持てるのは襟ぐり（から見える胸の谷間）だけだ」と言い放つ、こうしたことをやってのける人物。火山のように劇しやすいタイプで、90冊の著作を出版して博識を示すことも、新聞の見出しに最も粗野なフレーズを提供することも楽しんだ。権力の動物で、常日頃から約束していたように「最後の一息まで」自分の人生を権力に捧げた。他のいかなる個人的動機も彼にこの目標を断念させることはなかった。過剰なことに取り憑かれており、他の誰よりも一キロでも多くの距離を回る、一人でも多くの人と握手する、一つでも多くの会合を行うといった、馬鹿げたような偉業を自慢するのが常だった。ロンドンで大使を務めていた時期に、他の国々の外交官を訪ねるという外交的義務を果たした唯一の人物であったことを自慢げに語っていた。その数100ヶ国以上、「トンガ島までも含む」と強調していた。立ち止まることなく、『ビラルバのライオン』の神話を育み、一分の自由時間も取ることなく、早朝から夜中まで、決して越えることのできない聖なる壁を前にしていた。 彼の大きな挫折は、運命付けられているように見えた、スペイン政府首相の座に手が届かなかったことだった。フランコ主義者という過去—彼は決してそれを否定しなかった―がその資格を取り上げたので、代わりにガリシア自治州大統領で良しとしなければならなかった。そこで、政府からの人物という属性全てを持って、一国を率いるという熱望を満たすことができた。約16年に渡って大統領を務めた彼を、その座から追いやるには二つの大災害が重ならなければならなかった。プレステージ号（注1）と老い。しかし、1951年に始まった政治家人生において6期を満了するという驚くべき記録を達成した。その政治家人生は、独裁政権が親ナチの法律家カール・シュミットの著作を熱心に注解していた若き教授だった彼を独裁政権がスペイン文化研究所の総書記にしたときに始まり、21世紀スペインの民主主義議会において終わった。 彼の成功の秘密の一つが、決して田舎者のメンタリティを完全に捨て切らなかったことだ。1922年11月23日ガリシアの農村地帯に生まれた。生誕地ビラルバはルーゴ県一地区の行政サービスの中心であった。父親は農民であったが、キューバに幸運を求め、そこで敬虔なカトリックの教育を受けたフランス系バスク人マリア・イルバルネと結婚する。その子供フラガはガリシアで生まれたものの、幼少時代の初期をキューバで過ごした後、ビラルバで二人の叔母に育てられることになる。家族が移民の出稼ぎで集めた貯金で、勉学を行うことができた若きフラガは、驚異的な記憶力と学問への没頭で頭角を現した。教室で彼の伝説が始まった。法律と政治の課程を一度に終えると、25歳で国会弁護士と外交官学校の選抜試験で一番となり、26歳で大学教授の地位に到達する。 フラガはまるで流星のようだった。彼の野心の道のりは不可避的に独裁政権の奥底を通過しなければならなかった。40歳で情報観光省の大臣の地位を与えられるまでは、省のナンバー２として功績を上げる。フランコ主義が発展に全身全霊を捧げる中で、フラガは政権の原理原則を疑う明白に支持することから、垢まみれの当時のスペインの中おいて、ある種の現代性の象徴として姿を現した。彼の観光キャンペーンによって、よく知られているスゥエーデン人観光客と最初のヒッピーがスペインにやって来た。予備検閲を廃止―しかし、出版物を差し押さえる可能性は残した―し、規制を緩めて当時のマスメディアにおいて支配的だった偽善を緩和した。これによって、「フラガと一緒ならブラガ（ショーツ）まで（注2）」というよく知られたフレーズが生まれる。非常に早くからメディア的な社会における行動の重要性を理解し、米軍機が核爆弾を失ったパロマレスにおいて、米国大使と共に何千回も海水浴を繰り返した。政権のプロパガンダキャンペーンを組織すると同時に、共産党員フリアン・グリマウの銃殺のようなほとんど擁護不可能なエピソードを擁護するために立ち向かった。しかしながら、多くのスペイン人にとっては、政権改革への意欲の象徴であった。 彼の人生において何度も繰り返されたように、野心が彼を破滅させた。その当時政権を支配していたオプス・デイ（注3）の技術官僚たちが、1969年彼を追い出すことに成功したのだ。彼はフランコ主義の内部からの批判者のような立場に転身し、特に在ロンドン大使に任命された1973年以降はこのイメージの確立に務めた。フランコが衰弱し始め、根本的な変革が近づいていることがわかると、移行期を指揮するために英国の首都から、熱狂的なまでの熱心さでスペイン、そして世界中の人々との接触を進めた。そしてフランコの死後、第一次アリアス・ナバラ内閣において、現在の内務相である自治相となる。 フラガの道のりがオープンな考えに基づいたものであったことに疑いの余地はない。しかし、政権が消滅すると、その土台に変えることなしに、モデルを変更することを提案した。一例を挙げるなら、共産主義者を公職に組み込むといいう気などは微塵もなかった。彼の権威主義は彼の省が行った大きな議論を巻き起こした行動―ビトリアにおける労働者や（ナバラ）モンテフラにおける左派カルロス党員の暗殺―と混ざり合い、民主派の対抗勢力からは残忍な人間と見なされるに至った。『通りは私の物』というフレーズは、彼自身は否定していたものの、対抗勢力は彼が言ったものだとしている。彼の人生における最大の不幸は、国王がスアレスを新しい政府の首相に選んだときに訪れた。フラガは君主に反抗して、新内閣で大臣職を受けるという圧力を拒絶する。 それから創設したAP国民同盟（現在のPP国民党）は、民主的な保守政党となろうとしたものの、それを率いていたのは素晴らしき7人と呼ばれた前政権の老いぼれの集まりであった。 不承不承に新憲法を承認し、栄光よりも苦悩とともに23F（注4）の夜をやり過ごすと、UCD民主中央連合の崩壊により、社会主義者の大波の前に取り残された。フェリペ・ゴンサレス（注5）がいろいろ気にかけたことで第一野党となり、「国家の頭に収まる」と宣言した。こうした時代から語り継がれている有名な演説がある。国会においてヒヨコ豆１キロの値段を暗唱して、真の民主主義への代替案とすべく、かつてのフランコ主義の重要性を説いたのだ。怒りに震えて何年かを過ごしたあとで、立会人の座を譲る。国民同盟党首の後継者としてイサベル・トシノを指名しようとするが、ホセ・マリア・アスナールを選ぶように説得された。 ガリシアにおいて自分の小さな国家を構築した。熱狂的なレベルに達する崇拝者たち―彼らはフラガを『偉大な舵取り』と呼ぶ―に囲まれて、カストロのキューバ、イスラム教徒のイラン、カダフィのリビアを含む世界の半分を旅し、政治と情報を厳格にコントロールして、自分の敵に分をわきまえさせた。彼のカメレオンのような性格（『政治はベッドを共にした相手を他人にする』と言っていた）によって、徹底したガリシア主義者に変身することができた。自治主義的な提案によって、自らの政党を苛立たせることも一度や二度ではなかった。引退も後継者の指名も一切考えることはなかった。プレステージ号の黒潮に続く社会蜂起が起こり、さらには健康状態の明白な悪化―公の場で倒れることが何度かあった―が加わってようやく、選挙での支持を彼から取り上げることができた。 あまりにも権力を目指す競争に夢中になり、あまりにもささいな人の問題を犠牲にしたために、自分の家族を含めて人間関係を修復しなければならない羽目に陥った。 マドリッドへ行くように彼を説得したのは、彼自身の娘たちだった。そこで少しずつ覇気を失い、声は次第に小さく震えるようになったが、最期まで権威に固執した。議会の議席、そして自分の運命はスペインを導くことだと確信したときに創設した政党の名誉議長の座に。 2012.01.15 Muere Manuel Fraga, 60 años de pasión por el poder  訳注： プレステージ号—2002年11月19日リベリアの石油タンカーがガリシア沖で沈没し、重大な環境被害を引き起こした事件 カトリック教会と結びついていたフランコ政権は非常に保守的であったにもかかわらず、フラガが観光キャンペーンの一環として利用した映画の中では、スペインのビーチの魅力をアピールするために、水着姿の女性がたくさん登場したことを揶揄している スペイン発祥のキリスト教ローマ・カトリック組織 1981年2月23日に軍部が起こした国家クーデターで、失敗に終わった 首相を務めた社会労働党党首<img alt="" border="0" src="http://stats.wordpress.com/b.gif?host=ramonbook.wordpress.com&amp;blog=12906008&amp;post=1939&amp;subd=ramonbook&amp;ref=&amp;feed=1" width="1" height="1" />]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<blockquote><p>ちょうど一週間前の1月15日にこの世を去ったスペインの大物政治家<strong>マヌエル・フラガ</strong>。ラモン・チャオとこのガリシアの政治家は同郷で、奇妙な縁で結ばれていました。その詳細は『チェのさすらい』の番外編に収めたエッセイ『<strong>検閲</strong>』の中で、ラモン自身が明らかにしています。</p>
<p>スペインは、独裁者フランコが後継者として指名した現国王フアン・カルロスが民主化を選択したことで、民主化への道を歩むこととなりました。つまり、独裁政権が倒されることがなかったのです。そのために、フランコ時代の権力者は民主移行後も権力を維持することができました。その結果、独裁政権時代の弾圧に対しての責任の追求が曖昧なまま、歴史の中に置き去りにされてしまったのです。</p>
<p>ラモンの「<em>音楽家としてのキャリアを誰よりも支援し、ジャーナリストしてのキャリアを誰よりも傷つけた</em>」マヌエル・フラガの人生を辿ると、民主化したスペインが抱える歪みが透けて見えてきます。そして、この歪みから生まれて来たとも言えるのが「<a href="http://ramonbook.wordpress.com/2011/05/18/democracia-real-ya/">真の民主主義を今すぐに！</a>」というスローガンでした。</p></blockquote>
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<div><a title="ampliar foto" href="http://politica.elpais.com/politica/2012/01/09/actualidad/1326071259_436194.html"><img class="aligncenter" src="http://ep00.epimg.net/politica/imagenes/2012/01/09/actualidad/1326071259_436194_1326127743_noticia_normal.jpg" alt="" width="300" height="490" /></a></div>
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<p style="text-align:center;"><strong>マヌエル・フラガ死す−権力を追い求めた60年</strong></p>
<p style="text-align:center;">昨年11月までPP国民党の議員を務めたガリシア人政治家は、自らの政党の政権下で死去した</p>
<p>スペインの歴史60年分がすっぽり入る百科事典のように膨大な内容が収められた伝記。あるいは、独裁政権、移行期、民主化、そして自治州国家までが一望できる概説。この書物が、昨日の夕方マドリードにおけるマヌエル・フラガの死によって閉じられた。89歳、今年の初めから患っていた呼吸器疾患から回復することはなかった。彼の死によって、 時を隔てて現在の右派をフランコ主義と結びつける最後の輪が消え去った。フランコの下で傑出した役職―まさに宣伝相であった―を務めた後に、独裁政権の崩壊から無事に抜け出すことに成功した人物は、彼以外にはいない。</p>
<p>フラガは政治の世界でさらに36年生き延びた。昨年の11月まで議員を務め、現スペイン政権与党の創設代表として死去。彼は伝説的な適応能力によってこうしたことを全て可能にしてきた。新憲法において自治の発展にブレーキをかけようとしたわずか数年後に、ガリシアに隠居して自治州の偉大な指導者となるということすら、やってのけたのだ。高く尊敬されていると同時にひどく憎まれてもおり、常に曖昧さのない態度で、最も無慈悲な敵すらも彼の政治的能力を否定しないという状況を作り上げて、この世を去った。火曜日いつも夏を過ごしていたペルベス（ガリシア州ア・コルーニャ）に、亡き妻とともに埋葬されることになっている。慰問所はマドリードの自宅に月曜日の10時半から設置される。</p>
<p>また、フラガとともに、決して帰ってくることのない公的指導者の階級が別れを告げる。政治的な正しさとプレハブ方式の演説というアンチテーゼ。デモ参加者に喧嘩を挑む、新聞記者たちの前で協力者を笑い者にする、ある女性代議士に向かって、「そのお嬢さんが示してくれたもので興味が持てるのは襟ぐり（から見える胸の谷間）だけだ」と言い放つ、こうしたことをやってのける人物。火山のように劇しやすいタイプで、90冊の著作を出版して博識を示すことも、新聞の見出しに最も粗野なフレーズを提供することも楽しんだ。権力の動物で、常日頃から約束していたように「最後の一息まで」自分の人生を権力に捧げた。他のいかなる個人的動機も彼にこの目標を断念させることはなかった。過剰なことに取り憑かれており、他の誰よりも一キロでも多くの距離を回る、一人でも多くの人と握手する、一つでも多くの会合を行うといった、馬鹿げたような偉業を自慢するのが常だった。ロンドンで大使を務めていた時期に、他の国々の外交官を訪ねるという外交的義務を果たした唯一の人物であったことを自慢げに語っていた。その数100ヶ国以上、「トンガ島までも含む」と強調していた。立ち止まることなく、『ビラルバのライオン』の神話を育み、一分の自由時間も取ることなく、早朝から夜中まで、決して越えることのできない聖なる壁を前にしていた。</p>
<p>彼の大きな挫折は、運命付けられているように見えた、スペイン政府首相の座に手が届かなかったことだった。フランコ主義者という過去—彼は決してそれを否定しなかった―がその資格を取り上げたので、代わりにガリシア自治州大統領で良しとしなければならなかった。そこで、政府からの人物という属性全てを持って、一国を率いるという熱望を満たすことができた。約16年に渡って大統領を務めた彼を、その座から追いやるには二つの大災害が重ならなければならなかった。プレステージ号（注1）と老い。しかし、1951年に始まった政治家人生において6期を満了するという驚くべき記録を達成した。その政治家人生は、独裁政権が親ナチの法律家カール・シュミットの著作を熱心に注解していた若き教授だった彼を独裁政権がスペイン文化研究所の総書記にしたときに始まり、21世紀スペインの民主主義議会において終わった。</p>
<p>彼の成功の秘密の一つが、決して田舎者のメンタリティを完全に捨て切らなかったことだ。1922年11月23日ガリシアの農村地帯に生まれた。生誕地ビラルバはルーゴ県一地区の行政サービスの中心であった。父親は農民であったが、キューバに幸運を求め、そこで敬虔なカトリックの教育を受けたフランス系バスク人マリア・イルバルネと結婚する。その子供フラガはガリシアで生まれたものの、幼少時代の初期をキューバで過ごした後、ビラルバで二人の叔母に育てられることになる。家族が移民の出稼ぎで集めた貯金で、勉学を行うことができた若きフラガは、驚異的な記憶力と学問への没頭で頭角を現した。教室で彼の伝説が始まった。法律と政治の課程を一度に終えると、25歳で国会弁護士と外交官学校の選抜試験で一番となり、26歳で大学教授の地位に到達する。</p>
<p>フラガはまるで流星のようだった。彼の野心の道のりは不可避的に独裁政権の奥底を通過しなければならなかった。40歳で情報観光省の大臣の地位を与えられるまでは、省のナンバー２として功績を上げる。フランコ主義が発展に全身全霊を捧げる中で、フラガは政権の原理原則を疑う明白に支持することから、垢まみれの当時のスペインの中おいて、ある種の現代性の象徴として姿を現した。彼の観光キャンペーンによって、よく知られているスゥエーデン人観光客と最初のヒッピーがスペインにやって来た。予備検閲を廃止―しかし、出版物を差し押さえる可能性は残した―し、規制を緩めて当時のマスメディアにおいて支配的だった偽善を緩和した。これによって、「フラガと一緒ならブラガ（ショーツ）まで（注2）」というよく知られたフレーズが生まれる。非常に早くからメディア的な社会における行動の重要性を理解し、米軍機が核爆弾を失ったパロマレスにおいて、米国大使と共に何千回も海水浴を繰り返した。政権のプロパガンダキャンペーンを組織すると同時に、共産党員フリアン・グリマウの銃殺のようなほとんど擁護不可能なエピソードを擁護するために立ち向かった。しかしながら、多くのスペイン人にとっては、政権改革への意欲の象徴であった。</p>
<p>彼の人生において何度も繰り返されたように、野心が彼を破滅させた。その当時政権を支配していたオプス・デイ（注3）の技術官僚たちが、1969年彼を追い出すことに成功したのだ。彼はフランコ主義の内部からの批判者のような立場に転身し、特に在ロンドン大使に任命された1973年以降はこのイメージの確立に務めた。フランコが衰弱し始め、根本的な変革が近づいていることがわかると、移行期を指揮するために英国の首都から、熱狂的なまでの熱心さでスペイン、そして世界中の人々との接触を進めた。そしてフランコの死後、第一次アリアス・ナバラ内閣において、現在の内務相である自治相となる。</p>
<p>フラガの道のりがオープンな考えに基づいたものであったことに疑いの余地はない。しかし、政権が消滅すると、その土台に変えることなしに、モデルを変更することを提案した。一例を挙げるなら、共産主義者を公職に組み込むといいう気などは微塵もなかった。彼の権威主義は彼の省が行った大きな議論を巻き起こした行動―ビトリアにおける労働者や（ナバラ）モンテフラにおける左派カルロス党員の暗殺―と混ざり合い、民主派の対抗勢力からは残忍な人間と見なされるに至った。『通りは私の物』というフレーズは、彼自身は否定していたものの、対抗勢力は彼が言ったものだとしている。彼の人生における最大の不幸は、国王がスアレスを新しい政府の首相に選んだときに訪れた。フラガは君主に反抗して、新内閣で大臣職を受けるという圧力を拒絶する。</p>
<p>それから創設したAP国民同盟（現在のPP国民党）は、民主的な保守政党となろうとしたものの、それを率いていたのは素晴らしき7人と呼ばれた前政権の老いぼれの集まりであった。 不承不承に新憲法を承認し、栄光よりも苦悩とともに23F（注4）の夜をやり過ごすと、UCD民主中央連合の崩壊により、社会主義者の大波の前に取り残された。フェリペ・ゴンサレス（注5）がいろいろ気にかけたことで第一野党となり、「国家の頭に収まる」と宣言した。こうした時代から語り継がれている有名な演説がある。国会においてヒヨコ豆１キロの値段を暗唱して、真の民主主義への代替案とすべく、かつてのフランコ主義の重要性を説いたのだ。怒りに震えて何年かを過ごしたあとで、立会人の座を譲る。国民同盟党首の後継者としてイサベル・トシノを指名しようとするが、ホセ・マリア・アスナールを選ぶように説得された。</p>
<p>ガリシアにおいて自分の小さな国家を構築した。熱狂的なレベルに達する崇拝者たち―彼らはフラガを『偉大な舵取り』と呼ぶ―に囲まれて、カストロのキューバ、イスラム教徒のイラン、カダフィのリビアを含む世界の半分を旅し、政治と情報を厳格にコントロールして、自分の敵に分をわきまえさせた。彼のカメレオンのような性格（『政治はベッドを共にした相手を他人にする』と言っていた）によって、徹底したガリシア主義者に変身することができた。自治主義的な提案によって、自らの政党を苛立たせることも一度や二度ではなかった。引退も後継者の指名も一切考えることはなかった。プレステージ号の黒潮に続く社会蜂起が起こり、さらには健康状態の明白な悪化―公の場で倒れることが何度かあった―が加わってようやく、選挙での支持を彼から取り上げることができた。</p>
<p>あまりにも権力を目指す競争に夢中になり、あまりにもささいな人の問題を犠牲にしたために、自分の家族を含めて人間関係を修復しなければならない羽目に陥った。 マドリッドへ行くように彼を説得したのは、彼自身の娘たちだった。そこで少しずつ覇気を失い、声は次第に小さく震えるようになったが、最期まで権威に固執した。議会の議席、そして自分の運命はスペインを導くことだと確信したときに創設した政党の名誉議長の座に。</p>
<p style="text-align:right;"><em>2012.01.15 <a href="http://politica.elpais.com/politica/2012/01/09/actualidad/1326071259_436194.html">Muere Manuel Fraga, 60 años de pasión por el poder </a></em></p>
<p><em>訳注：</em></p>
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<li><em>プレステージ号—2002年11月19日リベリアの石油タンカーがガリシア沖で沈没し、重大な環境被害を引き起こした事件</em></li>
<li><em>カトリック教会と結びついていたフランコ政権は非常に保守的であったにもかかわらず、フラガが観光キャンペーンの一環として利用した映画の中では、スペインのビーチの魅力をアピールするために、水着姿の女性がたくさん登場したことを揶揄している</em></li>
<li><em>スペイン発祥のキリスト教ローマ・カトリック組織</em></li>
<li><em>1981年2月23日に軍部が起こした国家クーデターで、失敗に終わった</em></li>
<li><em>首相を務めた社会労働党党首</em></li>
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		<title>セネガルの大統領</title>
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		<pubDate>Mon, 09 Jan 2012 17:04:46 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Quatre Gats</dc:creator>
				<category><![CDATA[オルター思想]]></category>
		<category><![CDATA[オルター・グローバリゼーション]]></category>

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		<description><![CDATA[先週はアフリカを代表するミュージシャンユッスー・ンドゥールが母国セネガルの大統領選に出馬することが話題となっていました。そこで思い出したのが以前の記事で紹介したティケン・ジャー・ファコリのこと。ファコリは現在セネガルに出入国禁止になっているのですが、そのきっかけとなったのが85歳で三期目を目指すアブドゥライ・ワッド大統領だったのです。 当時の報道によるとファコリは2007年12月にセネガルで行ったコンサート中に、ワッド大統領に対して「祖国を愛しているのなら権力を手放す」ように発言。またREMラジオ（ユッスー・ンドゥールが所有するラジオ局）を通じても、大統領に対して「権力から家族を遠ざけ、透明性のある政府にする」ことを求めました。これをセネガル当局が「騒々しく、横柄で、失礼だ」とみなし、「好ましくない人物」として出入国を禁止する決定を下したとのこと。 こちらがセネガルを離れる前に行ったコンサートの様子。歌っているのは名曲『Ouvrez Les Frontières（国境を開け）」です。 それで気になっていろいろ調べていたら、ユッスー・ンドゥールが大統領選出馬について語ったインタビューが見つかったので、ご紹介しておきます。このインタビューは2010年5月に行われたものなので、彼の出馬についてはかなり前から噂されていたようですね。 アフリカの「ボブ・マーリー」の政治教室 ユッスー・ンドゥールは新譜でレゲエを始めた 一国の大統領となる可能性があるアーティストを前にして、音楽に関する質問だけにとどめるのは容易いことではない。大統領候補と噂されているセネガル出身ユッスー・ンドゥールは、昨日マドリッドでその疑問については一蹴した。「個人的には2012年の選挙に立候補する気はないが、極めて積極的に関わっていくつもりだ。私は全政党に政策綱領を求めて、各リーダーと会って話をし、最終的に誰を支持するか決めようと思っている」。 レゲエとボブ・マーリーへのオマージュである新アルバム『Dakar-Kingston (Universal)』を発表するためにマドリッドに来たンドゥールは、自国の政治家たちにかなり腹を立てていた。「彼らが唯一望んでいるのは、権力を維持することだけ。そのためなら、可能なことはなんでもやる。憲法の改正すら。私たちは政治家を信じて、彼らに権力を与えてきたが、今となっては彼らのせいで私たちは未来を見通すことができないでいる」とミュージシャンは不満を口にした。 キングストンのタフゴング・スタジオでレコーディングされた新作は、「奴隷とともにアフリカを去って、現在そのルーツに帰ってきた」ジャンル、レゲエに捧げられている。一つの目標とみなすミュージシャンに対するンドゥールからのオマージュ『マーリー』で始まる。「ポピュラー音楽の初の発展途上国出身スターだった。第三世界の声に世界中が耳を傾けることが可能であることを示した。マーリーがジャマイカで果たした役割を、アフリカで現在私が行うことも可能だろう。彼と比較されるのは名誉なことだ」と認めた。 セネガルにおけるシンボルと考えれれるユッスー・ンドゥールは、人々は主に地元の音楽を聴く祖国では、このアルバムが新しいものとして受け取られると考えている。「音楽は私たちの一部で、社会において非常に重要な役割を有している。人々は音楽を自分のものとして、自分の所有物の一部だと感じる。だからこそ、それを分かち合ったり、不法なダウンロードが行われたりする」と指摘し、この機会を利用してレコード会社を批判（「どうして彼らは新しいビジネスモデルを築くためにしっかりとしたアイデアを出さないのか不思議でしょうがない」）し、。「CDの売り上げがコンサートの売り上げに取って変わっている。真の音楽が戻って来た」とライブの隆盛を祝福した。 ンバラという独特のリズムの発明者は、フラメンコとアフリカ音楽がとても近いものだと考えている。「ほとんど同じだと言ってもいい。フラメンコを演奏する若者とアフリカ音楽を演奏する若者の間のコラボがだんだん増えているのは嬉しいことだ。ンドゥールは、撮影が終わった彼の人生についてのドキュメンタリーについて「重要なことは宗教だと語っているものだ。とりわけイスラム教とそのメッセージである寛容さについてね」とコメントした。 2010.05.05 Las lecciones políticas del &#8216;Marley&#8217; africano Marley was a young soul who throwed it away He showed the world the route to reggae One love no woman no cry Stand up Africa unite The Rasta man he was a really [...]<img alt="" border="0" src="http://stats.wordpress.com/b.gif?host=ramonbook.wordpress.com&amp;blog=12906008&amp;post=1911&amp;subd=ramonbook&amp;ref=&amp;feed=1" width="1" height="1" />]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<blockquote><p>先週はアフリカを代表するミュージシャン<strong>ユッスー・ンドゥール</strong>が母国セネガルの大統領選に出馬することが話題となっていました。そこで思い出したのが<a href="http://ramonbook.wordpress.com/2011/12/09/la-primavera-arabe-y-la-revolucion-africana/">以前の記事</a>で紹介した<strong>ティケン・ジャー・ファコリ</strong>のこと。ファコリは現在セネガルに出入国禁止になっているのですが、そのきっかけとなったのが85歳で三期目を目指す<strong>アブドゥライ・ワッド大統領</strong>だったのです。</p>
<p><a href="http://www.terra.com/musica/noticias/Tiken_jah_fakoly_es_persona_non_grata/oci220908">当時の報道</a>によるとファコリは2007年12月にセネガルで行ったコンサート中に、ワッド大統領に対して「祖国を愛しているのなら権力を手放す」ように発言。またREMラジオ（ユッスー・ンドゥールが所有するラジオ局）を通じても、大統領に対して「権力から家族を遠ざけ、透明性のある政府にする」ことを求めました。これをセネガル当局が「騒々しく、横柄で、失礼だ」とみなし、「好ましくない人物」として出入国を禁止する決定を下したとのこと。</p>
<p>こちらがセネガルを離れる前に行ったコンサートの様子。歌っているのは名曲『Ouvrez Les Frontières（国境を開け）」です。</p>
<p><iframe width="450" height="338" src="http://www.youtube.com/embed/47mUg28F8Y8?fs=1&#038;feature=oembed" frameborder="0" allowfullscreen></iframe></p>
<p>それで気になっていろいろ調べていたら、ユッスー・ンドゥールが大統領選出馬について語ったインタビューが見つかったので、ご紹介しておきます。このインタビューは2010年5月に行われたものなので、彼の出馬についてはかなり前から噂されていたようですね。</p></blockquote>
<p style="text-align:center;"><strong><a href="http://ramonbook.files.wordpress.com/2012/01/1273023769879bobdn.jpg"><img class="aligncenter  wp-image-1918" title="1273023769879bobdn" src="http://ramonbook.files.wordpress.com/2012/01/1273023769879bobdn.jpg?w=320&#038;h=240" alt="" width="320" height="240" /></a>アフリカの「ボブ・マーリー」の政治教室</strong><br />
ユッスー・ンドゥールは新譜でレゲエを始めた</p>
<p>一国の大統領となる可能性があるアーティストを前にして、音楽に関する質問だけにとどめるのは容易いことではない。大統領候補と噂されているセネガル出身ユッスー・ンドゥールは、昨日マドリッドでその疑問については一蹴した。「個人的には2012年の選挙に立候補する気はないが、極めて積極的に関わっていくつもりだ。私は全政党に政策綱領を求めて、各リーダーと会って話をし、最終的に誰を支持するか決めようと思っている」。</p>
<p>レゲエとボブ・マーリーへのオマージュである新アルバム『Dakar-Kingston (Universal)』を発表するためにマドリッドに来たンドゥールは、自国の政治家たちにかなり腹を立てていた。「彼らが唯一望んでいるのは、権力を維持することだけ。そのためなら、可能なことはなんでもやる。憲法の改正すら。私たちは政治家を信じて、彼らに権力を与えてきたが、今となっては彼らのせいで私たちは未来を見通すことができないでいる」とミュージシャンは不満を口にした。</p>
<p>キングストンのタフゴング・スタジオでレコーディングされた新作は、「奴隷とともにアフリカを去って、現在そのルーツに帰ってきた」ジャンル、レゲエに捧げられている。一つの目標とみなすミュージシャンに対するンドゥールからのオマージュ『マーリー』で始まる。「ポピュラー音楽の初の発展途上国出身スターだった。第三世界の声に世界中が耳を傾けることが可能であることを示した。マーリーがジャマイカで果たした役割を、アフリカで現在私が行うことも可能だろう。彼と比較されるのは名誉なことだ」と認めた。</p>
<p>セネガルにおけるシンボルと考えれれるユッスー・ンドゥールは、人々は主に地元の音楽を聴く祖国では、このアルバムが新しいものとして受け取られると考えている。「音楽は私たちの一部で、社会において非常に重要な役割を有している。人々は音楽を自分のものとして、自分の所有物の一部だと感じる。だからこそ、それを分かち合ったり、不法なダウンロードが行われたりする」と指摘し、この機会を利用してレコード会社を批判（「どうして彼らは新しいビジネスモデルを築くためにしっかりとしたアイデアを出さないのか不思議でしょうがない」）し、。「CDの売り上げがコンサートの売り上げに取って変わっている。真の音楽が戻って来た」とライブの隆盛を祝福した。</p>
<p>ンバラという独特のリズムの発明者は、フラメンコとアフリカ音楽がとても近いものだと考えている。「ほとんど同じだと言ってもいい。フラメンコを演奏する若者とアフリカ音楽を演奏する若者の間のコラボがだんだん増えているのは嬉しいことだ。ンドゥールは、撮影が終わった彼の人生についてのドキュメンタリーについて「重要なことは宗教だと語っているものだ。とりわけイスラム教とそのメッセージである寛容さについてね」とコメントした。</p>
<p style="text-align:right;"><em>2010.05.05 <a href="http://www.publico.es/culturas/310245/las-lecciones-politicas-del-marley-africano">Las lecciones políticas del &#8216;Marley&#8217; africano</a></em></p>
<p style="text-align:left;"><span style="text-align:center; display: block;"><a href="http://ramonbook.wordpress.com/2012/01/09/presidente-de-senegal/"><img src="http://img.youtube.com/vi/3PPsExdN2C8/2.jpg" alt="" /></a></span></p>
<p style="text-align:center;">Marley was a young soul who throwed it away</p>
<p style="text-align:center;">He showed the world the route to reggae</p>
<p style="text-align:center;">One love no woman no cry</p>
<p style="text-align:center;">Stand up Africa unite</p>
<p style="text-align:center;">The Rasta man he was a really good man</p>
<p style="text-align:center;">Give thanks to the one who gave the world Marley</p>
<p style="text-align:center;">Give thanks to the one who gave us Bob Marley&#8230;</p>
<br />  <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/gocomments/ramonbook.wordpress.com/1911/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/comments/ramonbook.wordpress.com/1911/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/godelicious/ramonbook.wordpress.com/1911/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/delicious/ramonbook.wordpress.com/1911/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/gofacebook/ramonbook.wordpress.com/1911/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/facebook/ramonbook.wordpress.com/1911/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/gotwitter/ramonbook.wordpress.com/1911/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/twitter/ramonbook.wordpress.com/1911/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/gostumble/ramonbook.wordpress.com/1911/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/stumble/ramonbook.wordpress.com/1911/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/godigg/ramonbook.wordpress.com/1911/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/digg/ramonbook.wordpress.com/1911/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/goreddit/ramonbook.wordpress.com/1911/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/reddit/ramonbook.wordpress.com/1911/" /></a> <img alt="" border="0" src="http://stats.wordpress.com/b.gif?host=ramonbook.wordpress.com&amp;blog=12906008&amp;post=1911&amp;subd=ramonbook&amp;ref=&amp;feed=1" width="1" height="1" />]]></content:encoded>
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	</item>
		<item>
		<title>ユーロ暴落と欧州中央銀行</title>
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		<pubDate>Mon, 02 Jan 2012 18:05:21 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Quatre Gats</dc:creator>
				<category><![CDATA[欧州経済危機]]></category>
		<category><![CDATA[オルター・グローバリゼーション]]></category>

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		<description><![CDATA[『欧州経済危機』のカテゴリーを新設して、過去の関連記事もまとめました。 年が明けてもユーロの暴落は止まりません。今月号のル・モンド・ディプロマティック・スペイン語版で、ベルナール・カセンが「2011年12月8日から9日にかけてブリュッセルで開催された欧州委員会は『ユーロ、さらにはEUの存続をかけた最後のチャンス』と宣伝された。前回までと同じようにその理事会も、大統領、首相、大臣、顧問など何百人という人員を動員した。それは桁外れなメディア的、政治的ドラマという注目の的だった。舞台上のこの一大ショーは誰に向けられていたのか？　ヨーロッパの市民？　そんなはずはない…」と皮肉たっぷりに指摘しているように、最後のチャンスのはずであった首脳会議が恙無く終了した後も、ユーロ通貨は信用を回復するどころか、下落の一途を辿っています。それもそのはず、ブリュッセルにおいて、欧州債務危機の根本的な解決につながるような合意は、何一つなされなかったのですから。 だからといって、危機を抜け出すための有効な解決策は未だ見つかっていないのかというと、そうではないのです。随分前から一部の経済学者は債務危機の根本的な解決には欧州中央銀行の行動が鍵となると主張しています。その中の一人がバルセロナ大学の経済学者Vicenç Navarroビセンス・ナバロ。反新自由主義の立場に立つ経済学者の一人で、アルカディ・オリべレスと同様に早い段階から15-Ｍ運動への支持を表明していました。 ナバロは反フランコ活動によって亡命を余儀なくされ、35年を過ごした米国をはじめ、スイス、英国の大学で教鞭を取ってきました。さらには、国連や世界保健機関（WHO）、スペインの社会党政権、サルバドール・アジェンデ時代のチリ、医療改革中のキューバなどの顧問を務め、ヒラリー・クリントンが率いたホワイトハウス医療改革チームにも名を連ねていた人物。 公式サイトに発表された記事から、現在のユーロシステムが抱える問題を指摘した部分を抜粋して訳出しました。 大手マスメディアがひた隠しにしてきた事実だが、基本的にユーロ通貨の価値は、インフレのコントロールを何よりも優先する欧州中央銀行（ECB）の行動に左右される。事実上インフレの抑制が彼らの唯一の目標で、今までそれを達成してこれたのは、通常の中央銀行が行う役割つまり、経済を刺激するという役割を切り捨ててきたためだ。つまり、ユーロ通貨を救うためにECBが、自らの行動によってユーロ圏の国々の経済を破壊し、それらの国々に大不況を運命づけているのだ。この大不況はまもなく大恐慌になるだろう。 ECBは、ユーロ圏において貨幣の発行ができる唯一の銀行であるにもかかわらず、発行額を少なく抑えることで、低いインフレ率を維持している。さらに物事を複雑にしているのが、銀行の利息を高金利に保つことで、融資を受けることを困難にしていることだ。その結果として経済活動は縮小し、経済成長は鈍化、不況が顔を現す。言い換えれば、ECBはユーロを救うために、ユーロ圏の経済を破壊していると言えるのだ。 『ユーロを救わなければならない』というフレーズの裏には、極めて具体的な特定の利害がある。銀行、とりわけ欧州の銀行の利益を護り続けること。だからこそインフレ抑制が彼らの唯一の目的となる。このことによって、低いインフレ、大量の失業者、後退する経済という現在の私たちの状況が説明ができるだろう。すべて、ユーロというよりは、銀行を救うためなのだ。銀行にとって、現在の不況は非常に都合がいい。ベルギーの労働組合の顧問を務める経済学者ロナルド・ヤンセンによると、ユーロ圏での銀行の利益はと2010年の500億ユーロ、今年の前半だけで270億ユーロという天文学的な数字に到達したという。 こうしたことは全て、ユーロ圏の多くの国における貧困の激増、大多数の人々の購買力の顕著な低下という犠牲の下に行われているのだ。スペインでもこれと全く同じことが起きている。最新の世論調査によると、スペイン人の70パーセントがユーロはスペインにとってマイナスとなったというのも理に適っている（こちらに関しては前回の記事も参照ください）。スペインにとってユーロの継続が望ましいのかどうかについて、スペインにおいての議論を始めた方がいいのであろう。 スペイン通貨としてユーロの使用を継続する方がいいという主張もあるが、それには代償もついてくる。その中には若者の失業率45パーセントのように非常に高くつくものもあり、こういったものに関して議論を行うべきだろう。しかしながら、今までの議論の中にはこうした代償について強調する声は見られない。それは存在しないからではなくて、そうした意見を支持する著者は、大手マスメディアの中に意見を発表するスペースを持たないからだ。このように、スペインの民主主義は不完全なものなのだ。 （『EL EURO NO ESTÁ EN PELIGRO. EL BIENESTAR DE LA POBLACIÓN SÍ QUE LO ESTÁ』より） ちょうど、この週末にスペインの大銀行Bankia総裁ロドリゴ・ラトの給与が話題になっていました。年間234万ユーロ（約2億3400万円）とIMF（国際通貨基金）専務理事時代の28万5000ユーロと比べると、なんと8倍もの収入となったことが明らかになったからです。 「（金融危機によって）合併したスペインの銀行を指揮するのは、ワシントンから世界経済を見守るよりも高く評価される」と始まる12月31日付Publico紙の記事によると、他のスペイン5大銀行の総裁の報酬額はアンヘル・ロン（Banco Popular）123万ユーロ、フランシスコ・ゴンサレス（BBVA）530万ユーロ、エミリオ・ボティン（Santander）490万ユーロ、イシドロ・ファイネ（Caixa）260万ユーロで、ロトの収入は下から2番目になるのだとか。 こうした銀行の莫大な利益を護るために、欧州危機がECBの介入で意図的に引き伸ばされているという見方もあります。というのも、金融業界出身者が政治の中枢に配置するということが、欧州内で広く行われているからです。『金融による国家クーデター』と呼ばれるもので、スペインでも行われたことは以前の記事で紹介した通りです。現在の状況を12月31日付Publico紙を参考にまとめてみると… オーストラリア―連邦首相Werner Faymann（オーストリア銀行出身）、中央銀行総裁Ewald Nowotny（BAWAG PSK銀行最高執行役員） ブルガリアー金融大臣Simenon Djankov（世界銀行の金融責任者） キプロスー金融大臣Charilaos G. Stravrakis（プライベートバンクのキプロス銀行役員） ギリシャー首相Lukas Papadimos（ギリシャ銀行総裁、欧州銀行副総裁）、中央銀行総裁George Provopoulos（Piraeus Bank及びEmporiki Bank最高執行役員、Alpha Bank役員） デンマークー経済担当大臣Margrethe Vestager（投資ファンドID-Sparinvest A/S顧問） スペインー経済大臣Luis de Guindos（リーマン・ブラザーズのスペイン・ポルトガル第一経営責任者、Banco Mare Nostrum理事） スロバキアー経済大臣Mitja Gaspari（中央銀行総裁） [...]<img alt="" border="0" src="http://stats.wordpress.com/b.gif?host=ramonbook.wordpress.com&amp;blog=12906008&amp;post=1875&amp;subd=ramonbook&amp;ref=&amp;feed=1" width="1" height="1" />]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<blockquote><p>『<a href="http://ramonbook.wordpress.com/category/%E6%AC%A7%E5%B7%9E%E7%B5%8C%E6%B8%88%E5%8D%B1%E6%A9%9F/">欧州経済危機</a>』のカテゴリーを新設して、過去の関連記事もまとめました。</p></blockquote>
<p>年が明けてもユーロの暴落は止まりません。今月号のル・モンド・ディプロマティック・スペイン語版で、ベルナール・カセンが「2011年12月8日から9日にかけてブリュッセルで開催された欧州委員会は『ユーロ、さらにはEUの存続をかけた最後のチャンス』と宣伝された。前回までと同じようにその理事会も、大統領、首相、大臣、顧問など何百人という人員を動員した。それは桁外れなメディア的、政治的ドラマという注目の的だった。舞台上のこの一大ショーは誰に向けられていたのか？　ヨーロッパの市民？　そんなはずはない…」と皮肉たっぷりに指摘しているように、最後のチャンスのはずであった首脳会議が恙無く終了した後も、ユーロ通貨は信用を回復するどころか、下落の一途を辿っています。それもそのはず、ブリュッセルにおいて、欧州債務危機の根本的な解決につながるような合意は、何一つなされなかったのですから。</p>
<p>だからといって、危機を抜け出すための有効な解決策は未だ見つかっていないのかというと、そうではないのです。随分前から一部の経済学者は債務危機の根本的な解決には欧州中央銀行の行動が鍵となると主張しています。その中の一人がバルセロナ大学の経済学者<strong>Vicenç Navarroビセンス・ナバロ</strong>。反新自由主義の立場に立つ経済学者の一人で、<a href="http://ramonbook.wordpress.com/2011/07/19/puig-vs-indignados3/">アルカディ・オリべレス</a>と同様に早い段階から15-Ｍ運動への支持を表明していました。</p>
<p><a href="http://ramonbook.files.wordpress.com/2012/01/vicenc3a7-navarro-2.jpeg"><img class="aligncenter size-full wp-image-1884" title="vicenç navarro 2" src="http://ramonbook.files.wordpress.com/2012/01/vicenc3a7-navarro-2.jpeg?w=450" alt=""   /></a></p>
<p>ナバロは反フランコ活動によって亡命を余儀なくされ、35年を過ごした米国をはじめ、スイス、英国の大学で教鞭を取ってきました。さらには、国連や世界保健機関（WHO）、スペインの社会党政権、サルバドール・アジェンデ時代のチリ、医療改革中のキューバなどの顧問を務め、ヒラリー・クリントンが率いたホワイトハウス医療改革チームにも名を連ねていた人物。</p>
<p>公式サイトに発表された記事から、現在のユーロシステムが抱える問題を指摘した部分を抜粋して訳出しました。</p>
<p><em>大手マスメディアがひた隠しにしてきた事実だが、基本的にユーロ通貨の価値は、インフレのコントロールを何よりも優先する欧州中央銀行（ECB）の行動に左右される。事実上インフレの抑制が彼らの唯一の目標で、今までそれを達成してこれたのは、通常の中央銀行が行う役割つまり、経済を刺激するという役割を切り捨ててきたためだ。つまり、ユーロ通貨を救うためにECBが、自らの行動によってユーロ圏の国々の経済を破壊し、それらの国々に大不況を運命づけているのだ。この大不況はまもなく大恐慌になるだろう。</em></p>
<p><em>ECBは、ユーロ圏において貨幣の発行ができる唯一の銀行であるにもかかわらず、発行額を少なく抑えることで、低いインフレ率を維持している。さらに物事を複雑にしているのが、銀行の利息を高金利に保つことで、融資を受けることを困難にしていることだ。その結果として経済活動は縮小し、経済成長は鈍化、不況が顔を現す。言い換えれば、ECBはユーロを救うために、ユーロ圏の経済を破壊していると言えるのだ。</em></p>
<p><em>『ユーロを救わなければならない』というフレーズの裏には、極めて具体的な特定の利害がある。銀行、とりわけ欧州の銀行の利益を護り続けること。だからこそインフレ抑制が彼らの唯一の目的となる。このことによって、低いインフレ、大量の失業者、後退する経済という現在の私たちの状況が説明ができるだろう。すべて、ユーロというよりは、銀行を救うためなのだ。銀行にとって、現在の不況は非常に都合がいい。ベルギーの労働組合の顧問を務める経済学者ロナルド・ヤンセンによると、ユーロ圏での銀行の利益はと2010年の500億ユーロ、今年の前半だけで270億ユーロという天文学的な数字に到達したという。</em></p>
<p><em>こうしたことは全て、ユーロ圏の多くの国における貧困の激増、大多数の人々の購買力の顕著な低下という犠牲の下に行われているのだ。スペインでもこれと全く同じことが起きている。最新の世論調査によると、スペイン人の70パーセントがユーロはスペインにとってマイナスとなったというのも理に適っている（こちらに関しては<a href="http://ramonbook.wordpress.com/2011/12/30/10-anos-con-el-euro/">前回の記事</a>も参照ください）。スペインにとってユーロの継続が望ましいのかどうかについて、スペインにおいての議論を始めた方がいいのであろう。</em></p>
<p><em>スペイン通貨としてユーロの使用を継続する方がいいという主張もあるが、それには代償もついてくる。その中には若者の失業率45パーセントのように非常に高くつくものもあり、こういったものに関して議論を行うべきだろう。しかしながら、今までの議論の中にはこうした代償について強調する声は見られない。それは存在しないからではなくて、そうした意見を支持する著者は、大手マスメディアの中に意見を発表するスペースを持たないからだ。このように、スペインの民主主義は不完全なものなのだ。</em></p>
<p style="text-align:right;"><em>（『<a title="Permanent Link to EL EURO NO ESTÁ EN PELIGRO. EL BIENESTAR DE LA POBLACIÓN SÍ QUE LO ESTÁ" href="http://www.vnavarro.org/?p=6739">EL EURO NO ESTÁ EN PELIGRO. EL BIENESTAR DE LA POBLACIÓN SÍ QUE LO ESTÁ</a>』より）</em></p>
<p>ちょうど、この週末にスペインの大銀行Bankia総裁ロドリゴ・ラトの給与が話題になっていました。年間234万ユーロ（約2億3400万円）とIMF（国際通貨基金）専務理事時代の28万5000ユーロと比べると、なんと8倍もの収入となったことが明らかになったからです。</p>
<p>「（金融危機によって）合併したスペインの銀行を指揮するのは、ワシントンから世界経済を見守るよりも高く評価される」と始まる12月31日付Publico紙の記事によると、他のスペイン5大銀行の総裁の報酬額はアンヘル・ロン（Banco Popular）123万ユーロ、フランシスコ・ゴンサレス（BBVA）530万ユーロ、エミリオ・ボティン（Santander）490万ユーロ、イシドロ・ファイネ（Caixa）260万ユーロで、ロトの収入は下から2番目になるのだとか。</p>
<p>こうした銀行の莫大な利益を護るために、欧州危機がECBの介入で意図的に引き伸ばされているという見方もあります。というのも、金融業界出身者が政治の中枢に配置するということが、欧州内で広く行われているからです。『<a href="http://ramonbook.wordpress.com/2011/12/05/golpe-de-estado-financiero/">金融による国家クーデター</a>』と呼ばれるもので、スペインでも行われたことは<a href="http://ramonbook.wordpress.com/2011/12/23/el-primer-gabinete-de-rajoy/">以前の記事で</a>紹介した通りです。現在の状況を12月31日付Publico紙を参考にまとめてみると…</p>
<ol>
<li>オーストラリア―連邦首相Werner Faymann（オーストリア銀行出身）、中央銀行総裁Ewald Nowotny（BAWAG PSK銀行最高執行役員）</li>
<li>ブルガリアー金融大臣Simenon Djankov（世界銀行の金融責任者）</li>
<li>キプロスー金融大臣Charilaos G. Stravrakis（プライベートバンクのキプロス銀行役員）</li>
<li>ギリシャー首相Lukas Papadimos（ギリシャ銀行総裁、欧州銀行副総裁）、中央銀行総裁George Provopoulos（Piraeus Bank及びEmporiki Bank最高執行役員、Alpha Bank役員）</li>
<li>デンマークー経済担当大臣Margrethe Vestager（投資ファンドID-Sparinvest A/S顧問）</li>
<li>スペインー経済大臣Luis de Guindos（リーマン・ブラザーズのスペイン・ポルトガル第一経営責任者、Banco Mare Nostrum理事）</li>
<li>スロバキアー経済大臣Mitja Gaspari（中央銀行総裁）</li>
<li>エストニアー首相Andrus Ansip（ヘッジファンドInvestment Fund Broker Ltd.最高執行役員）、金融大臣Jürgen Ligi（EVEA Bank重役）</li>
<li>ハンガリーー中央銀行総裁András Simor（CAIM Investment Bank代表）</li>
<li>イタリアー首相Mario Monti（ゴールドマン・サックス顧問）、経済副大臣Vittorio Grilli（Credit Suisse First Boston幹部）、経済開発大臣Conrado Passera（イタリアの主要銀行の一つIntesa Sanpaola最高執行役員）</li>
<li>リトアニアー金融大臣Andris Vilks（スイスの銀行SEB Unibank取締役）、経済大臣Daniel Pavluts（スイスの銀行Swedbank）</li>
<li>ポーランドー金融大臣Jean Vicent-Rostowski（Banco Pekao幹部）、元首相で現在中央銀行総裁Marek Belka（欧州JPモルガン幹部）</li>
<li>ポルトガルー金融大臣Victor Gaspar（欧州中央銀行高官）、中央銀行総裁Carlos Costa（Millenium BCP、Unibancoなどの取締役）</li>
<li>英国ー国際開発大臣Andrew Mitchell（投資銀行Lazard役員）、貿易投資局長Stephen Green（HSBCグループ幹部）</li>
<li>チェコ共和国ー中央銀行総裁Miroslav Singer（Expandia Finance役員）</li>
<li>スウェーデンー金融大臣Andres Borg（ABN Amro Bank、SEB Bank）、金融市場大臣Peter Norman（投資ファンドAlfred Berg役員、Carnegie Investment Bank AB顧問）</li>
</ol>
<p>テクノクラートの台頭により、現在の欧州において16カ国の政府が、言ってみれば政権内に金融ロビー団体を抱える状況になっているのです。債務危機によって銀行が漁夫の利を得ているとすれば…。何度首脳会議が行われても、債務問題の解決が遅々として進まない原因はここにあるのかもしれません。</p>
<br />  <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/gocomments/ramonbook.wordpress.com/1875/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/comments/ramonbook.wordpress.com/1875/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/godelicious/ramonbook.wordpress.com/1875/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/delicious/ramonbook.wordpress.com/1875/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/gofacebook/ramonbook.wordpress.com/1875/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/facebook/ramonbook.wordpress.com/1875/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/gotwitter/ramonbook.wordpress.com/1875/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/twitter/ramonbook.wordpress.com/1875/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/gostumble/ramonbook.wordpress.com/1875/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/stumble/ramonbook.wordpress.com/1875/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/godigg/ramonbook.wordpress.com/1875/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/digg/ramonbook.wordpress.com/1875/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/goreddit/ramonbook.wordpress.com/1875/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/reddit/ramonbook.wordpress.com/1875/" /></a> <img alt="" border="0" src="http://stats.wordpress.com/b.gif?host=ramonbook.wordpress.com&amp;blog=12906008&amp;post=1875&amp;subd=ramonbook&amp;ref=&amp;feed=1" width="1" height="1" />]]></content:encoded>
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			<media:title type="html">hirokoebihara</media:title>
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			<media:title type="html">vicenç navarro 2</media:title>
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		<title>ユーロとの10年を振り返る</title>
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		<pubDate>Fri, 30 Dec 2011 21:25:36 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Quatre Gats</dc:creator>
				<category><![CDATA[Spanish Revolution]]></category>
		<category><![CDATA[スペイン]]></category>

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		<description><![CDATA[昨日はユーロが対円で100円を切ったといニュースが日本をかけめぐったようです。10年6ヶ月ぶりの円高ユーロ安とのことで、言ってみればユーロ通貨導入前の水準ということ。2012年1月1日にユーロ通貨導入から丸10年を迎えるとあって、ユーロ通貨の導入に対する総括が始まっています。 今週の火曜日に消費者団体OCUが『10 años del euro: precios que suben y no bajan（ユーロの10年ー上昇し下降することのない価格）』と題された報告書を発表しました。ユーロ導入後の物価変動を調査したものです。果たしてユーロ通貨はスペイン人を幸福にしたのでしょうか。その結果は… 食料品　48パーセント上昇 2001〜2011年の食料品の物価上昇は、パン49パーセント、卵114パーセント、牛乳48パーセント、米45パーセント、オリーブ油33パーセント、牛肉36パーセント、豚肉26パーセント、じゃがいも116パーセントと基本的な食料品が軒並み値上がりしています。それを受けて、一般家庭の平均年間支出が2001年4月の 765.378 ペセタ （4.600ユーロ）から、2011年5月の 6.800 ユーロへと48パーセントも上昇しています。 この物価上昇に関しては、パンがペセタで支払いをしていた2001年9月と比べると85パーセントの値上がりとコメントされているように、ペセタからユーロへの通貨切り替えの際の便乗値上げの影響もあります。1ユーロは166ペセタに相当するので、例えば100ペセタのカフェは0,6ユーロ、つまり60センティモになるところが、1ユーロに切り上げられるということがあったのです。 住宅　66パーセント上昇 交通機関　45〜68パーセント上昇（電車45パーセント、バス48パーセント、地下鉄など58パーセント、ガソリン82パーセント） 唯一値下がりしたのが電化製品（テレビ、音楽プレイヤー、DVDプレイヤー62パーセント、ビデオカメラ、DVDレコーダー6パーセント、カメラ72パーセント、家電４パーセント） 一方で、給与の上昇は14パーセント未満（税込み平均年収は2002年の 19.802ユーロから2009年の22.511ユーロへ） このグラフの青が平均給与で赤がIPC（物価指数）です。IPCはインフレと生活費の上昇を反映したものとなっているはずなのですが、2002〜2012年のIPCの上昇率は32パーセントとされおり、OCUの調査結果とはかけ離れた数値となっています。この理由について、住宅価格を調査に含んでいないのが原因の一つだと報告書は指摘しています。 また、給与は毎年物価指数IPCに応じて見直されることになっているのですが、ご覧のようにこの二つの数値の上昇率は一致していません。もし一致していれば、2009年の時点で平均年収は今よりも3.600ユーロ高いものになっていたはずだとか。 この報告書は『私たちはあなたにデータを提供します。計算が妥当なものかどうか、あとはあなたが決めてください』という太字のメッセージでしめくくられています。 このように、ユーロ導入がスペイン人にもたらしたものは急激な物価上昇。給与がそれに見合う上昇を遂げなかったために、懐は貧しくなるばかり…と恩恵を被ったといは言いがたいのが現状なのです。ユーロの信用を回復するために緊縮政策が課され、失業率も物価も上昇の一途。その一方で、ユーロを維持するために国が市場に大量の資金を投入し、さらに債務を増やしていく…。果たして、ユーロを守るべきなのか。ユーロの存続を決めるのは市場ではなく、ユーロ圏に暮らす人々であるべきなのではないでしょうか。<img alt="" border="0" src="http://stats.wordpress.com/b.gif?host=ramonbook.wordpress.com&amp;blog=12906008&amp;post=1856&amp;subd=ramonbook&amp;ref=&amp;feed=1" width="1" height="1" />]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>昨日はユーロが対円で100円を切ったといニュースが日本をかけめぐったようです。10年6ヶ月ぶりの円高ユーロ安とのことで、言ってみればユーロ通貨導入前の水準ということ。2012年1月1日にユーロ通貨導入から丸10年を迎えるとあって、ユーロ通貨の導入に対する総括が始まっています。</p>
<p>今週の火曜日に<strong>消費者団体OCU</strong>が『<a href="http://www.ocu.org/10-anos-del-euro-precios-que-suben-y-no-bajan-s565514.htm">10 años del euro: precios que suben y no bajan</a>（<strong>ユーロの10年ー上昇し下降することのない価格</strong>）』と題された報告書を発表しました。ユーロ導入後の物価変動を調査したものです。果たしてユーロ通貨はスペイン人を幸福にしたのでしょうか。その結果は…</p>
<ul>
<li><strong>食料品　48パーセント上昇</strong></li>
</ul>
<div><a href="http://ramonbook.files.wordpress.com/2011/12/captura-de-pantalla-2011-12-30-a-las-20-58-242.png"><img class="aligncenter size-full wp-image-1864" title="Captura de pantalla 2011-12-30 a las 20.58.24" src="http://ramonbook.files.wordpress.com/2011/12/captura-de-pantalla-2011-12-30-a-las-20-58-242.png?w=450&#038;h=285" alt="" width="450" height="285" /></a></div>
<div>2001〜2011年の食料品の物価上昇は、パン49パーセント、卵114パーセント、牛乳48パーセント、米45パーセント、オリーブ油33パーセント、牛肉36パーセント、豚肉26パーセント、じゃがいも116パーセントと基本的な食料品が軒並み値上がりしています。それを受けて、一般家庭の平均年間支出が2001年4月の 765.378 ペセタ （4.600ユーロ）から、2011年5月の 6.800 ユーロへと48パーセントも上昇しています。</div>
<div></div>
<div>この物価上昇に関しては、パンがペセタで支払いをしていた2001年9月と比べると85パーセントの値上がりとコメントされているように、ペセタからユーロへの通貨切り替えの際の便乗値上げの影響もあります。1ユーロは166ペセタに相当するので、例えば100ペセタのカフェは0,6ユーロ、つまり60センティモになるところが、1ユーロに切り上げられるということがあったのです。</div>
<ul>
<li><strong>住宅　66パーセント上昇</strong></li>
</ul>
<ul>
<li><strong>交通機関　45〜68パーセント上昇</strong>（電車45パーセント、バス48パーセント、地下鉄など58パーセント、ガソリン82パーセント）</li>
</ul>
<div>
<ul>
<li><strong>唯一値下がりしたのが電化製品</strong>（テレビ、音楽プレイヤー、DVDプレイヤー62パーセント、ビデオカメラ、DVDレコーダー6パーセント、カメラ72パーセント、家電４パーセント）</li>
</ul>
<ul>
<li><strong>一方で、給与の上昇は14パーセント未満（</strong>税込み平均年収は2002年の 19.802ユーロから2009年の22.511ユーロへ）</li>
</ul>
<div><a href="http://ramonbook.files.wordpress.com/2011/12/captura-de-pantalla-2011-12-30-a-las-21-34-29.png"><img class="aligncenter size-full wp-image-1865" title="Captura de pantalla 2011-12-30 a las 21.34.29" src="http://ramonbook.files.wordpress.com/2011/12/captura-de-pantalla-2011-12-30-a-las-21-34-29.png?w=450&#038;h=294" alt="" width="450" height="294" /></a></div>
<div>
<p>このグラフの青が平均給与で赤がIPC（物価指数）です。IPCはインフレと生活費の上昇を反映したものとなっているはずなのですが、2002〜2012年のIPCの上昇率は32パーセントとされおり、OCUの調査結果とはかけ離れた数値となっています。この理由について、住宅価格を調査に含んでいないのが原因の一つだと報告書は指摘しています。</p>
<p>また、給与は毎年物価指数IPCに応じて見直されることになっているのですが、ご覧のようにこの二つの数値の上昇率は一致していません。もし一致していれば、2009年の時点で平均年収は今よりも3.600ユーロ高いものになっていたはずだとか。</p>
<div>
<p>この報告書は『<strong>私たちはあなたにデータを提供します。計算が妥当なものかどうか、あとはあなたが決めてください</strong>』という太字のメッセージでしめくくられています。</p>
<p>このように、ユーロ導入がスペイン人にもたらしたものは急激な物価上昇。給与がそれに見合う上昇を遂げなかったために、懐は貧しくなるばかり…と恩恵を被ったといは言いがたいのが現状なのです。ユーロの信用を回復するために緊縮政策が課され、失業率も物価も上昇の一途。その一方で、ユーロを維持するために国が市場に大量の資金を投入し、さらに債務を増やしていく…。果たして、ユーロを守るべきなのか。ユーロの存続を決めるのは市場ではなく、ユーロ圏に暮らす人々であるべきなのではないでしょうか。</p>
</div>
</div>
</div>
<br />  <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/gocomments/ramonbook.wordpress.com/1856/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/comments/ramonbook.wordpress.com/1856/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/godelicious/ramonbook.wordpress.com/1856/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/delicious/ramonbook.wordpress.com/1856/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/gofacebook/ramonbook.wordpress.com/1856/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/facebook/ramonbook.wordpress.com/1856/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/gotwitter/ramonbook.wordpress.com/1856/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/twitter/ramonbook.wordpress.com/1856/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/gostumble/ramonbook.wordpress.com/1856/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/stumble/ramonbook.wordpress.com/1856/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/godigg/ramonbook.wordpress.com/1856/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/digg/ramonbook.wordpress.com/1856/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/goreddit/ramonbook.wordpress.com/1856/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/reddit/ramonbook.wordpress.com/1856/" /></a> <img alt="" border="0" src="http://stats.wordpress.com/b.gif?host=ramonbook.wordpress.com&amp;blog=12906008&amp;post=1856&amp;subd=ramonbook&amp;ref=&amp;feed=1" width="1" height="1" />]]></content:encoded>
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		</media:content>
	</item>
		<item>
		<title>スペイン新政権発足－しのびよる金融の手</title>
		<link>http://ramonbook.wordpress.com/2011/12/23/el-primer-gabinete-de-rajoy/</link>
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		<pubDate>Fri, 23 Dec 2011 21:37:31 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Quatre Gats</dc:creator>
				<category><![CDATA[Spanish Revolution]]></category>
		<category><![CDATA[オルター・グローバリゼーション]]></category>

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		<description><![CDATA[11月の総選挙から一ヶ月あまり。現行の選挙システムには問題があることが指摘されています（詳しくはこちらをご覧ください）が、そうは言っても結果は結果。PP国民党大勝の選挙結果を受けて、12月20日にPP党首マリアノ・ラホイが首相に就任し、翌21日に新内閣が発表されました。 今回の組閣において他の国々に比較すると小規模ではあるものの、イグナシオ・ラモネが「金融による国家クーデター」と呼んだものが起こりました。国会議員ではないテクノクラート（実務家）の入閣です。日本では「民間人の登用」と呼ばれるものですが、選挙によって国民の代表となっていない人物が国家の要職に就くのは、果たして民主主義的に正しいことなのか疑問が残るのは事実。 IU左派連合のカヨ・ララが「ラホイ内閣から新自由主義が排除されていれば、それこそサプライズだっただろう」と皮肉たっぷりにコメントしているように、大方の予想どおり新自由主義との結びつき強いテクノクラートが入閣しています。中でも象徴的なのが、防衛相となるために欧州のミサイルメーカーMBDAを辞めたペドロ・モレネスと、金融の世界を渡り歩いた末に経済相に転身したルイス・デ・ギンドス。 とりわけ、経済危機に苦しむ現状で最も重要なポスト経済相の人選が物議を醸し出しているのですが、その理由は…。就任に先駆けて新聞に掲載された記事をご紹介します。 ちなみにこれまでは副首相が二人選ばれ、ポストの一つは経済相が兼任するのが慣例だったのですが、ラホイ政権の副首相はソラヤ・サエンス・デ・サンタマリアただ一人。スポークスマンと官房長官も兼任する40歳の女性が、ラホイに次ぐナンバー２となりました。 ルイス・デ・ギンドス: スペインにおけるリーマン・ブラザーズ崩壊の顔 経済相としてラホイの厳しい緊縮政策を進める役割を担う人物は、お世辞にも素晴らしいとは言えない過去がある。 新政権組閣の最も重要な大臣職、経済相として最低でも200億ユーロに上ると思われる厳しい緊縮政策の大ナタを振るう役割を担うルイス・デ・ギンドス。彼にはお世辞にも素晴らしいとは言えない過去がある。2008年リーマン・ブラザーズがサブプライム・ローンを巡るスキャンダルで倒産し、その余波が引き起こした結果には、現在でも世界中の経済が大変な苦しみをこうむっている。その当時、スペインとポルトガルにおいてリーマン・ブラザーズを指揮していたのがデ・ギンドスなのだ。 デ・ギンドスの手中で爆発したこのスキャンダルは、後々彼の経歴に大きな染みを残すことになった。ところが、政治においてはその反対で、この大失敗は彼がスペイン経済の最高責任者に就任する障害とはならなかった。とは言っても、デ・ギンドスのこの過去は現在もこの先も無視されることはないだろう。実際、水曜日にはPSOEスペイン社会労働党の書記マルセリノ・イグレシアスは、リーマン・ブラザーズの時代よりも「ツキがあって」欲しいと語った。 デ・ギンドスは、誰もが知りたがっていたラホイの「スーパー経済相」として、内閣候補の中にいつも上がる名前の一つだった。職務によって、新内閣の中で最もメディアに登場する顔を一つになり、経済省が着手する厳しい緊縮政策によって、この任期で最もハードな大臣職となるだろう。 私企業との繋がりが強く、アスナール元首相の時代の経済グループで最も影響力を持つ人物の一人で、2002年には経済局長に任命されて2004年まで務めていた。サパテロの首相就任とともに政府を去った後にリーマン・ブラザーズに移り、最後はプライス・ウォーター・ハウス・クーパースで終わる。現在までエンデサ（電力会社）と企業研究所の顧問を務める。このように、彼のキャリアには官から民へのジャンプの足跡が刻まれている。彼は経済政策局長や経済政策及び競争力保護総事務局長を歴任しており、まさしく、企業の世界と政府という二つの分野での要職を務めた経歴によって、ラホイに選ばれたのだ。 マドリッド生まれの51歳で、CUNEFカレッジ経済経営学の学位を持ち、国家ビジネス・経済専門家団体に所属する。1996年12月経済政策及び競争力保護局長、2000年5月12日は当時の経済相ロドリゴ・ラトの提案で同機関の総事務局長に任命された。ラトとはこの数年後カハ・マドリッド代表の座を巡って争うことになった。（結局ラトが勝利。ちなみにラトはＩＭＦ専務理事を務めたこともあり彼の後任がドミニク・ストロス＝カーン。） 2011.12.21 Luis de Guindos: La cara de la caída de Lehman Brothers en España<img alt="" border="0" src="http://stats.wordpress.com/b.gif?host=ramonbook.wordpress.com&amp;blog=12906008&amp;post=1832&amp;subd=ramonbook&amp;ref=&amp;feed=1" width="1" height="1" />]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<blockquote><p><a href="http://ramonbook.wordpress.com/2011/11/22/elecciones-generales-2011/">11月の総選挙</a>から一ヶ月あまり。現行の選挙システムには問題があることが指摘されています（詳しくは<a href="http://ramonbook.wordpress.com/2011/11/28/la-traba-del-sistema-electoral/">こちら</a>をご覧ください）が、そうは言っても結果は結果。PP国民党大勝の選挙結果を受けて、12月20日にPP党首マリアノ・ラホイが首相に就任し、翌21日に新内閣が発表されました。</p>
<p>今回の組閣において他の国々に比較すると小規模ではあるものの、イグナシオ・ラモネが「<a href="http://ramonbook.wordpress.com/2011/12/05/golpe-de-estado-financiero/">金融による国家クーデター</a>」と呼んだものが起こりました。国会議員ではないテクノクラート（実務家）の入閣です。日本では「民間人の登用」と呼ばれるものですが、選挙によって国民の代表となっていない人物が国家の要職に就くのは、果たして民主主義的に正しいことなのか疑問が残るのは事実。</p>
<p>IU左派連合のカヨ・ララが「ラホイ内閣から新自由主義が排除されていれば、それこそサプライズだっただろう」と皮肉たっぷりにコメントしているように、大方の予想どおり新自由主義との結びつき強いテクノクラートが入閣しています。中でも象徴的なのが、防衛相となるために欧州のミサイルメーカーMBDAを辞めたペドロ・モレネスと、金融の世界を渡り歩いた末に経済相に転身したルイス・デ・ギンドス。</p>
<p>とりわけ、経済危機に苦しむ現状で最も重要なポスト経済相の人選が物議を醸し出しているのですが、その理由は…。就任に先駆けて新聞に掲載された記事をご紹介します。</p>
<p>ちなみにこれまでは副首相が二人選ばれ、ポストの一つは経済相が兼任するのが慣例だったのですが、ラホイ政権の副首相はソラヤ・サエンス・デ・サンタマリアただ一人。スポークスマンと官房長官も兼任する40歳の女性が、ラホイに次ぐナンバー２となりました。</p></blockquote>
<p style="text-align:center;"><a href="http://ramonbook.files.wordpress.com/2011/12/1324487001478guindosdn.jpg"><img class="aligncenter  wp-image-1836" title="1324487001478guindosdn" src="http://ramonbook.files.wordpress.com/2011/12/1324487001478guindosdn.jpg?w=320&#038;h=240" alt="" width="320" height="240" /></a></p>
<p style="text-align:center;"><strong>ルイス・デ・ギンドス: スペインにおけるリーマン・ブラザーズ崩壊の顔</strong></p>
<p style="text-align:center;">経済相としてラホイの厳しい緊縮政策を進める役割を担う人物は、お世辞にも素晴らしいとは言えない過去がある。</p>
<p>新政権組閣の最も重要な大臣職、経済相として最低でも200億ユーロに上ると思われる厳しい緊縮政策の大ナタを振るう役割を担うルイス・デ・ギンドス。彼にはお世辞にも素晴らしいとは言えない過去がある。2008年リーマン・ブラザーズがサブプライム・ローンを巡るスキャンダルで倒産し、その余波が引き起こした結果には、現在でも世界中の経済が大変な苦しみをこうむっている。その当時、スペインとポルトガルにおいてリーマン・ブラザーズを指揮していたのがデ・ギンドスなのだ。</p>
<p>デ・ギンドスの手中で爆発したこのスキャンダルは、後々彼の経歴に大きな染みを残すことになった。ところが、政治においてはその反対で、この大失敗は彼がスペイン経済の最高責任者に就任する障害とはならなかった。とは言っても、デ・ギンドスのこの過去は現在もこの先も無視されることはないだろう。実際、水曜日にはPSOEスペイン社会労働党の書記マルセリノ・イグレシアスは、リーマン・ブラザーズの時代よりも「ツキがあって」欲しいと語った。</p>
<p>デ・ギンドスは、誰もが知りたがっていたラホイの「スーパー経済相」として、内閣候補の中にいつも上がる名前の一つだった。職務によって、新内閣の中で最もメディアに登場する顔を一つになり、経済省が着手する厳しい緊縮政策によって、この任期で最もハードな大臣職となるだろう。</p>
<p>私企業との繋がりが強く、アスナール元首相の時代の経済グループで最も影響力を持つ人物の一人で、2002年には経済局長に任命されて2004年まで務めていた。サパテロの首相就任とともに政府を去った後にリーマン・ブラザーズに移り、最後はプライス・ウォーター・ハウス・クーパースで終わる。現在までエンデサ（電力会社）と企業研究所の顧問を務める。このように、彼のキャリアには官から民へのジャンプの足跡が刻まれている。彼は経済政策局長や経済政策及び競争力保護総事務局長を歴任しており、まさしく、企業の世界と政府という二つの分野での要職を務めた経歴によって、ラホイに選ばれたのだ。</p>
<p>マドリッド生まれの51歳で、CUNEFカレッジ経済経営学の学位を持ち、国家ビジネス・経済専門家団体に所属する。1996年12月経済政策及び競争力保護局長、2000年5月12日は当時の経済相ロドリゴ・ラトの提案で同機関の総事務局長に任命された。ラトとはこの数年後カハ・マドリッド代表の座を巡って争うことになった。（結局ラトが勝利。ちなみにラトはＩＭＦ専務理事を務めたこともあり彼の後任がドミニク・ストロス＝カーン。）</p>
<p style="text-align:right;"><em>2011.12.21 <a href="http://www.publico.es/espana/413381/luis-de-guindos-la-cara-de-la-caida-de-lehman-brothers-en-espana">Luis de Guindos: La cara de la caída de Lehman Brothers en España</a></em></p>
<br />  <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/gocomments/ramonbook.wordpress.com/1832/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/comments/ramonbook.wordpress.com/1832/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/godelicious/ramonbook.wordpress.com/1832/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/delicious/ramonbook.wordpress.com/1832/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/gofacebook/ramonbook.wordpress.com/1832/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/facebook/ramonbook.wordpress.com/1832/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/gotwitter/ramonbook.wordpress.com/1832/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/twitter/ramonbook.wordpress.com/1832/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/gostumble/ramonbook.wordpress.com/1832/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/stumble/ramonbook.wordpress.com/1832/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/godigg/ramonbook.wordpress.com/1832/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/digg/ramonbook.wordpress.com/1832/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/goreddit/ramonbook.wordpress.com/1832/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/reddit/ramonbook.wordpress.com/1832/" /></a> <img alt="" border="0" src="http://stats.wordpress.com/b.gif?host=ramonbook.wordpress.com&amp;blog=12906008&amp;post=1832&amp;subd=ramonbook&amp;ref=&amp;feed=1" width="1" height="1" />]]></content:encoded>
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			<media:title type="html">hirokoebihara</media:title>
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			<media:title type="html">1324487001478guindosdn</media:title>
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	</item>
		<item>
		<title>立ち上がるラテンアメリカ</title>
		<link>http://ramonbook.wordpress.com/2011/12/17/latinoamerica/</link>
		<comments>http://ramonbook.wordpress.com/2011/12/17/latinoamerica/#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 16 Dec 2011 23:53:16 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Quatre Gats</dc:creator>
				<category><![CDATA[オルター思想]]></category>
		<category><![CDATA[オルター・グローバリゼーション]]></category>
		<category><![CDATA[ラテンアメリカ]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://ramonbook.wordpress.com/?p=1807</guid>
		<description><![CDATA[CELAC発足記念コンサートの最後にCalle 13が演奏したの曲がこちら『Latinoaméria（ラテンアメリカ）』でした。PVも歌詞も素晴らしいので紹介しておきます。ちなみに、何人か出て来る女性歌手の一人Susana Becaスサナ・ベカは、アフロペルアナを代表する歌手でペルーの文化大臣を務めたこともある人物です。 僕は 僕は彼らが残していったもの 僕は彼らが盗み去ったもの余りのすべて 山頂に身を隠した民 僕の肌は革でできている　だからどんな気候にも耐える 僕は煙の工場 君の消費のための農業労働力 真夏の寒冷前線 怒りの時代における愛　僕の兄弟よ 生まれる太陽と死んでいく日 最高の夕暮れとともに 僕は血の通った開発 唾の飛ばない政治家の演説 僕が知っている最も美しい顔 僕は失踪した人の写真 僕は君の血管の中の血 僕は価値ある土地の切れ端 僕はインゲン豆入のカゴ 僕は君に２本のゴールを得点しながら英国に立ち向かうマラドーナ 僕は僕の旗が支えるもの 地球の背中のとげは僕の山脈 僕は父が僕に教えてくれたもの 祖国も母親も愛していない彼 僕はラテンアメリカ 脚がなくても歩く民 君が風を買うことはできない 君が太陽を買うことはできない 君が雨を買うことはできない 君が熱を買うことはできない 君が雲を買うことはできない 君が色を買うことはできない 君が私の喜びを買うことはできない 君が私の痛みを買うことはできない 僕には湖がある　河がある 微笑むための歯もある 僕の山々を彩る雪 僕を乾かす太陽と僕を濡らす雨がある 竜舌蘭の一杯の美しさにうっとりした砂漠 コヨーテ（注1）と歌うために　必要なものすべて 僕には澄み切った青を吸い込む肺がある 息苦しくなる高度 僕の口にはコカを噛む奥歯がある 破れた葉っぱとともにある秋 星空の下で書かれた詩 ぶどうがぎっしりのぶどう畑 キューバの太陽の下のサトウキビ畑 僕は家々を見守るカリブ海 聖水の儀式を行いながら 僕の髪をとく風 僕は私の首にぶら下がる全ての聖人 僕の闘いの本質は人工的なものではない 僕の大地の肥料は自然のものだから [...]<img alt="" border="0" src="http://stats.wordpress.com/b.gif?host=ramonbook.wordpress.com&amp;blog=12906008&amp;post=1807&amp;subd=ramonbook&amp;ref=&amp;feed=1" width="1" height="1" />]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<blockquote><p>CELAC発足記念コンサートの最後にCalle 13が演奏したの曲がこちら<strong>『Latinoaméria（ラテンアメリカ）』</strong>でした。PVも歌詞も素晴らしいので紹介しておきます。ちなみに、何人か出て来る女性歌手の一人Susana Becaスサナ・ベカは、アフロペルアナを代表する歌手でペルーの文化大臣を務めたこともある人物です。</p></blockquote>
<span style="text-align:center; display: block;"><a href="http://ramonbook.wordpress.com/2011/12/17/latinoamerica/"><img src="http://img.youtube.com/vi/ssxM5sJAB1c/2.jpg" alt="" /></a></span>
<p style="text-align:center;">僕は<br />
僕は彼らが残していったもの<br />
僕は彼らが盗み去ったもの余りのすべて<br />
山頂に身を隠した民<br />
僕の肌は革でできている　だからどんな気候にも耐える<br />
僕は煙の工場<br />
君の消費のための農業労働力<br />
真夏の寒冷前線<br />
怒りの時代における愛　僕の兄弟よ<br />
生まれる太陽と死んでいく日<br />
最高の夕暮れとともに<br />
僕は血の通った開発<br />
唾の飛ばない政治家の演説</p>
<p style="text-align:center;">僕が知っている最も美しい顔</p>
<p style="text-align:center;">僕は失踪した人の写真<br />
僕は君の血管の中の血<br />
僕は価値ある土地の切れ端<br />
僕はインゲン豆入のカゴ<br />
僕は君に２本のゴールを得点しながら英国に立ち向かうマラドーナ<br />
僕は僕の旗が支えるもの<br />
地球の背中のとげは僕の山脈<br />
僕は父が僕に教えてくれたもの<br />
祖国も母親も愛していない彼<br />
僕はラテンアメリカ<br />
脚がなくても歩く民</p>
<p style="text-align:center;">君が風を買うことはできない<br />
君が太陽を買うことはできない<br />
君が雨を買うことはできない<br />
君が熱を買うことはできない<br />
君が雲を買うことはできない<br />
君が色を買うことはできない<br />
君が私の喜びを買うことはできない<br />
君が私の痛みを買うことはできない</p>
<p style="text-align:center;">僕には湖がある　河がある<br />
微笑むための歯もある<br />
僕の山々を彩る雪<br />
僕を乾かす太陽と僕を濡らす雨がある<br />
竜舌蘭の一杯の美しさにうっとりした砂漠<br />
コヨーテ（注1）と歌うために　必要なものすべて<br />
僕には澄み切った青を吸い込む肺がある<br />
息苦しくなる高度<br />
僕の口にはコカを噛む奥歯がある<br />
破れた葉っぱとともにある秋<br />
星空の下で書かれた詩<br />
ぶどうがぎっしりのぶどう畑<br />
キューバの太陽の下のサトウキビ畑<br />
僕は家々を見守るカリブ海<br />
聖水の儀式を行いながら<br />
僕の髪をとく風<br />
僕は私の首にぶら下がる全ての聖人<br />
僕の闘いの本質は人工的なものではない<br />
僕の大地の肥料は自然のものだから</p>
<p style="text-align:center;">君が風を買うことはできない…</p>
<p style="text-align:center;">あなたが風を買うことはできない…</p>
<p style="text-align:center;">君が太陽を買うことはできない<br />
君が雨を買うことはできない<br />
（私たちは道を描きながら行こう<br />
歩いて行こう）</p>
<p style="text-align:center;">君が私の命を買うことはできない<br />
私の大地は売り物ではない</p>
<p style="text-align:center;">度を超しているが　誇りを持って働く<br />
ここでは分かち合う　僕の物は君のもの<br />
ここの人々は波のうねりでは溺れない<br />
もし崩れたとしても　僕が再び築く<br />
君を見る時　僕はまばたきもしない<br />
君に僕の名字を覚えてもらうため<br />
僕の寝床を侵略するコンドル作戦（注2）<br />
赦すけれども　決して忘れはしない！</p>
<p style="text-align:center;">（私たちは歩いていく）<br />
ここで闘いは息をつく<br />
（私たちは歩いていく）<br />
聞いてもらうために私は歌う</p>
<p style="text-align:center;">ここで私たちは立っている<br />
アメリカ　万歳！</p>
<p style="text-align:center;">君に私の命を買うことはできない</p>
<p style="text-align:right;"><em>注1：仲介料をもらって不法移民を手伝うブローカー</em></p>
<p style="text-align:right;"><em>注2：1970〜80年にかけてコノスル（チリ、アルゼンチン、ブラジル、パラグアイ、ウルグアイ、ボリビア）の独裁政権が米国のCIAと共同で実施した左派勢力に対する徹底的な弾圧のことを指す</em></p>
<br />  <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/gocomments/ramonbook.wordpress.com/1807/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/comments/ramonbook.wordpress.com/1807/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/godelicious/ramonbook.wordpress.com/1807/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/delicious/ramonbook.wordpress.com/1807/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/gofacebook/ramonbook.wordpress.com/1807/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/facebook/ramonbook.wordpress.com/1807/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/gotwitter/ramonbook.wordpress.com/1807/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/twitter/ramonbook.wordpress.com/1807/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/gostumble/ramonbook.wordpress.com/1807/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/stumble/ramonbook.wordpress.com/1807/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/godigg/ramonbook.wordpress.com/1807/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/digg/ramonbook.wordpress.com/1807/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/goreddit/ramonbook.wordpress.com/1807/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/reddit/ramonbook.wordpress.com/1807/" /></a> <img alt="" border="0" src="http://stats.wordpress.com/b.gif?host=ramonbook.wordpress.com&amp;blog=12906008&amp;post=1807&amp;subd=ramonbook&amp;ref=&amp;feed=1" width="1" height="1" />]]></content:encoded>
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			<media:title type="html">hirokoebihara</media:title>
		</media:content>
	</item>
		<item>
		<title>CELAC－１つのラテンアメリカへの大きな一歩</title>
		<link>http://ramonbook.wordpress.com/2011/12/16/celac/</link>
		<comments>http://ramonbook.wordpress.com/2011/12/16/celac/#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 16 Dec 2011 22:17:35 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Quatre Gats</dc:creator>
				<category><![CDATA[オルター思想]]></category>
		<category><![CDATA[オルター・グローバリゼーション]]></category>
		<category><![CDATA[ラテンアメリカ]]></category>

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		<description><![CDATA[2007年秋にスペイン国王フアン・カルロスがベネズエラ大統領ウーゴ・チャベスを一喝したことが話題になりました。自分を失脚させるためのクーデターに関与したとして、スペイン元首相のマリア・アスナールをファシストと非難するチャベス。当時の首相サパテロが「私はアスナールと近い考えを持つことはない。ただ、選挙によってスペイン国民が選んだ人物に敬意を払って欲しい」と言うにもかかわらず、「ならば彼にベネズエラ国民の尊厳に敬意を払うように言ってくれ」とアスナール批判を続けるチャベスに対して国王が発した一言が「¿Porque no te callas? （なぜ黙らないんだ？）」。 あの場所にどうしてスペイン国王がいるのか不思議に思った方も多いのではないでしょうか。騒動の舞台となったイベロアメリカ首脳会議は、スペイン語圏・ポルトガル語圏の集まりということで、旧宗主国スペイン・ポルトガルが参加しています。また、米州機構（OAS）は米国が音頭を取ったものです。というように今までラテンアメリカ諸国が一同に介する場には、後見人がいるのが常でした。 あれから4年が経ち、ラテンアメリカを巡る状況は大きく変化しています。その紛れもない証拠が今月12月2、3日ベネズエラのカラカスでのCELAC（ラテンアメリカ・カリブ諸国共同体）の発足でした。自らのリーダーシップによる真の地域共同体の発足は、チェ・ゲバラが夢見ていた１つのラテンアメリカへの大きな一歩であり、ラテンアメリカの新しい時代の幕開けを意味する重要な出来事です。新自由主義との闘いで何歩も先を行くラテンアメリカは、新自由主義が唯一の道ではないことを身を持って証明してくれています。 CELAC がキューバに対する経済封鎖を行う米国を非難 カラカスのCELAC首脳会談でのベネズエラのウーゴ・チャベスとチリのセバスティアン・ピニェラ 新組織は（米国の経済封鎖が）アメリカにおける「平和と共生に悪影響を及ぼしている」とする 「21世紀はラテンアメリカの世紀になるだろう」。希望と挑戦が一杯詰まったこのフレーズで、チリ大統領セバスティアン・ピニェラは、CELACの発足会議を閉会した。後見人なしの独立したアメリカの構築の始まりを告げる2日間だった。 生まれたばかりの共同体の成長を推し量るために、「一歩一歩」進むべきだという持論を展開するブラジルと、南米の巨人ブラジルとメキシコの二極化を妨げるために、自らの重さを主張し、CELACでのブラジルとメキシコのリーダーシップを牽制するアルゼンチン。協力関係を持つというのが多数派の意見ではあるが、ALBA（米州ボリバル同盟）参加諸国が老いた米州機構（OAS）に対する包囲網をさらに引き締めた。「もう孤独の百年はないだろう」とベネズエラのウーゴ・チャベスは断言し、ブラジルのジルマ・ルセフは「あるの統合の百年だ」と締めくくる。 1962年から行われている米国のキューバに対する商業・金融の封鎖に対する「断固たる拒否」から始まり、フォークランド諸島に対するアルゼンチンの主権の擁護で終わるカラカス宣言とこの新フォーラムの主義には、大陸のアイデンティティが集まっている。 首脳会議の終わりに、CELACは「米国の経済封鎖が、キューバ国民の豊かな生活に正当化できない甚大な損害を与えており、アメリカ国民の間の平和と共生に悪影響を及ぼしている」とみなすことを記した特別文書への署名が行われた。また、これは「政治的理由から米国が用いている一連の一方的な強制的措置」の一部をなすもので、キューバの人々が「自らの政治システム、経済システム、社会システムを自らの意思で決定する権利を行使する」のを妨げる目的で行われていると非難した。 CELAC首脳会談の7つのポイント 金融危機－指導者たちは、ラテンアメリカも無事ではいられないだろうと懸念している。「社会的な包括を伴う発展のサイクルを護るためには、各国がそれぞれの国が互いに必要としていることを意識する必要がある。」とルセフはまとめ、CELACは予防的措置を模索し、地域の新しい金融システムの構築を目指すことになる。 反国家クーデター条項－2009年のホンジュラスのようなことが二度と起こらないように、一国の合憲的秩序が崩壊したり、その危機にある際にはいつでもCELACは全力で対応することを決めた。 メキシコを巡る状況－米国の主要な同盟者であるメキシコ大統領フェリペ・カルデロン。彼はカラカスに大きく賭けてきた。2010年にチャベスが下した決定により国有化されることになっていた世界最大のトウモロコシ粉メーカーGRUMAの子会社MONACAは、新会社を二つ創設する契約をベネズエラ政府と結ぶことによりに国有化を回避した。一方で、巨大セメントメーカーCEMEXは国有化され、6億ユーロを受け取ることになる。 FARC（コロンビア革命軍）－コロンビア大統領フアン・マヌエル・サントスは「あなたたちに求めることは単純明解だ。私たちに対する最良の支援はなにもしないこと」と言って、いかなるものであってもCELACの国内の問題への介入は拒絶することを明確にした。 チャベスの癌－トリニダーデ・トバゴの首相から聖水を贈られたチャベスは「頭のてっぺんから指先まで検査をしたが、悪性のがん細胞は見つからなかった」と明らかにした。絶え間ない議論の的となっていた彼の様態は、ずいぶん回復したように見えた。しかし、アルゼンチンのマスメディアによると、クリスティーナ・フェルナンデス・デ・キルチネルは彼の健康を心配しながら立ち去ったという。 ホセ・ムヒカ－今回の会議で最も雄弁だったのがこのウルグアイ大統領だったが、ベネズエラ軍の上着に身を包んでいた彼のことを、自国の対抗勢力は許さず、無礼な振る舞いだとまで言っていた…。 Calle 13－ラテンアメリカ左派の象徴となったプエルトリコのグループ。彼らの『El baile de los pobres（貧者のダンス）』でCELACは閉幕。 （2011.12.04 La Celac condena a EEUU por su bloqueo contra Cubaを参照） 会議の終了後に行われたCalle 13とベネズエラ交響楽団の共演による無料コンサートの映像。CELAC誕生のお祝いとはいえ、サミットの枠内でこういうライブを行うとはちょっと驚きです。 「大金はないけど、小銭ならあるぜ…」で始まるCalle 13の『El baile de los pobres（貧者のダンス）』。社会階級の存在を強烈に批判するこの曲のPVは、メキシコ人俳優ディエゴ・ルナが監督したものです。こちらは編集版ですが、オリジナル版は男性の全身がしっかり映ったもので、「映画でも広告でも女性のヌードは氾濫しているのに、男性ヌードはタブーとされているのはおかしい」という問題提起を行うためだったそう。<img alt="" border="0" src="http://stats.wordpress.com/b.gif?host=ramonbook.wordpress.com&amp;blog=12906008&amp;post=1785&amp;subd=ramonbook&amp;ref=&amp;feed=1" width="1" height="1" />]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<blockquote><p>2007年秋にスペイン国王フアン・カルロスがベネズエラ大統領ウーゴ・チャベスを一喝したことが話題になりました。自分を失脚させるためのクーデターに関与したとして、スペイン元首相のマリア・アスナールをファシストと非難するチャベス。当時の首相サパテロが「私はアスナールと近い考えを持つことはない。ただ、選挙によってスペイン国民が選んだ人物に敬意を払って欲しい」と言うにもかかわらず、「ならば彼にベネズエラ国民の尊厳に敬意を払うように言ってくれ」とアスナール批判を続けるチャベスに対して国王が発した一言が「¿Porque no te callas? （なぜ黙らないんだ？）」。</p>
<span style="text-align:center; display: block;"><a href="http://ramonbook.wordpress.com/2011/12/16/celac/"><img src="http://img.youtube.com/vi/lUZxlXkbaxM/2.jpg" alt="" /></a></span>
<p>あの場所にどうしてスペイン国王がいるのか不思議に思った方も多いのではないでしょうか。騒動の舞台となったイベロアメリカ首脳会議は、スペイン語圏・ポルトガル語圏の集まりということで、旧宗主国スペイン・ポルトガルが参加しています。また、米州機構（OAS）は米国が音頭を取ったものです。というように今までラテンアメリカ諸国が一同に介する場には、後見人がいるのが常でした。</p>
<p>あれから4年が経ち、ラテンアメリカを巡る状況は大きく変化しています。その紛れもない証拠が今月12月2、3日ベネズエラのカラカスでの<strong>CELAC（ラテンアメリカ・カリブ諸国共同体）</strong>の発足でした。自らのリーダーシップによる真の地域共同体の発足は、チェ・ゲバラが夢見ていた１つのラテンアメリカへの大きな一歩であり、ラテンアメリカの新しい時代の幕開けを意味する重要な出来事です。新自由主義との闘いで何歩も先を行くラテンアメリカは、新自由主義が唯一の道ではないことを身を持って証明してくれています。</p></blockquote>
<p style="text-align:center;"><strong>CELAC がキューバに対する経済封鎖を行う米国を非難</strong></p>
<p style="text-align:center;"><a href="http://ramonbook.files.wordpress.com/2011/12/1323036131987mundodn.jpg"><img class="aligncenter size-full wp-image-1791" title="1323036131987mundodn" src="http://ramonbook.files.wordpress.com/2011/12/1323036131987mundodn.jpg?w=450" alt=""   /></a><em>カラカスのCELAC首脳会談でのベネズエラのウーゴ・チャベスとチリのセバスティアン・ピニェラ</em></p>
<p><strong>新組織は</strong><strong>（米国の経済封鎖が）</strong><strong>アメリカにおける「平和と共生に悪影響を及ぼしている」とする</strong></p>
<p>「21世紀はラテンアメリカの世紀になるだろう」。希望と挑戦が一杯詰まったこのフレーズで、チリ大統領セバスティアン・ピニェラは、CELACの発足会議を閉会した。後見人なしの独立したアメリカの構築の始まりを告げる2日間だった。</p>
<p>生まれたばかりの共同体の成長を推し量るために、「一歩一歩」進むべきだという持論を展開するブラジルと、南米の巨人ブラジルとメキシコの二極化を妨げるために、自らの重さを主張し、CELACでのブラジルとメキシコのリーダーシップを牽制するアルゼンチン。協力関係を持つというのが多数派の意見ではあるが、ALBA（米州ボリバル同盟）参加諸国が老いた米州機構（OAS）に対する包囲網をさらに引き締めた。「もう孤独の百年はないだろう」とベネズエラのウーゴ・チャベスは断言し、ブラジルのジルマ・ルセフは「あるの統合の百年だ」と締めくくる。</p>
<p>1962年から行われている米国のキューバに対する商業・金融の封鎖に対する「断固たる拒否」から始まり、フォークランド諸島に対するアルゼンチンの主権の擁護で終わるカラカス宣言とこの新フォーラムの主義には、大陸のアイデンティティが集まっている。</p>
<p>首脳会議の終わりに、CELACは「米国の経済封鎖が、キューバ国民の豊かな生活に正当化できない甚大な損害を与えており、アメリカ国民の間の平和と共生に悪影響を及ぼしている」とみなすことを記した特別文書への署名が行われた。また、これは「政治的理由から米国が用いている一連の一方的な強制的措置」の一部をなすもので、キューバの人々が「自らの政治システム、経済システム、社会システムを自らの意思で決定する権利を行使する」のを妨げる目的で行われていると非難した。</p>
<p>CELAC首脳会談の7つのポイント</p>
<ol>
<li><strong>金融危機</strong>－指導者たちは、ラテンアメリカも無事ではいられないだろうと懸念している。「社会的な包括を伴う発展のサイクルを護るためには、各国がそれぞれの国が互いに必要としていることを意識する必要がある。」とルセフはまとめ、CELACは予防的措置を模索し、地域の新しい金融システムの構築を目指すことになる。</li>
<li><strong>反国家クーデター条項</strong>－2009年のホンジュラスのようなことが二度と起こらないように、一国の合憲的秩序が崩壊したり、その危機にある際にはいつでもCELACは全力で対応することを決めた。</li>
<li><strong>メキシコを巡る状況</strong>－米国の主要な同盟者であるメキシコ大統領フェリペ・カルデロン。彼はカラカスに大きく賭けてきた。2010年にチャベスが下した決定により国有化されることになっていた世界最大のトウモロコシ粉メーカーGRUMAの子会社MONACAは、新会社を二つ創設する契約をベネズエラ政府と結ぶことによりに国有化を回避した。一方で、巨大セメントメーカーCEMEXは国有化され、6億ユーロを受け取ることになる。</li>
<li><strong>FARC（コロンビア革命軍）</strong>－コロンビア大統領フアン・マヌエル・サントスは「あなたたちに求めることは単純明解だ。私たちに対する最良の支援はなにもしないこと」と言って、いかなるものであってもCELACの国内の問題への介入は拒絶することを明確にした。</li>
<li><strong>チャベスの癌</strong>－トリニダーデ・トバゴの首相から聖水を贈られたチャベスは「頭のてっぺんから指先まで検査をしたが、悪性のがん細胞は見つからなかった」と明らかにした。絶え間ない議論の的となっていた彼の様態は、ずいぶん回復したように見えた。しかし、アルゼンチンのマスメディアによると、クリスティーナ・フェルナンデス・デ・キルチネルは彼の健康を心配しながら立ち去ったという。</li>
<li><strong>ホセ・ムヒカ</strong>－今回の会議で最も雄弁だったのがこのウルグアイ大統領だったが、ベネズエラ軍の上着に身を包んでいた彼のことを、自国の対抗勢力は許さず、無礼な振る舞いだとまで言っていた…。</li>
<li><strong>Calle 13</strong>－ラテンアメリカ左派の象徴となったプエルトリコのグループ。彼らの『El baile de los pobres（貧者のダンス）』でCELACは閉幕。</li>
</ol>
<p style="text-align:right;">（2011.12.04 <a href="http://www.publico.es/internacional/410546/la-celac-condena-a-eeuu-por-su-bloqueo-contra-cuba">La Celac condena a EEUU por su bloqueo contra Cuba</a>を参照）</p>
<p style="text-align:left;"><span style="text-align:center; display: block;"><a href="http://ramonbook.wordpress.com/2011/12/16/celac/"><img src="http://img.youtube.com/vi/yPrhJpGX3jU/2.jpg" alt="" /></a></span></p>
<p style="text-align:left;">会議の終了後に行われたCalle 13とベネズエラ交響楽団の共演による無料コンサートの映像。CELAC誕生のお祝いとはいえ、サミットの枠内でこういうライブを行うとはちょっと驚きです。</p>
<span style="text-align:center; display: block;"><a href="http://ramonbook.wordpress.com/2011/12/16/celac/"><img src="http://img.youtube.com/vi/6h4HbhH7okU/2.jpg" alt="" /></a></span>
<p>「大金はないけど、小銭ならあるぜ…」で始まる<strong>Calle 13の『El baile de los pobres（貧者のダンス）』</strong>。社会階級の存在を強烈に批判するこの曲のPVは、メキシコ人俳優ディエゴ・ルナが監督したものです。こちらは編集版ですが、オリジナル版は男性の全身がしっかり映ったもので、「映画でも広告でも女性のヌードは氾濫しているのに、男性ヌードはタブーとされているのはおかしい」という問題提起を行うためだったそう。</p>
<br />  <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/gocomments/ramonbook.wordpress.com/1785/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/comments/ramonbook.wordpress.com/1785/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/godelicious/ramonbook.wordpress.com/1785/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/delicious/ramonbook.wordpress.com/1785/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/gofacebook/ramonbook.wordpress.com/1785/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/facebook/ramonbook.wordpress.com/1785/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/gotwitter/ramonbook.wordpress.com/1785/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/twitter/ramonbook.wordpress.com/1785/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/gostumble/ramonbook.wordpress.com/1785/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/stumble/ramonbook.wordpress.com/1785/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/godigg/ramonbook.wordpress.com/1785/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/digg/ramonbook.wordpress.com/1785/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/goreddit/ramonbook.wordpress.com/1785/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/reddit/ramonbook.wordpress.com/1785/" /></a> <img alt="" border="0" src="http://stats.wordpress.com/b.gif?host=ramonbook.wordpress.com&amp;blog=12906008&amp;post=1785&amp;subd=ramonbook&amp;ref=&amp;feed=1" width="1" height="1" />]]></content:encoded>
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			<media:title type="html">hirokoebihara</media:title>
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			<media:title type="html">1323036131987mundodn</media:title>
		</media:content>
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		<item>
		<title>アフリカからの告発</title>
		<link>http://ramonbook.wordpress.com/2011/12/10/la-denuncia-desde-africa/</link>
		<comments>http://ramonbook.wordpress.com/2011/12/10/la-denuncia-desde-africa/#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 09 Dec 2011 23:00:10 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Quatre Gats</dc:creator>
				<category><![CDATA[オルター思想]]></category>
		<category><![CDATA[オルター・グローバリゼーション]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://ramonbook.wordpress.com/?p=1765</guid>
		<description><![CDATA[ティケン・ジャ・ファコリがグローバリゼーションについて歌った『Plus rien ne m&#8217;étonnes（もう何にも驚かない）』。スペイン語字幕付きのものが話題になっていたので、これも訳詩付きでご紹介しておきます。 もう何にも驚かない 彼らは世界を分け合った もう何にも驚かない もう何にも驚かない もう何にも驚かない… チェチェンを自由にさせてくれるなら アルメリアは君にあげるよ アフガニスタンを僕にくれるなら パキスタンを君に引き渡すよ ハイチから君が出ていかないなら バンギに向けて君を出航させるよ イラクを爆撃するのを手伝ってくれたら 君のクルディスタンの問題を解決してあげるよ 彼らは世界を分け合った もう何にも驚かない もう何にも驚かない もう何にも驚かない… ウランを自由にさせてくれるなら アルミを君にあげるよ 君の鉱脈をくれるなら 君のタリバン追跡を手伝うよ  大量の小麦をくれるなら 君の費用で戦争をするよ 君の金を採掘させてくれたら 君が将軍を追い出すのを手伝うよ 彼らは世界を分け合った もう何にも驚かない もう何にも驚かない もう何にも驚かない… 彼らはアフリカを分け合った　私たちに相談もなしに 私たちが栄養失調だと驚いている マンデの帝国の一部は ウォロフ族がいるところにあり モシの帝国の一部は ガーナにある ススの帝国の一部は マンデの帝国にあり マンデの帝国の一部は モシ族がいるところにある 彼らはアフリカを分け合った　私たちに相談もなしに 私たちに尋ねることもなく　私たちに知らせることもなく 彼らは世界を分け合った もう何にも驚かない もう何にも驚かない もう何にも驚かない…<img alt="" border="0" src="http://stats.wordpress.com/b.gif?host=ramonbook.wordpress.com&amp;blog=12906008&amp;post=1765&amp;subd=ramonbook&amp;ref=&amp;feed=1" width="1" height="1" />]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<blockquote><p>ティケン・ジャ・ファコリがグローバリゼーションについて歌った『<strong>Plus rien ne m&#8217;étonnes（もう</strong><strong>何にも驚かない）</strong>』。スペイン語字幕付きのものが話題になっていたので、これも訳詩付きでご紹介しておきます。</p></blockquote>
<span style="text-align:center; display: block;"><a href="http://ramonbook.wordpress.com/2011/12/10/la-denuncia-desde-africa/"><img src="http://img.youtube.com/vi/pj0Y41La43Y/2.jpg" alt="" /></a></span>
<p style="text-align:center;"><strong><strong>もう</strong><strong>何にも驚かない</strong></strong></p>
<p style="text-align:center;">彼らは世界を分け合った</p>
<p style="text-align:center;">もう何にも驚かない</p>
<p style="text-align:center;">もう何にも驚かない</p>
<p style="text-align:center;">もう何にも驚かない…</p>
<p style="text-align:center;">チェチェンを自由にさせてくれるなら</p>
<p style="text-align:center;">アルメリアは君にあげるよ</p>
<p style="text-align:center;">アフガニスタンを僕にくれるなら</p>
<p style="text-align:center;">パキスタンを君に引き渡すよ</p>
<p style="text-align:center;">ハイチから君が出ていかないなら</p>
<p style="text-align:center;">バンギに向けて君を出航させるよ</p>
<p style="text-align:center;">イラクを爆撃するのを手伝ってくれたら</p>
<p style="text-align:center;">君のクルディスタンの問題を解決してあげるよ</p>
<p style="text-align:center;">彼らは世界を分け合った</p>
<p style="text-align:center;">もう何にも驚かない</p>
<p style="text-align:center;">もう何にも驚かない</p>
<p style="text-align:center;">もう何にも驚かない…</p>
<p style="text-align:center;">ウランを自由にさせてくれるなら</p>
<p style="text-align:center;">アルミを君にあげるよ</p>
<p style="text-align:center;">君の鉱脈をくれるなら</p>
<p style="text-align:center;">君のタリバン追跡を手伝うよ</p>
<p style="text-align:center;"> 大量の小麦をくれるなら</p>
<p style="text-align:center;">君の費用で戦争をするよ</p>
<p style="text-align:center;">君の金を採掘させてくれたら</p>
<p style="text-align:center;">君が将軍を追い出すのを手伝うよ</p>
<p style="text-align:center;">彼らは世界を分け合った</p>
<p style="text-align:center;">もう何にも驚かない</p>
<p style="text-align:center;">もう何にも驚かない</p>
<p style="text-align:center;">もう何にも驚かない…</p>
<p style="text-align:center;">彼らはアフリカを分け合った　私たちに相談もなしに</p>
<p style="text-align:center;">私たちが栄養失調だと驚いている</p>
<p style="text-align:center;">マンデの帝国の一部は</p>
<p style="text-align:center;">ウォロフ族がいるところにあり</p>
<p style="text-align:center;">モシの帝国の一部は</p>
<p style="text-align:center;">ガーナにある</p>
<p style="text-align:center;">ススの帝国の一部は</p>
<p style="text-align:center;">マンデの帝国にあり</p>
<p style="text-align:center;">マンデの帝国の一部は</p>
<p style="text-align:center;">モシ族がいるところにある</p>
<p style="text-align:center;">彼らはアフリカを分け合った　私たちに相談もなしに</p>
<p style="text-align:center;">私たちに尋ねることもなく　私たちに知らせることもなく</p>
<p style="text-align:center;">彼らは世界を分け合った</p>
<p style="text-align:center;">もう何にも驚かない</p>
<p style="text-align:center;">もう何にも驚かない</p>
<p style="text-align:center;">もう何にも驚かない…</p>
<br />  <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/gocomments/ramonbook.wordpress.com/1765/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/comments/ramonbook.wordpress.com/1765/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/godelicious/ramonbook.wordpress.com/1765/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/delicious/ramonbook.wordpress.com/1765/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/gofacebook/ramonbook.wordpress.com/1765/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/facebook/ramonbook.wordpress.com/1765/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/gotwitter/ramonbook.wordpress.com/1765/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/twitter/ramonbook.wordpress.com/1765/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/gostumble/ramonbook.wordpress.com/1765/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/stumble/ramonbook.wordpress.com/1765/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/godigg/ramonbook.wordpress.com/1765/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/digg/ramonbook.wordpress.com/1765/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/goreddit/ramonbook.wordpress.com/1765/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/reddit/ramonbook.wordpress.com/1765/" /></a> <img alt="" border="0" src="http://stats.wordpress.com/b.gif?host=ramonbook.wordpress.com&amp;blog=12906008&amp;post=1765&amp;subd=ramonbook&amp;ref=&amp;feed=1" width="1" height="1" />]]></content:encoded>
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			<media:title type="html">hirokoebihara</media:title>
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	</item>
		<item>
		<title>アラブの春とアフリカ革命</title>
		<link>http://ramonbook.wordpress.com/2011/12/09/la-primavera-arabe-y-la-revolucion-africana/</link>
		<comments>http://ramonbook.wordpress.com/2011/12/09/la-primavera-arabe-y-la-revolucion-africana/#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 09 Dec 2011 20:53:34 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Quatre Gats</dc:creator>
				<category><![CDATA[オルター思想]]></category>
		<category><![CDATA[オルター・グローバリゼーション]]></category>

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		<description><![CDATA[今年の1月にチュニジアから始まった『アラブの春』。アフリカ大陸で生まれたこの波には『アフリカの革命』という側面もありました。実は、チュニジアでの蜂起が起こる数ヶ月前に、アフリカで大きな影響力を持つミュージシャンTiken Jah Fakolyティケン・ジャ・ファコリが一枚のアルバムを発表していました。タイトルもずばりAfrican Revolution。 We want revolution Young people revolution Intelligent revolution Must be African education We want revolution Young people revolution Intelligent revolution Must be black people education&#8230; 約一週間前にツアーに来たタイミングで新聞に掲載された彼のインタビューをご紹介します(ティケン・ジャ・ファコリについてはこちらも参照ください)。 20年のうちにアフリカは自由になるだろう レゲエによって革命に到達する。少なくとも、それがコートジボワール出身のミュージシャン、ティケン・ジャ・ファコリ (1968)が取り組んできた道だ。彼はアフリカの人々の自由のために、根気づよく活動している。 その闘いの中で最も強力な権力者たちに立ち向かったために、ついにはマリへの亡命を余儀なくされ、国家権力を批判したセネガルでは「好ましくない人物」と公式に宣言された。人から人へ伝染する革命への目覚めという呼びかけとともに、ファコリは昨夜サルト（ジローナ）で演奏し、今日はマドリッドにやって来る。彼はアラブの春という一連の出来事を先取りしたこの革命の目覚めが、まもなくサハラ砂漠の南にも拡大するだろうと信じている。そんな彼を無邪気な奴だと考える人々に対して、ファコリは「やって来るものに備えろ」と答える。 －あなたは10年以上も前からアフリカの革命について歌っています。今年起こったことは、あなたが期待していた革命でしょうか？ 意識の目覚めが生じた。これは私の音楽が追い求めているものだ。私は知的な革命を信じている。自分の権利を知り、それを要求することを決めた人々が着手する革命で、必ずしも破壊的な暴力による必要はない。この50年間で築いてきたものをすべて破壊する必要はないと考えている。チュニジアやエジプトで起こったことは、知的な革命という私の定義に合ったものだ。 ーこうした動きが出現した今年の春の間、ついにあなたが正しかったことを時が示しているように感じましたか？ 誇りのような感情を経験した。2010年9月にアルバム『African Revolution』を発表したが、その2、3ヶ月後にチュニジアは自由になっていたのだから。この運動に参加した人々の多くが、インスピレーションの源として私の名前を上げていた。予言を的中させた人としてね。何年も前から行ってきた解放の闘いの中で、今回の出来事には励まされた。そのときまで、アフリカの革命を語る私のことを、夢想家だと言う人がたくさんいたから。正反対のことが起こったことで、一気に私の分析と意見が有効だったことが示された。 －なぜこの革命はちょうど今の時期に起こったのでしょうか？ 就学率が他の時代に比べて高くなったからだと思う。読み書きを知らないでは何もできない。つまり、自覚を持つことができないということだ。チュニジアから始まったのは偶然ではない。多くのほかの国々よりも有利な立場にあったからだ。そして、その革命が大陸全体に拡大するに必要な条件が全て集まっている。耐え難い貧困、非常に高い失業率、圧制といったものだよ。 －サハラ砂漠以南のアフリカにおいても革命が起こる可能性があると思いますか？ 遅かれ早かれ起こるだろうが、20年ほどと言っておこう。何年もの間、情報へのアクセスを制限して人々を抑圧してきた。今日ではインターネットがあることによって、国営放送で大統領はハンサムで賢いと繰り返すことは、もはやなんの役にも立たない。若者たちには情報にアクセスする別の手段がある。10年前にセネガルやマリ、ブルキナファソで起こったことと、今日起こっていることを比べてみると、大違いで全く比較にならない。若者たちはある種の力を手にしていることを理解したのだ。民主主義の過程に反対する統治者たちは、革命と向き合うことになるだろう。最長でも20年のうちにアフリカ全体が自由になるだろう。 －あなたの音楽の中には変化が見受けられます。差別を描写が活動の呼びかけへとなりました。告発を行動に変えることが必要だったのでしょうか？ 15年の闘争の後に、私は差別を確認することでは十分でないことに気がついた。それを攻撃しなければならないということ。それで、人々に具体的なアイデアを提供しながら行動に移すことにした。私がいつも言っているのは、自分たちだけでは物事は変えられないということだ。アフリカ人の各世代がそれぞれ自分たちの役目を果たさなければならない。私たちの祖先は、自分たちの息子のより良い未来のために奴隷制と闘った。今日、私たちの世代は自分たちの子孫が、全て強奪されて荒廃した大陸で成長するような状況を回避しなければならない。私たちが何もしなければ、彼らの生活は私たちよりさらに酷いものとなるだろう。 －あなたがこうしたことを歌うと、アフリカの観客はどのように反応しますか？ヨーロッパの観客との間に何か違いが目にとまりますか？ アフリカで私は人々のスポークスマンだ。彼らにはいつも自分を表現する手段や演壇があるわけでない。何かを言いたくて仕方ないのに、どこに行けばいいのかわからない。私の大陸では自分はスポークスマンだと思っている。それと異なり、ヨーロッパでの私はメッセンジャーという方が近いだろう。そこの観客が必ずしも知っているとはいえない現実を伝える。テレビには出ないことを人々が発見できるようにする。私たちアフリカ人は宇宙人ではないというようなこと。アフリカで私たちが経験していることは、歴史的条件によって遅れているものの、普通の過程であるということ。アフリカの人々に時間を与えなければならない。 －どのようにレゲエを発見しましたか？　また、どうしてそれを政治的な道具として用いることにしたのですか？ レゲエを発見したのはまだ幼かった80年代の初め、私の故郷の住人200人の村においてだった。とても悪い学生だったので、夜になると音楽を聴くために家を抜け出していた。そこでボブ・マ－リーを発見し、それからというもの彼が私の真の手本となった。彼が告発していたものが自分たちにも役に立つことを、彼の闘いの中に見い出したからだ。私が演奏するレゲエとカリブ海の（ジャマイカの）レゲエの違いは、似たような歴史を有するにもかかわらず、異なる問題と向かいあっているということだろう。 －レゲエは宗教と関わりがありますが、あなたの音楽もそうですか？ 私は（宗教は）それほど重要ではないと思っている。私は信仰心が厚く、掟を実践するイスラム教徒だが、それについて語ったり、前面に出したりすることはあまり好きではない。世界中が、どんな信仰を持っていたとしても、私の歌うことに賛同できるようにあって欲しい。 －あなたはアフリカの独裁をあからさまに支援する西欧の国々に対して、とても批判的です。投票から生じる可能性のある過激主義よりも、「穏健」と推定される独裁政権を好ましく思う人々もいます。あなたの意見はどうですか？ 独裁政権に対する支援は全て止めなければならない。ヨーロッパでは撲滅するのにアフリカで支援するというのは、許されることではない。全ての独裁は私たちの発展に対するブレーキだ。独裁者は人々の無知を利用して、若者は遠くに去って行くように促す。アフリカの若者がここに留まって欲しいと思っているが、現在の状況では不可能だ。 －亡命生活はどうですか？ この闘いに命を捧げようと決めた時から、たくさんの紛争や問題が待ち受けていることはわかっていた。それは当たり前のことだと思えるし、達観して受け止めている。それに亡命にはポジティブな効果もある。まず、マリではとても快適に過ごしている。一方で、（亡命生活によって）自分自身をコートジボアール人というよりも、アフリカ人として見ることができるようになる。 [...]<img alt="" border="0" src="http://stats.wordpress.com/b.gif?host=ramonbook.wordpress.com&amp;blog=12906008&amp;post=1756&amp;subd=ramonbook&amp;ref=&amp;feed=1" width="1" height="1" />]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<blockquote><p>今年の1月にチュニジアから始まった『アラブの春』。アフリカ大陸で生まれたこの波には『アフリカの革命』という側面もありました。実は、チュニジアでの蜂起が起こる数ヶ月前に、アフリカで大きな影響力を持つミュージシャンTiken Jah Fakolyティケン・ジャ・ファコリが一枚のアルバムを発表していました。タイトルもずばり<strong>African Revolution</strong>。</p>
<span style="text-align:center; display: block;"><a href="http://ramonbook.wordpress.com/2011/12/09/la-primavera-arabe-y-la-revolucion-africana/"><img src="http://img.youtube.com/vi/TXalCtWpcG0/2.jpg" alt="" /></a></span>
<p style="text-align:center;">We want revolution<br />
Young people revolution<br />
Intelligent revolution<br />
Must be African education<br />
We want revolution<br />
Young people revolution<br />
Intelligent revolution<br />
Must be black people education&#8230;</p>
<p>約一週間前にツアーに来たタイミングで新聞に掲載された彼のインタビューをご紹介します(ティケン・ジャ・ファコリについては<a href="http://radiochango.jp/spip.php?article206">こちら</a>も参照ください)。</p></blockquote>
<p style="text-align:center;"><a href="http://ramonbook.files.wordpress.com/2011/12/1322995990777fakolydn.jpeg"><img class="aligncenter  wp-image-1760" title="1322995990777fakolydn" src="http://ramonbook.files.wordpress.com/2011/12/1322995990777fakolydn.jpeg?w=256&#038;h=320" alt="" width="256" height="320" /></a></p>
<p style="text-align:center;"><strong>20年のうちにアフリカは自由になるだろう</strong></p>
<p><em>レゲエによって革命に到達する。少なくとも、それがコートジボワール出身のミュージシャン、ティケン・ジャ・ファコリ (1968)が取り組んできた道だ。彼はアフリカの人々の自由のために、根気づよく活動している。</em></p>
<p><em>その闘いの中で最も強力な権力者たちに立ち向かったために、ついにはマリへの亡命を余儀なくされ、国家権力を批判したセネガルでは「好ましくない人物」と公式に宣言された。人から人へ伝染する革命への目覚めという呼びかけとともに、ファコリは昨夜サルト（ジローナ）で演奏し、今日はマドリッドにやって来る。彼はアラブの春という一連の出来事を先取りしたこの革命の目覚めが、まもなくサハラ砂漠の南にも拡大するだろうと信じている。そんな彼を無邪気な奴だと考える人々に対して、ファコリは「やって来るものに備えろ」と答える。</em></p>
<p><em>－あなたは10年以上も前からアフリカの革命について歌っています。今年起こったことは、あなたが期待していた革命でしょうか？</em></p>
<p>意識の目覚めが生じた。これは私の音楽が追い求めているものだ。私は知的な革命を信じている。自分の権利を知り、それを要求することを決めた人々が着手する革命で、必ずしも破壊的な暴力による必要はない。この50年間で築いてきたものをすべて破壊する必要はないと考えている。チュニジアやエジプトで起こったことは、知的な革命という私の定義に合ったものだ。</p>
<p><em>ーこうした動きが出現した今年の春の間、ついにあなたが正しかったことを</em><em>時が</em><em>示しているように感じましたか？</em></p>
<p>誇りのような感情を経験した。2010年9月にアルバム『African Revolution』を発表したが、その2、3ヶ月後にチュニジアは自由になっていたのだから。この運動に参加した人々の多くが、インスピレーションの源として私の名前を上げていた。予言を的中させた人としてね。何年も前から行ってきた解放の闘いの中で、今回の出来事には励まされた。そのときまで、アフリカの革命を語る私のことを、夢想家だと言う人がたくさんいたから。正反対のことが起こったことで、一気に私の分析と意見が有効だったことが示された。</p>
<p><em>－なぜこの革命はちょうど今の時期に起こったのでしょうか？</em></p>
<p>就学率が他の時代に比べて高くなったからだと思う。読み書きを知らないでは何もできない。つまり、自覚を持つことができないということだ。チュニジアから始まったのは偶然ではない。多くのほかの国々よりも有利な立場にあったからだ。そして、その革命が大陸全体に拡大するに必要な条件が全て集まっている。耐え難い貧困、非常に高い失業率、圧制といったものだよ。</p>
<p><em>－サハラ砂漠以南のアフリカにおいても革命が起こる可能性があると思いますか？</em></p>
<p>遅かれ早かれ起こるだろうが、20年ほどと言っておこう。何年もの間、情報へのアクセスを制限して人々を抑圧してきた。今日ではインターネットがあることによって、国営放送で大統領はハンサムで賢いと繰り返すことは、もはやなんの役にも立たない。若者たちには情報にアクセスする別の手段がある。10年前にセネガルやマリ、ブルキナファソで起こったことと、今日起こっていることを比べてみると、大違いで全く比較にならない。若者たちはある種の力を手にしていることを理解したのだ。民主主義の過程に反対する統治者たちは、革命と向き合うことになるだろう。最長でも20年のうちにアフリカ全体が自由になるだろう。</p>
<p><em>－あなたの音楽の中には変化が見受けられます。差別を描写が活動の呼びかけへとなりました。告発を行動に変えることが必要だったのでしょうか？</em></p>
<p>15年の闘争の後に、私は差別を確認することでは十分でないことに気がついた。それを攻撃しなければならないということ。それで、人々に具体的なアイデアを提供しながら行動に移すことにした。私がいつも言っているのは、自分たちだけでは物事は変えられないということだ。アフリカ人の各世代がそれぞれ自分たちの役目を果たさなければならない。私たちの祖先は、自分たちの息子のより良い未来のために奴隷制と闘った。今日、私たちの世代は自分たちの子孫が、全て強奪されて荒廃した大陸で成長するような状況を回避しなければならない。私たちが何もしなければ、彼らの生活は私たちよりさらに酷いものとなるだろう。</p>
<p><em>－あなたがこうしたことを歌うと、アフリカの観客はどのように反応しますか？ヨーロッパの観客との間に何か違いが目にとまりますか？</em></p>
<p>アフリカで私は人々のスポークスマンだ。彼らにはいつも自分を表現する手段や演壇があるわけでない。何かを言いたくて仕方ないのに、どこに行けばいいのかわからない。私の大陸では自分はスポークスマンだと思っている。それと異なり、ヨーロッパでの私はメッセンジャーという方が近いだろう。そこの観客が必ずしも知っているとはいえない現実を伝える。テレビには出ないことを人々が発見できるようにする。私たちアフリカ人は宇宙人ではないというようなこと。アフリカで私たちが経験していることは、歴史的条件によって遅れているものの、普通の過程であるということ。アフリカの人々に時間を与えなければならない。</p>
<p><em>－どのようにレゲエを発見しましたか？　また、どうしてそれを政治的な道具として用いることにしたのですか？</em></p>
<p>レゲエを発見したのはまだ幼かった80年代の初め、私の故郷の住人200人の村においてだった。とても悪い学生だったので、夜になると音楽を聴くために家を抜け出していた。そこでボブ・マ－リーを発見し、それからというもの彼が私の真の手本となった。彼が告発していたものが自分たちにも役に立つことを、彼の闘いの中に見い出したからだ。私が演奏するレゲエとカリブ海の（ジャマイカの）レゲエの違いは、似たような歴史を有するにもかかわらず、異なる問題と向かいあっているということだろう。</p>
<p><em>－レゲエは宗教と関わりがありますが、あなたの音楽もそうですか？</em></p>
<p>私は（宗教は）それほど重要ではないと思っている。私は信仰心が厚く、掟を実践するイスラム教徒だが、それについて語ったり、前面に出したりすることはあまり好きではない。世界中が、どんな信仰を持っていたとしても、私の歌うことに賛同できるようにあって欲しい。</p>
<p><em>－あなたはアフリカの独裁をあからさまに支援する西欧の国々に対して、とても批判的です。投票から生じる可能性のある過激主義よりも、「穏健」と推定される独裁政権を好ましく思う人々もいます。あなたの意見はどうですか？</em></p>
<p>独裁政権に対する支援は全て止めなければならない。ヨーロッパでは撲滅するのにアフリカで支援するというのは、許されることではない。全ての独裁は私たちの発展に対するブレーキだ。独裁者は人々の無知を利用して、若者は遠くに去って行くように促す。アフリカの若者がここに留まって欲しいと思っているが、現在の状況では不可能だ。</p>
<p><em>－亡命生活はどうですか？</em></p>
<p>この闘いに命を捧げようと決めた時から、たくさんの紛争や問題が待ち受けていることはわかっていた。それは当たり前のことだと思えるし、達観して受け止めている。それに亡命にはポジティブな効果もある。まず、マリではとても快適に過ごしている。一方で、（亡命生活によって）自分自身をコートジボアール人というよりも、アフリカ人として見ることができるようになる。</p>
<p><em>－ローラン・バグボの勢力に別れを告げた後の、コートジボワールのアラサン・ワタラ新政権をどのように評価しますか？</em></p>
<p>ワタラに対する判断を下すにはまだ時期尚早だが、少なくとも物事を変えるために一生懸命に活動している。重要な変化が生じた。バグボは早くても昼頃になるまで、仕事場に姿を現さなかったのだから。個人的にバグボはハーグ国際裁判所で裁かれるべきだと思っている（人道に対する罪で告発された元大統領は、月曜日に初出廷する）。これを考えている人は多いが、まだ大きな声で口に出して言うのが憚れることだ。アーティストには、模範となるためにもっと政治的な立場を明らかにして欲しいと思っている。</p>
<p style="text-align:right;"><em>2011.12.04-<a href="http://www.publico.es/culturas/410436/africa-sera-libre-en-20-anos">África será libre en 20 años</a></em></p>
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