ラモン・チャオ

告白しておかなければならない。私は冷戦の間、帝国主義プロパガンダの犠牲者だったのだ。

チェ・ゲバラの殺害は私にとって衝撃的な出来事であったし、ボリビアのカミリでレジス・ドゥブレ(注1)、そしてウルグアイでピアニストのミゲル・アンヘル・エストレーリャがそれぞれ当局に拘束された件では、彼らの釈放を要求する活動を行った。

思い出すのは、1967年にノーベル賞の授賞式に出るため、ストックホルムに向かうミゲル・アンヘル・アストゥリア(注2)に同行したときのことだ。列車の車室が同じだったので二人でいろいろな話をしたのだが、そのときに殺害されたばかりだったチェ・ゲバラについてどう思うかと尋ねてみた。

『偉大でロマンチストな英雄だ』と言った彼の言葉からは、政治家、そして革命家としてのゲバラがすっぽり抜け落ちていて、私は非常に嫌な気持ちがした。彼とは様々な事柄で対立したが、おそらくこれがその発端となっているのだろう。

チェ・ゲバラに対するポスト・モダン的キャンペーンの嵐が吹き荒れたのは、1968年の五月革命後のことだった。それはまるで彼を再び殺害するかのように、残酷で非人間的なものだった。彼の戦略はアフリカで失敗だったとか、とりわけボリビアへの潜入に関しては酷いもので、一切の支援を受けられなかったとか言われていた。

そして、私はしばらくの間それを信じていた。自宅のリビングにはいつもエルネストの写真があったが(我が息子マヌがバルセロナの自宅に持って行ってしまったこともあって)、彼の姿がだんだんと遠いものになっていった。しかし、この状況が続いたのは彼の『ボリビア日記』が出版されるまでのことだ。この本で、私はマスメディアの反革命勢力の威力を理解し、疑いの眼差しでマスメディアの報道を読む術を学ぶことになる。

その頃フランスのある出版社から、チェのアルゼンチンからグアテマラまでのバイク旅行日記に載せるプロローグの執筆を依頼された。この本の中で、私は彼の本来の性格とキホーテ的な側面を発見する。

「神よ、一冊の本しか読まないような人間から我々をお護りください。その一冊の本が素晴らしいものであれば、彼の意見は反論の余地のないものになるから。」というセバスチャン・デ・コバルビアス(注3)が書き記したモデルには当てはまらないが、私自身はそんな人間だと言える。

私はセルバンテスの小説の多くの場面が、エルネストが語る風景と類似していることに気がついたのだ。コルドバからの出発とラ・マンチャのとある場所からの出発、追っ手から身を護るくだり、ゲバラの友人グラナードに対する態度とドン・アロンソ・キハーノの従士サンチョ・パンサに対する態度と、まだまだ続く。

この本の執筆後、私はエルネスト・ゲバラは単なるロマンチストな英雄ではなく、正義と人々の幸福のための闘士でもあったことを確信した。

ラモン・チャオ

2010年4月

注1: ゲバラと親交のあったフランス人ジャーナリスト。60年代にはハバナ大学において哲学教授をしていた。

注2: グアテマラ出身のノーベル賞作家で自国の外交官も務めた。

注3: スペインの作家で辞書の編纂に関わる。フェリペ2世の王室付き司教も務めた。

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