私は告白しておかなければならない。もし私にベモル [1](ここ で話しているのは男気のことだ、音楽的なものなら有り余っている)があったなら、マルコス副司令官のようになりたかったと。扇動者、反乱者、革命家など他の人々がなんと呼ぼうと構わないが、彼のことが羨ましくてしょうがないのだ。

サパティスタ民族解放軍(EZLN)が歴史の舞台に乱入してきた1994年1月1日、私はコロンビアのサンタ・マルタにいて、マノ・ネグラや『氷と火の列車』 [2]と一緒だった。すぐに私たちは、何千人というマヤ族のインディオーその大部分は非武装で、目出し帽で顔を覆っていたーの軍 隊がチアパス州の主な4都市に入城したことを祝った。

ラカンドン宣言に、同意せずにいられるだろうか? この宣言は反乱者たちが仕事、土地、食糧、健康、 教育、自立、自由、民主主義、正義や平和のために戦うことを誓ったものなのだ。NAFTA(北米自由貿易協定)が発行したときに、表明されたこの原則を分かち合わずにいられるだろうか? アメリカ合衆国が推し進めたこの自由貿易協定の目的はメキシコとカナダとの国境を消滅させることであったが、それは商品のためであって、人間のためではないのだ。

3~4年程が過ぎて、副司令官と私の関係は近づいていった。ひとつは、カルメン・カスティリョなど、彼にインタビューしていたドキュメンタリー作家 たちが、私がディレクターをしていたRFI [3] の番組を通じて、彼が現在の国際情勢に関する情報を得ていることを知らせてくれたのだ。

大陸から大陸へと旅する私の周囲の人々ーその中にはイグナシオ・ラモネや密林で数日を彼と共に過ごした息子のマヌなどがいるーのおかげで、私と彼は遠距離の親交を徐々に暖めていった。こうして、マルクス-レーニン主義か ら出発して、私たちがいるところ、この平和的なもう一つの世界主義へと移行してきたこの闘士に、私はだんだんと近づいていった。

彼が1997年にル・モン ド・ディプロマティックに寄稿した“第四次世界大戦が始まった”というタイトルの政策綱領によって、ついに私は兜を脱ぐことになったのだが、つまるところ、それは金融グローバリゼーションに立ち向かおうという、私たちへの呼びかけであった。

冷戦の終わりに、資本主義は軍事的恐怖をでっちあげた。建物は無傷なままで中にいる生物を全滅させるという中性子爆弾だ。しかしながら、この第四次 世界大戦における驚異的で決定的な爆弾は、まだ発見されていなかった。それは金融爆弾。この爆弾は、国家を破産させ、さらには、その住人に恐怖や貧困、死を押し付ける。

この爆弾の爆発がもたらすものは、煙を上げて燃える瓦礫の山でも、何千という数の死体でもなく、惑星のように巨大なショッピングセンターや超大型スーパーなのだ。この数週の間にフランスで目を覚ましたものはその一例だ。 [4]

副司令官は、こういったことを全て、新鮮な文体の素晴らしいスペイン語で明らかにし、一般の読者や編集者の注目を集めたのだ。ラカンドンの密林から メキシコの首都までの長い行進の終わりに、彼の兵舎に私たち4、5人が集められた。そこにいたのは、ダニエラ・ミッテラン [5]、 ジョゼ・ボヴェ [6]、コ メディアンのウォリンスキー、ベルナール・カッセン(ATTACの創立者)、他に誰がいたのかはわからないが、私もそこにいた。

サパティスモについて、一 人ずつが意見を述べたが、私は遅れをとってしまった。みなが思慮深く賞賛すべき分析を披露した後に、付け加えるものなど何もなかったのだ。“ラモン・チャオ、どう思う?”と、彼は私に向かって言った。“あなたの公式声明は、文学的に並外れてレベルの高いものだと思います。”“私にとってはこれ以上はない最 高の賛辞です。”

パリでは“El ejército desarmado(非武装の軍隊)”というタイトルのフィルムが公開されたところだ。サント・クリストバル・デ・ラス・カサスからメキシコシティのソコ ロ広場に至るこの旅の悲しみや喜び、エピソードが語られている。スペインでも上映されるだろう。お見逃しないように。

2005.11.23-”El sub comandante Marcos”(ラジオチャンゴJPより転載)
Notas

[1] bemol とはスペイン語で音楽の変記号フラットのことですが、«ベモルがある»というと勇気があるという意味になります

[2] ツアー中の移動に使った列車をこう呼んでいました

[3] ラジオ・フランス・インターナショナル

[4] 2005年10月末にパリの郊外で起こり、フランス全土に飛び火した暴動のことを指しているのではないかと思います

[5] 故ミッテラン仏大統領夫人

[6] フランス農民同盟全国代表

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