ネルソン・マンデラ(つい最近彼の生誕90周年が祝われたばかりだ)が、アフリカ史上初の黒人大統領となるため、何十年も過ごした牢獄を出た時、彼 は何かと人の口に上るユダヤ人の王 [1]のお言葉よりもずっと実用主義的な比喩を使った。ユダヤの王は「頬を打たれたら、もう片方の頬を差し出しなさい」と言ったが、これは 旧約聖書の戒律「目には目 を、歯には歯を」を念頭に置いたものだ。マンデラは違う。ボーア人 [2]による支 配の間、黒人はアパルトヘイトの他にも、ありとあらゆる屈辱、拷問、暗殺などの野蛮行為に苦しめられてきた。しかし、マンデラは自分が悟った最も重要なこ とを、民衆に示した。目には目という法則を適用すれば、国中が盲目になってしまうだろうということだ。マンデラ政権の首相は白人ですらあった。こうして南 アメリカにはいかなる報復行為も起こらなかった。

この挑発的なマニフェストの主題に取りかかるためのプロローグに入るとしよう。二つの言語を持つ我々が「舌には舌を」 [3]という法則を用いた ら、つまり、目隠しされた牛のようにムレータ [4]を扱 う闘牛士の意図にまんまとはまって突進したら、全員がどもりにかかって、セルバンテスの言葉もロサリアの言葉も台無しになってしまう怖れがあるのだ。

私を知る人なら誰もが知っているように(自分で相当言いふらしているのだ)、私はビラルバで農民の父親と専業主婦の母親の間に生まれた。父は16 歳の時にキューバへ移民し、24歳までそこでにいた。大変な読書家(ブラスコ−イバニェス、チリージョ・ビラベルデ、しばらく後になるとバジェ・インクラ ン)だった。そして、国立劇場のさくらのリーダーとなったが、それはオペラやサルスエラ [5]の公演を 無料で観たいがため、そして独学で文化的な知識を蓄え、稼ぎをすべてムラータ [6]に貢いだあげくに、一文無しで家に帰るためだった。そして結婚。父と ビラベルデ出身の母の間ではガリシア語を話していたが、次々と生まれてくる私たち6人の子供に対してはカステーリャ語 [7]を話した。というのも、カス テーリャ語の方が“洗練”されて おり、ガリシア語は言うなれば“田舎者”のための言葉だったからだ。興味深いことに、私たちの両親は彼らの間ではガリシア語、私たち子供たちに対してはカ ステーリャ語で話した。私たち兄弟の間でも、ショゼに至るまでカステーリャ語を話していた。ショゼは大きくなってから入れ込んで、ガリシア人として生まれ 変わると、ロサリア・カストロ中等学校で私たちの言語をコンポステーラの人々の半分に教えることになった。ガリシア語は学校で禁止されていたので、私は友 人たちから学んだ。彼らのほとんどは私の家よりずっと慎ましい家の出だった。村にたくさんいた神学生やフォンダ・チャオ [8]で暮らしていたり、立ち寄ったりする牧畜業者たち。

24歳の時に奨学金でパリに到着する。それが底をつくと、どうやって生計を立てていいのかわからなかった。階段掃除や、ピアノやスペイン語のクラ ス、果てはロシア語のクラスも2つやっていた。3つ目のロシア語のクラスは本当のソ連出身の女の子に回した。というのもその生徒の少年には、私と同じくらいのロシア語の知識があったのだ。ほどなくして、ル・フィガロ紙に求人広告を見つける。ラジオ・フランスで、音楽に詳しく(私はピアニスト だった)、スペイン語とポルトガル語がわかる協力者を探していたのだ。求人に応募し、その3つの科目の試験を受け、ポルトガル語の試験にはガリシア 語 [9]で答 えた。合格すると、雇用契約は私が退職するまで続いた。その間に、スペイン語放送を刷新し、ガリシア語放送とブラジル向けのポルトガル語放送を立ち上げ た。そういうわけで、私は自分のことを少なくともトリリンガル(ガリシア語、スペイン語、フランス語を話して書く)だとみなしている。子供時代のバイリン ガル生活によって、英語、イタリア語、ロシア語の他言語の習得が容易いものになった。ロシア語については観念的類似性のためだ [10]。ソ連と北京の間 に亀裂が生じたとき、実際、中国語に挑もうとは思わなかった。この茨の道を進んでいく自信があまりなかったのだ。

2008.08.15-”Ni ojo por ojo ni lengua por lengua”(ラジオチャンゴJPより転載)

Notas

[1] イエス・キリストのこと

[2] オランダ系移民の子孫

[3] スペイン語のLenguaには「言語」及び「舌」という意味がある

[4] 闘牛士の赤い布を支える棒

[5] スペイン独自のオペラ

[6] 白人と黒人の混血の女性

[7] カステーリャ地方の言語という意味で、いわゆるスペイン語のこと。スペインにはガリシア語、カタルーニャ語、バスク語といった他の公用語があるため、スペ イン国内ではスペイン語という言葉を使わない

[8] フォンダは庶民的な食堂や食事付きの民宿、下宿のこと

[9] ガリシア語とポルトガル語は同じ言語といってもいいくらいに良く似ているので、こういうことが可能

[10] ラテン語から派生したロマンス語系の言語はどれも似通っているため、どれかを母国語とする人にとっては、他の言語の習得はいたって簡単

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