今回は『マヌ・チャオが語るチェとキューバ-番外編』ということで、前回までに紹介したインタビューを行った雑誌ラ・ヒリビジャに掲載された『チェに捧げ たコンサート』の記事をご紹介します。インタビュー記事を初めから読みたい方はこちらからどうぞ。

マヌ・チャオ、ハバナでチェに捧げる歌

フランス-スペイン国籍の歌手マヌ・チャオは、サイス兄弟協会の招聘でキューバを訪れ、ハバナ大学の外階段で何千人という若者前に、チェに捧げるコンサートを行った。ゲバラのTシャツを着た元マノ・ネグラのリーダーは、ラテンアメリカにある様々な国旗を手にした観客と共に50分を過ごした。

コンサートの冒頭でチャオは「今晩はキューバ。ここにいられて光栄です。」と語り、ラジオ・ベンバ・サウンド・システムのギタリストマジッドと共に、Fernando Bécquerフェルナンド・ベッケル、Diana Fuentesディアナ・フエンテス、Toni Ávilaトニ・アビラ、Adrián Berazaínアドリアン・ベラサイン、Kelvis Ochoaケルビス・オチョアなどのキューバ人ミュージシャンと共演した。オチョアは「Volando Voy」「Desaparecido」を演奏して、コンサートの最後を飾った。

わずか3年前に反帝国主義広場でコンサートを行ったチャオは、キューバと強い一体感を感じていることを明らかにし、曲の間には「ハバナ、愛してる」を何度も叫んだ。さらには、公演後マスコミに「バンドを全員でできるだけ早く」島に戻ってくることを宣言した。

今回のハバナへの旅の間にラ・ヒリビジャが行ったインタビューにおいて、彼はキューバが彼の人生、そして彼のミュージシャンという職業に対してどんな意味を持っているのかを明らかにしている。「小さな頃から父親を通じてキューバ文化は家の中にあったんだ。家にはキューバ音楽のレコードがたくさんあって、ボラ・デ・ニエベが当時僕たちの一番のお気に入りで、僕たちのアイドルだったんだ。彼の歌は全部知ってるよ。いつも僕たちは、父親のレコードの山から、ボラを選んで聴いた。僕はキューバとかフランス、スペインなんていうものをあまりよくわかっていない子供時代から、キューバ文化に育まれてきたんだ。」

「不幸なことに僕たちは、上手く機能していないことをたくさん抱えた世界に生きている。…自分の怒りを吐き出す必要性を最も感じるのが、自分が好きになれないものを見たときだ。そのとき、僕には歌を作ることが必要になる。そうしたものを浄化するために。」と付け加えた。

今回の広場でのコンサートのためにマヌ・チャオが選んだ曲目には「Bienvenida a Tijuana Venvenid」「Clandestino」などのヒット曲が含まれており「Alas rotas」のイントロでは「この曲をキューバ国民の全ての敵に捧げる」と言った。

またコンサート中に、ポーランド人Jacek Wozniakヤセク・ワズニャックやキューバ人アーティストJavier Guerraハビエル・ゲラ、Carlos Guzmánカルロス・グスマンが、ステージの裏側でチェに捧げる一連の壁画を制作した。

来週月曜日にマヌはゲリラの英雄の亡骸が眠る町サンタ・クララで再びコンサートを行う。ゲバラはここで1959年の革命の勝利を決定づけたと言える闘いの一つを率いたのだ。マヌ・チャオは、キューバのバンドTrovuntivitisトロブンティビティスを伴って、アウグスト・セサル・サンディノ・スタジアムでライブを行う。

幼い頃から彼が、我が国との間に持っている絆とキューバ革命に対する支援は父親ラモン・チャオをゆずりのものだ。2006年の忘れがたいキューバとの出会いにつて、マヌはこう語った。「僕は住民たちの間にある何千という小さな革命を夢見ている」。ゲバラの死から42周年に当たる今回、マヌはチェが「今も世界の左派にとって象徴的な人物である」ことを我々に思い出させてくれた。

記事の原文はこちらをご覧ください。

ラテンアメリカを繋ぐTV局Telesurテレスールで放送されたコンサートのニュース映像です。

この記事の最後には「マヌのキューバに対する支援は父親のラモン譲りだ」と記されています。このラモンとキューバを繋ぐ絆については、近々ラモン自身の言葉でご紹介する予定です。

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