昨年10月バルガス・リョサのノーベル文学賞受賞が決定すると、ラモンが前回の記事で書いていたガルシア・マルケスとの間に生じた「誤解」についてマスコミは一斉に書きたてました。

ノーベル賞が一発のパンチで決別した二人の友人を再び結び付けた

〜衝突に関する様々な見解〜

ノーベル文学賞がマリオ・バルガス・リョサとガブリエル・ガルシア・マルケスの経歴が再び合流させた。現代ラテンアメリカ文学を象徴する二人の人物は、かつて 仲違いによって決別しており、その原因不明の仲違いが一発のパンチで決着したことは広く知られている。

2007年にLa Jornada紙に掲載された写真。撮影はRodrigo Moya

今から34年前、才能に溢れた若者バルガス・リョサは、1976年2月12日メキシコシティのとある映画館の入り口で出会った当時の大親友ガルシア・マルケスに、思いもかけない拳の一撃を加えた。双方が公にしないと決めたため、この事件の原因はずっと謎とされていた。この戦術上の協定は30年以上に渡って守られてきたのだ。

様々な憶測が囁かれる中、時の経過を経て最も信憑性が高いとされたのが、ペルー人ジャーナリスト、フランシスコ “パコ” イガルトゥアのバルガス・リョサとその妻パトリシアの間の感情的な行き違いに原因があるというものだ。イガルトゥアはリョサがマルケスを見るやいなや激怒し、言葉を発することなく近づくと拳で一発殴り、両手を広げて迎えた当のマルケスを驚かせたところを目撃したという。彼は自らの回想記『Siempre un extraño(常によそ者)』の中で、いくつかある原因の中には嫉妬があったこと、それはパトリシアが夫婦の問題を抱えていたときに、マルケスが彼女に与えたと思われる助言によるものであることを、ちらりと表していた。

次いで、英国人ジェラルド・マルティンが、伝記『Gabriel García Márquez: una vida(ガブリエル・ガルシア・マルケス-一つの人生)の中で、この私的かつ文学的な謎を覆うベールをはがす新しい手がかりを提供した。マルティンは、バルガス・リョサがマルケスに「これはお前がパトリシアにしたことの分だ」と言ったと断言している。

また、二人の間に生じはじめていたイデオロギーの相違が頂点に達したものだと言う人々もいる。バルガス・リョサは自由主義を擁護し、ガルシア・マルケスはフィデル・カストロ政権を擁護していたからだ。

顔に殴られた後が残るマルケスの写真

漠然としてとりとめのない証言の以外には、この事件に関しての証拠は何も残っていないと思われていた。しかし、ロドリゴ・モヤは3年前にメキシコで、殴られた跡が残るマルケスの写真2枚を公にした。マルケスが80歳を迎えたときにLa Jornada紙に掲載された写真には、左目の周りにあざがある『100年の孤独』の著者が写っている。

コロンビア出身のメキシコの写真家モヤは、この写真は殴られてから2日後の1976年2月14日に撮影したもので、マルケスが「あの攻撃の証拠を欲しがった」のが撮影の理由だと語った。何があったのかと尋ねると「(意見の)相違が原因の攻撃」で、リョサが「右寄りの考えへの賛同を加速している」限りは、もう解決のしようがないという言い逃れをしたと回想した。

しかし、マルケスの妻メルセデス・バルチャは雄弁にコメントしていた。モヤによると、写真を撮影している間の雑談で「マリオは嫉妬深い愚か者なんですもの」と何度も繰り返していたという。

そして彼は「パリに住んでいる間、マルケス夫妻は秘密を打ち明けられて、リョサと妻パトリシアの間の夫婦のいざこざを治めようとしていた」と説明した。「ありがちなことだが、リョサがまともになって妻と仲直りすると、彼はコロンビア人夫婦の助言やコメントに腹を立てたんだ。」とモヤは指摘した。

リョサは2年前に、マルケスについて語らないという『戦略上の協定』があることを再び認め、それは 伝記作家たちに仕事を与えるためだした。ラテンアメリカ文学上最も忘れがたい友情に終止符を打った事件の原因を尋ねられると、「伝記作家たちが調査して、発見して、何が起こったか言ってくれることを期待している」と言ったのだ。

にもかかわらず、今回のノーベル賞によって、すでに遠い日となった文学への熱意に燃えていた若き日々からずっと、相違を超えて、彼ら二人の人生と経歴は共に流れて、結びついていることが確認された。

今後は世界の文学の神殿に地位を得て、いつまでも一緒にいることだろう。

2010.10.07 El Premio Nobel vuelve a unir a dos amigos separados por un puñetazo

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