前回ご紹介した記事の中でも触れられているように、すでに2009年の初めにボルヘスの遺体を巡って、騒動が持ち上がっていました。その詳細について、ボルヘスの未亡人コダマが主人公の記事でご紹介します。

コダマはボルヘスを尊重し彼の遺体を巡る論争を終わりにするように求めた

~未亡人は1986年の手紙が証明するように『エル・アルフ』の作者はジュネーブで永眠することを望んでいたという主張を変えない~

ホルヘ・ルイス・ボルヘスがエフェ通信に宛てた手紙は、1986年、死の数週間前の前のもので、彼がジュネーブに埋葬されることを望んでいたことのさらなる証拠だ。未亡人はこう確信しており、作家本人の意思を尊重して、その遺体を巡る論争に決着を付けたいと語った。

1986年5月6日アルゼンチン人作家は、マドリッドにあるエフェ通信の本部に一通の手紙を送った。ジュネーブで『不可解なほどの幸福』を感じているとして、この街で『見えない男になる』という決意を表明し、不本意にも記者たちに『包囲』されていることを告発した。彼の死から23年近くを経て、現在ジュネーブのプレンパレ墓地に眠るボルヘスの遺体を祖国に戻すことを求める提案を巡ってアルゼンチンで論争が起こったため、この手紙は効力を取り戻した。

ブエノスアイレスで行われたインタビューで、「ボルヘスはマスコミの包囲を制止しようとして、良好な関係にあったエフェ通信に手紙を送った。ボルヘスを尊重して、決して彼の言葉を歪めることがなかったからだ。」とマリア・コダマは説明する。「あれはまるで狩りだった。」とコダマは嘆く。ボルヘスの最期、ボルヘスと彼女は記者たちに悩まされており、ジュネーブの家に戻る途中、彼らを避けるために車 の後部座席に姿を隠したことまであったと思い返す。

ボルヘスがジュネーブに定住する決心をしたとき、彼女はまだそれが彼の最終地になるとは知らず、だからこそ、「汚辱の世界史」の作者が死が迫っていると感じると、コダマはその遺体を祖国に戻す様々な選択肢を検討したと語る。にもかかわらずそれを断念したのは、内輪の夕食会の間にボルヘスが自らの思いを吐露し、ジュネーブに埋葬されたいという思いを受け入れて欲しいと頼まれたからだという。「自分のことを愛しているなら、都市(ブエノスアイレス)の通りに囲まれて苦しむ姿を見たくないはずだと私に言ったのよ。」と未亡人は、その死から20年経ってもなお、彼の遺体を祖国に戻す可能性について利害関係から論争が噴出していることを嘆いた。

コダマが最初にこの議論に立ち向かったのは90年代初頭のことだ。そのときは、夫の最後の意志を叶えたこと、そして彼女が相続人であることを証明するため、法廷に立たなければならなかった。彼女いわく「国際的なスキャンダルだった」が、そのことによって物事が明らかになり、争いが決着した。それがアルゼンチンの知識人の生誕110年に合わせて再燃したことは、なんともわざとらしく見えると言う。

この論争が持ち上がったのは数週間前に、ペロン党議員マリア・ベアトリス・レンスがボルヘスの遺体を祖国に戻し、アルゼンチンのラ・レコレタ墓地にある家族の墓に埋葬することを求める提案を準備していることを発表したことによる。レンスの動きは、アルゼンチン作家協会会長でボルヘスの作品コレクター、アレハンドロ・バッカロが支援していたが、このバッカロは数年前からボルヘスの未亡人と対立していることは良く知られている。この動きによって、アルゼンチンの文化界に激震が走り、マスコミは一斉に動き始めたのだ。

最終的にレンスはマリア・コダマと会合を持ち、その言い分を聞いた後で提案の提出を断念した。「法的には全く問題が生じる余地がない。法的な観点から遺体に関する権利を持つのはその家族だけなのだから。」とボルヘス未亡人で相続人は断言する。コダマは、この新しい論争の裏にはアレハンドロ・バッカロがいると言う。彼女はバッカロは『知識人として失格』で、ボルヘスという人物に『とりつかれて』ており、彼が編集を担当した25篇の文章が砂の本の著者のものだというのは嘘だと話す。

この問題について「死者の尊厳と意志に対する尊重が皆無だと思う」と続けるコダマは、16歳のときにボルヘスを知り、それからというもの「人生の全てを彼に捧げてきた」と言う。ボルヘスは「自由な存在で、決して自分自身を裏切ることがなかった。これが、ありふれた人々の大きな好奇心を掻き立てることになった。」のだと、彼女は断言する。

64歳になるマリア・コダマは、代表を務めるボルヘス国際財団の本部に博物館を開設を準備している。彼女は一時的にアルゼンチンを離れる可能性があるが、その望みは一つだという。論争を終らせること。「私をそっとしておいて。ボルヘスが求めていたように、彼をそっとしておいて。」

2009.02.27 Kodama pide respeto para Borges y el fin de la polémica de sus restos

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