Acampada BCNは6月12日を持って、カタルーニャ広場でのキャンプを解散しました。といっても、キャンプ撤収を強制するのではなく、残りたい人は個人としてキャンプを継続するという、なによりも自主性を尊重するこの運動の特徴がよく出た結論となりました。こうして、スペイン革命は新しい局面に入ったのですが、先に進む前に追加情報も加えてここまでの経過をざっとまとめておきます。

繰り返しになりますが、すべての始まりは5月15日の Democracia Real Ya!(今すぐに真の民主主義を!)デモ、いわゆる15Mです。世界的に有名になった広場でのキャンプはそこからの副産物でした。そして、この広場でのキャンプにはモデルがありました。それが、現在のヨーロッパで新自由主義との闘いの口火を切ったアイスランド。

銀行が誘発した経済危機のツケを国民に払わせようとする政府の方針に抗議するために、昨年の12月一人の男性が首都レイキャビックの広場で座り込みを始めました。すると、厳しいの冬の寒さにもかかわらず、それに賛同する人々が続々と集まり始め、広場は人々で溢れかえりました。

El Vigía del Mundoより)

この抗議をヒントにマドリッドでの15Mのデモの参加者の一部が、デモの終着点プエルタ・デル・ソル広場に残ることを決めます。このアイデアがTwitterを通じて瞬く間に他の都市にも広がり、 Toma la Plaza 広場キャンプが発足します。といっても、この頃のキャンプ参加者は数十人規模でした。ところが、5月17日の早朝に突然警察がマドリッドのキャンプの強制排除を行ったことで、状況が一変します。

この警察の暴力が人々の反発を引き起こし、暴力への抗議とキャンプ支援のために各地の広場に集結したのです。

こうして、いわゆるスパニッシュ・レボリューションが始まり、スペイン各地の広場にAcampada BCNのようなキャンプが生まれました。

この後、広場のキャンプは、選挙管理法が問題となって統一地方選を控えた5月20日に再び危機を迎えますが、結局政府は静観することを決めて、22日の選挙は大きな混乱もなく実施されました(詳しくはこちらの記事を参照ください)。

ちなみに、スペインのマスコミにも誤解があったのですが、一連の抗議は現在の二大政党制に基礎を置く議会制民主主義のあり方に疑問を唱えたものであって、選挙のボイコットを呼びかけものではありません。

次の山場は27日。カタルーニャ州警察のカタルーニャ広場への暴力的な介入が全国ネットで生中継され、大きな波紋を呼びます。

その後はキャンプの継続についての話し合いが続けられ、6月12日までにキャンプを撤収することが決まりました。今後は、4週間に渡る広場キャンプの間に誕生した地域毎の支部が、話し合いを継続する場として機能することになります。広場のキャンプはその役目を終えたのです。

マスコミの中にはキャンプの終了によって運動が収束していくと伝えるものもありましたが、抗議のキャンプはあくまでも戦略の一つです。つまり手段であって目的ではありません。新しい民主主義の形を模索するために直接民主主義から始めることを決めた彼らは、話し合いの場として広場を必要としていただけなのですから。

そのため、キャンプ開始直後から常にキャンプの進退についての議論が行われていました。選挙後すぐに議決を取るという発表があったものの、結局最終的なキャンプ解散までに要した期間3週間。民主主義とは多数決でなく議論を行うことであり、会議の目的というのは多数決で議決を取ることではなく、納得するまで徹底的に議論することだという、彼らの主張の実践例の一つとなりました。

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