今年の1月にチュニジアから始まった『アラブの春』。アフリカ大陸で生まれたこの波には『アフリカの革命』という側面もありました。実は、チュニジアでの蜂起が起こる数ヶ月前に、アフリカで大きな影響力を持つミュージシャンTiken Jah Fakolyティケン・ジャ・ファコリが一枚のアルバムを発表していました。タイトルもずばりAfrican Revolution

We want revolution
Young people revolution
Intelligent revolution
Must be African education
We want revolution
Young people revolution
Intelligent revolution
Must be black people education…

約一週間前にツアーに来たタイミングで新聞に掲載された彼のインタビューをご紹介します(ティケン・ジャ・ファコリについてはこちらも参照ください)。

20年のうちにアフリカは自由になるだろう

レゲエによって革命に到達する。少なくとも、それがコートジボワール出身のミュージシャン、ティケン・ジャ・ファコリ (1968)が取り組んできた道だ。彼はアフリカの人々の自由のために、根気づよく活動している。

その闘いの中で最も強力な権力者たちに立ち向かったために、ついにはマリへの亡命を余儀なくされ、国家権力を批判したセネガルでは「好ましくない人物」と公式に宣言された。人から人へ伝染する革命への目覚めという呼びかけとともに、ファコリは昨夜サルト(ジローナ)で演奏し、今日はマドリッドにやって来る。彼はアラブの春という一連の出来事を先取りしたこの革命の目覚めが、まもなくサハラ砂漠の南にも拡大するだろうと信じている。そんな彼を無邪気な奴だと考える人々に対して、ファコリは「やって来るものに備えろ」と答える。

-あなたは10年以上も前からアフリカの革命について歌っています。今年起こったことは、あなたが期待していた革命でしょうか?

意識の目覚めが生じた。これは私の音楽が追い求めているものだ。私は知的な革命を信じている。自分の権利を知り、それを要求することを決めた人々が着手する革命で、必ずしも破壊的な暴力による必要はない。この50年間で築いてきたものをすべて破壊する必要はないと考えている。チュニジアやエジプトで起こったことは、知的な革命という私の定義に合ったものだ。

ーこうした動きが出現した今年の春の間、ついにあなたが正しかったことを時が示しているように感じましたか?

誇りのような感情を経験した。2010年9月にアルバム『African Revolution』を発表したが、その2、3ヶ月後にチュニジアは自由になっていたのだから。この運動に参加した人々の多くが、インスピレーションの源として私の名前を上げていた。予言を的中させた人としてね。何年も前から行ってきた解放の闘いの中で、今回の出来事には励まされた。そのときまで、アフリカの革命を語る私のことを、夢想家だと言う人がたくさんいたから。正反対のことが起こったことで、一気に私の分析と意見が有効だったことが示された。

-なぜこの革命はちょうど今の時期に起こったのでしょうか?

就学率が他の時代に比べて高くなったからだと思う。読み書きを知らないでは何もできない。つまり、自覚を持つことができないということだ。チュニジアから始まったのは偶然ではない。多くのほかの国々よりも有利な立場にあったからだ。そして、その革命が大陸全体に拡大するに必要な条件が全て集まっている。耐え難い貧困、非常に高い失業率、圧制といったものだよ。

-サハラ砂漠以南のアフリカにおいても革命が起こる可能性があると思いますか?

遅かれ早かれ起こるだろうが、20年ほどと言っておこう。何年もの間、情報へのアクセスを制限して人々を抑圧してきた。今日ではインターネットがあることによって、国営放送で大統領はハンサムで賢いと繰り返すことは、もはやなんの役にも立たない。若者たちには情報にアクセスする別の手段がある。10年前にセネガルやマリ、ブルキナファソで起こったことと、今日起こっていることを比べてみると、大違いで全く比較にならない。若者たちはある種の力を手にしていることを理解したのだ。民主主義の過程に反対する統治者たちは、革命と向き合うことになるだろう。最長でも20年のうちにアフリカ全体が自由になるだろう。

-あなたの音楽の中には変化が見受けられます。差別を描写が活動の呼びかけへとなりました。告発を行動に変えることが必要だったのでしょうか?

15年の闘争の後に、私は差別を確認することでは十分でないことに気がついた。それを攻撃しなければならないということ。それで、人々に具体的なアイデアを提供しながら行動に移すことにした。私がいつも言っているのは、自分たちだけでは物事は変えられないということだ。アフリカ人の各世代がそれぞれ自分たちの役目を果たさなければならない。私たちの祖先は、自分たちの息子のより良い未来のために奴隷制と闘った。今日、私たちの世代は自分たちの子孫が、全て強奪されて荒廃した大陸で成長するような状況を回避しなければならない。私たちが何もしなければ、彼らの生活は私たちよりさらに酷いものとなるだろう。

-あなたがこうしたことを歌うと、アフリカの観客はどのように反応しますか?ヨーロッパの観客との間に何か違いが目にとまりますか?

アフリカで私は人々のスポークスマンだ。彼らにはいつも自分を表現する手段や演壇があるわけでない。何かを言いたくて仕方ないのに、どこに行けばいいのかわからない。私の大陸では自分はスポークスマンだと思っている。それと異なり、ヨーロッパでの私はメッセンジャーという方が近いだろう。そこの観客が必ずしも知っているとはいえない現実を伝える。テレビには出ないことを人々が発見できるようにする。私たちアフリカ人は宇宙人ではないというようなこと。アフリカで私たちが経験していることは、歴史的条件によって遅れているものの、普通の過程であるということ。アフリカの人々に時間を与えなければならない。

-どのようにレゲエを発見しましたか? また、どうしてそれを政治的な道具として用いることにしたのですか?

レゲエを発見したのはまだ幼かった80年代の初め、私の故郷の住人200人の村においてだった。とても悪い学生だったので、夜になると音楽を聴くために家を抜け出していた。そこでボブ・マ-リーを発見し、それからというもの彼が私の真の手本となった。彼が告発していたものが自分たちにも役に立つことを、彼の闘いの中に見い出したからだ。私が演奏するレゲエとカリブ海の(ジャマイカの)レゲエの違いは、似たような歴史を有するにもかかわらず、異なる問題と向かいあっているということだろう。

-レゲエは宗教と関わりがありますが、あなたの音楽もそうですか?

私は(宗教は)それほど重要ではないと思っている。私は信仰心が厚く、掟を実践するイスラム教徒だが、それについて語ったり、前面に出したりすることはあまり好きではない。世界中が、どんな信仰を持っていたとしても、私の歌うことに賛同できるようにあって欲しい。

-あなたはアフリカの独裁をあからさまに支援する西欧の国々に対して、とても批判的です。投票から生じる可能性のある過激主義よりも、「穏健」と推定される独裁政権を好ましく思う人々もいます。あなたの意見はどうですか?

独裁政権に対する支援は全て止めなければならない。ヨーロッパでは撲滅するのにアフリカで支援するというのは、許されることではない。全ての独裁は私たちの発展に対するブレーキだ。独裁者は人々の無知を利用して、若者は遠くに去って行くように促す。アフリカの若者がここに留まって欲しいと思っているが、現在の状況では不可能だ。

-亡命生活はどうですか?

この闘いに命を捧げようと決めた時から、たくさんの紛争や問題が待ち受けていることはわかっていた。それは当たり前のことだと思えるし、達観して受け止めている。それに亡命にはポジティブな効果もある。まず、マリではとても快適に過ごしている。一方で、(亡命生活によって)自分自身をコートジボアール人というよりも、アフリカ人として見ることができるようになる。

-ローラン・バグボの勢力に別れを告げた後の、コートジボワールのアラサン・ワタラ新政権をどのように評価しますか?

ワタラに対する判断を下すにはまだ時期尚早だが、少なくとも物事を変えるために一生懸命に活動している。重要な変化が生じた。バグボは早くても昼頃になるまで、仕事場に姿を現さなかったのだから。個人的にバグボはハーグ国際裁判所で裁かれるべきだと思っている(人道に対する罪で告発された元大統領は、月曜日に初出廷する)。これを考えている人は多いが、まだ大きな声で口に出して言うのが憚れることだ。アーティストには、模範となるためにもっと政治的な立場を明らかにして欲しいと思っている。

2011.12.04-África será libre en 20 años

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