11月の総選挙から一ヶ月あまり。現行の選挙システムには問題があることが指摘されています(詳しくはこちらをご覧ください)が、そうは言っても結果は結果。PP国民党大勝の選挙結果を受けて、12月20日にPP党首マリアノ・ラホイが首相に就任し、翌21日に新内閣が発表されました。

今回の組閣において他の国々に比較すると小規模ではあるものの、イグナシオ・ラモネが「金融による国家クーデター」と呼んだものが起こりました。国会議員ではないテクノクラート(実務家)の入閣です。日本では「民間人の登用」と呼ばれるものですが、選挙によって国民の代表となっていない人物が国家の要職に就くのは、果たして民主主義的に正しいことなのか疑問が残るのは事実。

IU左派連合のカヨ・ララが「ラホイ内閣から新自由主義が排除されていれば、それこそサプライズだっただろう」と皮肉たっぷりにコメントしているように、大方の予想どおり新自由主義との結びつき強いテクノクラートが入閣しています。中でも象徴的なのが、防衛相となるために欧州のミサイルメーカーMBDAを辞めたペドロ・モレネスと、金融の世界を渡り歩いた末に経済相に転身したルイス・デ・ギンドス。

とりわけ、経済危機に苦しむ現状で最も重要なポスト経済相の人選が物議を醸し出しているのですが、その理由は…。就任に先駆けて新聞に掲載された記事をご紹介します。

ちなみにこれまでは副首相が二人選ばれ、ポストの一つは経済相が兼任するのが慣例だったのですが、ラホイ政権の副首相はソラヤ・サエンス・デ・サンタマリアただ一人。スポークスマンと官房長官も兼任する40歳の女性が、ラホイに次ぐナンバー2となりました。

ルイス・デ・ギンドス: スペインにおけるリーマン・ブラザーズ崩壊の顔

経済相としてラホイの厳しい緊縮政策を進める役割を担う人物は、お世辞にも素晴らしいとは言えない過去がある。

新政権組閣の最も重要な大臣職、経済相として最低でも200億ユーロに上ると思われる厳しい緊縮政策の大ナタを振るう役割を担うルイス・デ・ギンドス。彼にはお世辞にも素晴らしいとは言えない過去がある。2008年リーマン・ブラザーズがサブプライム・ローンを巡るスキャンダルで倒産し、その余波が引き起こした結果には、現在でも世界中の経済が大変な苦しみをこうむっている。その当時、スペインとポルトガルにおいてリーマン・ブラザーズを指揮していたのがデ・ギンドスなのだ。

デ・ギンドスの手中で爆発したこのスキャンダルは、後々彼の経歴に大きな染みを残すことになった。ところが、政治においてはその反対で、この大失敗は彼がスペイン経済の最高責任者に就任する障害とはならなかった。とは言っても、デ・ギンドスのこの過去は現在もこの先も無視されることはないだろう。実際、水曜日にはPSOEスペイン社会労働党の書記マルセリノ・イグレシアスは、リーマン・ブラザーズの時代よりも「ツキがあって」欲しいと語った。

デ・ギンドスは、誰もが知りたがっていたラホイの「スーパー経済相」として、内閣候補の中にいつも上がる名前の一つだった。職務によって、新内閣の中で最もメディアに登場する顔を一つになり、経済省が着手する厳しい緊縮政策によって、この任期で最もハードな大臣職となるだろう。

私企業との繋がりが強く、アスナール元首相の時代の経済グループで最も影響力を持つ人物の一人で、2002年には経済局長に任命されて2004年まで務めていた。サパテロの首相就任とともに政府を去った後にリーマン・ブラザーズに移り、最後はプライス・ウォーター・ハウス・クーパースで終わる。現在までエンデサ(電力会社)と企業研究所の顧問を務める。このように、彼のキャリアには官から民へのジャンプの足跡が刻まれている。彼は経済政策局長や経済政策及び競争力保護総事務局長を歴任しており、まさしく、企業の世界と政府という二つの分野での要職を務めた経歴によって、ラホイに選ばれたのだ。

マドリッド生まれの51歳で、CUNEFカレッジ経済経営学の学位を持ち、国家ビジネス・経済専門家団体に所属する。1996年12月経済政策及び競争力保護局長、2000年5月12日は当時の経済相ロドリゴ・ラトの提案で同機関の総事務局長に任命された。ラトとはこの数年後カハ・マドリッド代表の座を巡って争うことになった。(結局ラトが勝利。ちなみにラトはIMF専務理事を務めたこともあり彼の後任がドミニク・ストロス=カーン。)

2011.12.21 Luis de Guindos: La cara de la caída de Lehman Brothers en España

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