先週2011年のベストセラーが発表されました。以前の記事でご紹介したStephane Hessel ステファン・エセル『Indignaos! (憤慨せよ!)』は、大ベストセラーとなったダイエット本『el método dukan(デュカン式)』に次いで2位にランクイン。ちなみに3位は『風の影』の著者カルロス・ルイス・サフォンの新作『 El prisionero del cielo(天空の囚人)』(1/17付Publico紙参照)。

この本がスペインで爆発的に売れ、15-Mの動きへと繋がって行った裏にあるのが、序文を寄せたスペイン人経済学者José Luis Sampedroホセ・ルイス・サンペドロの存在。「私も1917年に生まれた。私も憤慨している。私も戦争を生きた。私も独裁を耐え忍んだ」と始まる『私も』と題された序文によって、スペイン人は、ナチスへの仏レジスタンスとフランコ独裁政権での民主化要求運動を重ね合わせ、さらには経済危機で社会福祉が風前のともしびとなっている現実を目の当たりにして、エセルの言葉を自分たちへの呼びかけとして受けとめたのです。

そして、サンペドロはDemocracia Real Ya!(真の民主主義を今すぐに!)に賛同し、「スペインに民主主義は存在しない。人々よ、立ち上がれ」と自ら15-Mのデモ参加を呼びかけたのでした。

改めて言うまでもないですが、『Indignaos! (憤慨せよ!)』はその簡潔さが最大の魅力。しかし、その反面、背景をある程度共有していないと、メッセージが今ひとつピンとこないのも事実。日本でも『怒れ!憤れ!』のタイトルで翻訳が出たようなので、この機会に彼自身が本書について語ったインタビューをご紹介することにしました。スペインでの15-Mのデモから続く一連の抗議活動が、世界的な注目を浴びた直後に新聞に掲載されたものです。エセルのメッセージを理解する助けになれば幸いです。

憤慨の次に来るべきなのは、行動を誓うこと

93歳の作家や活動家の顔も持つフランス人外交官は、著作のスローガン『憤慨せよ!』の下、ヨーロッパの若者たち、とりわけスペインの若者に強烈なインスピレーションを与えた

ステファン・エセルは、パリにある自宅のサロンのテーブルの上に、怒れるスペインの若者達の写真が掲載された本紙(EL PAÍS)を一部とってある。彼の著作のタイトルの下で一連のデモが呼びかけられた最初の数日間の写真だ。この著作はスペインでは40万部に届く勢いで売れており、フランスではすでに200万部に到達している。

この93歳の若者は、的確な時期に的確な言葉を伴って現れた。実のところ彼が行ったのは要約である。自由、平等、正義、正当性、義務、人権といった何十年もの闘争と犠牲を払って獲得したにもかかわらず、今日脅威に晒されている価値観を高みに置いたこと。血と炎を礎に刻まれた言葉は、彼の場合は安っぽい煽動とはならない。なぜなら、こうしたものが消滅の危機にあるのを目にして、エセルが憤慨するのには理があるからだ。彼はペテン師でもなければ、煽動家でもない。彼が要求していることは、マルクスとエンゲルスが『共産党宣言』(彼はこの思想を共にしていない)に記述したことや、ゾラがドレフュス事件に関する著作『私は告発する』に込めたのと同じものだ。

1917年にベルリンに生まれ、両親がナチの脅威から逃れた後にフランス人となり、パリに落ち着いた。レジスタンス活動に参加し、ゲシュタポに死刑を宣告され、拷問を受け、いつくかの強制収容所で一時期を過ごす。世界人権宣言の起草という歴史的な出来事の数少ない証人の一人となった。その人生と高い倫理観は世界レベルでの意識を揺さぶるのに十分すぎるほどだろう。民衆のヒーローであり、明確な考えを持った平和主義のアジテーターだ。

−スペインでは『憤慨せよ!』と叫んでデモを行っている人々が何万人もいます。あなたは満足でしょうか? あなたのメッセージが浸透しているのです。

もう見ましたよ。嬉しいです。この小さな本のアイデアが持ち上がったときには、フランスのことしか私たちの頭にはありませんでした。しかし、わずか数週間の間にたくさんの出来事が生じる事態となりました。サルコジの人気が下落すると、イタリアのベルルスコーにも同じことが起こり、スペインのサパテロ、ポルトガルのソクラテスまで。北アフリカの反乱が起こる前は、世界各国の政府が人々の憤慨を誘発するような行動に関与しているというような考え方を、ほとんど目にすることがありませんでした。

−それでその考えを書いて、本にしようと思いついたと。

それは、全くもって文学的な仕事ではありません。私たちは短くて刺激的なものを出版したいと思っていました。全体として纏まっていなくても構いませんでした。ちょうどあなたが今いるところに編集者が座って、私は話を始めました。彼女が文字起こししたものに、二人で手をいれて出版したのです。

−まるでインタビューのようですね。その相手が私でなかったことが残念です。今みたいに、相手が私でも良かったのに。

まさにその通り、こんな感じでしたよ。まるで会話のように自然な形で生まれたんです。そして、一端通りに出ると瞬く間に広まりました。

-たくさんの人が、ある種の感情を一つにまとめるスピーチを待っていたのです。的確な言葉、誰もが知っている表現。それが憤慨です。

事実、そうだということを確認しました。本は二つの文章に基づいています。一つは抵抗のプログラム。これはあまり良い出来ではないのですが、的確な時期に的確な場所、つまりナチにという敵に包囲されているとフランス人が感じているときに書かれたものです。もう一つが世界人権宣言です。

-あなたが数少ない目撃者の一人となったものですね。

世界人権宣言が起草されていたとき、私はその場にいました。12人の学識者のグループに参加するには若すぎたので、私は助手でした。会議の開催や議事録の作成を手伝っていたのです。参加していたのは、ルーズベルト未亡人エレノアなど政治と法律の分野で第一線の人々でした。ニューヨークやジュネーブで会合を行い、私は書類の作成や作業状況の確認を担当しました。

-秘書のように見守りながら? 

私は若い外交官で、権限が足りませんでしたが、好奇心は溢れるほどにありました。この作業ができる限り素晴らしいものとなるように、心から願っていました。とても大きな動機が私にはあったからです。3つの収容所で戦争を終えたという事実は、私を駆り立てるのに十分なものでした。

-あなたはブーヘンヴァルト強制収容所にいましたね。

そこでJorge Semprúnホルヘ・センプルン(注)と知り合いました。大親友の一人です。彼に関して重要なエピソードがあります。収容所に着いた彼は職業は何かと聞かれ、学生(estudiante)と答えました。記録を取っていた者が「もしそう記入したら、ただちに君は殺されるだろう。私は最初の文字を残して、漆喰職人(estucador)に変えよう。こうしておけば、少なくとも手作業を振り当てられるだろうから」。彼らが求めていたのは、それ(働き手)だけだったのです。さて、『憤慨せよ!』の話に戻りましょう。

-あなたにとってのこの言葉が何を意味するのか、教えていただきたいと思っています。ポジティブな意味で用いられている言葉で、それを感じている人に訴えかける。彼らが、それを感じていない他の人たちにも伝染させるように。

ポジティブな面がありますが、暗い面もある言葉です。

-もしそうであるのなら、どうしてあなたはその光の部分が伝染すると考えたのですか?

実のところ、このタイトルは編集者シルヴィ・クロスマンの提案でした。私はすぐにOKしましたが。

-命令形を使うというのも?

その通りです。そして、エクスクラメーションマーク付けることも。強烈なタイトルです。私が提案していたら、もっと穏健なものになっていたでしょう。私は自分のことを革命家ではなく、非暴力を信じる外交官だと考えているからです。私は人々が合意に至ることを目指します。人々を対立させることではありません。

-それは現在の状況では十分に過激なことです。私たちを戦争に送るような政治家たちに囲まれているのですから。対話は今日において革命的なのでしょうか?

そうかもしれませんね。しかし、意味に関して語れというのであれば、私にとってこの言葉が説得力を持って感じられるのは、もう一つの重要な用語を含んでいることだと言うでしょう。尊厳(dignidad)です。尊厳が問題とされるときには、反応することが必要なのです。人間の一人一人が持つ尊厳を踏みにじられることから、憤慨(Indignación)はやって来ます。だからこそ、いつも私は世界人権宣言を参照するのです。その第一条には「私たち人類はみな尊厳と権利において平等である」と謳っています。

-そして、今度は行動を誓う時がきました。

新作のタイトルがまさに『Comprometeos(行動を誓え)』です。憤慨に続く倫理的なステップです。他人が何かをすることを誓っても、迷惑に思う人はいません。反乱を起こしたり、衝動的に行動したりすれば、迷惑をかける可能性があります。それはマリーヌ・ル・ペン(フランス極右のリーダー)のような人々の利となります。それが彼女が示していることですが、私が支持するのは反対方向の憤慨です。私が憤慨で身を震わすのは、基本的な権利が攻撃されたり迫害されたりしたときなのです。私にとっては、(感情的に)怒るだけでは何の意味もありません。怒りはどこにも導いてくれませんから。その後に行動を誓うことが来るべきなのです。

-難しいですね。

私が人々に提案するのは、理由なく怒ることではありません。私たちが受け継いできた基本的な価値が現在揺らいでいて、危機に置かれているのはなぜなのかと自問することです。簡単なことではありません。

-特に、こうした混乱の真っ只中で、自分の考えを明らかにすることですね。(この本は)今までとは違うタイプの憤慨や興味を培養するためのスープです。

この本を読むと、大切にしなければならないものや危機にあるもの、そして挑戦すべきことがはっきりします。

-フランス革命のことから始まって、3つか4つですね。

それはその中の一部で、他のものもあります。何度も繰り返しますが、世界人権宣言です。

-踏みにじられているように見えますか?

十分に。しかし、あの宣言が起草された時代のことを忘れてはなりません。まだ世界がいくつかの全体主義の脅威にさらされていたのです。ファシズムは敗れましたが、共産主義は存続していました。そして、その後、市場、ただ市場だけに基づいた邪悪な別のイデオロギーが課されていくことになりました。そして今日はあなたも私も、私たちの費用で自分たちの利益を追求している特権グループが招いた結果に苦しんでいるのです。代替案として何を提案するか? 真の民主主義です。

-美しい言葉ですね。

人々が必要とするものを政府が最優先で解決するように、権力をもっと共同体に託すことを信じる。これが一つ目の課題です。政府は自由、友愛、平等、社会的正義を保障するべきです。

-そして進歩。これは危機におけるもう一つの概念です。私たちは進歩を技術的なもの、科学的なものと混同しています。しかし、福祉と混同することはありません。

まったくその通りです。とても簡単なことなのですが、進歩とはより良い形へ近づいていくことを意味するのではありません。より良いという言葉は重要です。善と悪の間にある違いはなんでしょうか? どんなコストを払ってもお金を稼ぐことと、品位や誇りを護ること、どちらがより良いのでしょうか? ありとあらゆる犠牲を払っても科学的進歩の螺旋の中に入ることと、人間の尊厳を越える発見を警戒することでは、どちらが良いのでしょうか? 進歩とは速度を上げることではなく、より良い世界を支援するためには、何が良い価値観で何がそうでないのかを意識することを意味します。民主主義とはそれ自体が多くを要求するものです。(真の)民主主義は政治家により多くのことを要求し、悪事を働いたものが良い思いをすることが困難なように、システムを改善していくことを可能にするのです。(後編に続く)

2011.05.29 Hessel: “La indignación debe ir seguida de compromiso”

訳注:スペインを代表する知識人の一人で、昨年6月7日にフランスで逝去

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