チャベスの選挙戦-イグナシオ・ラモネ

14回目だ。1998年4月に、一度目の大統領選に勝利してからというもの、ウーゴ・チャベスは直接的にせよ間接的にせよ、13回のベネズエラ有権者による投票を経験した。最も要求基準の高い国際機関(国際連合、ヨーロッパ連合、カーターセンター、など)から派遣された監視団の立会いの下保障された、民主的合法性に支えられ、ほぼ常に、彼は勝利し続けてきた[1]

来る10月7日の選挙は、ベネズエラ市民へ14年間の信を問うものとなる。今回、争点となるのは自身の大統領再選についてだ[2]。公式の選挙キャンペーンは7月1日から始まった。予備選挙に際しての有力候補は二人いる。一人目はウーゴ・チャベスである。2011年6月に見つかった癌の13か月の闘病生活を経過したのちの出馬だ。二人目は、今回団結に打って出た保守派からの対抗馬である。民主連合会議(Mesa de la Unidad Democrática)は再編成をし、何度かの党内予備選挙を経て、2月12日に同党の候補者を決めた。エンリケ・カプリレス=ラドンスキだ。40歳の弁護士であり、ミランダ州知事の地位にある。

ベネズエラでも指折りの資産家の家に生まれたエンリケ・カプリレスは2002年4月11日クーデター首謀者の一人だった。クーデター主義者と共に在カラカスキューバ領事館襲撃に参加した[3]。彼は超保守派である伝統・家族・所有権[4]出身であり、最も右寄りの陣営(その中にいまだに情報を広く統制している巨大マスコミが存在する)に支持されているが、カプリレスはボリバル主義政権の社会政策のすべての実施を要求して、巧妙に選挙キャンペーンを行っている。また彼は、自分の目指すのはブラジルの元大統領、ルイス・イナシオ・ルラ=ダ=シルバの左派的政策であると言っているほどだ……[5]。しかし、彼は何よりもチャベス大統領の身体的な衰弱に賭けている[6]

この点においては間違ったと指摘せざるを得ない。筆者は去る7月にベネズエラに滞在し、大統領選挙戦の2週間を体感し、何度もチャベスと話をした。また、大統領の民衆との数えきれない集会にも何度か出席した。そこから、彼が健康であることは間違いないし、彼はとりわけ身体的にも知的にも抜群の状態だと断言できる。

複数のメディア(ザ・ウォール・ストリート・ジャーナル紙、エル・パイス紙)で流れている誤ったニュース(曰くチャベス大統領は「骨や脊柱に癌が移転した」と考えられ、それにより、「余命は6か月か7か月である」のだという)とは正反対の事実を告げるかのように、7月28日で58歳を迎えたチャベス大統領は、反対派が茫然自失とするような事実を述べた。「病気は完全にどこかに飛んでいった。私は日ごとに調子が良くなっているようだ」。

選挙キャンペーンに、ベネズエラの指導者がヴァーチャルにしか立ち会わないだろうと思っていた手合いは、チャベスの決断にまたもや驚かされることになった。彼は「路上に再び出て、三期目を獲得するため、ベネズエラの国中を回り始めるというのだ。「『あいつはミラフローレス(大統領府)に閉じこもっていて、ツイッターやらビデオやらのヴァーチャルキャンペーンをするに違いない』などと、言いたい放題に連中は私を嘲笑している。しかし、ボリバル火山の不屈の力をわがものとし、私は再びここにいる、私はここに帰還した。すでに私は民衆の匂いや、通りでとどろく民衆の声が恋しくなっていたのだ」。去る7月12日と14日それぞれ、チャベスを受け入れるためこの力強く熱狂的なとどろく民衆の声を、筆者は、バルセロナ(アンソアテギ県)やバルキシメト(ララ県)の大通りよりほかで聞いたことがない。そこは民衆の海であった。多くの旗や、党のシンボル、赤いシャツが激流のようにはためき、叫び声、歌、激情、忘我の情が大きな波を打っていた。

何キロにもわたる大衆の人波をかきわける赤い選挙カーに乗り、チャベスは休みなく数十万人の支持者に手を振り続けた。人々は病の床から初めて人前に姿を現した大統領をこの目で見ようと集まった。人々は感涙にむせり、一人の人間と一つの政府に熱い感謝の口づけを送った。彼らは自由と民主主義を守り、持たざるものたちへの約束を守ったのだ。政府は社会債務を払ったし、すべての人間に無償教育、雇用、社会保障、住居を与えた。

反対派のごくわずかな希望を奪うかのように、チャベスは長い選挙演説の中で疲れも見せずに以下のように言った。「私はニーチェの永劫回帰のようなものだ。なぜなら、現実には私は数多くの死からやってきたからだ……。誰も幻想など持たないほうがよい。私は神が命を与えてくださっている間、貧民の正義のために闘い続けるだろうから。私の身体がついえたとしても、私はこの路上に、この空の下あなた方と共に残る。なぜなら私はすでに私ではない。私は民衆が肉を受けたものだ。もはやチャベスは民衆そのものになった。チャベスはもはや私たち数百万人のことだ。ご婦人、あなたがチャベスだ。若者よ、君がチャベスだ。子供よ、君がチャベスだ。兵士よ、君がチャベスだ。チャベスはあなたたちだ、漁民であり、農民であり、そして商人である。私に何が起ころうとも、チャベスにはもはや何もおこらない。なぜならチャベスは今や全ての不屈の民のことだからだ」。

チャベスは公の発言の中で、有権者たちとの約束を破った自身の党に所属する州知事、市町村の長を批判することも辞さなかった。「私は第一の敵になった」と明言した。「革命を批判することは可能だが、ブルジョアに投票はできない。それは裏切りというものだ。私たちは失敗することもままあるが、しかし、私たちは心の中に民衆への本当の愛を抱いている」と言い訳もしたけれども。

チャベスは並外れた雄弁家である。彼の演説は愉快であり、口語的であり、たとえ話に満ちており、ユーモアもあれば歌もある。一方で、そうとは思われないかもしれないが、彼の演説は明確な目的を持ち、真剣かつプロ意識を持ちながら準備され、洗練された教訓に満ちた作品である。彼は演説の中心的な主題となる中心的なアイデアを伝えられるよう常に配慮している。この選挙キャンペーンでは、チャベスのプログラムを方法論的に提示し、説明することになるだろう[7]

しかし、つまらなくなったり、重苦しくなったりするのを避けるため、チャベスはその中心の議題からしばしば逸れ、「林間学校への遠足」とでも言いたくなるような(たとえ話、思い出、冗談、詩、民謡)などに話を移す。それは中心的な話題とは関係ないことのように見えるけれども、常に中心的な話題を含んでいる。それこそが、彼をして名弁士たらしめているのだ。明らかにテーマから逸れ、ずいぶん時間が経ったと思うと、やがて中心的なテーマへと戻り、話が逸れたまさにその地点からチャベスは話を始める。これがサブリミナル効果というもので、聴衆に感嘆の情をわき起こさせる。その修辞的な技術によって、彼の長い演説が十分聞きうるものになるのだ。

最近の選挙演説において、チャベスは、EUの様々な国で行われている福祉国家の解体的な政策(スペインのマリアノ・ラホイ政権の横暴極まりない緊縮財政政策に言及した)と「ベネズエラ社会主義を建設」を続けることにこだわるチャベス政権が成し遂げた重要な社会的成果を比較している。

彼の14年間の任期(1999-2012)において、ボリバル革命は地域のレベルで、並々ならぬ成果をあげた。例えば、ペトロカリベ、ペトロスール、バンコスール、ALBA、スクレ通貨(地域決済の唯一のシステム)、ウナスール、CELACの創設、メルコスールにおけるベネズエラの加盟など。このほかにもウーゴ・チャベス政権下のベネズエラでは、ラテンアメリカの絶対的な独立に向けた革新的政策が数多く提出された。

反チャベスの攻撃的なプロパガンダキャンペーンでは、ボリバル主義下のベネズエラでは、国家によってマスメディアがコントロールされていると喧伝されることだろう。しかし、良心に従うのであればどの情報によっても裏付け可能であることだが、公共のラジオ放送局はわずか10%が公営で、残りの90%は民営である。テレビに至っては12%のみが公営であり、残り、88%は民営か、公共放送である。活字媒体に至っては、主要紙エル・ウニベルサル紙とエル・ナシオナル紙は民営であり、制度的に政府とは対立する形を取っている。

チャベス大統領が強いのは、彼の活動がすべからく社会的なものと関係しているからだ(福祉、食糧、教育、住居)。人口の75%ほどを占めるベネズエラ国民の低所得者層は、こういったテーマにもっとも敏感に反応する。国家予算の42.5%は社会支出へと割り当てられている。彼は乳児死亡率を半分にまで減らしたし、文盲を根絶した。公立学校における教員の数を五倍(6万5000人から35万人へ)にまで伸ばした。ベネズエラは今日、同地域で高等教育を受ける学生数(総数のうち訳83%)が二番目に多い国である。キューバの次であり、アルゼンチン、ウルグワイ、チリより数が多い。米国、日本、中国、英国、フランス、スペインを抜いて世界で五番目である。

ボリバル政権は無償の医療・福祉制度と教育を与えることに成功した。住居の建設は進んでいるし、最低賃金も上がった(ラテンアメリカでは一番高い)。すべての労働者(非正規労働者や、主婦も含む)および、年金積立をしていないすべての困窮した高齢者への退職年金が支払われた。医療インフラストラクチャーも改善された。メルカルシステムを通じて、スーパーマーケットよりも60%安い値段で経済的に困難な家庭には食料も支給されている。大土地所有制を制限すると同時に、食糧生産量は二倍にまで跳ね上がった。数百万人の労働者に職業訓練を施した。社会の不平等も是正された。貧困者数は三分の一以上も数が減った。対外債務も減らしたし。環境に悪影響を及ぼす底引き網漁法も禁止した。エコロジー社会主義を推し進めた……。

これらすべての行動は、14年間動きを止めることなく推し進められてきたものだ。チャベスへの民衆レベルでの支持はこれらの施策に裏打ちされている。選挙戦ではこううたわれている。「私たちのしてきたことは小さい。これから私たちが成し遂げることに比べたら」。

筆者は何百万人もの貧しい人々が、チャベスを聖人のように崇める姿を見てきた。貧しい出自の、村の通りで飴を売る行商人の子供であったチャベスは、落ち着いてこう繰り返す。「私は貧しい者たちからの立候補者であります。私は貧しい人たちのために仕えるためこの身を砕くことでしょう。」彼ならやるであろう。あるとき、作家のアルバ・デ・セスペデスはフィデル・カストロにこう質問したことがある。「民衆のためにどうしてそんなに多くのことができるのですか。教育、衛生、農地改革、その他……。」フィデルはこう言っただけだった。「大きな愛でそれを成し遂げるのです。」ベネズエラについて、チャベスも同じように答えるだろう。では、ベネズエラの有権者たちはどう答えるだろう。答えは10月7日に返されることになっている。

(訳: 高際裕哉)

[1] 彼は一度だけ、ごく僅差で2007年12月7日の「憲法改正計画」における国民投票で負けたことがある。

[2] ウーゴ・チャベスの他に、6名の候補者が10月7日の大統領選に出馬する。エンリケ・カプリレス=ラドンスキ: 民主連合会議(MUD)、オルランド・チリーノス: 社会主義自由党(PSL)、ヨエル・アコスタ=チリーノス: 共和国200年前衛党(VBR)、ルイス・レイェス=カスティージョ: 真正革新組織(VBR)、マリア・ボリバル: 平和と自由のための自由連合党(Pdupl)、レイナ・セケーラ: 人民権力党

[3]以下を参照のこと Gilberto Maringoni, “En Venezuela, Chávez sigue favorito”, Le Monde diplomatique en español, mayo de 2012. 同様に以下の記事も参照のこと: Romain Mingus, “Henrique Capriles, candidat de la droite décomplexée du Venezuela”, Mémoire des luttes, 28 de febrero de 2012. http://www.medelu.org/Henrique-Capriles-candidat-de-la

[4] 彼はベネズエラにおける支持機関の共同創設者であった。

[5] ルラ元大統領は、7月6日付でチャベスに公式書面を送った。チャベスを全面的に支持する文面だ。曰く、「君の勝利は、すなわち我々の勝利である」。

[6] 7月半ばの世論調査では、エンリケ・カプリレス候補を15ポイントから20ポイント上回り、チャベスが優勢である。

[7] Propuesta del candidato de la patria Comandante Hugo Chávez para la gestión bolivariana socialista 2013-2019, Comando Campaña Carabobo, Caracas, junio de 2012.

Ignacio Ramonet : Chávez en campaña

 (ル・モンド・ディプロマティク・スペイン語版2012年8月号より)

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