ベネスエラで1999年に新憲法の制定を公約に掲げて大統領選に出馬したチャベスは 、56パーセントもの支持票を獲得し当選、2月2日に初の就任式を迎えます。チャベスが亡くなる約一ヶ月前の2月2日、首都カラカスでチャベスの大統領就任から14年を祝う式典が開催されました。

今回ご紹介するのは、その式典で行われたイグナシオ・ラモネの講演です。ラモネはチャベスへのオマージュとして、ボリバル革命14年間の成果を振り返りました。その全文がル・モンド・ディプロマティク・スペイン語版サイトに掲載されていたので、許可を得て翻訳しました。30分を越える長い講演のため、二つの記事に分けてアップします。主要マスメディアが決して語ることのない、ベネズエラ国民から熱い支持を受けるボリバル革命のプラスの側面です。

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チャベスが意味するものとは?―イグナシオ・ラモネ(前編)

ベネズエラ大統領ウーゴ・チャベスが2013年3月5日に他界した。2011年から癌を患っていたボリバル主義者の司令官は、2012年10月の大統領選挙に圧勝し、2013年1月10日から新たな任期を引き受けようとしていた12月、突然再手術を受けなければならなくなった。イグナシオ・ラモネは、そのわずか数週間前にカラカスにおいて、彼の大統領就任から14周年という機会を利用して、ウーゴ・チャベス大統領の人物像を次のように描いていた。

最初の就任演説において、象徴的にまさに「共和国再建の年」と呼ばれる1999年2月2日、 ウーゴ・チャベス大統領は耳があるのに聞こうとしない人々に対して、すでに予告していた。 新大統領は「この日は、ありふれた一日ではない。今回の大統領指揮権委譲は、ありふれた大統領指揮権委譲ではない。違うのだ。これは新時代の最初の指揮権委譲であり、新たな国のあり方へ向かう扉を開くことだ」と言った。「ベネズエラにおいて復活の風が吹いている」と付け加え、変換的な移行期と彼が呼ぶもの-実際にはすでに真の革命と定義していた-から始めて、べネズエラのために統合的な発展計画を実施するというボリビア主義者のかつての夢を再開することを提案した。 そして、チャベスは-これは非常に重要だ-「私たちはその革命を平和的手続きと民主主義的な手続きをもって行う」と確信していることを明確にした。

その日、新ボリバル時代―それは「チャベス時代」と呼ばなければならない―の第一日目に新大統領は、彼は統合を熱望しているものの、偽の統合には一銭たりとも支払うつもりはないことをはっきりと説明した。そして「現在のままに保ちたいと望んでいる人々と団結する? 必要な変革に反対する人々との合意を模索する? 今日私は、ボリバルのように言おう。それは裏切りである!と。そして、それをはっきり自覚しておくべき者があるとすれば、それは今ここであなたたちに向かって話している者[訳注:チャベス自身のこと]だろう。なぜなら私は自分でここにいるのではなく、一つの責務のためにここにいるからだ。つまり、私は原因ではない。結果である」と明言した。

そして、もしかしたら理解していない人がいるかもしれないと、彼は 「私は裏切りよりも死を選ぶ。だから、私は世界の前で宣言し、ベネスエラの前で宣言する。ボリバルの地の全土の民衆が通りから求め、私たちが推し進めていかなければならないこの政治的変革に後退はない」と再び繰り返した。

こうして最初の日から、チャベス大統領はペテンと呼ばれることがないように、始まりつつあった「政治的変革に後退はない」ことを繰り返し、しつこく主張した。 そして「この過程には自らのリズム、そして自らの歩みがある。私たちにそれを止めることはできない。それをひっくり返して、再び失敗に終わるようにとその流れをそらすことなどもってのほかだ。私たちがそれを許さない。私の力が及ぶところまで、私はそれを許さない」 とさらに繰り返した。

そして、ラテンアメリカに関して、自らの長期的な戦略をすでに告知していた。「私は開会を宣言し、 統合の過程を可能なところまで加速させる。私たちの間の統合という夢を再び始めるときだ。次の10年でラテンアメリカとカリブのための通貨を計画するときだ。私たちはそれを模索して、そのために闘う。世界のこの地域の国民の同盟に着手するときだ。貿易のずっと先にまで向かう統一に着手するときなのだ。その統一はさらにずっと進んだもので、さらに完璧で、さらに深遠なものである。かつて一度は結びついていたものの統一なのだ」 と。

聞きたがらない者よりも厄介な難聴はいない。そして、たくさんの人々が、ちょうど14年前にチャベスが示した計画が極めて明白なものだったにもかかわらず、彼のゆるぎない口調は明白であったにもかかわらず、彼の言うことに耳を傾けなかったり、注意を払わなかったり、あるいは空虚な言葉で、単なる美辞麗句だと考えたのだ。

チャベス大統領は生来の素晴らしい話術で、任期の最初の数ヶ月間に大企業や大富豪といったこの国の「本来の主」であると辞任している人々が、かつて何人もの大統領に行ってきたように、ありとあらゆる種類の贈り物や誘惑―車、マンション、ビジネス―を提供するために、どうやってこびへつらって近づいてきたかを何度も語った。チャベスは二枚の舌と二つの倫理を持つ人々のうちの一人に過ぎないと考えていたのだ。なんという過ちか! この世界の全て、良心までもが売買できると考えるそうした哀れな人々はなんとひどい大きな過ちを犯したのか! 買収されない意思に対して歯軋りをして悔しがった!  

倫理の鞭で、チャベスは彼らをミラフローレス大統領宮殿から追い出した。キリストが商人を寺院から追い出したように! 「 清廉な人」。フランス革命の間ロベスピエールはこう呼ばれた。そして、そのことをこの国の不道徳な少数の支配者集団は発見したのだ。「清廉な人チャベス」を 。

そしてそれから、その少数の支配者集団が陰謀を企て始めたとチャベスは語る。「買収できないのであれば、失脚させよう」というわけだ。その時から、それが少数の支配者集団、ブルジョワたちの計画となった。こうして、帝国主義の支援を受けて、陰謀や攻撃、悪魔のように扱うメディアのキャンペーン、クーデターの準備、サボタージュなどが始まった。

この国の歴史においては、ウーゴ・チャベスほどに良心的に民主主義を尊重しながら、これほどに急進的なコペルニクス的変革を生み出した者はごくわずかだ。「コペルニクス的」はコペルニクスから来ているが、このポーランドの賢人は、教会が断言していたのとは反対に、私たちが持っている印象とは反対に、太陽が地球の周りを回っているのではない、全てが逆であることを示した最初の人だった。つまり、地球こそが太陽の周りを回っているということ。チャベスはコペルニクスのように、この国が―私たちの友人エドゥアルド・ガレアーノいわく―「逆立ち」していたことを示して、民衆の足というしっかりとした足で国を立たせることを決意したのだ。

チャベス大統領の最も重要な成功は、民衆の大多数の利益のための政治と民主主義の真のモデルによって、「私たちには祖国がある!」とベネズエラ国家を再建したことである。なぜなら、ボリバル革命は、社会をその根本的構造において再編成しているのだ。

フィデル・カストロ以来ラテンアメリカには、ウーゴ・チャベスほど圧倒的で、変化を生み出し、動員力を持ち、魅力的で、創造的で、革命的な指導者は出現していなかった。この14年間によってベネズエラだけでなく、ラテンアメリカ全体をコペルニクス的に変化した。それが影響を及ぼして、世界の国際政治の流れが変わった。これは世界を変えた14年間なのだ!

この14年間はもはや、ラテンアメリカの「黄金期」と評価することができるだろう。今までラテンアメリカの歴史の二世紀において、民主主義、社会正義、発展においてこれほど重要な時期はなかった。今までこれほど多くのラテンアメリカの国々において、これほど多くの進歩的な政権が同時に統治を行ったことはなかった。全く前代未聞のことだ。何十年もの間、民主的に選ばれた進歩的な政権が転覆されるにためは、その政権が格差と不公平を減らすために構造的変革を実行するだろうという、単なる見通しだけで十分だったのだ。その事例はふんだんにある。グアテマラ1954年、ブラジル1964年、ドミニカ共和国1965年、チリ1973年、ペルー1975年…。

それだからこそ、ラテンアメリカの多くの国において、社会正義を護る人々に残された唯一の道が、武装やゲリラの道であった。

仲間とともに栄光ある1992年2月14日の尊厳のための反乱に参加したウーゴ・チャベスは、サルバドール・アジェンデ以来初となる民主的な道に賭けて、権力に到達した偉大な進歩的指導者であった。 これは最も重要なことだ。彼の進歩的な選択肢にある深い民主性を理解しない限り、チャベスが誰なのかを理解することはできない。ボリバル革命が前進するごとに、定期的・周期的に国民の判定に委ねるという彼の意思。チャベスは「民主的社会主義」に賭けたのだ。彼の意思と市民の集団的知性に対する信頼によって、彼はボリバル革命に関する全ての決断に参加するように民衆を導いた。

フィデルは、その点と民衆と軍隊を結びつける「民兵連合」という彼の概念において、チャベスはラテンアメリカの革命を革命していると言った。

今日のベネズエラにおいては、国の骨格や生活レベルが改善され、雇用が生まれ、教育が与えられ、健康が気遣われ、文化が広がり、文盲が撲滅され、科学が進歩し、食糧主権へと向かって進んでいる。 国営化や経済への国家の介入が、国民の大部分の生活レベルの向上に用いられている。新しい進歩派政権が上手くやっているラテンアメリカにおいても、同じことが起こっている。こうした政権が福祉国家を強化しているこの同じ時期に、欧州では新自由主義政権によって福祉国家が破壊されている。ここでは、今や貧困が宿命でないことが知られている。

この14年間で、ラテンアメリカでは5000万人以上が貧困から抜け出した。ベネズエラとボリバル革命が最初の牽引力となったこの再分配政策のおかげだ。

未だかつてそんなことを目にしたことはなかった。これほど短期間で5000万人が貧困から抜け出して、中産階級となること。だからこそ、チャベス大統領がいつも言っていたように、民主主義を恐れることはないのだ。その反対で、民主主義的に意見を問うことによってのみ、 最大多数の最大幸福を国民に与えることに向けられた政策を強化することが可能となる。こうしたラテンアメリカ政権は、「民主的社会主義」という大枠に忠実な限りは、この先何十年にも渡って権力を維持するだろう。これによって、後退がないこと、少数の支配者集団はもう戻ってこないことが保障される。それは永遠に終わったのだ。

それだからこそ、チャベス大統領にこれほどたくさんのブルジョワの敵がいても、これほど幅広い国民の支持があっても、驚くことは何もない。そして、この14年間でほとんどすべての投票で勝利したことも。思い出さなければならないのは、1998年12月にチャベスが初めて選出されるまで、ベネズエラでは50年間でたった15回の国民選挙が実施されただけであったことだ。つまり、この14年間に実施された数より少ないのだ! ほとんど知られていないが、チャベス大統領に反対する者たちは熟考すべきデータであろう。

経済の方針において国家が重要な役割を有し、経済を大多数の社会的な必要性に向け、このような政策に対して民主主義的な支援を受けるというボリバル主義モデルは、どのように社会的民主主義を再建できるかについて、教訓を与えてくれる。(後編に続く)

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