左派を代表する新聞とみなされるエル・パイス紙すら2002年のクーデターの際にはクーデター支持の論説を掲載するほどのネガティブキャンペーンの影響もあり、スペイン語圏の左派の間でもなかなか理解を得られなかったチャベス。そんな状況の中で、早い段階からチャベスのボリバル革命を理解し、一貫して支援してきたのがイグナシオ・ラモネでした。

チャベスはラモネの招きで、2005年1月にブラジルのポルト・アレグレで開催された第5回世界社会フォーラムに参加します。世界社会フォーラムとは、ソ連崩壊で死刑を宣告された左派の思想を1990年代末に社会運動の場から蘇生させたアルテルムンディアリズム(もう一つの世界主義)、いわゆる反グローバリゼーション運動から生まれたイベントで、新自由主義と闘う人々が世界中から集まります。今年は3月26日から「アラブの春」の震源地となったチュニジアで開催。

この閉会式において、ラモネの紹介で登場したチャベスは、会場からの大歓声を受けて演説を行いました。(前半はこちらから)

チャベスが意味するものとは?―イグナシオ・ラモネ(後編)

 ハリケーンのように、サイクロンのように、飼い慣らせない台風のように、チャベスの言葉とボリバル革命の実施という模範が、ラテンアメリカ全体を覚醒させた。そして、ここに歴史上最も輝かしい並外れた指導者たちの世代が出現した。

伝統的な政治家クラスには恵まれない人々の反乱を方向付ける能力が欠如していたことで、新しい指導者たちに道が開けた。組合や社会運動、軍人、さらにはゲリラ出身のものまでいる[訳注:例えば元ブラジル大統領ルラは労働組合、現ボリビア大統領モラレスは社会運動、現ウルグアイ大統領ムヒカはゲリラの出身]。

そのような主張は、時には、 もう一つの世界主義者や反資本主義者、さらにはマルクス主義者の運動の一部、あの「神も、王も、護民官もない」に固執する人々を不快にさせる。 彼らは〈集団が指揮を取ること〉に固執して、〈民衆から自然発生すること〉を信じている。しかしながら、〈カリスマ性のある指導者〉の中心的な役割は一目瞭然である。その人物の中に〈変化の過程〉に参加する何百万という無名の市民の意思が結晶化するからだ。フィデル・カストロなしで、キューバが米国の侵略に60年も耐えることはなかっただろう。そして、ベネズエラにおいて、ウーゴ・チャベス大統領なしではボリバル革命が今のようなものにはならなかったことは明白だ。

このことはフィデル・カストロ自身が認めており、「ずっと昔に危機がやってくると指導者が現われるという深い確信を抱いた。そうして、ナポレオンによってスペインが占領され、外国人の国王を押し付けられたことで、この半球にあるスペインの植民地の独立に好都合な状況が生み出された、そのときにボリバルが現れた。そうして、キューバにおいて独立主義革命が勃発するのに好都合な時期が訪れた、そのときにホセ・マルティが現れた。そして、ベネズエラとラテンアメリカにおける社会や人々の状況が我慢できないレベルに達して、二回目の、そして真の独立のために闘う時が来たことが確定した 、そのときにチャベスが現れた」と言明した。

未だかつていかなる大陸においても、いかなる状況においても、これほど前代未聞の、これほど人気のある、これほど既存の枠を壊していく指導者たちの世代の出現を目にすることはなかった。この世代には、ブラジルでルラとディルマ、ボリビアでエボ・モラレス、エクアドルでラファエル・コレア、アルゼンチンでネストル・キルチネルとクリスティナ・フェルナンデス、ウルグアイでタバレ・バスケスとホセ・ムヒカなどが集まっており、他にもまだたくさんいる。

あの1999年2月2日のウーゴ・チャベスの歴史的な就任から、ベネズエラは道を切り開き、そして醜悪なマスメディアのキャンペーンにもかかわらず、大幅な社会の変革、より公正な富の分配、そのときまで疎外されてきた人々の社会への取り込みを告知する選挙プログラムにより、 10人以上の進歩的大統領が民衆の投票によって選出されてきた。 ウーゴ・チャベスのリーダーシップの下で、ベネズエラは経済発展、社会発展、社会正義、民衆の力の獲得、民主主義に関して、巨大な進歩を遂げた。そして、そのことによって、世界中の進歩派の賞賛と敬意を受けてきたのだ。

世界の他の地域-とりわけ欧州-において、庶民階級から遠く離れ、現在の危機の原因となっている新自由主義モデルに合意した左派が、疲れ果ててアイデアにも尽きているように見えるときに、南米においては、社会運動の強力なエネルギーに駆り立てられ、 新しい「21世紀の社会主義」が政治的、社会的創造性で満ち溢れている。

私たちは再生、この大陸の真の再建、そしてシモン・ボリバルと自由主義者たちが二世紀前に開始した解放の第二幕に立ち会っているのだ。

欧州の人々(左派までも)の多くがこれを無視し続けている-それを隠すために支配的な大手マスメディアが造り上げた巨大な嘘の城壁が原因だ-にもかかわらず、南米は地球上で最も進歩的な地域となった。そこでは、民衆クラスに有利な方向で最も多くの変革が生じており、依存や後進性から抜け出すための構造改革が最も多く採用されている。

希望と正義の風によってその基盤から動いた南米は、市場だけでなく、民衆を統合するという大きな夢に新しい針路を与えた。 ブラジル、アルゼンチン、パラグアイ、ウルグアイ、ベネズエラの2億6000万人をまとめるメルスコール(Mersucor)のほかに、統合を支援する非常に革新的な成果の一つが、米州ボリバル同盟(ALBA)である。加盟国は安定を獲得したことによって、国民に教育、医療、住居、まともな雇用を保証するために、 貧困、極貧、疎外、文盲に対する闘いに専念することが可能になった。また、ペトロスル(Petrosur)計画のおかげで、エネルギーにおけるつながりがさらに大きなものとなり、食糧主権に向かって進むために必要な農業生産も大幅に増加した。南の銀行(Banco del Sur)や共通通貨地域(ZMC)の創設のおかげで、今日から14年前の誰も想像していなかったときに、 すでにチャベス大統領が予告していたように、共通通貨スクレの創設に向かっても同様に前進している。

南米の数々の政府は 2009年3月9日、想像すらできないと思えたものを一歩進めた。2008年5月にブラジリアで創設された組織である南米諸国連合(Unasur)を通じて生み出された軍事協力機関の南米防衛委員会(CDS)を創設することを決めたのだ。 その後2011年は、最もめざましいもの、CELAC、ラテンアメリカ・カリブ諸国共同体が誕生する。2011年12月2日の開会式演説でチャベスが言ったように、「私たちの国民の間、私たちの国家、私たちの共和国、私たちの政府の間の統合が唯一の道なのだ。私たちの間の相違を認めて、尊重しながら行ってゆく。有毒な不和が一丸となった努力をまたもや妨げるのを許すことなく。統合は、それを築いていかなければならないが、日々何千という困難と闘うことが必要だ…。なぜなら、それこそが、ボリバルが「私たちの再生という作業を完成させるために、私たちに欠けているのは統合だけだ。その統合を達成した日に、そのときに私たちはこの新世界に共和国の母と国民の女王を築くであろう」と言って、私たちに示した道であるのだから。

厄介なプロパガンダ・キャンペーンがボリバル主義のベネズエラではマスコミは国家に支配されていると思わせようとしているにもかかわらず、現実には-どんな善意の証人によっても実証できる-こうした言明は偽りである。先週マドリッドの新聞エル・パイス紙が第一面に掲載したチャベス大統領の写真と同じように偽りなのだ。

チャベスの大きな力は、彼の行動が社会的なもの全て(医療、食糧、教育、住居)に関わっていることだ。それこそが貧しいベネズエラの人々が最も関心を寄せていることなのだ。そしてこれが、チャベスが享受している民衆から大きな支援の理由である。

私は様々な機会に、大統領が掻き立てる信じられないような熱狂の目撃者となってきた。ベネズエラ中を飛び回り、大群衆の前での巨大集会やボリバル主義者たちのこじんまりしたパーティ、幹部会議、軍隊の行進、報道関係者の会議、そして学生、農民、女性、原住民、労働者との懇親会などにおいて、彼に同行する幸運に恵まれた。彼はありとあらゆるベネズエラの国民と共にいた。

例えばあるとき、マラカイボ湖畔での不意打ちの作戦行動に立ち会わないかと誘われた。その目的は石油プラットフォームの業務に従事する40社余りの船会社の国有化であり、沿岸全体にあるターミナルを使用して、そこで300隻の巨大タンカーを操業していた。軍事作戦並みの綿密さで立案された作戦は、所有者が原料を破壊したり、タンカーを沈めたりするのを避けるために、不意打ちでなければならなかった。それらの企業によって、約8000人の仮雇用契約の労働者が搾取されていた。わずかな賃金を受け取って、食事や医薬品、果ては機材の修理代までも自腹で支払っていたのだ…。

チャベスは、その瞬間から革命がターミナルとタンカーを取り戻した、つまり、彼らが置かれていた人権を踏みにじるような状況に終止符が打たれたこと、そして彼ら全員がPDVSAの正規雇用の従業員となったことを告げた。突然の国有化に意表を付かれた技師たちの驚きは熱狂に変わった。そして大統領は、企業が生み出す5億ドルの利益は学校や労働者用住宅、病院、環境保全計画などとなってそこに残るであろうと付け加えた。そして、そうした資源は共有の枠組みの中で労働者自身によって管理されることになると。その歓喜の爆発は、とても言葉で言い表せないものだった。

彼らは「革命が来た!チャベス万歳!」と叫んだ。顔に長年に渡る努力が刻まれたベテラン労働者の中には、感動の涙をこぼす者もいた…。騒々しい熱狂した人々の集団に囲まれて、チャベスはタグボートカナイマ号に上り、湖での運転歴20年の船長シモンと話を始めた。「今日までこのタンカーは資本主義者のものであったが、今からは民衆のものだ。革命はこのタンカーを君に託す」 と彼に言った。

それから、赤い大きなテントの陰に集まっている何百人もの労働者に近づいた。中には妻や子供と一緒の者もいた。そして、彼らに「私の魂は民衆の魂です。祖国を愛する者は、私と一緒にきてください。キリストは『神のものは神に、カエサルのものはカエサルに』と言ったが、私は君たちに言おう、『民衆のものは民衆に!』と。一歩一歩、私たちは社会主義への移行を生み出している。一日ごとに民衆はさらなる力を手にするだろう。一日ごとに私たちはさらに自由になるであろう。これが独立という行為なのだ」と告げた。話が終わると、耳を傾けていた人々が『こうだ!こうだ!これが統治するということだ!』 と叫び出した。

革命万歳というエネルギーで一際目立つ女性がいた。大統領はそれに気づき、発言するように彼女を誘うと、名前は何か、家族はいるのかなどと尋ねた。聴衆の間から進み出た彼女は、若くて趣味のいい服を着ており、「ナンシー・ウイリアムス、29歳、子供が一人だけいて、結婚していますが、もしあなたが離婚を望むなら…」と自己紹介した。

別の機会には、バルガスでの病院の落成式において、年配の女性が発言を望んだ。「私はイノセンシア・ペレスです」と感極まって言った。「あなたに感謝し、あなたに大天使ミカエルの庇護がありますように。彼らがクーデターを起こした日(2002年4月11日)、私はあなたを護るためにここからカラカスまで歩いていきました。あまりにもたくさん歩いたので、足からは血が出てしまいました…」。

こうした証言は何千とある。なぜなら、何万という貧しい人々が彼を聖人のように崇めているからだ。チャベスは落ち着いて「私は民衆のために精根使い果たすであろう」と繰り返す。あるとき、作家アルバ・デ・セスペデスがフィデル・カストロに、どうやって国民のために教育、医療、農業改革などこれほどたくさんのことができたのかと質問し、フィデルはただ「大きな愛によって」と答えた。 チャベスも同じだ。主に二つの道具でベネズエラを変革して再建した。民主的社会主義と彼の「大きな愛」で。

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