ブログで紹介するのが遅くなってしまったのですが、日本語字幕版の制作に参加したドキュメンタリー『目覚めゆく広場-15M運動の一年』(監督:リュック・グエル・フレック & ジョルディ・オリオラ・フォルク)が3月末からネット上で公開されています。この日本語版プロジェクトは『ウォール街を占拠せよ: はじまりの物語』の翻訳者芦原 省一さんが立ち上げたもので、声をかけてもらって参加することになりました。

監督の1人ジョルディは「ドキュメンタリーは多くの人の目に触れなければ制作した意味がない」と手がけた作品を全て自らのサイトで公開しています。この『目覚めゆく広場』もその中の一つで、芦原さんのように興味を持った人から申し出があって、進行中のものも含めると12の言語に有志の手で翻訳されています(全バージョンはこちらから)。

今回の作業を通じて、15Mについてあらためて考えることになりました。ちょうど15Mから2周年のタイミングでもあるので、この機会に15Mについて振り返っておきたいと思います。いくつかのテーマにわけて記事にすることにして、今回はまず「広場キャンプ」から。ドキュメンタリーの情報はこちらを参照してください。

スペインの「広場キャンプ」は世界的な注目を集めたので、写真や映像でご覧になった方も多いと思いますが、このドキュメンタリーの最大の魅力は、マスコミの報道にはほとんど出てこない内側、つまり、参加していた人たちが何を考えて、このような行動をとっていたのかという、一番重要なポイントが当事者の口から語られていることでしょう。

登場人物の声に耳を傾けていただくとわかるように、スペインの人々が行っているのは、新自由主義的な改革に対する抗議だけではありません。危機の原因の一つは資本主義に基づいた消費型社会に暮らす私たちの生活にあって、私たちの生活を変えない限り根本的な解決には至らないことに気がついた人々が、新しいシステムの模索をし始めているのです。そして、それを実現するために「真の民主主義」を必要としています。

2000年代初頭の反グローバリゼーション運動によって、ソ連崩壊で死刑宣告を受けた左派が息を吹き返し、特にラテンアメリカの左派政権によって様々な試みが為されて、一定の成果を上げています。こうした中で、ラテンアメリカの情報がスペイン語でダイレクトに伝わるスペインにおいても、ベネズエラやエクアドルなどを危機から抜け出すために見習うべきモデルと考える人は日に日に増えています。

現在のスペインは、保守勢力のPP国民党が過半数を握っている右派政権なのですが、これは右派が支持を拡大したためではなく、よりラディカルになった左派の人々が二大政党の左派の役割を担ってきたPSOE社会労働党に飽き足らなくなった結果、PSOEが支持者を減らしたために起こったものです。スペインにおいて左派を支持する人が増加していることを、目に見えるものにしたのが15Mだったと言えるでしょう。

またとても面白いのが、実はこうした広場キャンプは偶然が重なって生まれたということ。もともと計画されていたのは5月15日のデモだけだったのですが、マドリッドのデモ参加者の一部がプエルタ・デル・ソル広場で「夜を明かす=キャンプする」ことを思いつきます。ネットを通じてそのアイデアが発表されると、各地でそれに同調する人が出てきて、バルセロナではカタルーニャ広場がキャンプの場となりました。

ところが、その夜マドリッド市警がソル広場の強制排除を行ったため、翌日各地でそれに抗議する集会が呼びかけられます。この日から急激にキャンプが拡大し、それが自主運営の共同空間に発展していったのです。つまり、もし広場で夜を明かすことを思いつく人がいなければ、さらにはマドリッド市警が動いていなければ、広場キャンプは存在しなかったかもしれないのです。

首謀者も計画もなく、行き当たりばったりにもかかわらず、わずか数日であれほど完成した空間が自然に生まれたのは、 こうした試みがバルセロナにおいては目新しいものでなく、言ってみればかつての伝統を蘇らせるようなものだったからでした。その伝統というのは、第二共和制の社会改革に大きな影響を与えた労働組合CNTが代表するアナルコ・サンディカリスムから脈々とつながるものです。

フランコ時代にCNTは徹底的に弾圧されました。夫の実家があるのはかつてCNTが自由共産主義に基づく共和制を宣言して、貨幣を廃止したという鉱山の町なのですが、市民戦争後には当時の人口3000人のうち500人もが亡命しなければならなかったそう。にもかかわらず、CNTが人々の支持を失うことはなく、1977年7月2日民主化後に合法的に開催された最初の集会には歴史的なものとなりました。

その後CNTは7月23〜25日にかけてグエル公園で『Jornades Lliberàries(自由の日)』というフェスティバルを開催します。

どちらの映像も広場キャンプと似ていませんか?つまり、CNTが組織した集会とフェスティバルをカタルーニャ広場で再現したものが、バルセロナの広場キャンプだったとも言えるわけです。

とは言っても、キャンプ運営の中心になっていたのは、この時代にはまだ生まれてもいない若い世代。なぜそれが上手くいったかというと、この世代は数年前に反ボローニャ運動において立て篭りキャンプを体験していたから。

「ボローニャ」とは、EU内で教育を統一するという名目の教育改革『ボローニャ計画』のことで、教育の場に収益性のような市場原理を持ち込み、民営化を推進することにつながるとして大学生が大反発、2008年の秋から各地で反対運動が起こりました。中でもバルセロナは大規模なもので、抗議活動の一貫で行われたバルセロナ大学の立て篭りの様子がこちら。

中で寝泊まりするために食堂も設置。広場キャンプと同様に、各部会に分かれて役割を分担し、抗議活動を進めていました。インタビューに応えている学生代表は「改革について参加型で民主的なやり方で開かれた議論を行うこと」を要求しています。残念ながら、結局のところはこうした抗議活動が実を結ぶことはなく、改革を止めることはできませんでした。

「これだけやっても、自分たちの意見が聞き入れられないのに、民主主義的な社会と言えるのか?」この疑問が、「真の民主主義を今すぐに!」という要求に繋がっていくことになったのは、当然のなりゆきでしょう。

というわけで、警察の暴力に対する抗議するために始まった広場の占拠が、瞬く間に広場キャンプへと変化したのは、バルセロナの人々が通りでの闘いで培ったノウハウの積み重ねがあったからこそ。広場キャンプというのはCNTの労働者からバルセロナ大学の学生まで、通りからの闘いの歴史が生んだ新戦術だったということで、彼らの闘いの長い歴史を改めて実感します。

次回は、アラブの春からOWSまで広場のつながりについてまとめてみます。

15Mについては本プログにおいてリアルタイムで取り扱ってきました。興味のある方はこちらからどうぞ。

広告