前回に続いてもう少し15Mについて振り返っていきます。今回のテーマは「アラブの春とOWS(ウォール街を占拠せよ)」。

ドキュメンタリー『目覚めゆく広場-15M運動の一年』の原題『El Despertar de Les Places 』は直訳すると「広場の目覚め」という意味なのですが、広場を意味するカタルーニャ語の「Plaça」が複数形の「Places」となっているところがみそ。

そこには、バルセロナのカタルーニャ広場は一つの例であって、そこに集う人々を目覚めさせていく複数の広場があること、つまり広場の目覚めの連鎖があることが暗示されています。さらに具体的に言えば、アラブ世界によってスペインが目覚め、そのスペインがウォール街を目覚めさせたということが表現されているわけです。

この三つの動きの関連についてはすでによく知られているとは思いますが、スペインを軸にしたアラブの春→15M運動→OWSという流れについて、具体例を挙げながらまとめてみたいと思います。

スペインにはアラブの春の発端となったチュニジアのジャスミン革命についての情報が、サンティアゴ・アルバ・リコを通じて入ってきていました。彼はかつて人気TV番組の脚本家をしていたこともあって、知名度のある左派ジャーナリストの一人。1998年からチュニス在住で、第二次イラク戦争開始直前の日々を扱ったドキュメンタリー映画『Bagdad Rap』の脚本も担当しています。

ジャスミン革命に居合わせたアルバ・リコは、スペイン発オルター情報ポータルサイトRebellónを通じて現地レポートを開始。当初はベン=アリー政権の崩壊が100%確実ではなかったため、身の安全のために『Alma Allende(アジェンデの魂)』という偽名を使って、最新情報をスペイン語で発信していきます。1月12日に公開された最初の記事「闘うチュニジア」は、翌日13日にマドリッドで行うチュニジアの人々を支援する集会の呼びかけでした。

その文章は「インターナショナリストとして私たちは、チュニジアの人々との私たちの連帯を示すことが必要であると信じている。それは、彼らが無差別な弾圧の犠牲者となっているからだけでない。これが、この数ヶ月の間欧州で行われているこのシステムとそれによる新自由主義の攻撃に対する闘いのもう一つの例であり、反資本主義者の私たちにとって最重要なことだからだ」と結ばれています。

その後、映像を交えた生々しい彼のレポートが続き、2月3日には「チュニジアの革命は地方から始まり、今日もまだ非常に活発だ」というタイトルでチュニジア共産主義労働者党員のジャーナリストのインタビューが掲載されました。ベン=アリーはすでに逃亡していたにも関わらず「ベン=アリー体制は終わったのか?」という質問に「体制は存在し続けている。警察や国家機関の中だけではなく、マスコミやインターネットの中にも」と答えて、彼らの真の目的はベン=アリーの打倒ではなく、彼が象徴していた体制の変革であることを明らかにしています。

また、このインタビューの中で興味深いのは、ベン=アリー独裁政権が共産主義者を牽制する力として働いていたこと。スペインのフランコ政権もまた左派勢力の見張り役として機能し、だからこそ他のファシスト指導者と異なり、第二次大戦後も生き延びたということが、先月ウィキリークスが公開したキッシンジャー外電で明らかになっています。

また、独裁政権下の弾圧を乗り越えて、再び左派の力が浮上したところもスペインと似ています(残念ながらスペインの場合は、二大政党を中心にする議会制民主主義の名の下に、通りからの力が排除されてしましましたが…)から、こうした歴史上の類似点もアラブの春の「民主化」というキーワードに、スペインの人々が誰よりも敏感に反応した理由の一つでしょう。

そして、チュニジアに触発されて始まったエジプトの革命。ここに居合わせていたのが「目覚めゆく広場」の冒頭に使われた映像を含むドキュメンタリー「Erhal – Ves-te’n (Diari de la plaça Tahrir)タハリール広場日記」を監督したマルク・アルモドバルでした。

カタルーニャ出身のマルクは、エジプトで活発になっていたマルクス主義者や労働組合の動きに興味を持ってカイロに移住。それから一年程してエジプト革命が勃発するのです。カタルーニャ語独立メディアディレクタやブログを通じて、エジプト革命の情報を提供してきました。

というわけで、主要メディアが「アラブの春」を独裁政権に対する闘いと報道していた間にも、スペインには在住ジャーナリストのルートから、それも労働運動や市民運動に共感を抱く人々のフィルターを通じて入ってきていました。マルクは後にインタビューで「エジプトの人々は民主主義 、4年毎の選挙や大統領を求めて立ち上がったのではない。自由、社会正義、尊厳を求めて立ち上がった」と語っていますが、アラブの人々の目的が独裁政権打倒のさらに先にあること、資本主義、新自由主義との闘いであることが伝わっていたのです。

こうした状況を踏まえると、15M前夜の動きがとても理解しやすいものとなります。1月末に組織Democracia Real YA!(真の民主主義を今すぐに!)が生まれたこと、彼らが15Mの出発点となった2011年5月15日のデモを呼びかけたこと、そのスローガンが「今すぐに真の民主主義を!私たちは政治家や銀行家の手中にある商品ではない」という新自由主義に対する真っ向からの宣戦布告だったこと。

さて、こうして起こったスペインの広場キャンプが偶然の産物であることは前回説明した通り。そして、スペインでは成り行きで出来上がったものを、計画的・組織的に行ったのが「OWSウォール街を占拠せよ」でした。

15MとOWSの間に人的なつながりがあったことは以前にブログで紹介しました。計画段階から、スペインの広場占拠の経験者10人からなるグループがコンサルタントとして参加していたのです。そして、そのつながりを象徴する人物がバルセロナ在住のミュージシャンマヌ・チャオ。2001年に最高潮を迎えたアンチグローバリゼーション運動と呼ばれる新自由主義に対する抗議活動にも積極的に関わってきた彼は、2011年5月27日にカタルーニャ広場キャンプで演奏しました。

その数ヶ月後、マヌ・チャオはニューヨークでライブを行うのですが、それがOWS出現のちょうど10日前の9月7日。そのステージ上に15Mからの参加者が登場し「ウォール街を占拠せよ」の参加を呼びかけが行われます。

「私たちは政治家や銀行家の手中にある商品ではない。エジプト、スペイン、チュニジア、フランス、チリでの動きに続いて、9月17日にウォール街を占拠しよう」

こうして、アラブの人々が始めた新自由主義に対する闘いがスペインを経由して、ついに新自由主義の中枢ウォール街に到達するのでした。

次回(一応最終回のつもり)は、もう一つの世界を求めたアンチグローバリゼーション運動と15Mについてまとめてみたいと思います。

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