アラブの春を皮切りに世界各地で大規模な市民の抗議活動が発生した2011年は、反グローバリゼーション運動に匹敵する規模で新自由主義に対する闘いが行われた年と位置づけられています。ということで、15M運動を振り返る第3回目は、反グローバリゼーション運動と15Mの関連についてまとめてみたいと思います。(第1回第2回もご覧くだださい)

まずは、反グローバリゼーション運動を簡単に振り返っておきます。前段階としてメキシコでのサパティスタ(EZLN)の蜂起(1994年1月1日)や、フランスでの金融取引への課税、いわゆるトービン税の創設を目的とする組織ATTACの誕生(1997年)などがありまずが、この動きが初めてメディアに登場するのは1999年11月30日のシアトルWTO世界貿易機関閣僚会議の開催に合わせて、世界各国から新自由主義グローバリゼーションに抗議する人々が集まり抗議活動を繰り広げました。警官隊と衝突する映像が世界中に配信され、シアトル暴動として知られることになります。ちなみに当時はクリントン政権でした。

これによって、市民運動間の連帯と組織化の必要性が浮き彫りになったことが、新自由主義陣営のサミット世界経済フォーラム(ダボス会議)に対抗し、世界中の市民運動が一同に介する場として世界社会フォーラム(WSF)の創設につながります。第一回目の開催は2001年1月ブラジルのポルトアレグレ。ここで、新自由主義グローバリゼーションとの闘いがもう一つの世界を目指す(アルテルムンディアリズモ)運動として再編成されました。

それ以降、IMF(国際通貨基金)世界銀行G8サミットなど新自由主義を推進する勢力の会合があるたびに大規模な抗議活動が繰り返され、2001年7月末イタリアのジェノバで開催されたG8サミットに反対するジェノバ社会フォーラムには15万人が参加するまでに拡大します。

ところが、ベルルスコーニ政権が抗議活動に対する弾圧を開始し、デモ隊との衝突で若者が1人死亡する事態に。また、90人ほどの参加者が宿泊していた社会フォーラムの報道本部ディアス校を警官隊が急襲して、60人以上の負傷者を出したことも大きな衝撃を与えました。このディアス校の事件を扱った映画『Díaz, no limpies esta sangre(ディアス、この血を拭き取るな)』が制作され現在スペインで公開中です。

このジェノバに先駆けて大規模な抗議活動が起こっていたのがバルセロナでした。2001年6月末のIMF・世銀年次総会の開催予定地となっていたために、開催に反対する運動が過熱。結局、安全が確保できないという理由からバルセロナでの開催を中止して、電話会議に切り替えるという決断が下されます。つまり、人々の抗議活動によって新自由主義陣営が折れたということで、当時のバルセロナは「もう一つの世界は可能だ」という希望が溢れていました。

その後も新自由主義型グローバリゼーションに対する抗議活動が継続し、年次総会開催期間中の6月24日に行われたデモには3万人が参加しますが、ここで警察が介入。ちなみに当時はまだ州警察がなかったので、デモ弾圧に乗り出したのは国家警察でした。

それから、月日が流れて10年目のタイミングで15M運動が生まれ、再び警察がこのカタルーニャ広場で強制排除を行う…。なんとも不思議な偶然ですが、カタルーニャではDemocracia Real Ya!がデモの呼びかけに、早い段階から支持を表明したのが、こうした反グローバリゼーションを闘った人々でした。例えば、5月15日のデモでマニフェストを読んだアルカディ・オリベレスはこの運動を牽引した知識人の1人です。

実は、カタルーニャでの反グローバリゼーションの動きは、1990年代半ばから活発化した対外債務の問題に取り組む市民運動が、世界的な反グローバリゼーション運動の波に合流する形で拡大していき、その中心にいたXCADE(対外債務取り消しのための市民網)が2001年春の反世銀運動を組織していました。言ってみれば、土着の市民運動のバリエーションであったため、外との連帯がなくなっても完全に消滅することはなく、形を変えながら続いていたわけです。

その一つが、XCADEのメンバーだったエステル・ビバスがスポークスマンを務めるRevolta Global-Esquerra Anticapitalista(世界的反乱―反資本主義左派)です。反グローバリゼーション運動が最高潮を迎えた2001年に政党として登録され、2009年の欧州議会選挙ノーム・チョムスキーケン・ローチスラヴォイ・ジジェクといった知識人の支援を得て候補者を擁立します。食糧主権問題を中心に活動するビバスが候補者リストのトップでした

その後も選挙には候補者を立て、2011年11月の総選挙ではカタルーニャで約1万3000票を獲得したものの議席獲得にはつながらず、前回のカタルーニャ州議会選挙では独自候補擁立を断念してCUPを支持を表明しています。政治政党としての活動する一方で、様々な社会運動と連帯し、反資本主義を掲げた夏大学や講演、勉強会の開催を積極的に行うこのRevolta Global-EAも5月15日のデモから15Mに賛同し、ビバスも15Mを支持する記事を様々な媒体に執筆してきました。

さらには、『目覚めゆく広場』の監督の一人ジョルディも元XCADEのメンバー。マスコミのネガティブキャンペーンによって反グローバリゼーション運動が暴力的なイメージを植えつけられていくのを見て、運動の内側から情報を発信する必要性を痛感したのが、カメラを手にするきっかけだったと言います。15M運動を内側から記録する『目覚めゆく広場』は、彼の反グローバリゼーション運動の経験から生まれたものでもあったのです。

考えてみれば、15M運動の特徴である市民が自主的に組織する中心のない運動というものは、反グローバリゼーション運動が目指した運動の形そのもの。たった一回のデモの呼びかけが、民主化後最大の市民運動と呼ばれるまで発展した背景には、10年前の出来事がくっきりと浮かび上がってきます。

そして、ジェノバの反G8から丸10年目となる7月20日のデモ20Jの参加者の3万人というのは反世銀デモと同じ数字なのですが、当時のデモ参加者はスペイン国内はもとより、世界中から集まった人々であった一方、20Jの参加者はそのほとんどがカタルーニャに住む人々。10年経って同じ規模のデモを自前で組織できるようになったわけで、そう考えるとカタルーニャにおいて反新自由主義の視点が着実に広まっていることを実感します。

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