1936年から1939年の間に撮影されたスペイン市民戦争の写真のネガを巡るドキュメンタリー映画『メキシカン・スーツケース<ロバート・キャパ>とスペイン内戦の真実』(トリーシャ・ジフ監督)が、現在日本で公開中のようですね。

ロバート・キャパゲルダ・タローデヴィッド・シーモアが撮影した約4500枚のネガの発見は、市民戦争の舞台となったスペインではまさに歴史的大事件でした。特にジョージ・オーウェルの『カタロニア讃歌』でよく知られているように、最後まで共和国側で闘ったカタルーニャでは発見当初から大きな関心が寄せらていました。

2008年1月27日にニューヨークタイムズと同時に、この世紀の大発見の第一報を報じたのがカタルーニャの地方紙エル・ペリオディコ・デ・カタルーニャ

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市民戦争のキャパの写真3000枚が見つかる』の見出しで、ジフとともにネガの発見に立ち会ったメキシコ人ジャーナリスト・作家のフアン・ビジョロによるレポートを中心に冒頭から5ページを割いて特集が組まれました。翌年2009年にバルセロナ市賞を受賞するビジョロの記事には、このネガの救世主となった人物と日本との関係についての記述があるのでご紹介しておきます。

「ジフはアギラル・ゴンサレス将軍の子孫を通じてこの箱に出会った。将軍はパンチョ・ビラの下で革命を闘った活力に溢れる男性で、極東とフランスで外交官だった。彼の家族は、騎手としての彼の功績(ヒロヒトの娘のために馬を調教した)は知っていたが、並外れた写真を無事に旅させていたことは知らなかった…」

ネガをメキシコに渡す架け橋となったアギラル・ゴンサレス将軍は日本にも外交官として赴任していて、そのときに昭和天皇の娘の馬の調教をしたという、なんとも興味深いエピソード。

その後2011年10月に、ネガを所有するNYのICPの協力でカタルーニャ美術館MNACが『メキシコの旅行鞄ーキャパ、シム、タローのスペイン市民戦争のネガの再発見』という写真展を開催します。バルセロナでの映画の公開もこの時期でした。

この美術館は、当時難民キャンプがあったモンジュイック・スタジアムのすぐ横にあった国立宮殿を改装したものなので、写真に写っているキャンプの様子は約70年前にまさに「そこで起こっていた出来事」なわけです。見慣れたバルセロナの風景が一気に内戦の時代にタイムスリップするというなんとも不思議な感覚に襲われました。

また、バルセロナの街並は当時とさほど変わっていないし、キャプションもあるのでどこを撮ったものなのか大体わかるんです。みな家族や友人のアルバムを見るようにコメントを交わしながら見ているのが印象的でした。バルセロナの人々にとっては、有名な写真家が撮った作品ではなくて、自分や家族の歴史の一部なんですよね。

というわけで、同時に写真に写っているモデルを探す『この子たちを知りませんか?』というキャンペーンをMNACとエル・ペリオディコ・デ・カタルーニャ紙が共同で開始。

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特設サイト『メキシカン・スーツケースの子供たち」が開設され、「バルセロナ、マドリッド、バスク地方、その他」に分けて説明書きともに掲載された写真に、自由にコメントが書き込めるようになっていました。そして、このキャンペーンによって何人かの身元がわかったのです!!

その一つが『サリアの5人の友』。82歳の女性が、キャパが撮影したパンとミルクを配給される子供たちの写真の中に、カメラに向かって微笑む自分と友人4人を発見したのです。こうして身元が判明した写真のモデルについて「メキシカン・スーツケースの物語」と題したレポートを国営放送TVEが放送しました。

最後に出てくる男性は、共和国側の軍人で市民戦争がフランコ側の勝利に終わった後にフランスに亡命。難民キャンプでひよこ豆を調理する当時21歳の彼の姿をキャパが撮影していました。現在故郷のメノルカ島で暮らす94歳のアントニは「あなたたちは無名の英雄でしたか?」という質問に対して「そうではない。若いときの7年間を軍隊で過ごし不幸に見舞われたが、それだけのこと。英雄なんかではなく、普通の人間だ」と答えています。

スペイン市民戦争における最大の悲劇は、軍によるクーデターによって、民主的な選挙で選ばれた政府と一般の人々が戦争に無理矢理引きずり込まれたこと。戦争なんかしたくないのに、共和国を支持した人々は自由を護るために武器を手に取ることを強いられました。市民戦争を語るときに共和国政府が脆弱だったという指摘がされますが、仮にそうであったとしても、民主的な選挙で選ばれた政府に対する軍事クーデターは、決して正当化できるものではないと思います。

さらに残念なことに、この「クーデターと国外からの支援による民主的に選ばれた政権の倒壊」は、チリのアジェンデ政権に対するクーデターでも繰り返され、そのときも国際社会は沈黙していました。スペイン市民戦争で生まれたこのパターンは、その後も、そして現在も、世界中で何度となく繰り返されています。

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映画『メキシカン・スーツケース』を見ると、スペイン市民戦争、特に敗者となった共和国側にについてあまりにも知らないことが多い、ということがよくわかります。その原因はもちろん、過去の掘り返しがタブーとされてきたスペイン国内の事情にもあります。しかし、キャパ、タロー、シーモアたちのように、ファシズムによって祖国を追われた人々がスペインに集結して、ドイツとイタリアから支援を受ける反乱軍と闘った闘いは、実際のところ「内戦」でも、スペインの人々だけの戦争でもありませんでした。そのことを良く表していたのが、写真展の出口に掲示されていたフランスの作家アルベルト・カミュの市民戦争に関する文章。

理のある者が打ち負かされることもあること、力によって精神を崩壊できること、時には勇気が報われないことがあることを私たちの世代が学んだのは、スペインにおいてだった。これがこれほどたくさんの人々が、世界中が、スペインのドラマをあたかも自分の悲劇のように感じる理由であることに、疑いはない。(アルベール・カミュ『スペイン』1946年)

言ってみれば、欧州、さらには世界中から駆けつけた人々がファシズムから自由を守るために闘ったにもかかわらず、ソ連、メキシコを除いて共和国側に手を差し伸べる国はなく、スペインの共和国政府は見捨てられる形にとなったわけです。つまり、ドイツやイタリアのみならず、ファシズムに反対という立場を取りながらも、共和国側からの支援要請を断った英仏といった欧州の大国にとっても、思い出したくない過去なんですね。そうした事情から、スペインの市民戦争は国際社会のタブーとなってきた一面もあるのです。

現在世界中で再びファシズムが問題になっているので、ファシズムに対する闘いであったスペイン市民戦争を振り返るを振り返る作業も行っていきたいと思い、「スペイン市民戦争」というカテゴリーを追加しました。今後はこのブログで現在の動きと平行して、共和主義者についても扱っていきます。次回のこのカテゴリーの記事は、映画の最後で触れられている「歴史の記憶法」と消えた新聞について。

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