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私がカタルーニャ独立主義左派とクルドの関係に気がついたのは、2013年にパリでクルド人活動家3人の暗殺が起こったときでした。独立主義左派に近いオルターメディアでこの悲劇が大きく取り上げられて、この流れを汲む政党CUPの州議会議員Quim Arrufat キム・アルファトが友人としてパリでの葬儀に参加したからです。

カタルーニャ独立主義左派というのは、19世紀末のキューバの独立に刺激を受けて活発化したカタルーニャも独立すべきという思想が、当時カタルーニャで大きな影響力を持っていたアナキズムと出会って生まれたイデオロギーで、民族的解放(スペインの支配からのカタルーニャ人の解放)と社会的解放(労働階級の解放)を同時に実現するために完全な主権を獲得しようというものです。さらに、フランコ独裁政権の成立によってカタルーニャの独立が挫折した後に、キューバでフィデル・カストロが率いた革命がこの二つの解放を目指すものであったということも、非常に興味深いところだと思います。

独立主義というのは「固有性を持つある共同体は完全な主権を持つべき」というイデオロギーなので、その目的はあくまでも完全な主権の実現、つまり自分が関わるあらゆる問題に対して自己決定権を持つことです。そのため、CUPに代表される独立主義者の一部は、独立したカタルーニャは加盟国の主権を制限するEUへ加盟するべきではないと考えています。実際のところ、彼らにとって国家というのは「完全な主権の実現」の形態の一つに過ぎず、国家という概念自体にそれほどのこだわりはないよう。

このように、Independentistes Catalans カタルーニャ独立主義者は「カタルーニャという共同体は完全な主権を持つべきだ」と考えているので、彼らにとって自治拡大という選択肢は存在しません。この点で、自治拡大の選択肢の一つとして独立を考える独立支持者とは根本的に違うのですが、独立運動をコントロールするために独立支持に転向したカタルーニャ民族主義政党CiUのマスが州大統領であることもあって、現在のカタルーニャ問題では独立主義者という言葉が独立支持者を含めて用いられています。独立主義については2012年9月に書いたこちらの記事も参考にしてください。

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現在のカタルーニャ州議会の構成。左からCiU、ERC、PSCカタルーニャ社会党、PPCカタルーニャ国民党、ICV-EUiA(緑と共産党系の連合)、C’s(独立反対の新勢力)、CUP

独立を巡る市民投票を要求する勢力(CiU、ERC、ICV-EUiA、CUP)のことを日本のメディアの一部は独立派と呼んでいますが、こうした背景からこちらではSobiranistes主権派と呼ばれています。その中で独立主義政党と分類されるのが、現在第二党のERCカタルーニャ共和主義左派独立主義左派のCUP。この二つの政党の大きな違いの一つが目指す経済政策で、ERCがいわゆる社会民主主義の中道左派なのに対して、CUPは反資本主義を掲げています。このCUPのように独立主義+反資本主義を主張している人たちは、独立主義の中でもさらに左ということで独立主義左派と呼ばれているというわけ。CUPについてはこちらの記事も参照ください。

この独立主義というイデオロギーが、いわゆる民族主義的なナショナリズムと大きく異なるのは、基本的に出自が関係ないということ。民族主義者が主に出自をアイデンティティの基礎にしている一方で、独立主義者は「カタルーニャは完全な主権を実現するべきである」という主張を共有してさえいればそれでいいので、その中にはルーツがカタルーニャにない人たちもたくさんいます。例えば、強硬な独立主義者と知られるCUPの州議会議員David Fernàndez ダビ・フェルナンデスはカスティーリャ・イ・レオン州サモーラからの国内移民の二世。

また、フランコ独裁政権のように、スペイン人というアイデンティティしか認めない民族主義ナショナリズムからの弾圧に苦しんできた歴史から、独立主義者は自文化の優位性を主張する排他的なナショナリズムに批判的というのも大きな特徴の一つ。中でも独立主義左派と自認する人々は、あらゆる文化を平等に尊重するという姿勢を取り、同じような状況にある他の民族との連帯を主張します。これは他の民族に関しても同じで、前回の州議会議員選挙のCUPの応援演説にはバスク、ガリシア、アンダルシアの独立主義左派が勢揃いしていましたし、CUPはスコットランドの独立投票のときも現地まで応援に駆けつけました。

そして、この連帯感が根底にあるのがPaïsos Catalans カタルーニャ諸国という概念。

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同じ文化圏とみなされるカタルーニャ、バレアレス諸島、バレンシア、フランスの北カタルーニャなどの共同体がそれぞれ完全な主権を実現して、カタルーニャ諸国として一つにまとまろうという考え方です。そのため、CUPは他の共同体を置き去りにして自分たちだけ独立するのは仲間に対する裏切りだとして、カタルーニャ諸国全体の独立を主張しています。

この分断されている文化圏という状況はクルディスタン(クルド人居住区)も同じなわけで、この点もカタルーニャ独立主義左派がクルド人を支援する大きな動機になっているようです。

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先日この独立主義左派が後押ししていたコバネ支援イベントに行ってきたので、そこで聞いたクルド人女性部隊YPJなどの報告を元に、クルド人の歴史をまとめておきます。

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  1. およそ4000万人(スペインの人口は約4700万人)いたクルド人は、第一次世界大戦後に英仏の手で主にイラク、シリア、トルコ、イランに分割されて、統治されることになった。
  2. イラクで戦争が起こるごとにイラク内のクルド人の動きが活発化。また、クルド自治区の存在がシリアやトルコのクルド人にも刺激となって、シリアでは2003年にPYDが設立される。アラブの春がシリアに及ぶと混乱の中で、2011年6月にシリア軍がクルド人居住区から撤退する。
  3. シリア政府から放り出されたシリアのクルド人は社会変革を伴う自治を開始。女性が大きな役割を果たしていること、16人ほどの小さな住民グループが基本の下からの改革であること、根本的な社会変革が実現したことから、サパティスタ、あるいはラテンアメリカの変革に匹敵する大きな変化に。
  4. 「私たちの革命を護る」と表現されるように、シリアのクルド人は変革によって実現された新しい社会をイスラム国という脅威から護るために闘っている。トルコ政府は難民キャンプでもアラブ系の難民を優遇しているために、送られたはずの支援物資がクルド人に届かないというようなことも起こっている。

と、内戦の混乱の中で革命が始まる状況は、スペイン市民戦争中にカタルーニャで起こったアナキスト革命を彷彿させます。現在、コバネの防衛がこれほどの重要性を持っているのは、国境が引かれたときにトルコ側とシリア側に分断された家族がたくさんいて、この引き裂かれた家族が交流する場としての役割をコバネが果たしてきた、という背景があるそうです。

また、カタルーニャ独立主義左派は、クルドの人々を支援するために2013年9月に L’ASSOCIACIÓ KURDISCAT クルド・カタルーニャ協会という組織を創設しています。カタルーニャの地方紙『エル・プント・アヴイ』にそのスポークスマン、ジョルディ・バスケスのインタビューが掲載されました。一般紙ということもあって、シリアのクルド人の状況やコバネについて簡潔にわかりやすく説明されているので、最後に紹介してしておきます。

イスラム国がコバネを攻撃するのはプライドの問題でもある

−なぜこの協会が誕生したのですか?

目的は、カタルーニャ語でクルディスタンで起っていることを知らせることです。私たちはカタルーニャ独立主義者で、国際主義なき民族主義はエゴイズムだと考えています。カタルーニャ人としての独立を望むのであれば、私たちはまた同じような状況にある他の民族を支援しなければなりません。クルディスタンとの類似性はとても強いのですが、カタルーニャで話題になることがない民族です。

−そして、シリア戦争が起ります。

私たちはシリア戦争に直面しています。私たちはトルコとの和平プロセスが破綻しつつあると報じました。私たちにとってはクルディスタン、そしてクルド民族主義という包括的な概念がテーマなのです。シリアにおいては、他のクルディスタンとは大きく異なる社会政策が採用されました。他の地域の社会政策は社会的な問題と関わるものではありません。

−それはどんなものですか? 戦時下で行われたのですか?

アブドゥッラー・オジャラン(1999年以降イムラル島で服役中のクルド人指導者)の思想が採用されました。それは、マルクス・レーニン・毛沢東主義から—それで、クルド運動にはこの党派と強い連帯があります―民主的な国家連合へと発展したもので、米国のエコロジー・アナキズムの創始者マレイ=ブクチンの思想の応用でもあります。オジャランの思想とは、クルド人が地方自治主義に基づいた自治を行い、民衆会議で意思決定を行う共同体である4つの国家に暮らすということです。2012年に、戦争という状況がきかけで、シリアで用いられ始めました。もう一つは、女性の役割という側面です。

—今の女性部隊のケースのように?

女性部隊はYPJに参加する女性たちで、男性兵士と個人的な関係を持つことはできません。主義主張に身を捧げなければならないからです。その大部分がトルコ人(約60%)です。1986年に、PKK(トルコのクルディスタン労働者党)で最初のクルド人女性部隊が創設されました。この軍隊には必ず男女二人の司令官がいます。このモデルがシリアに移ったのです。これにたくさんのトルコの若い女性が参加したのは、児童婚から逃げ出す役に立つからでもあります。彼女たちはゲリラに参加することで、完全に自立した生活を手にするのです。

―シリアのクルド人の暮らしはどうですか?

1963年に彼らは民族性、市民権、結婚の可能性、土地といった全ての権利を奪われました。2000年バッシャール・アル=アサドの父、ハーフィズは、すでに禁止されていたクルド語の使用を完全に禁止しました。

―なぜ、イスラム国はコバネを攻撃するのですか?

イスラム国は石油を売るためにトルコ国境へのアクセスを欲しがっています。7月モスールを制圧した後に、コバネを攻撃しました。その攻撃が行われたのは戦略的な問題からではなく、プライドの問題、とりわけ、政治モデルの問題だと私は考えています。イスラム国はカリフを有するピラミッド型のシステムです。社会的平等はありません。コバネの包囲が始まったのは10月5日でしたが、何の役にも立ちませんでした。クルド軍が市内に配置したからです。市は完全に破壊されています。コバネにおいてイスラム国側は恐ろしいほどの数の死者を出しています。クルド軍の方がはるかに訓練されていて、土地を知り尽くしているからです。

―トルコの役割は何ですか?

トルコはイスラム国の同盟国であり、裏と表の二つの役割を演じています。西欧人として、私たちはこの罠にはまってはなりません。トルコにはNATO第二位の軍事力があります。コバネにとっての問題は、国境を封鎖してイスラム国を支援するトルコなのです。証拠はたくさんあり、ジハーディスト(イスラム過激派)がトルコ航空でシリアに到着する写真もあります。

―あなたたちの活動に対する反応はどうですか?

イベントに来てくれる人の多くはこの問題をすでに知っている人たちですが、こんな話を耳にするのは初めてだと言う人もいます。クルディスタンについて話すのは簡単ではありません。パレスチナのようには、人を惹き付けるものがないのでしょう。500万もの人々が被害を被っているというのに。カタルーニャからの動きはあまりありません。私たちは毎日スコットランドの話をしている! 今の私たちは(クルドについて)知らなければならないという段階にいます。

*イスラム国についてはこちらの記事も参照ください。

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