バスク問題の平和的かつ民主的な解決を目指す国際的なキャンペーンFREE OTEGI THEM ALLが始まりました。

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3月24日、ミュージシャンのフェルミン・ムグルサがアルナルド・オテギの釈放とバスク人政治囚の帰還を求める共同宣言を欧州議会に提出しました。

署名人にはホセ・ペペ・ムヒカ(元ウルグアイ大統領。ツパマロス民族解放運動でのゲリラ活動で13年間服役)、フェルナンド・ルゴ(クーデターで失脚した元パラグアイ大統領)、ホセ・マヌエル・セラヤ(クーデターで失脚した元ホンジュラス大統領)、ノーベル平和賞ペレス・エスキベルやデズモンド・ツツ、米国のアンジェラ・デービス、スラボイ・ジジェク、タリク・アリなど24人が名を連ねています。

スペインは歴史的背景からカタルーニャ、バスク、ガリシアが「諸民族」として認められている多民族国家ですが、こうした国内の民族主義が独立の動きと結びついたのは19世紀末。宗主国スペインから独立を勝ち取る海の彼方の植民地からの影響を受けて、内側からの植民地解放運動として発展していきました。

その後、フランコ独裁政権のもとで、各地の独立主義勢力は反体制運動として再浮上することになります。異なるイデオロギーを力で弾圧して、20万人余りの行方不明者を出したファシズム政権に対して、力で抵抗することを目指して生まれた武装組織の中で、最後まで残っているのがETA(バスク祖国と自由)です。彼らは、スペインとフランスにまたがるバスクの分離独立を目指して、武力闘争を行ってきました。

バスク問題の背景は非常に複雑なのですが、現在の状況を理解するためには次の点がポイントとなります。

  • ETAの存在が、バスク独立主義左派と呼ばれる特定のイデオロギーを持つ人々に対する弾圧の口実として利用されてきたこと。一つのイデオロギーである独立主義は思想の自由のとして保証されているため、どんなに国家に都合が悪いとしてもイデオロギーを理由に独立主義を非合法化することはできません。だから、憲法が実質的に独立を不可能にしているスペインにも独立主義政党が存在するわけで、そのジレンマを解消する方法の一つがテロとして弾圧することなのです。オテギが象徴するバスク政治囚の問題が国内外から支援を受けているのは、国家による思想弾圧と考えられているからです。
  • 特に、PP国民党アスナール政権はブッシュ政権と足並みを揃えて自国内のテロ組織ETAとの闘いを強化させ、2003年米国のイラク戦争開戦とほぼ同時にスペイン最高裁がETAの政治部門であるとみなしてBATASUNA バタスナの非合法化を決定したといういきさつを考えると、オテギとバタスナのケースは、2001年の同時多発テロを受けて米国のブッシュ政権が始めた「テロとの闘い」をアスナール政権がバスク独立主義者の弾圧に利用した可能性が強いのです。

そして、歴史的背景として重要なのが、1980年代にPSOE社会労働党ゴンサレス政権下がETA撲滅のために反テロ武装組織GAL(対テロリスト解放グループ)を利用したこと。極右勢力と密接に結びついたこの組織は、フランスの社会党ミッテラン政権の協力のもとで、国境の両側で誘拐、拷問といった非合法な手口を用いた活動を行って23人を殺害しました。宣言の中の「すべての犠牲者の痛みを考慮した和解」というのは、ETAのテロの被害者だけでなく、GALなど「国家のテロとの闘い」による被害者にも考慮したという意味です。

死者829人、負傷者2596人、テロ行動3391件とスペイン社会に大きな傷跡を残したETAのテロによる被害が報道される一方で、「国家のテロとの闘い」の被害について言及されることはほとんどありません。カタルーニャの独立系報道機関Directaの記事によるとバスク紛争を理由に3万人以上が逮捕され、1万6000人が刑務所に送られ、7000人が拷問を受けました。死者470人のうち13人が拷問が直接の原因で死亡し、16人が獄中死、122人が国家治安当局に殺害され、75人が警察とつながった極右組織の手で殺害。さらに、666人が警察の暴行で負傷し、14人の女性がレイプされ、255人が極右組織に暴行され、58人が誘拐されました。

つまり、ETAと国家の間で繰り広げられたバスク闘争で最も苦しんだのは、他でもないバスクに暮らす人々なのです。 そして、 バスクの和平を誰よりも望んでいるのもバスクの人々で、バスク問題の平和的な解決を目指して動いてきた彼らの努力が大きく前進したのが、2011年10月17日にサン・セバスティアンで開催されたアイエテ国際会議でした。

この会議に先行してネルソン・マンデラ財団や元アイルランド大統領マリー・ロビンソンといった南アとアイルランドを中心とする国際的リーダー21人がバスク紛争の解決と和平プロセスの実現を求めて署名したブリュッセル宣言2010年3月29日に発表されたのですが、この宣言の立役者の一人がアパルトヘイト廃止後の南アで和解プロセスに深く関わった弁護士ブライアン・クリン。この会議は彼とバスクの和平を目指して活動してきた市民団体Lokarri ロカリが組織したもので、最後にはETAに対して武装活動の最終的な停止と対話プロセスの開始が呼びかけられました。

この呼びかけに立ち会ったのは、元国連事務総長コフィ・アナン、北アイルランドの和平プロセスに関わったブレアの側近ジョナサン・パウエル(トニー・ブレア本人が出席の予定がPP国民党の元首相アスナールからの圧力でパウエルが代理出席)、シン・フェイン党代表ジェリー・アダムズ、元アイルランド共和国首相バーティ・アハーン、元ノルウェー首相グロ・ハーレム・ブルントラント、元フランス内相ピエール・ジョクスという面々で、ETAが呼びかけに応じた場合にはこれを歓迎して、紛争の結末についてのみ扱う話し合いの開始を受け入れることをスペインとフランスの両政府に求めました。

これを受けたETAは三日後の10月20日に、バスクの報道メディアGARAを通じて「武装活動全般を永久停止すること」と「対話と交渉による民主的な解決を目指すことを宣言する声明文を発表。その後2014年2月21日、ついにETAは南アやアイルランドの関係者で構成された国際検査委員会に対して武器を一部引き渡して武装解除を開始したと報じられたのですが、この委員会の正当性をスペイン、フランス両政府が認めなかったこともあり、和平プロセスが実質的にストップ。

さらには、パリのシャルリー・エブド襲撃事件から始まった欧州の「テロとの闘い」のもとで、PP国民党ラホイ政権がバスク独立主義左派への弾圧を強めていて、バタスナ非合法化後に生まれた政党SORTU ソルトゥの非合法化を行うのではないかという懸念も浮上しています。例えば、パリのデモの直後1月12日に武装組織参加などの容疑をかけられた35人のバスク人の15人の公判が予定されていたのですが、脱税容疑で被告側弁護士ら16人が逮捕されて、独立主義左派連合BILDU ビルドゥの議員も容疑者の一人に。

そしてなんと、脱税の証拠として押収されたが二日前にビルバオで行われた政治囚支援デモで集まった寄付金でした。スペイン・フランス各地に分散して収容されている政治囚と面会するために、その家族や友人には大きな経済負担がかかっているため、それを少しでも軽減しようと寄付が集められます。この寄付金もバス300台も出てビルバオに8万人が集まった沈黙のデモ参加者から集めたものでした。土曜日に集めた寄付金の脱税問題で週明けの月曜日に逮捕なんてことありえないわけで、すぐに釈放となりましたが、嫌がらせが目的であることは明らかでした。

この膠着状況を打ち破るために、特にスペイン政府に対して対話の開始するようにプレッシャーをかけるのがこの共同宣言の目的の一つでした。以下がその全訳です。

アルナルド・オテギに自由を、バスクの囚人を家に

すでに5年前にバスク独立主義運動はかつて前例がないほどに深い議論を始めて、Euskal-Herria バスク・カントリーの自己決定の要求において暴力を放棄して、断固として平和的かつ民主的な道にのみに賭ける、そして、言葉と対話によって数十年前から地域を荒廃させてきた長期に渡る暴力紛争を完全に集結させるという明確な意向を持つという結論に達した。

2011年10月、ETAはアイエテ国際会議(サン・セバスティアン)からの50年を越える武装活動の最終的な停止と対話プロセスの開始を求める呼びかけに前向きに応えた。

ノーベル平和賞デズモンド・ツツは、当時はBATASUNA バタスナのスポークスマンで現在はSORTU ソルトゥ総書記であるアルナルド・オテギを「この和平プロセスのリーダー」として指し示した。実際に、オテギは独立主義勢力において紛争を完全に解決するために言葉に賭ける必要性をめぐる議論を進めた人々の中で最も重要なリーダーであった。平和的かつ民主的な道のみを選ぶという彼の賭けへの回答は、2009年10月の彼の逮捕と、その後のスペイン政府が先立って非合法化した政治組織バタスナに属していたことによる6年半を越える懲役の判決だった。

あいにく、武装解除と対話、そして、すべての犠牲者の痛みを考慮した和解のプロセスを受け入れる用意があることを示したETAの武装活動の終結に対して、まだスペイン国家からはいかなる前向きな回答も得られていない。

この件を欧州人権裁判所に控訴したアルナルド・オテギは、家族や友人から引き離されてスペインの刑務所にいる。また、この紛争に関わった500人あまりのバスク囚人もこのような状況にいるのだ。バスク・カントリーから遠く離れた刑務所にバラバラに収容された彼らは、しばしば孤立している。さらにこの現実が、彼らを訪問するために長距離の移動を余儀なくされる家族にとって、さらなる苦しみを引き起こしている。

こうした状況を前に私たちは、リスクを冒して平和と民主主義に賭けた人物、誰もそんなことは行わないだろうと思われていたときに言葉に賭けた人物の即時釈放を要求する。彼の釈放、そして速やかなバスク囚人の釈放への一歩としての離散政策の終結は、地域における公正かつ恒久的な和平に到達するために必要不可欠なステップである。

人類のために。正義のために。なぜなら、私たちは勝者も敗者もない解決策があると信じている。私たちは和平に賭けている。だからこそ、私たちはアルナルド・オテギの釈放と囚人のバスク・カントリーへの移送を要求する。

(詳細は公式サイト(英語)を参照ください)

バスク問題が国際的な注目を集めているのは、これが欧州最後の武力紛争であると同時に、政治囚に対する扱いが国家による深刻な人権侵害のケースでもあるからです。バスク政治囚の処遇をめぐって、国連やアムネスティ、さらにはEUからも人権問題として何度も勧告を受けているにもかかわらず、スペイン政府は一向に改善する気配がありません。とりわけ問題とされているのは、離散政策と囚人が適切な医療を受けられないことです。

医療を受ける権利については誰の目にも明らかなので、離散政策について少し説明しておきます。この政策によって、現在463人(バスク6人、スペイン国内351人、フランス97人、英国、ポルトガル、ドイツに各1人)が76の刑務所(バスク3ケ所、スペイン国内44ケ所、フランス28ケ所、英国、ポルトガル、ドイツに各1ケ所)にバラバラに収容されており、395人はバスクから500キロ以上離れたところにいるのですが、実はこの状況は「囚人は可能な限り家族や社会復帰の場所に近い場所に配置されるべき」とする欧州刑務所法に明らかに違反しているのです。

つまり、ETAがバスク独立主義左派というイデオロギーの弾圧の口実に用いられたこと、ETAとのつながりを理由に有罪となった囚人の処遇に人権上の問題があることから、バスクの人々は政治囚の支援活動を継続しているのですが、これに対してバスク人はテロリストを擁護しているという全く見当違いな批判する保守メディアは本当にたちが悪い。

実は、バスクやカタルーニャの民族問題さらに複雑にしているのが、マジョリティ側である政府の主張に沿った記事しか発信しない中央のメディアの姿勢。政治的主張が原因の対立構造は一方の主張だけ聞いていても全体像がつかめないので、誤解ばかりが広がっていく。バスクの場合も国家とマイノリティグループという力関係が不均衡な二者の間の対立関係なので、主要メディアに流れる情報が明らかに偏っています。

ということで、今回はバスク独立主義左派寄りの立場からバスク問題についてかいつまんだ説明を加えてみました。今回の国際キャンペーンには、バスクの人たちの和平への思いがつまっています。このイニシアティブが実を結んで、一日も早くバスク問題が完全に解決しますように。

フェルミン・ムグルサ、バッド・サウンド・システム、ルーデらIRUN LION ZION konexioaよる『Arnaldo Otegi free(英字幕付)』。ダブにバスクの伝統楽器チャラパルタの響きがぴったりはまってる。

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