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今年の7月でスペイン市民戦争(1936〜1939年)の開始から丸80年となる。冷酷な20世紀において最も冷酷な紛争の一つだった。その紛争は情け容赦のない独裁によって、さらに40年という途方もなく長い期間に渡って引き延ばされた。そして、集団的記憶を真っ赤に燃えたぎるものとしてしまったのだ。今日においてもまだ何万というスペイン人が、共和国派であるというだけで裁判なしに銃殺され、国内のあちこちの道端に埋められている家族の遺体を掘り起こすことを禁じられている。最近の公のスペースの「脱フランコ化(訳注:フランコ体制に協力した人びとの名前を持つ通りや広場の名称を変更するという動き)」を巡る議論の激高ぶりが示したように、1978年の民主制の回復でさえも、人びとの気持ちを鎮めることはなかった…。

歴史記憶法(2007年)は、フランコ体制の犯罪がスペイン社会全体及び人道に対して犯されたと認めなかったために、戦争の深い傷跡を癒すことができなかった。そして、今日も血を流し続けている…。数年前にスペイン司法が、スペイン市民戦争中に起こった10万を越える共和国派の人びと(その遺体はまともな埋葬を受ける権利もなしに、名もない墓地に横たわっている)の失踪と、フランコ独裁体制下(1939〜1975年)において勝者側の家族に引き渡すため、刑務所の中で母親の手から奪われた3万人を越える子どもの運命に関する調査を2008年10月に開始したことで、判事バルタサル・ガルソンに制裁を加えたことを思い出しておこう。

恩赦法によって1977年にスペインが採った行政上の決定(当時最も重要な目的は刑務所にいた何百人という左派の人びとを釈放することだった)は、裁かないことと、いかなる種類の記憶に関する政策にも正面から向き合わないことにあった。

開戦から80年が経過し、生物学的な理由から主な責任者が姿を消した時点において、裁くことは、忌まわしい犯罪の被告を肉体的に法廷に連れ出すことではないのは明白だろう(ドイツは数週間前、何万ものハンガリー系ユダヤ人が死んでいったときにアウシュビッツ強制収容所で働いていたとして、殺人の共犯容疑で94歳の元SS(ナチス親衛隊)軍曹ラインホルト・ハニングを法廷に連れ出すことを躊躇しなかったが)。

しかし、これは単に法的な問題ではない。問題となっているのは、犠牲者の倫理上の補償を要求する権利であり、記憶に対する集団的な権利であり、明らかにされた残虐行為を根拠としてフランコ体制は嫌悪すべきものであったという見解を公式に確立することができるという権利なのだ。そして、それが無処罰であるのは耐えがたいということだ。 例えば「市民戦争に捧げる博物館」や学校の歴史の教科書、厳粛に集団的な敬意を表する日などで、これ(フランコ体制の罪)について明確に語ったり、公に認めたり、教えたりできることである。こうしたことは、ナチスの犠牲者との連帯行動として欧州全土で行われている。

スペインの恩赦法はフランコ体制の「悪の凡俗」の上に、一種の公式の記憶喪失、人がその記憶から不愉快な出来事を消し去るのと同じメカニズムを通じた(この場合は集団的な)「無意識の盲目状態」の強制に導いた。この状況は続く。不条理の爆発へと一気に戻る日が訪れるまでは。

スペインでは、記憶する義務の名の下に世界中で何度も行われてきたように、真実委員会が組織されたことは一度もない。

哲学者レイェス・マテは言う。「記憶する義務はアウシュビッツから生まれた。あれは忘却のプロジェクトとして考案されたものだからだ。ユダヤ人の人類の歴史への貢献が忘れ去られるには、ユダヤ人の遺体を一体たりとも残すべきではなかった。そのプロジェクトが実行されたからこそ、私たちは「人道に対する罪」を語る。しかし、(このプロジェクトは)ヒトラーが打ち負かされたことで消滅したわけではない。そのことによって私たちはあの大量殺戮を記憶することを義務づけられている。アウシュビッツの記憶に敬意を表することとは、記憶する義務の重要性を理解することである」。

映画『ショア(Shoah)』は、生存者の一人が地面を指して「あそこだった」と言う地点までうなだれて歩いてゆくシークエンスから始まる。ポーランドの奥深くにある森の沈黙に囲まれて、芝がほんの少しあるだけで、そこには何もない。しかし、あそこにあったのだ…。ガス室が。犠牲者の眼差しがその場所の現実に忘れ去られた存在を取り戻させる。犠牲者の眼差しによって、それなしでは到達できない現実の一部を知覚することが可能となる。

それが示しているのは、人類学者たちが理解しているように、記憶は知識でもあること、単なる感情ではないということだ。

それだからこそ、すでに30ヶ国以上で真実委員会が設置された。これらの一時的な公式の組織は、犯罪に関する真実の明らかにすることへの貢献を目的として、人権に対する組織的な侵害の全体像を調査する役割を負う。ほとんどの場合、そうした委員会は報告書を発表し、その中で結論と勧告を明らかにする。

こうした委員会のモデルは、南アフリカでアパルトヘイトが終結してまもなく正義の追求を目指した真実和解委員会(1995年)である。その目的は、国家の一体性の促進、暴力の原因の特定、補償手段の確立であった。今日「移行期正義(Transitional justice)」と呼ぶものの先駆けだ。

深刻な人権侵害の犠牲者と認められた証人は、自らの体験に関する証言を依頼された。こうした犠牲者の多くは公判で証言を行った。 加害者あるいは暴力犯罪の実行者もまた証言を行い、ときには恩赦を求めることができた。この委員会を率いた大司教デズモンド・ツツは「赦しなしに未来はない。しかし、告白なしの赦しは存在しえない」を委員会のスローガンにした。他に例をみない和解と真実究明のプロセスによって、南アフリカの民主化は困難が緩和された。

こうしたプロセスは今日、例えば、ベネズエラのような他の国々おいても必要とされている。 ベネズエラでは、2014年に数十人の死者と何百人もの負傷者を出した都市ゲリラ(広範囲に広がった「kale borroka(訳注:バスク語で「市街戦」を意味し、バスク闘争の中で繰り返された)」の一種)を誘発した暴力的な指導者たちに有利となるように、右派の反対派が支配する国会において犠牲者の権利に反する恩赦法(クーデターで成立したコ―ノ・スール(南米)の軍事政権が行ったようなもの)が課されようとしている。あるいはメキシコ。そこでは、麻薬ゲリラがすでに20万人以上の死者を出している。

近頃コロンビアでは、大統領サントスの政府とコロンビア革命軍(FARC)が和平交渉の枠組みにおいて、この南米の国をー半世紀以上前からー引き裂いてきた紛争を解明し説明するために、真実委員会を創設することを発表した。交渉人たちは、その委員会は三つの目的を有することになると説明した。「起こったことを解明して(…)複雑な紛争について広範な説明を提供すること、犠牲者と個別的・集団的な責任の認知に貢献して促進すること、対話の環境を整えることで国内での共生を促進すること」。「私たちにとってはコロンビアの人びと、とりわけ、真実を求める何千と言う犠牲者に回答を与えることが急務である。先ほども述べたが、何度繰り返しても足りない。犠牲者たちこそが、紛争に終止符を打つためのこうした努力の存在理由なのだ」と付け加えた。

社会のアイデンティティの再構築とは、 権威主義から行われた犯罪に関して信頼に足る叙述の実現を可能にする集団的な作業である。そのような叙述は、知ろうとして過去に近づく新しい世代にとって必要不可欠なものとなる。記憶が損なわれてしまわないように、現在との関係においてだけでなく、未来に向かっても、これを実行することが必要となる。

無処罰に終止符を打ち、犯罪や大量殺戮が繰り返される可能性を振り払うためには、社会の不正に反対する闘争や、主権のため、自由のため、そして人権のための闘争の記憶を救い出すことが必要不可欠である。

また、闘士たちの理想を取り戻さなければならない。個人主義と分裂に反対して連帯のパラダイムに基づいたもうひとつの社会の構築を今日において蘇らせ、現代に適合させるためには、政治、文化、メディアなどにおいて異なる行動を提案しなければならないのだ。同様に、国家のテロ犯罪を処罰する法律の適用を押し進めることや、その実行に協力した共犯や無関心を告発することも必要である。

独裁や司法の犠牲者、現実にこうした犯罪の処罰を受けた人びとに対して行われた蹂躙行為や権力濫用を全て一つ一つ収集して、解明するのに役立つ国家的な機関の設置を当局に要求することが不可欠だ。

同様に、国家から苦渋をなめさせられて、傷つけられた犠牲者である人びとを制度上の越権行為から保護するメカニズムの恩恵がしっかり機能するように、人権についての知識を広めて普及させることも重要である。最後に、自由のため、民主主義のため、そして社会正義のための闘争の記憶を積極的な方法で支援することが決定的な要因となる。

真実なしの正義はない。復讐とは縁を切って、恨みや無駄な遺恨を積み上げることなく、記憶している義務が私たちにはある。正義を行うために記憶すること。

(翻訳・海老原弘子)

Guerras, memoria, justicia – Ignacio Ramonet

(ル・モンド・ディプロマティク・スペイン語版2016年3月号)

 

 

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