以前に「Chavsチャブズと新自由主義」で紹介した英国の若き左派論客オウェーン・ジョーンズの著作『Chavs: la demonización de la clase obrera(チャブズ―労働階級の悪魔化)』は、近年、スペインの左派に最も大きな影響を与えた著作の一つになりました。独立系の小さな出版社キャプテン・スウィングが発掘して1400ユーロ(約16万円)で出版権を獲得したこの著作は、一万部(このジャンルは通常3000部程度と言われる)を越えるベストセラーになったため、最大手プラネット社は第二作『The Establishment(エスタブリッシュメント)』の権利獲得に、手付金だけで7000ユーロ(約80万円)以上を支払ったと言われています。

スペインではこの著作にインスピレーションを受けて様々な議論が展開されましたが、カウンターカルチャーと政治が密接に結びついてきた背景もあって、新自由主義の問題において文化が果たした役割が注目される大きなきっかけになりました。このテーマに正面から取り組んだのが、同じくキャプテン・スウィングから2014年に出版されたVÍCTOR LENORE ビクトル・レノレ著『Indies, hipsters y gafapastas, crónica de una dominación cultural(インディ、ヒップスター、ガファパスタ―文化的支配の記録)』。

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HIPSTER ヒップスターという言葉は、2011年春に15M運動と呼ばれる一連の抗議行動が社会を大きく揺さぶって以降、センスの良さを表す言葉としてCOOL クールと同じような意味でスペインのメディアが盛んに用いるようになった言葉。1999年12月にシアトルで開催された世界貿易機関(WTO)に対する反対運動(主要メディアは「シアトル暴動」と名付けました)へと反グローバリゼーション運動が盛り上がる中、「政治なんてクールじゃない」というメッセージを発して若者たちを非政治化するために作られた文化的潮流という説明を聞いてなるほどと思ったものです。GAFAPASTAS ガファパスタ(プラスチック製メガネ)とともに、文化的エリート自負する人々を指す言葉として用いられています。

その世界観をとてもよく表しているのが、若者の消費行動に多大な影響力のある大手ビール会社SAN MIGUELのCMとして制作されたこのビデオ。移動の自由こそが自由という新自由主義の理念をそのまま反映したもので「国際言語である英語を操り世界を飛び回る、何ものにも縛られない自由な世界市民になろう」と呼びかけてきます。彼らの視線の先にある喜び楽しさで溢れる世界は、心に怒り哀しみを抱いて抗議のために通りに飛び出す人々が見ている世界とは全く異なる世界。ちなみに「(人々を悩ます社会問題なんて存在しない)美しい世界に住む美しい人々の一員になろう」というメッセージを最もよく表しているのは、誰もが知ってるこの歌と言われています。

ジョーンズが指摘した新自由主義と文化の関係という部分に多くの人が関心を持った大きな理由の一つは、スペインには80年代に社会労働党PSOE政権が政治化した若者を非政治化する目的で多額の補助金をつぎ込んで官製カウンタカルチャーのMOVIDA MADRILEÑA モビダ・マドリレーニャを作ったという前例があること。既存システムに異議を唱える若者たちがそれ支える政治に関心を持つのは自然の成り行きで、民主主義の下ではあからさまに弾圧できないことから、政治色を排除した対抗軸を作って関心を惹き付けるという手法が用いられます。モビダ・マドリレーニャを代表するMECANO メカノの代表曲は「週末遊びすぎちゃって、今日は起きられない」という内容の歌詞。

ということで、本題に戻ると、著者のレノレはローリングストーンなど音楽専門誌から新聞の文化欄まで、20年に渡って第一線で活動してきたベテランの音楽ジャーナリスト。この著作はインディ(あるいはオルタナティブ)と呼ばれる音楽ジャンルの批評家として自らが文化の商品化・消費財化に大きく寄与してきたことを懺悔する内容になっています。スペインのインディ系バンドの代表といえば、90年代から活動するLOS PLANETAS ロス・プラネタス。

レノレは自らの経験を交えながら、文化を大量消費する大衆向け市場への反発、あるいは権力による文化的支配への抵抗として生まれたカウンターカルチャーが、時の流れとともに市場に取り込まれて無害なサブカルチャーとなる過程を明らかにしていきます。さらには、この過程の中でスペインの音楽業界の中に欧州(とりわけ英米のアングロサクソン)の白人文化を頂点とする文化的階級が構築されたこと、サブカルチャー業界の人々は文化エリート主義の価値観を布教するメッセンジャーとなって資本主義システムを支える役割を担ってきたことを指摘しました。

また、サブカルチャーを好むセンスの良い/クールな人々は大衆文化の大量消費に批判的な一方で、文化の消費スタイルにアイデンティティの基礎を見出すために、結果として文化の商品化を加速化させてきたことにも触れます。センスの良さ/クールさを評価の基準にする文化エリート主義は嗜好(持ち物が一番わかりやすい)で人の価値が決まることから、所有(消費)するもので価値が決まる新自由主義とはとても相性がいいのです。

とりわけ、一般の人々が手軽に自分の嗜好/趣味を全世界に向けて発信できるSNSの普及も追い風となって、暮らしの消費が急速に進みました。消費したもの(買ったものや食べたもの)の写真をアップすることで、誰もがセンスの良いクールな暮らしぶりを競い合うことができるようになったからです。持ってることをアピールするために音楽や本を選ぶ、会場で撮った写真をアップするために劇場や美術館に足を運ぶなどが、文化の消費の例とされています。

そして、国際的なビッグネームが顔をそろえる巨大な野外フェスは、先ほど紹介したCMのようにビール会社が大スポンサーなこともあって、現在進行中の文化の非政治化においても最大の舞台となっています。例えば、バルセロナが誇るビッグフェスPRIMAVERA SOUND プリマベラ・サウンドは、観客もミュージシャンも大半が外国人で地元の音楽シーンとはほとんど関係ないのに、緊縮で財政が厳しい中、文化関連予算が多額に投入されていることに対して批判の声が年々高まっています。

実は、文化エリート主義は労働条件の悪化や不安定雇用の増加にも、大きな役割を果たしています。新自由主義者たちは労働者階級とブルジョワという社会階級階級闘争の存在を否定する一方で、センスの優劣に基づいて労働者階級とブルジョワに分ける文化階級を構築して、金銭的見返りを伴なわない能力主義を打ち建てたからです。社会階級に文化階級を重ねることによって人々の労働者階級への拒否感は倍増して、「私は労働者階級ではなくブルジョワ=中産階級」という意識を持つ人がさらに増えていきました。こうして、文化階級の存在は、労働者階級を不可視化する上で、極めて効果的な働きをすることになりました。

そして、かつては経済力が上がることによって労働者階級から中産階級へと階級の移動が行われましたが、現在はセンスの良い文化エリートと認められること、文化的なブルジョワとなることが階級の移動となりました。「クールな世界の一員になれば君はブルジョワで、経済力は重要ではない」というわけで、かつてブルジョワ趣味を表す言葉として用いられていたPIJO ピッホが使われないのもの、経済的には必ずしもブルジョワではないことが暗黙の了解になっているため。この搾取モデルが最も効果的に用いられているのが、莫大な利益を上げていながらスタッフを雇う代わりにボランティアを募るイベントで、失業率の高いスペインではボランティアの多用による雇用の破壊が、特に文化セクターにおいて深刻な問題になっています。

さらには、ラテンアメリカの音を取り入れたマヌ・チャオのソロ作品を、ザ・クラッシュ・フォロワーとして登場したマノ・ネグラを絶賛していた音楽誌が揃って酷評したという例を挙げて、スペインの文化産業の中に存在する人種差別や植民地主義的な意識の問題にまで切り込んでいきます。日本から見るとスペインは欧州の一部ですが、フランコ独裁時代からスペインの人々は欧州を自由と進歩と象徴と捉えてきたことから、米英(アングロサクソン)>欧州(アルプス山脈の向こう側)>自国>ラテンアメリカという順番で「優れた」あるいは「洗練された」文化として評価する傾向があります。この文化の中のヒエラルキーは、ラテンアメリカをアジアに置き換えると、そのまま日本にも当てはまるのではないでしょうか。

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