フェミニズムと資本主義⑵ – ニ・ウナ・メノス

米国から世界に広がったフェミニズム運動me tooが、スペインにさほど影響を与えていない理由のひとつが、スペイン語圏では先行して国境を越えた強力なフェミニズム運動が存在していたこと。それが、3月8日のフェミニズム・ストライキのマニフェストの中でも言及されている【Ni una menos ニ・ウナ・メノスと呼ばれる運動です。

liniersniunamenos-300x300

「Ni una menos 」は、日本語に訳すと「もう一人も殺させない」とか「もうこれ以上の犠牲者はいらない」という意味で、2015年にアルゼンチンで生まれると、ラテンアメリカ諸国に広がり、さらにスペインやイタリアにも飛び火しました。「女性に対する性暴力との闘い」という点ではme tooと同じなのですが、異なるのはNi una menos の背景にはスペイン語の【Feminicidio】という言葉があり、この言葉の一般化のプロセスと切り離して成立しないこと。

スペイン語では【Genocidio(虐殺)】に女性を意味する形容詞【Feminino】を組み合わせた言葉が【Femicidio フェミシディオ】と【Feminicidio フェミニシディオ】と二種類あって、厳密にはそれぞれの意味も異なります。国による違いもあるので、本稿ではスペイン語王立アカデミー(通称RAE)に従うことにします。それによると…

Feminicidio フェミニシディオ:  性別が(女性であるという)理由による女性の殺害

スペインのフェミニスト・ストライキのマニフェストにも出てきた「フェミニシディオ(女性虐殺)」をRAEがスペイン語の正式な語彙として辞書に掲載したのは2014年に出た第23版からと、つい最近の話。このRAEの決定に大きな影響を与えたのが、34時間に一人の女性がフェミニシディオの犠牲者になっているアルゼンチンの女性たちでした。この経緯を簡単に振り返ってみましょう。

2008年にアルゼンチンの首都ブエノスアイレスにあるCasa del encuentroというNGOが、性別が理由の暴力によって女性が殺害されるという問題を可視化しようと動き始めました。この当時は男性パートナーによる女性の殺害は「Crimen Pasional(情熱の犯罪)」と呼ばれていました。ジェンダー暴力(Violencia de género)による冷酷な殺人をあたかも情熱的な愛情が原因であるかのように扱う呼び方に問題があると考えた彼女たちは、翌年2009年にフェミニシディオの研究機関を立ち上げます。

その後、2013年から2015年にかけて10代の若い女性が恋人や元恋人に殺害される事件が相次ぎ、ジェンダー暴力による殺人が深刻な社会問題として認識されていきます。そうした中で、事件をスキャンダラスに取り上げ、被害者やその家族のプライバシーを脅かす取材を行うマスメディア。その報道姿勢に対して、ジャーナリストなどマスメディアで働く女性たちが抗議の声を上げて「フェミニシディオ」という言葉の普及に力を入れていきます。

状況が大きく動いたのが2015年、14歳の少女が恋人だった16歳の少年に殺害される事件がきっかけでした。6月3日、一人の女性ジャーナリストの発案であるスローガン「Ni una menos 」を掲げて何万という人々が路上に出ると、ネットも#NiUnaMenosで埋め尽くされ、記録的な大規模抗議活動が起こりました。ここからNi una menosという名称の元で、女性に対する暴力の撲滅を目指す動きが生まれました。

そして、ウルグアイ、ペルー、メキシコなどのラテンアメリカ諸国、さらには、同じスペイン語圏のスペインや移民の歴史でアルゼンチンと繋がりの深いイタリアにも拡大。実は、スペインで「フェミニスト・ストライキ」は2014年頃から話題に上っていた計画だったのですが、2016年にNi una menosが女性のストを成功させたことから、一気に現実味を帯びたものになりました。

また、「魔女狩り」を「フェミニシディオ/女性虐殺」や「女性に対する暴力」の一例とみなす視点が生まれたことで、2010年にスペイン語訳が出版されていた米国のフェミニスト、シルビア・フェデリチの著作『キャリバンと魔女』が改めて注目されることにもなりました。フェデリチは2015年4月にブエノスアイレスの大学で「Mujeres y Reproduccion Social en el Capitalismo Contemporaneo(現代資本主義における女性と社会的再生産)」というテーマで講演を行っています。

『キャリバンと魔女』が原書が出版された米国よりも、スペイン語圏で大きな支持を集めているのは、この著作の中でイタリア出身のフェデリチがの中で女性に対する暴力の原因として【Patriarcado 父権主義】を大きく取り上げたからでしょう。日本では伝統と結びつけられている父権主義/家父長制イデオロギーを、スペイン語圏やイタリアの社会に植え付ける装置として機能してきたのがカトリック教会でした。

父権主義的な価値観が支配的な社会では、女性に対する暴力に対して犠牲者が声を上げてもその声は押しつぶされてしまいます。父権主義的な社会であることも、me tooがスペイン語圏で広まらない理由の一つで、裁判に訴えたところで、司法が加害者である男性に甘い判断を下すため、犠牲者の救済手段として機能しないのです。

こうした社会状況すべてに「もううんざりだ!」と、立ち上がったのがNi una menosでした。「フェミニシディオ」という言葉によって、女性に対する暴力は愛情のもつれといった個人レベルの問題ではなく、現行の社会のあり方が制度的に生み出す社会問題であるということを指摘し、社会全体を変革することで女性に対する暴力をなくそうとしています。現在のスペイン語圏のフェミニズムの課題は、何よりもまず、父権主義を倒すことなのです。

チリのアナ・テジュが2015年に発表した「反父権主義」

広告

フェミニズムと資本主義⑴ – 世界を止めろ!

写真01
バルセロナのデモのスローガンは「すべてを変革するために私たちは止まる」

今年の3月8日国際女性デーに、スペインではHuelga feminista フェミニスト・ストライキが実施されました。 二大労組の発表によると、スト参加者は580万人(スペインの人口は約4700万人)に上ったとされています。この日「なぜ、スペインではストライキという経済活動をストップさせる抗議の手法が取られたのか?」というと、主要な目的の一つが現行の経済モデルである資本主義への異議申し立てだったからです。

国外のメディアでは「男女格差」「性差別」「セクハラ」「女性に対する暴力」への抗議と報道されていましたが、スペイン国内では3月8日抗議行動の核に反資本主義の主張があることは周知の事実でした。だからこそ、リベラル政党C’sシウダダーノスは「反資本主義の運動は支援できない。賃金格差を解消して男女平等を獲得する最良の方法は議会で活動すること」としてスト不参加を表明し、右派の政権党PP国民党もストに反対する姿勢を崩さなかったというわけ。

また、「ゼネスト」と呼ぶ報道もありましたが、正確にはゼネストではありません。二大労働組合UGTとCCOOがストを呼びかけたのは、職場放棄が合法的なスト権の行使とみなされるようにするという法的な問題をクリアするためでした。ただ、性別を限定したストを呼びかけることはできないので、普通のストライキを呼びかけただけで、あくまでも目的は「女性のストライキの実現」でした。

つまり、この過去に例を見ないストライキを仕掛けたのは労働組合ではなく、100を超えるフェミニスト団体から構成されるComisión 8M(3月8日委員会)だったのです。彼女たちは2017年9月の発足から、労働、家事、学業、消費という多岐にわたる活動をストップさせることで、社会における女性の存在を可視化させようと活動を続けていました。この日の出来事はスペインの社会変革に大きな影響を及ぼしているので、ちょっと長くなりますが全文を紹介しておきます。

この中に出てくる【sororidad ソロリダ】は、スペイン語でも最近辞書に掲載されるようになった新しい言葉なので、日本語はもちろん英語にも対応する言葉がないようです。「女性の間の姉妹のような連帯関係」で「平等を達成することを目的とした社会の変革を押し進めるために築かれる支援のネットワーク」のことを指します。

HaciaLaHuelgaFeminista

3月8日宣言

団結すれば私たちはより大きな力となる。毎年3月8日、私たち女性は獲得してきた権利を護るために結ばれた女性の間の同盟を祝っている。それは、世界中の数多くの女性たちの団結であり、この団結こそが、私たち全員にとっての大きな勝利を可能にし、今日私たちが手にする権利を私たちにもたらしたものだった。私たちの前には、活動家、婦人参政権運動家、労働組合員といった女性たちの長い闘いの系譜がある。第二共和政をもたらした女性たち、スペイン市民戦争で闘った女性たち、植民地主義と闘った女性たち、そして、反帝国主義の闘いに参加した女性たち。にもかかわらず、私たちには、まだ十分ではないことがわかっている。やるべきことはたくさん残っており、私たちは闘い続けている

ソロリダ】が私たちの武器だ。この多岐にわたる行動によって、私たちが前進し続けることが可能となる。3月8日は私たち女性の日であり、国際的な日であり、要求を主張する日でもある。今日3月8日、私たち世界中の女性はフェミニスト・ストライキに召集されている。

私たちのアイデンティティは複合的で、私たちは多様だ。田舎に暮らす人もいれば、都会に暮らす人もいるし、家の外で労働者として働く人もいれば、家族の世話で働く人もいる。私たちはジプシーであったり、移民であったり、人種差別の対象であったり、このいずれでもなかったりする。私たちにはあらゆる世代がいて、レスビアン、トランス、バイセクシャル、インターセクシャル、クイア、ヘテロ…である。私たちは、ここにいない女性でもある。私たちは殺害された女性であり、囚われている女性である。私たちはすべての女性である。今日、私たちはともに世界を止めて叫ぶ。私たちの前に立ちはだかるすべての暴力には、うんざりだ!と。

攻撃、屈辱、差別、排除には、うんざりだ! 私たちは、マチズム(男尊女卑)の暴力に対する国家協定を要求する。大人の女性に対する暴力も女の子に対する暴力も存在しない社会の実現を支援するような、現実的かつ効果的な政策の推進のための資金と手段を備えるものでなければならない。私たちは、社会的な権利や再生産/生殖の権利を求める闘いを率いる者たちに対する弾圧に抗議する。

年齢や立場に関わらず私たち女性が体験する日常的で不可視化された男尊女卑の暴力には、もううんざりだ! 私たちは、いつでもどこにでも自由に動けるようになりたい。私たちは、性的暴力を指し示して告発する。それは、私たちの身体が父権主義的に私物化されていることの典型的な表れであり、移民の女性や家事労働に従事する女性といった弱い立場にいる女性により甚大な被害を与える。一刻も早く、私たちの「Ni una menos もう一人も殺させない」という要求を現実のものとしなければならない。

私たちの性的な指向やアイデンティティに対する弾圧には、うんざりだ! 私たちは、男尊女卑の暴力のもう一つの形式として、社会や行政機関、職場におけるLGTBI嫌悪を告発する。私たちは女性であり、私たちは様々である。

自由な土地にいる自由な女性!

私たちは、生命を再生産する者だ。私たち女性が行う家事労働や世話は生命を維持するために必要不可欠である。大部分においてタダ働きであり、その価値が切り下げられているのは、資本主義の発展におけるイカサマである。今日私たちは、家庭や社会における世話のストライキによって、家庭の中で行われたり、低賃金だったり、地下経済として扱われることによって、誰も(その価値を)認めようとしない仕事を目に見えるものにするのだ。世話という仕事を最重要な社会的利益の一つと認めること、このような仕事を(社会の中で)再分配することを私たちは要求する。

今日私たちは、男尊女卑の暴力や搾取、抑圧から自由な社会を要求する。私たちに従順や服従、沈黙を強要する父権主義と資本主義の間の同盟に対する反逆と闘いを、私たちは呼びかける。

私たちは、同じ労働を男性より悪い労働条件や低い賃金で行うことを受け入れない。そのために、今日私たちは労働のストライキも行う。

ガラスの天井や非正規雇用に対するストライキ。私たちがようやく手に入れた仕事は、一時的なものであったり、非正規であったり、低賃金であったり、望まない短時間労働であったりするからだ。私たち女性は失業者リストを増大させている。私たち女性が行う仕事の多くには保証も法的な規制もない。そして、より良い仕事を手にしても、賃金が良く責任も大きな仕事は男性によって独占されていることに気がつくことになる。民間企業や公的企業、行政機関、政治においても、性別による格差が再生産されているのだ。

女性であることによる賃金差別、職場における軽視やセクシュアルハラスメントには、うんざりだ! 

女性であることが貧困の主要な原因であること、多様であることがペナルティとなっていることを告発する。非正規雇用は、私たち女性の多くにとって若くない、移民である、人種差別の対象である、多様な役割を持っている、普通と考えられることからかけ離れたイメージを持つという理由で、さらに深刻なものとなる。労働の状況が尊厳のある自立した人生を計画することを可能にするものであることを、私たちは要求する。また、雇用が生活の必要性に応じたものであることを。妊娠や介護が解雇や職場での差別の対象であってはならないし、私生活あるいは職業上の見通しを損なうものであってもならない。

私たちはまた、私たちが獲得してきた年金も要求する。私たちに貧困に苦しむ老後を強いる、わずかばかりの年金はもういらない。私たちは年金を共同名義とすること、年金を算出する際に家族の世話に費やしたり、農地で働いたりした時間を労働時間として認めることを求め、家事労働を規制する国際労働機関(ILO)協約189号の批准を求めて闘う。

世界レベルで唯一の思想を押し付けて、地球と生命を破壊する野蛮な新自由主義に反対であると、私たちは力一杯叫ぶ。女性は生物多様性の保全や気候変動との闘いにおいて重要な役割を担っている。それだからこそ、私たちは民衆の食糧主権を断固として護る。私たちは、土地と耕作を護るために生命を危険にさらす多くの仲間の活動を支援する。私たちは、生命の保護を経済と政治の中心に置くことを要求する。

私たちは、一切の美的なプレッシャーを受けることなしに、自らの生命、健康、身体の主役となることを要求する。私たちの身体は商品でもモノでもない。だからこそ、私たちはまた、消費のストライキも行う。宣伝広告として利用されるのには、もううんざりだ!

私たちはまた、私たちの生命や感情、状況を病気とみなすことをやめるように求める。投薬治療は私たちの健康ではなく、大企業の利益に応じたものであるから。私たちの生命のプロセスを病気とみなすことには、うんざりだ! 

教育は、私たちの性的あるいはジェンダーのアイデンティティを築く最も重要な段階であり、だからこそ、学生や教員、教育関係者やすべてのフェミニズム運動として、私たちは非宗教的かつフェミニズム的な公教育を受ける権利を要求する。女性が教員の大半である初等教育過程から大学に到るまで、ヘテロ父権主義的な価値観から自由であること。私たちはまた、恐怖心やコンプレックス、あるいは単なるモノになることとは無縁で、多様性を私たちに示してくれ、教室内でのいかなる男尊女卑あるいはLGTBI嫌悪に基づく暴力も許さないような感情と性の教育を受ける権利も要求する。

私たちは、教育におけるすべての領域や場所における男女共学の推進、そして私たちの歴史を書物の余白に追いやることのない教育を要求する。その中では、ジェンダーの視点はあらゆる教科において横断的なものでなければならない。私たちは例外的な存在ではないい。不変の存在であるにも関わらず沈黙させられてきただけなのだ!

世話、消費、労働、学業のストライキよ、永遠に!

フェミニスト・ストライキよ、永遠に!

いかなる女性も非合法な存在ではない! レイシズムと差別にはうんざりだと言おう。大きな声で叫ぼう! 戦争と武器製造に反対!と。父権主義と資本主義の延長線上に生み出されるものが戦争であり、それは領土と人間の支配することを目的としている。戦争の直接の結果が世界中に何千という難民の女性たちだ。犠牲となり、忘れ去られ、暴力に晒された女性たちである。私たちは、その理由に関わらず、すべての移民を受け入れることを要求する。

私たちは自由な土地にいる自由な女性!

医療制度や社会保障、教育といった女性がより大きな影響を受ける分野の予算削減を私たちは告発する

汚職が危機を悪化させる要因であることを私たちは告発する。

父権主義的な司法が私たち女性を完全な権利の主体とみなさないことを私たちは告発する

私たちが深刻な弾圧と権利の縮小に苦しんでいることを私たちは告発する

生命と権利と条件における完全な平等、そして、私たちの多様性の完全な受け入れを私たちは要求する

私たちは自由でありたい! 生きていて、フェミニストで、闘争的で反抗的でありたい!

フェミニスト・ストライキは今日で終わるのではなく、私たちが望む世界を達成するまで続く!

タラハル海岸の悲劇

以前にブログ記事で扱ったタラハル事件。真実の究明を求める人々の努力が実って、ついに1月12日にセウタ地方裁判所が調査の再開を命じました。

欧州の国境管理の実験場となってきたスペインの飛び地で起こったタラハル事件は、欧州の移民政策全体に大きな影響を与える可能性を持つケースなので、背景をまとめたカタルーニャ出身のフォトジャーナリストLaura Gouのテキストを紹介します。鎌倉での写真展示のために書き下ろしてもらったものです。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA
タラハル海岸。犠牲者を偲ぶ碑のような目に見えるものは何一つない。一面に立ち込める排泄物の悪臭と、蛇腹形鉄条網付きの塀があるだけ。他には何もない。

南境界線〜タラハル海岸の死の悲劇から二年。無処罰の二年。

ラウラ・ゴウ

スライドショーには JavaScript が必要です。

境界線

モロッコは、欧州に到達したいと願うサブサハラアフリカ(訳注:サハラ砂漠以南のアフリカ)の人びとにとって通過国の一つだ。彼らは、貧困、戦争、内戦、政情不安から逃げている。彼らの背中を押しているのは、共通する一つの感情―アフリカに未来はない―だ。つまり、彼らは今より良い人生を手にすることを夢見ている。

モロッコ北部には、陸路でスペインの飛び地セウタを通って、あるいは、海からイベリア半島までジブラルタル海峡を渡って、境界線を通過する機会を待つサブサハラアフリカの人びとが何百人も暮らしている 。

タンジェのブカルフ地区には、往来する人の絶え間ない流れがある。森から来たり、森に行ったり、あるいは、境界線を越えようとして失敗した人が戻ってきたり。ゲットーの通りを歩き、森に暮らす人びとの状況を知ると、驚くことになる。一見落ち着いているように見えて、いつ爆発してもおかしくないような空気があるからだ。ここは、罪に問われることなしに、移民を襲撃することができるホットスポットなのである。

これは身の毛がよだつような話だ。棒や石、ナイフを用いる排外主義者のグループによる暴力的な襲撃(モロッコに合法的に居住していた25歳のセネガル人シャルル・ンドゥールが首を切られて死亡した)や警察の追撃(22歳のセネガル人モウサ・セックと16歳のカメルーン人シエドリック・ベテは、2013年に集合住宅の上階から落下して死亡した)が定期的に発生している。セドリックの死の後で、サブサハラアフリカ人共同体は「うんざりだ」と言ってデモを行った。それ以来、状況は沈静化したように見えていたものの、実際はそうではなかった。

2015年夏のラマダン期間中、身分証明書を持たない人びとを全て追い出すため、警察はブカルフ地区とその周辺の「清掃」作戦を実施。28歳のコートジボワール人ママドゥ・コネが自宅の屋上から落下して死亡した。このため、このフォトレポートの中心となっているブカルフ地区は、もはやこの当時と同じ姿ではない。

一斉検挙は強化され、逮捕された者は国の南端ティーズニートや、数多くある即席の拘置所に送致される。タンジェ到達や国の北部へ近づくことが日増しに難しくなっているのを目にして、移民の多くは、リビアを旅を続けるための新しいルートとして見ている。はるかに危険なルートだ。

こうしたものは全て、2013年に「 包括的かつ人道的で、人権を尊重する根本的に新しい政策」を発表したモロッコの公式談話とは何の関係もない。

現実にはあの年、モロッコはEUとの間に協定(行動計画)を結び、およそ1億5000万ユーロを受け取った。それは政治と経済における関係を強化すると同時に、国境管理を増強するためのものであった。実際のところ、スペイン国境はモロッコから始まると言える。定期的に「汚れ仕事」を行い、スペイン領への人びとの侵入を阻止する擁壁として用いられているのがモロッコである。これが「国境の外部化」や「南境界線」と名付けられているものだ。

出来事

公式見解によると、2014年2月6日セウタでサブサハラアフリカ出身の15人がタラハルから国境を越えようとして死亡した。彼らは陸路を試みた後に、海から国境を越えようとして、スペイン治安警察の野蛮な襲撃の犠牲となった。警察は彼らに対してゴム弾と催涙ガスを発射したのだ。このようにして、生命の危機にある人を救助する義務を怠った。いつも大規模な移民の流入があるときに行われているのとは異なり、警察はあの日、海上救助隊にも赤十字にも知らせなかった。

海岸に辿り着いた人々は自動的にモロッコへと送還されたが、これは移民法と国際協定に反する。この「ホット・リターン」として広く知られる実践は、数多くの組織から批判を受けた。国境越えを試みるサブサハラアフリカ人の多くが政治難民、あるいは未成年の可能性があるからだ。従って、法によれば、亡命希望者は、一度スペイン領土を踏んだら個別の扱いを受けるべきであり、ひとまとめにして送り返すことはできない。こうした理由から、数多くの法律家やスペインの大学の法学部教授のグループが「ホット・エクスプルージョン(追放)―国家が法を無視して行動するとき」という文書を作成し、その中で非合法的な方法で行動しているとして、政府を批判した。

内務省の説明は数時間毎、数日毎に二転三転。責任の所在と証拠についての言明を避け、事実について虚偽の報告を行った。

証言

セウタのCETI(移民一時滞在センター)に収容されているカメルーン出身の青年フランソワは、あの運命の2月6日に国境を越えようとした。今生きているのは奇跡的なことだと彼は言う。そのときのことを大変な痛みとともに記憶しており、市民警察の行動は、まるで「自爆テロ」か「周到に計画されたテロリストの攻撃、あるいは動物を対象にした狩り」のようであったと語る。

私は、他の若者たちとともにロム(訳注:写真キャプションではロメオ)と森で知り合った。彼は、兄弟のマキシムが2月6日に海で、自分の横で死んだとを私に説明する。その遺体を目にすることはなく、今でも家族にその死を説明する勇気を持つことができないでいる。彼はトラウマを抱えている。他の証言者や事件の犠牲者とは異なり、彼は現在もモロッコにいる。

ラスタは、あの日スペインの領土を最初に踏んだのは自分だったと言う。海の中では、沈まないように妻と他の数人を支えた。浜辺に近づくと、治安警察は「来いよ、モレーノ(黒人)、来いよ」と言って、彼らに催涙ガスを浴びせた。治安警察の小型船が水の中にいた何人かを攻撃したとも説明する。あのとき、犠牲者の数を知っていたならば、追放を拒否していただろうとも語る。

このレポートを書く際に知り合った証言者たちは、死者の数は80人に達する可能性もあると語る。大規模な襲撃が起こるたびに、その数は増えた。さらには、遺体の多くは海底に沈み、しばらく経ってから出てきた。しかし、このことが公にされることはなかった。

こうした経緯は取材のときにもまだ、彼らの中に鮮明な記憶として残っており、大きな憤慨とともに語られた。同時に彼らは支援を求めて、公正な裁きを要求している。

訴訟手続き―無処罰の二年

私人訴追として行動を起こしたONG(Coordinadora Barrios、CEAR、Observatri Descなど)グループの申し立てにより、一年が経過してようやく治安警察官16人が過失による殺人の容疑で裁判にかけられた。結局、この案件は仮の不起訴処分となった。

この案件の担当裁判官によると、有罪判決を下さない論拠は次のようなものだ。「移民たちはスペイン領土に違法に入るというリスクを引き受けていた。夜を利用して海を泳いでなだれ込み、大量の衣類を身に付け、モロッコ軍と治安警察の制止的行為を無視したからだ」。

内務大臣ホルヘ・フェルナンデス・ディアスは、(治安警察は)発砲の衝撃を用いて海上に水上境界線のようなものを描こうとしていたのだと言って、裁判所の決定を擁護した。実際は、この悲劇的な出来事が起こったすぐ後に、治安警察が国境の「作戦行動」というコンセプト(2014年2月26日の「国境監視作戦行動プロトコル」)をでっちあげたのだ。それを用いて、移民が海から接近しようとし場合には、境界線は治安警察の部隊が形作るラインを越えたところから始まると言う。

刑法の教授マルガリータ・マルティネス・エスカミーリャによると、政府の主張は国内法や国際法の適用が除外される場所「グアンタナモ地帯」の創設を意味する。その上、司法上の規則に勝手気ままに決定される国境というコンセプトをカバーするものは一切存在しない。

ロンの証言はドキュメンタリー『Tarajal, desmuntant la impunitat de la Frontera Sud(タラハル―南境界線の無処罰を解体する)』に登場する。 私人訴追に参加した人権の分野で活動する法律家のグループObservatori Descが、無処罰のままとなってしまうことを避けるために、事件を視覚化すること目的として実現した作品で、制作会社Metromusterが制作を担当した。

イメージ、映像

セウタやメリーリャ(アフリカ大陸に位置するスペインの飛び地)のフェンスを乗り越える、あるいは、海上救助隊の船舶に救出される人びとというステレオタイプ化されたイメージが作り上げられている。被写体となった者を、鈴なりになった人びとという単なる図、あるいは、海で死んだ人びとの一人に変えてしまっている。

アムネスティ・インターナショナルが「S.O.S.ヨーロッパ―人間第一で、国境は二の次」キャンペーンの中で発表した報告書では、欧州連合(EU)とその加盟国が、移民が置かれている弱い立場を考慮することなしに、日増しに入り込むことが難しくなっている要塞を構築したこと、あるいはEU圏に入りたいと望む移民の数を誇張して社会不安を生み出すことで移民(国境管理)に関する支出を正当化していることが明らかにされている。

この展示は、南境界線に足止めされているサブサハラアフリカ人びとの可視化を試みるものだ。セウタの悲劇から2年以上が経過した現在、正義と人間の尊厳の名の下に、この出来事を記憶に残し、告発を続けることを可能とする場を見つけ出す必要がある。

2016年4月ラウラ・ゴウ

フィデル・カストロと知識人の弾圧ーイグナシオ・ラモネ

images-cms-image-000009762

ポスト真実の時代におけるメディアによる独裁

フィデル・カストロと知識人の弾圧ーイグナシオ・ラモネ

フィデル・カストロの死によって、欧米の大メディアではキューバの司令官に対する中傷が大量に流布した。それは私にとって辛いことだった。私は、彼のことをよく知っていたのだから。それで、私は個人的な証言を提供することを決めた。首尾一貫した知識人であるなら、不正を告発するべきだ。それも、自分の国の不正から始めるべきだろう。

メディアの画一性が全ての多様性を押しつぶし、異なる表現はいかなるものでも検閲し、異論を持つ著者に制裁を科すときに、私たちが弾圧について話すのは、全くもって当然のことである。それ以外の方法で、表現の自由に猿ぐつわをさせ、多様な声を弾圧するシステムを評することができるだろうか? どんなにしっかりとした主張であったとしても、反論は一切受け入れないシステムだ。公式の真実を定めて、違反を容認しないシステム。そのようなシステムには名前があって、圧制あるいは独裁と呼ばれる。このことに議論の余地はない。多くの人々と同じように、私も身をもってそのシステムによる鞭打ち刑を体験した。スペイン、そしてフランスにおいて。このことを語ろうと思う。

私個人に対する弾圧は2006年、キューバ革命の指導者との数百時間の会話を扱った5年に及ぶ取材と作業の成果である著作『 Fidel Castro. Biografía a dos voces 』あるいは『Cien horas con Fidel (Edit. Debate、バルセロナ)』をスペインで出版したときに始まった。瞬く間に私は攻撃を受けた。そして、弾圧が始まった。例えば、当時まで定期的に意見記事欄に寄稿していた新聞『El País エル・パイス』(マドリッド)は、私に制裁を加えた。私の記事の掲載を停止したのだ。私には一言の説明もなかった。それだけではない。さらにはー最も素晴らしいスターリン主義の伝統だーそのページから私の名前が消えた。消されたのだ。私の著作が書評に載ることも、私の知識人としての活動に触れることも、二度とはなかった。何もない。削除された。検閲された。未来の歴史家が私の名を『エル・パイス』のコラム欄に探したならば、私は数十年前に死亡したと推論することになるだろう。

同じことが、数年前から毎週『Res Publica』というタイトルのコラムを執筆していた『La Voz de Galicia ラ・ボス・デ・ガリシア』で起こった。フィデル・カストロに関する著作の出版が原因で、こちらも最低限の言い訳もなしに、私を弾圧したのだ。私の記事を掲載するのを止めた。一夜にして、全てが検閲された。『エル・パイス』と同じように、完全無視。伝染病に対するような扱いだ。それ以降、私の活動に言及することは二度とない。

全てのイデオロギー的な独裁においてと同じように、知識人を処刑する最良の方法はメディア空間から消滅させて、象徴的に殺害することである。ヒトラーはそれを行った。スターリンもそれを行った。フランコもそれを行った。『 エル・パイス 』『ラ・ボス・デ・ガリシア』の両紙は、私にそれを行った。

フランスでも幾度となく私に起こったことだ。出版社FayardとGalilée が2007年に私の著作『Fidel Castro. Biographie à deux voix』を出版するやいなや、弾圧はすぐさま私に襲いかかってきた。

公共ラジオ『France Culture 』において、私は毎週土曜日の朝、国際政治を扱う番組を担当していた。フィデル・カストロについての本が出版され、支配的メディアが私に対して暴力的な攻撃を開始すると、放送ディレクターは私を自分のオフィスに呼び出して、さほど遠回しな表現をすることもなく私に言った。「あなたのような、圧制者の友が私たちの電波において発言を続けることはできません」。私は反論しようとした。どうにもならなかった。私に対してスタジオの扉は永久に閉ざされてしまった。そこでも私は猿ぐつわをはめられた。全会一致の反キューバのコーラスで一度音程を外したことで、沈黙させられた。

パリ第7大学において、私は35年に渡ってオーディオビジュアル・コミュニケーション理論を教えてきた。私の著作の流通と私に対するメディアのバッシングが始まると、一人の同僚が私に警告した。「気をつけろ。私たちの学部で独裁者の友が教鞭を取るのを容認できないと言って回ってる役員がいる…」。間もなく、フィデル・カストロを攻撃し大学から私を追放することを要求する匿名のビラが、廊下で撒かれ始めるようになった。程なくして、私は契約が更新されないことを公式に知らされた。表現の自由の名の下に、私は表現の権利を否定された。

あの当時私はパリで、有名な新聞『Le Monde ル・モンド』と同じ出版グループに属する月刊誌『Le Monde diplomatique ル・モンド・ディプロマティク』を率いていた。そして、もう新聞のコラムに寄稿していなかったものの、歴史的な経緯が理由で編集者組織に所属していた。その組織は当時、主要株主であることによって、会社組織の中で非常に重要な存在であった。その中から新聞の編集長が選出されること、職業倫理の尊重に目を光らせていることが理由だ。

まさにこの責務によって、私が書いたフィデル・カストロの伝記が書店に並んで数日が経ち、数々の重要なメディア(その中には新聞『Libération リベラシオン』がある)が私を攻撃し始めると、編集者組織の代表が私に電話をかけてきた。彼によると、私の著作の出版によって編集者組織の内部で支配的となっている抑えきれない感情を伝えるためだった。「私の本を読みましたか?」と彼に訊いた。「いいや。でも、そんなことはどうでも良い。倫理の、職業倫理の問題なんだ。『ル・モンド』グループのジャーナリストが独裁者にインタビューをすることはできない」と彼は応えた。私は、数十年に渡って新聞が愛想よく発言の機会を与えてきたアフリカなどの大陸の正真正銘の専制君主数十名のリストを諳んじた。「それは別の話だ。まさにそれだからこそ、君を呼んだんだ。編集者組織のメンバーは君に来てもらって、私たちに説明して欲しいと言っている」と私に言った。「私を裁きたいのですか? モスクワ裁判のように? イデオロギーの逸脱による粛清ですか? それだったら、あなたたちは法廷に力づくで私を引きずり出す、異端審問官や政治警察官の役割を引き受けなければなりませんね」。彼らにそんなことはできなかった。

私に文句は言えない。ナチス体制やスターリン体制、フランコ体制の下で数多くのジャーナリストや知識人に起こったように、投獄されたわけでも、拷問を受けたわけでも、銃殺されたわけでもないのだから。しかし、私は象徴的に処分された。『エル・パイス』、または『ラ・ボス』においてと同様に、『ル・モンド』紙のコラムからも私は消えた。あるいは、バッシングするためだけに私を引き合いに出した。

私が唯一のケースではない。支配的メディアの獰猛なコーラス隊と同じように考えないことで、強制された反カストロの教条主義を拒否したことで、沈黙を強いられ、不可視化され、周縁に追いやられた知識人やジャーナリストを、私はーフランスにおいてもスペインにおいても、他の欧州諸国においてもーたくさん知っている。何十年にも渡ってノーム・チョムスキーは、魔女狩りの国アメリカ合衆国において、最も影響力のある新聞のコラムや主要なラジオ・テレビ放送へのアクセスを禁じる大メディアによって公職追放に処されていた。

これは50年以上前に、はるか遠い昔の埃をかぶった独裁体制において起こったことではない。今現在、私たちのメディア民主主義の中で起こっていることだ。私はこの瞬間もそれに苦しみ続けている。単にジャーナリストとしての仕事を行ったというだけで、フィデル・カストロに発言の機会を与えたことによって。もしかして、裁判で被告には発言の機会は与えられないのだろうか? 支配的な大メディアは絶え間なく彼を裁いては非難している一方、どうしてキューバ人指導者の見解は容認されないのだろうか?

ひょっとしたら、寛容は民主主義の基礎ではないのか? ヴォルテールは寛容を次のような方法で定義した。「私はあなたの言うことに全く同意しないが、それを主張する権利のためには命をかけて闘う」。ポスト真実の時代におけるメディアの独裁は、この基本原則を無視している。

Fidel Castro y la represión contra los intelectuales – Ignacio Ramonet

*この記事で繰り返し言及されるラモネのフィデル・カストロの伝記についてはこちらの記事を参照ください。

階級闘争とクールであること

以前に「Chavsチャブズと新自由主義」で紹介した英国の若き左派論客オウェーン・ジョーンズの著作『Chavs: la demonización de la clase obrera(チャブズ―労働階級の悪魔化)』は、近年、スペインの左派に最も大きな影響を与えた著作の一つになりました。独立系の小さな出版社キャプテン・スウィングが発掘して1400ユーロ(約16万円)で出版権を獲得したこの著作は、一万部(このジャンルは通常3000部程度と言われる)を越えるベストセラーになったため、最大手プラネット社は第二作『The Establishment(エスタブリッシュメント)』の権利獲得に、手付金だけで7000ユーロ(約80万円)以上を支払ったと言われています。

スペインではこの著作にインスピレーションを受けて様々な議論が展開されましたが、カウンターカルチャーと政治が密接に結びついてきた背景もあって、新自由主義の問題において文化が果たした役割が注目される大きなきっかけになりました。このテーマに正面から取り組んだのが、同じくキャプテン・スウィングから2014年に出版されたVÍCTOR LENORE ビクトル・レノレ著『Indies, hipsters y gafapastas, crónica de una dominación cultural(インディ、ヒップスター、ガファパスタ―文化的支配の記録)』。 もっと読む