タラハル海岸の悲劇

以前にブログ記事で扱ったタラハル事件。真実の究明を求める人々の努力が実って、ついに1月12日にセウタ地方裁判所が調査の再開を命じました。

欧州の国境管理の実験場となってきたスペインの飛び地で起こったタラハル事件は、欧州の移民政策全体に大きな影響を与える可能性を持つケースなので、背景をまとめたカタルーニャ出身のフォトジャーナリストLaura Gouのテキストを紹介します。鎌倉での写真展示のために書き下ろしてもらったものです。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA
タラハル海岸。犠牲者を偲ぶ碑のような目に見えるものは何一つない。一面に立ち込める排泄物の悪臭と、蛇腹形鉄条網付きの塀があるだけ。他には何もない。

南境界線〜タラハル海岸の死の悲劇から二年。無処罰の二年。

ラウラ・ゴウ

スライドショーには JavaScript が必要です。

境界線

モロッコは、欧州に到達したいと願うサブサハラアフリカ(訳注:サハラ砂漠以南のアフリカ)の人びとにとって通過国の一つだ。彼らは、貧困、戦争、内戦、政情不安から逃げている。彼らの背中を押しているのは、共通する一つの感情―アフリカに未来はない―だ。つまり、彼らは今より良い人生を手にすることを夢見ている。

モロッコ北部には、陸路でスペインの飛び地セウタを通って、あるいは、海からイベリア半島までジブラルタル海峡を渡って、境界線を通過する機会を待つサブサハラアフリカの人びとが何百人も暮らしている 。

タンジェのブカルフ地区には、往来する人の絶え間ない流れがある。森から来たり、森に行ったり、あるいは、境界線を越えようとして失敗した人が戻ってきたり。ゲットーの通りを歩き、森に暮らす人びとの状況を知ると、驚くことになる。一見落ち着いているように見えて、いつ爆発してもおかしくないような空気があるからだ。ここは、罪に問われることなしに、移民を襲撃することができるホットスポットなのである。

これは身の毛がよだつような話だ。棒や石、ナイフを用いる排外主義者のグループによる暴力的な襲撃(モロッコに合法的に居住していた25歳のセネガル人シャルル・ンドゥールが首を切られて死亡した)や警察の追撃(22歳のセネガル人モウサ・セックと16歳のカメルーン人シエドリック・ベテは、2013年に集合住宅の上階から落下して死亡した)が定期的に発生している。セドリックの死の後で、サブサハラアフリカ人共同体は「うんざりだ」と言ってデモを行った。それ以来、状況は沈静化したように見えていたものの、実際はそうではなかった。

2015年夏のラマダン期間中、身分証明書を持たない人びとを全て追い出すため、警察はブカルフ地区とその周辺の「清掃」作戦を実施。28歳のコートジボワール人ママドゥ・コネが自宅の屋上から落下して死亡した。このため、このフォトレポートの中心となっているブカルフ地区は、もはやこの当時と同じ姿ではない。

一斉検挙は強化され、逮捕された者は国の南端ティーズニートや、数多くある即席の拘置所に送致される。タンジェ到達や国の北部へ近づくことが日増しに難しくなっているのを目にして、移民の多くは、リビアを旅を続けるための新しいルートとして見ている。はるかに危険なルートだ。

こうしたものは全て、2013年に「 包括的かつ人道的で、人権を尊重する根本的に新しい政策」を発表したモロッコの公式談話とは何の関係もない。

現実にはあの年、モロッコはEUとの間に協定(行動計画)を結び、およそ1億5000万ユーロを受け取った。それは政治と経済における関係を強化すると同時に、国境管理を増強するためのものであった。実際のところ、スペイン国境はモロッコから始まると言える。定期的に「汚れ仕事」を行い、スペイン領への人びとの侵入を阻止する擁壁として用いられているのがモロッコである。これが「国境の外部化」や「南境界線」と名付けられているものだ。

出来事

公式見解によると、2014年2月6日セウタでサブサハラアフリカ出身の15人がタラハルから国境を越えようとして死亡した。彼らは陸路を試みた後に、海から国境を越えようとして、スペイン治安警察の野蛮な襲撃の犠牲となった。警察は彼らに対してゴム弾と催涙ガスを発射したのだ。このようにして、生命の危機にある人を救助する義務を怠った。いつも大規模な移民の流入があるときに行われているのとは異なり、警察はあの日、海上救助隊にも赤十字にも知らせなかった。

海岸に辿り着いた人々は自動的にモロッコへと送還されたが、これは移民法と国際協定に反する。この「ホット・リターン」として広く知られる実践は、数多くの組織から批判を受けた。国境越えを試みるサブサハラアフリカ人の多くが政治難民、あるいは未成年の可能性があるからだ。従って、法によれば、亡命希望者は、一度スペイン領土を踏んだら個別の扱いを受けるべきであり、ひとまとめにして送り返すことはできない。こうした理由から、数多くの法律家やスペインの大学の法学部教授のグループが「ホット・エクスプルージョン(追放)―国家が法を無視して行動するとき」という文書を作成し、その中で非合法的な方法で行動しているとして、政府を批判した。

内務省の説明は数時間毎、数日毎に二転三転。責任の所在と証拠についての言明を避け、事実について虚偽の報告を行った。

証言

セウタのCETI(移民一時滞在センター)に収容されているカメルーン出身の青年フランソワは、あの運命の2月6日に国境を越えようとした。今生きているのは奇跡的なことだと彼は言う。そのときのことを大変な痛みとともに記憶しており、市民警察の行動は、まるで「自爆テロ」か「周到に計画されたテロリストの攻撃、あるいは動物を対象にした狩り」のようであったと語る。

私は、他の若者たちとともにロム(訳注:写真キャプションではロメオ)と森で知り合った。彼は、兄弟のマキシムが2月6日に海で、自分の横で死んだとを私に説明する。その遺体を目にすることはなく、今でも家族にその死を説明する勇気を持つことができないでいる。彼はトラウマを抱えている。他の証言者や事件の犠牲者とは異なり、彼は現在もモロッコにいる。

ラスタは、あの日スペインの領土を最初に踏んだのは自分だったと言う。海の中では、沈まないように妻と他の数人を支えた。浜辺に近づくと、治安警察は「来いよ、モレーノ(黒人)、来いよ」と言って、彼らに催涙ガスを浴びせた。治安警察の小型船が水の中にいた何人かを攻撃したとも説明する。あのとき、犠牲者の数を知っていたならば、追放を拒否していただろうとも語る。

このレポートを書く際に知り合った証言者たちは、死者の数は80人に達する可能性もあると語る。大規模な襲撃が起こるたびに、その数は増えた。さらには、遺体の多くは海底に沈み、しばらく経ってから出てきた。しかし、このことが公にされることはなかった。

こうした経緯は取材のときにもまだ、彼らの中に鮮明な記憶として残っており、大きな憤慨とともに語られた。同時に彼らは支援を求めて、公正な裁きを要求している。

訴訟手続き―無処罰の二年

私人訴追として行動を起こしたONG(Coordinadora Barrios、CEAR、Observatri Descなど)グループの申し立てにより、一年が経過してようやく治安警察官16人が過失による殺人の容疑で裁判にかけられた。結局、この案件は仮の不起訴処分となった。

この案件の担当裁判官によると、有罪判決を下さない論拠は次のようなものだ。「移民たちはスペイン領土に違法に入るというリスクを引き受けていた。夜を利用して海を泳いでなだれ込み、大量の衣類を身に付け、モロッコ軍と治安警察の制止的行為を無視したからだ」。

内務大臣ホルヘ・フェルナンデス・ディアスは、(治安警察は)発砲の衝撃を用いて海上に水上境界線のようなものを描こうとしていたのだと言って、裁判所の決定を擁護した。実際は、この悲劇的な出来事が起こったすぐ後に、治安警察が国境の「作戦行動」というコンセプト(2014年2月26日の「国境監視作戦行動プロトコル」)をでっちあげたのだ。それを用いて、移民が海から接近しようとし場合には、境界線は治安警察の部隊が形作るラインを越えたところから始まると言う。

刑法の教授マルガリータ・マルティネス・エスカミーリャによると、政府の主張は国内法や国際法の適用が除外される場所「グアンタナモ地帯」の創設を意味する。その上、司法上の規則に勝手気ままに決定される国境というコンセプトをカバーするものは一切存在しない。

ロンの証言はドキュメンタリー『Tarajal, desmuntant la impunitat de la Frontera Sud(タラハル―南境界線の無処罰を解体する)』に登場する。 私人訴追に参加した人権の分野で活動する法律家のグループObservatori Descが、無処罰のままとなってしまうことを避けるために、事件を視覚化すること目的として実現した作品で、制作会社Metromusterが制作を担当した。

イメージ、映像

セウタやメリーリャ(アフリカ大陸に位置するスペインの飛び地)のフェンスを乗り越える、あるいは、海上救助隊の船舶に救出される人びとというステレオタイプ化されたイメージが作り上げられている。被写体となった者を、鈴なりになった人びとという単なる図、あるいは、海で死んだ人びとの一人に変えてしまっている。

アムネスティ・インターナショナルが「S.O.S.ヨーロッパ―人間第一で、国境は二の次」キャンペーンの中で発表した報告書では、欧州連合(EU)とその加盟国が、移民が置かれている弱い立場を考慮することなしに、日増しに入り込むことが難しくなっている要塞を構築したこと、あるいはEU圏に入りたいと望む移民の数を誇張して社会不安を生み出すことで移民(国境管理)に関する支出を正当化していることが明らかにされている。

この展示は、南境界線に足止めされているサブサハラアフリカ人びとの可視化を試みるものだ。セウタの悲劇から2年以上が経過した現在、正義と人間の尊厳の名の下に、この出来事を記憶に残し、告発を続けることを可能とする場を見つけ出す必要がある。

2016年4月ラウラ・ゴウ

広告

フィデル・カストロと知識人の弾圧ーイグナシオ・ラモネ

images-cms-image-000009762

ポスト真実の時代におけるメディアによる独裁

フィデル・カストロと知識人の弾圧ーイグナシオ・ラモネ

フィデル・カストロの死によって、欧米の大メディアではキューバの司令官に対する中傷が大量に流布した。それは私にとって辛いことだった。私は、彼のことをよく知っていたのだから。それで、私は個人的な証言を提供することを決めた。首尾一貫した知識人であるなら、不正を告発するべきだ。それも、自分の国の不正から始めるべきだろう。

メディアの画一性が全ての多様性を押しつぶし、異なる表現はいかなるものでも検閲し、異論を持つ著者に制裁を科すときに、私たちが弾圧について話すのは、全くもって当然のことである。それ以外の方法で、表現の自由に猿ぐつわをさせ、多様な声を弾圧するシステムを評することができるだろうか? どんなにしっかりとした主張であったとしても、反論は一切受け入れないシステムだ。公式の真実を定めて、違反を容認しないシステム。そのようなシステムには名前があって、圧制あるいは独裁と呼ばれる。このことに議論の余地はない。多くの人々と同じように、私も身をもってそのシステムによる鞭打ち刑を体験した。スペイン、そしてフランスにおいて。このことを語ろうと思う。

私個人に対する弾圧は2006年、キューバ革命の指導者との数百時間の会話を扱った5年に及ぶ取材と作業の成果である著作『 Fidel Castro. Biografía a dos voces 』あるいは『Cien horas con Fidel (Edit. Debate、バルセロナ)』をスペインで出版したときに始まった。瞬く間に私は攻撃を受けた。そして、弾圧が始まった。例えば、当時まで定期的に意見記事欄に寄稿していた新聞『El País エル・パイス』(マドリッド)は、私に制裁を加えた。私の記事の掲載を停止したのだ。私には一言の説明もなかった。それだけではない。さらにはー最も素晴らしいスターリン主義の伝統だーそのページから私の名前が消えた。消されたのだ。私の著作が書評に載ることも、私の知識人としての活動に触れることも、二度とはなかった。何もない。削除された。検閲された。未来の歴史家が私の名を『エル・パイス』のコラム欄に探したならば、私は数十年前に死亡したと推論することになるだろう。

同じことが、数年前から毎週『Res Publica』というタイトルのコラムを執筆していた『La Voz de Galicia ラ・ボス・デ・ガリシア』で起こった。フィデル・カストロに関する著作の出版が原因で、こちらも最低限の言い訳もなしに、私を弾圧したのだ。私の記事を掲載するのを止めた。一夜にして、全てが検閲された。『エル・パイス』と同じように、完全無視。伝染病に対するような扱いだ。それ以降、私の活動に言及することは二度とない。

全てのイデオロギー的な独裁においてと同じように、知識人を処刑する最良の方法はメディア空間から消滅させて、象徴的に殺害することである。ヒトラーはそれを行った。スターリンもそれを行った。フランコもそれを行った。『 エル・パイス 』『ラ・ボス・デ・ガリシア』の両紙は、私にそれを行った。

フランスでも幾度となく私に起こったことだ。出版社FayardとGalilée が2007年に私の著作『Fidel Castro. Biographie à deux voix』を出版するやいなや、弾圧はすぐさま私に襲いかかってきた。

公共ラジオ『France Culture 』において、私は毎週土曜日の朝、国際政治を扱う番組を担当していた。フィデル・カストロについての本が出版され、支配的メディアが私に対して暴力的な攻撃を開始すると、放送ディレクターは私を自分のオフィスに呼び出して、さほど遠回しな表現をすることもなく私に言った。「あなたのような、圧制者の友が私たちの電波において発言を続けることはできません」。私は反論しようとした。どうにもならなかった。私に対してスタジオの扉は永久に閉ざされてしまった。そこでも私は猿ぐつわをはめられた。全会一致の反キューバのコーラスで一度音程を外したことで、沈黙させられた。

パリ第7大学において、私は35年に渡ってオーディオビジュアル・コミュニケーション理論を教えてきた。私の著作の流通と私に対するメディアのバッシングが始まると、一人の同僚が私に警告した。「気をつけろ。私たちの学部で独裁者の友が教鞭を取るのを容認できないと言って回ってる役員がいる…」。間もなく、フィデル・カストロを攻撃し大学から私を追放することを要求する匿名のビラが、廊下で撒かれ始めるようになった。程なくして、私は契約が更新されないことを公式に知らされた。表現の自由の名の下に、私は表現の権利を否定された。

あの当時私はパリで、有名な新聞『Le Monde ル・モンド』と同じ出版グループに属する月刊誌『Le Monde diplomatique ル・モンド・ディプロマティク』を率いていた。そして、もう新聞のコラムに寄稿していなかったものの、歴史的な経緯が理由で編集者組織に所属していた。その組織は当時、主要株主であることによって、会社組織の中で非常に重要な存在であった。その中から新聞の編集長が選出されること、職業倫理の尊重に目を光らせていることが理由だ。

まさにこの責務によって、私が書いたフィデル・カストロの伝記が書店に並んで数日が経ち、数々の重要なメディア(その中には新聞『Libération リベラシオン』がある)が私を攻撃し始めると、編集者組織の代表が私に電話をかけてきた。彼によると、私の著作の出版によって編集者組織の内部で支配的となっている抑えきれない感情を伝えるためだった。「私の本を読みましたか?」と彼に訊いた。「いいや。でも、そんなことはどうでも良い。倫理の、職業倫理の問題なんだ。『ル・モンド』グループのジャーナリストが独裁者にインタビューをすることはできない」と彼は応えた。私は、数十年に渡って新聞が愛想よく発言の機会を与えてきたアフリカなどの大陸の正真正銘の専制君主数十名のリストを諳んじた。「それは別の話だ。まさにそれだからこそ、君を呼んだんだ。編集者組織のメンバーは君に来てもらって、私たちに説明して欲しいと言っている」と私に言った。「私を裁きたいのですか? モスクワ裁判のように? イデオロギーの逸脱による粛清ですか? それだったら、あなたたちは法廷に力づくで私を引きずり出す、異端審問官や政治警察官の役割を引き受けなければなりませんね」。彼らにそんなことはできなかった。

私に文句は言えない。ナチス体制やスターリン体制、フランコ体制の下で数多くのジャーナリストや知識人に起こったように、投獄されたわけでも、拷問を受けたわけでも、銃殺されたわけでもないのだから。しかし、私は象徴的に処分された。『エル・パイス』、または『ラ・ボス』においてと同様に、『ル・モンド』紙のコラムからも私は消えた。あるいは、バッシングするためだけに私を引き合いに出した。

私が唯一のケースではない。支配的メディアの獰猛なコーラス隊と同じように考えないことで、強制された反カストロの教条主義を拒否したことで、沈黙を強いられ、不可視化され、周縁に追いやられた知識人やジャーナリストを、私はーフランスにおいてもスペインにおいても、他の欧州諸国においてもーたくさん知っている。何十年にも渡ってノーム・チョムスキーは、魔女狩りの国アメリカ合衆国において、最も影響力のある新聞のコラムや主要なラジオ・テレビ放送へのアクセスを禁じる大メディアによって公職追放に処されていた。

これは50年以上前に、はるか遠い昔の埃をかぶった独裁体制において起こったことではない。今現在、私たちのメディア民主主義の中で起こっていることだ。私はこの瞬間もそれに苦しみ続けている。単にジャーナリストとしての仕事を行ったというだけで、フィデル・カストロに発言の機会を与えたことによって。もしかして、裁判で被告には発言の機会は与えられないのだろうか? 支配的な大メディアは絶え間なく彼を裁いては非難している一方、どうしてキューバ人指導者の見解は容認されないのだろうか?

ひょっとしたら、寛容は民主主義の基礎ではないのか? ヴォルテールは寛容を次のような方法で定義した。「私はあなたの言うことに全く同意しないが、それを主張する権利のためには命をかけて闘う」。ポスト真実の時代におけるメディアの独裁は、この基本原則を無視している。

Fidel Castro y la represión contra los intelectuales – Ignacio Ramonet

*この記事で繰り返し言及されるラモネのフィデル・カストロの伝記についてはこちらの記事を参照ください。

階級闘争とクールであること

以前に「Chavsチャブズと新自由主義」で紹介した英国の若き左派論客オウェーン・ジョーンズの著作『Chavs: la demonización de la clase obrera(チャブズ―労働階級の悪魔化)』は、近年、スペインの左派に最も大きな影響を与えた著作の一つになりました。独立系の小さな出版社キャプテン・スウィングが発掘して1400ユーロ(約16万円)で出版権を獲得したこの著作は、一万部(このジャンルは通常3000部程度と言われる)を越えるベストセラーになったため、最大手プラネット社は第二作『The Establishment(エスタブリッシュメント)』の権利獲得に、手付金だけで7000ユーロ(約80万円)以上を支払ったと言われています。

スペインではこの著作にインスピレーションを受けて様々な議論が展開されましたが、カウンターカルチャーと政治が密接に結びついてきた背景もあって、新自由主義の問題において文化が果たした役割が注目される大きなきっかけになりました。このテーマに正面から取り組んだのが、同じくキャプテン・スウィングから2014年に出版されたVÍCTOR LENORE ビクトル・レノレ著『Indies, hipsters y gafapastas, crónica de una dominación cultural(インディ、ヒップスター、ガファパスタ―文化的支配の記録)』。 もっと読む

ベルタ・カサレス、政治的犯罪ーイグナシオ・ラモネ

246_temporal

諸事情から遅くなりましたが、ル・モンド・ディプロマティク・スペイン語版2016年04月号論説の翻訳です。

彼女はベルタという名前だった。ベルタ・カサレス。去る3月4日に43歳の誕生日を迎えようとしていた。その前夜に殺害された。ホンジュラスにおいて。環境活動家であったために。服従しなかったために。自然を護ろうとしたために。天然資源の大規模搾取を行う多国籍企業に立ち向かったために。自らの民族先住民レンカ族が祖先から引き継いできた権利を主張したために。

大学生だった20歳のとき、ベルタはCPINH(ホンジュラス民衆及び先住民組織市民評議会 Consejo Cívico de Organizaciones Populares e Indígenas de Honduras)を創設した。この組織には今日では200あまりの先住民共同体が集まり、最も活動的な環境保護運動となっている。クーデタから誕生したホンジュラス政府は、国土の30%を鉱山と水力発電に携わる多国籍企業に譲渡した。数十もの建設中の巨大ダムがあり、300を越える大規模搾取企業が政府の買収を通じて国土を略奪している。しかし、COPINHは、ダム建設の停止、森林伐採計画の中断、鉱山採掘の凍結、聖なる地の破壊の回避、そして、 強奪された土地の先住民共同体への返還を達成した。

それだからこそ、3月3日の夜明け、就寝中に、死の部隊の殺し屋二人がラ・エスペランサ市の住居に侵入して、ベルタ・カセレスを殺害したのだ。

これは政治的犯罪だ。2009年6月に憲法に則ったホンジュラス大統領マヌエル・セラヤがクーデターベルタはクーデタ支持者に反対するデモの先頭に立って、途方もない勇気で抗議したーによって失脚してからというもの、この国は世界で最も暴力的な国の一つとなり、略奪的な多国籍企業や犯罪組織にとっての楽園と化してしまった。このような状況で、フアン・オルランド・エルナンデス[1]体制とホンジュラスの寡頭勢力は、処罰を受けることもなく、権利の侵害に反対する者を殺害し続けている。この7年間で、何十人という農民組織の幹部や労働組合のリーダー、社会運動家や人権擁護をする人、反権力的なジャーナリスト、教育者、環境活動家が消された。何の罪に問われることなしに。何の捜査も行われず、何も明らかにされない。誰も処罰されない。そして、主流の国際マスメディア(ベネズエラで起こった失策に対してはどんな小さなものでも激怒する用意がある)は、その恐怖や非道について言及することはほとんどない[2]

ベルタ・カサレスが殺害されたのと同じ日、ロンドンのNGO、Global Witnessはホンジュラスが「環境問題の活動家にとって最も危険な国である」と告発した[3]。2015年に起こった116 件の環境活動家殺害のうち4分の3あまりがラテンアメリカ起こり、その大半は大陸で最も貧しい国の一つホンジュラスで起こった[4]

2015年にベルタ・カセレスは、何千という先住民の居住地からの追放を引き起こす恐れがあった水力発電の巨大ダムの建設への抵抗によって、環境問題で国際的に最も権威のある賞、「緑のノーベル賞」であるゴールドマン環境賞を受賞した。勇敢な闘いによって、ベルタは中国の国有企業で世界最大の水力発電ダム建設業者シノハイドロと世界銀行関連組織の一つが引き下がって、プカ・オパラカ山地にあるレンカ族の聖なる川、グアルカルケ川のところにアグア・サルカ・ダムを建設する計画への参加を撤回させることに成功したのだ。ベルタとCOPINHによって結集した先住民共同体は、一年以上にも渡って建設現場への道路へのアクセスを封鎖した。そして、世界で最も強力な企業と金融の利権を持つ者に、この計画への参加を諦めさせたのだ。その勝利はまた、ベルタの死の最も直接的な原因でもあった。

世界銀行の資金を受けたBanco Ficohsa(ホンジュラス商業金融株式会社)からの融資を受けたホンジュラス企業DESA(エネルギー開発の株式会社)に推し進められて、アグア・サルカ巨大ダムの建設は2010年に開始された。この計画は、中米経済統合銀行(CABEI)、そして、欧州の二つの金融機関、オランダの開発銀行Nederlandse Financierings-Maatschappij voor Ontwikkelingslanden N.V(FMO)とフィンランドの産業協力基金FINNFUNDからの資金援助を有している[5]。そしてまた、タービン建設を受注したドイツ企業Voith Hydro Holding GmbH & Co. KGも関わっている。こうした企業全てに、ベルタ・カサレスの殺害への責任がある。無関係なふりをすることはできない。

なぜなら、環境保護活動家だけでなくレンカ族も正当な権利を守ろうとしているからだ。彼らは、1995年にホンジュラスが調印した国際労働機関(ILO)の原住民及び種族民関する条約(第169号)の侵害を告発している[6]。先住民族の権利に関する国際連合宣言(2007年)もまた要求しているように、巨大ダムに影響を受ける人々との情報を提供した上での自由な事前協議が存在していないのためだ[7]

ベルタは自分が死を刻印された女性であることを知っていた。何度も脅迫を受けてきた。死の部隊、ホンジュラスの支配者の殺し屋に狙われていた。しかし、彼女はいつも「私たちが彼らを恐れていないから、彼らは私たちを恐れている」と言っていた[8]。ゴールドマン賞を受賞した時、彼女はその賞が身を守る盾になるだろうかと問われて、こう答えた。「政府は環境活動家の殺害を一般の暴力犯罪と結びつけようとしますが、社会運動の闘争を犯罪化する目的で計画され、資金提供された政策が存在していることを示すものは十分にあります。私の考えが間違いだといいのですが。でも、環境を護るために闘う人たち対する迫害は、減るどころか激化しているのです」。彼女は間違っていなかった[9]

アグア・サルカのダムの建設は続いている。そして、それに反対する人たちは容赦なく殺害され続けている。ベルタ殺害から10日後、ホンジュラスの環境保護運動のリーダー、ネルソン・ガルシアの身にも起こったように[10]

ガンディー、マーティン・ルーサー・キング、ロメロ神父(訳注:エルサルバドルのイエズス会宣教師)、シコ・メンデス(訳注:ブラジルの環境活動家)を殺害した同じ人たちが、ホンジュラスの草原の見事な花、ベルタの人生を絶った。しかし、彼女の闘いを沈黙させることはできないであろう。パブロ・ネルダが言うように「すべての花を切り落とすことはできても、春を阻止することはできない」[11]

(翻訳・海老原弘子)

 [1] 2013年11月13日に大統領に選出され(最大のライバル、マヌエル・セラヤの妻シオマラ・カストロは選挙結果を認めずに、不正選挙を訴えた)、フアン・オルランド・エルナンデスは2014年1月27日就任した。彼は、スペインの国民党やフランスの共和党(サルコジの政党)などが加盟する保守派の国際組織、国際民主同盟(IDU)の一員であるホンジュラス国民党に所属する。

[2] このダブル・スタンダードを確認するには、例えば、クオリティ・ペーパーとされるエル・パイス紙がベルタ・カサレスに割いたスペースと、ベネズエラで投獄されているレオポルド・ロペスに2年前から継続的に割いているスペースを比較してみると良いだろう。

[3] https://www.globalwitness.org/fr/press-releases/global-witness-releases-new-data-murder-rate-environmental-and-land-activists-honduras-highest-world/

[4] 「ホンジュラスはラテンアメリカで最も貧困レベルが高い国である」(“国連ラテンアメリカ・カリブ経済委員会(ECLAC)、2015年11月。

[5] FINNFUNDが表明したベルタ・カサレス殺害を非難する文書を読むと興味深い。その中で、このフィンランドの金融機関は、それでもダム建設は継続するであろうと主張しているように読める。http://www.finnfund.fi/ajankohtaista/uutiset16/en_GB/agua_zarca/

[6] http://www.ilo.org/wcmsp5/groups/public/@ed_norm/@normes/documents/publication/wcms_100910.pdf

[7] http://www.un.org/esa/socdev/unpfii/documents/DRIPS_es.pdf

[8] Beverly Bell著「The Life and Legacy of Berta Cáceres」(Counterpunch、2016年3月11日)

[9]  Giorgio Trucchi著 「Asesinaron a un alma indomable」(Rebelión、 2016年3月7日)を参照のこと。

[10] http://www.eltelegrafo.com.ec/noticias/mundo/9/otro-lider-indigena-y-ambientalista-fue-asesinado-en-honduras

[11] Rafael Silva著「Berta Cáceres, otra víctima del capital」(Rebelión、2016年3月8日)より引用。

Berta Cáceres, crimen político – Ignacio Ramonet

 (ル・モンド・ディプロマティク・スペイン語版2016年04月号より)

************

参考までに、クーデタから一年後に書かれた記事を転載しておきます。

ホンジュラスを解放せよ-クーデタから一年 グスタボ・ドゥク

2010年6月30日

Original

この6月28日で、ロベルト・ミチェレティと国の実権を握る者たちが率いた国家クーデターから一年が経過した。この間に、我々が国際社会と呼ぶものから発せられたのはは、いくばくかの気弱な告発のジェスチャーだけだ。

その反対に国際的な連帯の動きは、明白な形でホンジュラスの民衆や正義を求める組織や民衆の抵抗を支持し続けている。しかし、農民、教師、ジャーナリスト、聖職者といった抵抗運動を行う人々は、この一年を通じて殺害されたり、姿を消したり、死の脅迫に苦しんできた。

«Grito de los Excluidos(疎外された者の叫び)»と«La Iniciativa de Acción contra los Agronegocios(農業ビジネス化反対行動イニシアチブ)»の告発によると、このような状況が作り出されて維持されている背景には、権力を持って 動いている者たちがいて、その一つがホンジュラスの農業ビジネスを牛耳る少数の権力集団だという。

彼らが最も危険で重大だと訴えているの は、現在コロン県のバホ・アグアンで起こっている事態だ。2010年2月以降現在までに、MUCA (アグアン農民統一運動)のメンバー7人が土地の権利を巡る紛争において殺害されており、直近の例が6月20日に殺害された17歳のオスカル・ジョバニ・ ラミレスだ。3000ヘクタールの土地の譲り受けた2500世帯の農家が追い立てられている [1]のは、アフリカ椰子を扱う企業が、その土地を再征服しようとしているからだ。この椰子油はバイオ燃料の生産に利用できるため、ビジネスとしての価値が上昇中である。

こ の二つの組織が自分たちのマニフェストにおいて「バホ・アグアンで行われている不正義は、ホンジュラスにおいて人権を蹂躙・侵害によって経済力と 政治力を得た農業ビジネス企業家たちの貪欲な利益追求の姿勢を反映したものだ。こうした企業家と呼ばれる人々こそが、一年前の国家クーデター以降その権力 を強化した人々なのだ。」と表現している。そして歯に衣を着せず「それは地元の農産品企業や国際なフランチャイズ企業を牛耳る何人かのことで、その中には ピザハット、ケンタッキー、ペプシ、ゲータレード、バーガーキング、ダンキンドーナツといったお馴染みの企業がある。」と企業名を上げた。

ホンジュラスの人々は、他の社会運動を行う人々の間に同胞愛があることを良く分かっている。手を取り合って、少数のエリートの利益のために、自然を私物化し、人々を搾取している者の化けの皮をはがすであろう。それは彼らのものなのだから。

[1] クーデター直前の6月12日に前大統領セラヤ署名した協定により、この地域の土地の所有権を巡る調査を行うことが決まった。その結果がわかるまで現状を維 持することになったにもかかわらず、軍や警察が数名の大土地所有者に有利になるように農民を追い立てているため、MUCAは抗議活動を行っている。

La desconquista de Honduras– Gustavo Duch

 

新たな恐怖ーイグナシオ・ラモネ

248_temporal大きな戦慄が走った。去る5月22日、オーストリア極右政党の大統領候補者ノルベルト・ホーファーは最終的に大統領に選出されることはなかったものの(僅差[1])、49.7%のオーストリア国民がネオ・ファシストに投票した事実から、オーストリア国民が何を恐れているのか問うことに意味はあるだろう。

フランスの歴史家、ジャン・ドリュモーは「社会の歴史の中で恐怖の形は多様に変化してゆくが、恐怖は存在し続ける」と述べた。20世紀まで人類への災厄は主に自然、飢餓、寒波、地震、洪水、火災、食糧不足、あるいはペスト、コレラ、結核、梅毒などの伝染病の大流行によって引き起こされてきた。かつて人類は常に脅威となる外的な世界に身を晒して生きてきた。災厄はとどまることなく人類を脅かし続けてきたのだ。

20世紀の前半には大戦争の恐怖が刻まれている。1914年から1918年の第一次世界大戦、1936年から1939年のスペイン内戦、そして1939年から1945年の第二次世界大戦。産業のように大量生産される死、聖書のエクソダスのような国外逃亡、大規模破壊、迫害、絶滅収容所……。1945年、第二次世界大戦と原子力爆弾によるヒロシマとナガサキの破壊の後、世界は核戦争の黙示録的な恐怖に常に脅かされてきた。しかしこの恐怖は1989年の冷戦の終結とともに、核兵器の拡散を制限し禁止する国際条約の締結を経て徐々に消え去っていった。

しかし、これらの条約の存在でリスクが消えたわけではない。とりわけチェルノブイリでの原子力発電所事故は、核の恐怖を蘇らせた。また近年フクシマで起こった原子力発電所事故によっても同様だ。日本のように高度な技術で知られる国でさえ、安全に関する基本的な原則を踏みにじり、数十万の人間の健康と生命を危機に晒したことを知って世論は呆然とした。

精神史の歴史家たちは、いつの日にか2010年から2020年にわたる私たちの時代の恐怖を問うことになるだろう。そして、西欧社会を攻撃し続けるジハード主義のテロリズムを例外とし、新たな恐怖とは、どちらかといえば経済的で社会的な性質(失業、プレカリアート、大量解雇、強制立ち退き、新たな貧困、移民、株の大暴落、デフレーション)を帯び、衛生状態(エボラ出血熱、出血性の伝染病、鳥インフルエンザ、チクングニア熱、ジカ熱)、あるいは環境問題(気候変動、自然環境の深刻な変化、手の付けられない巨大火災、環境汚染、大気汚染)から発生していることを見出すだろう。これらの問題は集団的な領域にも個人的な領域にも同じように関係している。

こうした全体的な文脈の中で、ヨーロッパの社会は大きく揺り動かされ、巨大な暴力のトラウマと衝撃に服従している。金融危機、大量の失業、国家主権の終焉、国境の消失、多文化主義、福祉国家の解体によって、多くのヨーロッパ人の精神の中で指針とアイデンティティーの喪失が起こった。

欧州リスク研究所(European Risk Observatory)がEUの主要7カ国で行った最近のアンケートの結果では、ヨーロッパ人の32%が金銭的な問題に直面する恐怖を5年前よりもずっと強く感じている。29%がプレカリアートに転落する恐怖を抱いている。そして31%が失業の恐怖に脅えている。スペインでは近年貧困率が「危機的な状況」で増加しており、1340万人、つまり人口の28.6%が社会から排除され貧困に陥る危機にある……。これらの不安が階級の低下という感情を生み出している。ヨーロッパ人の50%が親の世代と比較して後退した社会に生きているという印象を抱いている。

このように、今日ヨーロッパは新たな恐怖に席巻されている。現在の危機は世界でのヨーロッパの時代の終わりを告げることになるかもしれない。ここ数か月で中東(シリアやイラク)から数十万人の移民たちがやってきてから「異邦人の侵入」への恐怖が膨らんだ。イスラムの勃興、南の人口爆発、アイデンティティーへの脅威となりうる社会文化的な変化など、もはやヨーロッパの各国政府にはコントロールできないであろう外部からの力によって脅かされているという感情が拡大している。これらすべては、汚職事件が増加し、人気のない統治者の大半が自らの正当性が崩壊する様を目の当たりにしている深刻なモラルハザードの文脈で起こっている。ヨーロッパ全土で、これらの恐怖とこの「腐敗」を極右勢力が選挙のために利用しているのだ。去る4月25日オーストリア大統領選出の予備選挙における極右の勝利が示したように。その上、その予備選挙では1945年からオーストリアを統治してきた伝統的な二大政党(社会民主主義政党のSPÖとキリスト教民主主義政党のÖVP)の歴史的な大敗が起こった。

あまりにも多くの変化が暴力的かつ突発的に起こったことで、多くの市民にとって先の見えない不安が増大している。彼らの目に世界は見通せないものになり、歴史はあらゆる種類の制御からも逃れていくように映っている。数えきれないヨーロッパ人たちが右派であれ左派であれ統治者に見放されたと感じている。 その上、こうした統治者たちはマスメディアによって止むことなく投機家、騙し屋、嘘つき、冷笑的、泥棒、汚職まみれとして描写されている。このような混乱のさなかで自らを見失って、多くの市民はパニックに陥りはじめ、かつてトクヴィルが「もしも過去が未来を照らさぬようになったならば、精神は闇の中を歩く」と表現したような感情に襲われている。

雇用への不安、アイデンティティーの喪失、ルサンチマンによって作り上げられたこのような社会的な土壌において、再び古いデマゴーグが現れる。ナショナリズム的な言説に軸を置き、外国人、イスラム教徒、ユダヤ人、ロマ民族、黒人を否定し、新たな混乱状態や新たな危機を告発する連中だ。移民たちは理想的なスケープゴートで、もっとも簡単なターゲットとなる。根本的な社会変化を象徴し、ごく慎み深いヨーロッパ人の目にも、労働市場での好ましくない競争相手に映るからだ。

極右は常に外国人を嫌っていた。あらゆる危機を唯一の犯人、外国人のせいにしようとする。民主主義政党が、ほんのわずかでも排外主義の要素を自らの演説の中に取り入れることの重大さを自問するにとどまっているという歪んだ状態から見ても、現在この傾向には火がついているように思える。

最近のパリやブリュッセルでの憎むべきテロ行為の波を受け、イスラム教徒への恐怖はさらにまた増大した。例えばフランスには500万から600万人のイスラム教徒が存在し、ヨーロッパで一番重要なイスラム教コミュニティーを有していることは思い出しておいた方がよいだろう。ドイツには400万人近くのイスラム教徒がいる。フランスの日刊紙『ル・モンド』の最近のアンケートでは、42%のフランス人がイスラム教徒のことを「どちらかといえば脅威と感じる」と答えている。ドイツ人の40%も同じ考えだ。この2カ国では住民の大部分がイスラム教徒は受け入れ先の社会に同化していないと考えている。75%のドイツ人は「全く」同化していないか、あるいは「ほとんど同化していない」と答えている。フランス人の68%も同じように考えている。

数ヶ月前に、ドイツ首相のアンゲラ・メルケルーその後2015年には亡命を希望をした80万人以上の移民を受け入れたーは異なる文化が調和的に共存するという多文化主義モデルは「完全に失敗した」と発言した。元ドイツ中央銀行幹部のティロ・サラジンは、自身が記したイスラム嫌いを掲げるパンフレットの中で、イスラム系移民には同化の意志が欠けていると批判したが、そのパンフレットはドイツの書店で大ヒットとなり、125万部も売れた。

かつて中国の発展を想像し「黄禍」と呼んだのと同じやり方で、イスラム教徒のことを「緑の禍」と呼ぶヨーロッパ人は日に日に増えている。外国人嫌悪とレイシズムがヨーロッパを席巻している。ヨーロッパのイスラム教徒には完璧とは言えない人々がいるという事実がこの傾向を助長していることは間違いない。とりわけ、マスメディアがイラクやシリアでのISIS(イスラム国連合)、あるいはダーイッシュの残虐行為を報道する中で、サラフィー主義への改宗を拡大するためにヨーロッパの自由の空気を利用しているイスラム教徒の活動家たちだ。彼らは同胞たちや改宗した若いキリスト教徒たちの教えを説く。もっとも過激な者たちは、昨今のフランスやベルギーでのテロ活動に参加した。

政治領域では、有権者の不安や苦悩を呼び覚ます劇的な演説が数多くある。選挙運動中、個人の防衛本能に訴えかける演説はよく見受けられる。慣習的な方法で恐怖に訴えかけるのだ。感情を操作しようとする。そして、この感情を利用することにかけて右派のポピュリストたちはー現在の社会的危機の状況においてーエキスパートとなった。オーストリアに限った話ではない。例えばフランスでも国民戦線とその党首、マリーヌ・ル・ペンの演説には恐怖に訴えかけないものはない。ル・ペンは身体の安全や市民の福祉に忍び寄る「脅威」を常に掻き立てる。そして彼女の政党、国民戦線をこれらの「危機」に対する「守りの盾」だと見せかけるのだ。

オーストリア自由党(ドイツ語表記による略称はFPÖ)および党首のノルベルト・ホーファーの全ての文書では、理想化された過去と守るべきアイデンティティーが執拗に強調されている。彼らは決まって「外部の敵」に言及して恐怖を煽る。つまりイスラム教徒のことで、「オーストリア国家」はそれらに立ち向かう壁として機能しなければならないというのだ。彼らは他者、外国人を国家共同体の結びつきを危険にさらすものとして批判する。あらゆる右派のポピュリスト政党の演説には他者への恐怖が見受けられる。他者は必ず敵である。他者は撃退されなければならない。なぜなら他者は「永遠なる祖国」の価値を共有しないのだから。

演説の中で、新たな極右政党のリーダーたちはEUをも攻撃する。EUをあらゆる悪で糾弾するが、とりわけ、国民国家とその国民を「危機に陥れた」という。EUが国家の分裂の責任者にされるのだ。ノルベルト・ホーファーが「ヨーロッパの闇」について述べると、聴衆は不穏な気持ちに陥いる。なぜなら、西洋とキリスト教文化圏で「闇」とは総じて無か死を意味するためだ。従ってオーストリア自由党は、オーストリア国民を光に導く「救国」の政党として現れる。

ヨーロッパのポピュリズム右派の多くは、現在のところ危機を煽って、演劇のような演出で飾ることに取り掛かっている。彼らの演説はただの幻想を生み出すにすぎない。しかし、現在のような混迷、危機、苦悩、新たな恐怖の時期においては、彼らの言葉がパニックの餌食となり狼狽している有権者たちを最も上手く捉えることができる。

(翻訳・高際裕哉/海老原弘子)

[1]郵便での投票の90万票の再集計の後、エコロジストの候補者で、経済学名誉教授のアレクサンダー・ファン・デア・ベレン(72歳)が50.3%の得票率で、極右候補者ノルベルト・ホーファーの49.7%に勝った。ノルベルト・ホーファーは一次投票の際35%の得票率を得て勝利していた。

 Los nuevos miedos– Ignacio Ramonet

 (ル・モンド・ディプロマティク・スペイン語版2016年06月号より)