フィデル・カストロと知識人の弾圧ーイグナシオ・ラモネ

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ポスト真実の時代におけるメディアによる独裁

フィデル・カストロと知識人の弾圧ーイグナシオ・ラモネ

フィデル・カストロの死によって、欧米の大メディアではキューバの司令官に対する中傷が大量に流布した。それは私にとって辛いことだった。私は、彼のことをよく知っていたのだから。それで、私は個人的な証言を提供することを決めた。首尾一貫した知識人であるなら、不正を告発するべきだ。それも、自分の国の不正から始めるべきだろう。

メディアの画一性が全ての多様性を押しつぶし、異なる表現はいかなるものでも検閲し、異論を持つ著者に制裁を科すときに、私たちが弾圧について話すのは、全くもって当然のことである。それ以外の方法で、表現の自由に猿ぐつわをさせ、多様な声を弾圧するシステムを評することができるだろうか? どんなにしっかりとした主張であったとしても、反論は一切受け入れないシステムだ。公式の真実を定めて、違反を容認しないシステム。そのようなシステムには名前があって、圧制あるいは独裁と呼ばれる。このことに議論の余地はない。多くの人々と同じように、私も身をもってそのシステムによる鞭打ち刑を体験した。スペイン、そしてフランスにおいて。このことを語ろうと思う。

私個人に対する弾圧は2006年、キューバ革命の指導者との数百時間の会話を扱った5年に及ぶ取材と作業の成果である著作『 Fidel Castro. Biografía a dos voces 』あるいは『Cien horas con Fidel (Edit. Debate、バルセロナ)』をスペインで出版したときに始まった。瞬く間に私は攻撃を受けた。そして、弾圧が始まった。例えば、当時まで定期的に意見記事欄に寄稿していた新聞『El País エル・パイス』(マドリッド)は、私に制裁を加えた。私の記事の掲載を停止したのだ。私には一言の説明もなかった。それだけではない。さらにはー最も素晴らしいスターリン主義の伝統だーそのページから私の名前が消えた。消されたのだ。私の著作が書評に載ることも、私の知識人としての活動に触れることも、二度とはなかった。何もない。削除された。検閲された。未来の歴史家が私の名を『エル・パイス』のコラム欄に探したならば、私は数十年前に死亡したと推論することになるだろう。

同じことが、数年前から毎週『Res Publica』というタイトルのコラムを執筆していた『La Voz de Galicia ラ・ボス・デ・ガリシア』で起こった。フィデル・カストロに関する著作の出版が原因で、こちらも最低限の言い訳もなしに、私を弾圧したのだ。私の記事を掲載するのを止めた。一夜にして、全てが検閲された。『エル・パイス』と同じように、完全無視。伝染病に対するような扱いだ。それ以降、私の活動に言及することは二度とない。

全てのイデオロギー的な独裁においてと同じように、知識人を処刑する最良の方法はメディア空間から消滅させて、象徴的に殺害することである。ヒトラーはそれを行った。スターリンもそれを行った。フランコもそれを行った。『 エル・パイス 』『ラ・ボス・デ・ガリシア』の両紙は、私にそれを行った。

フランスでも幾度となく私に起こったことだ。出版社FayardとGalilée が2007年に私の著作『Fidel Castro. Biographie à deux voix』を出版するやいなや、弾圧はすぐさま私に襲いかかってきた。

公共ラジオ『France Culture 』において、私は毎週土曜日の朝、国際政治を扱う番組を担当していた。フィデル・カストロについての本が出版され、支配的メディアが私に対して暴力的な攻撃を開始すると、放送ディレクターは私を自分のオフィスに呼び出して、さほど遠回しな表現をすることもなく私に言った。「あなたのような、圧制者の友が私たちの電波において発言を続けることはできません」。私は反論しようとした。どうにもならなかった。私に対してスタジオの扉は永久に閉ざされてしまった。そこでも私は猿ぐつわをはめられた。全会一致の反キューバのコーラスで一度音程を外したことで、沈黙させられた。

パリ第7大学において、私は35年に渡ってオーディオビジュアル・コミュニケーション理論を教えてきた。私の著作の流通と私に対するメディアのバッシングが始まると、一人の同僚が私に警告した。「気をつけろ。私たちの学部で独裁者の友が教鞭を取るのを容認できないと言って回ってる役員がいる…」。間もなく、フィデル・カストロを攻撃し大学から私を追放することを要求する匿名のビラが、廊下で撒かれ始めるようになった。程なくして、私は契約が更新されないことを公式に知らされた。表現の自由の名の下に、私は表現の権利を否定された。

あの当時私はパリで、有名な新聞『Le Monde ル・モンド』と同じ出版グループに属する月刊誌『Le Monde diplomatique ル・モンド・ディプロマティク』を率いていた。そして、もう新聞のコラムに寄稿していなかったものの、歴史的な経緯が理由で編集者組織に所属していた。その組織は当時、主要株主であることによって、会社組織の中で非常に重要な存在であった。その中から新聞の編集長が選出されること、職業倫理の尊重に目を光らせていることが理由だ。

まさにこの責務によって、私が書いたフィデル・カストロの伝記が書店に並んで数日が経ち、数々の重要なメディア(その中には新聞『Libération リベラシオン』がある)が私を攻撃し始めると、編集者組織の代表が私に電話をかけてきた。彼によると、私の著作の出版によって編集者組織の内部で支配的となっている抑えきれない感情を伝えるためだった。「私の本を読みましたか?」と彼に訊いた。「いいや。でも、そんなことはどうでも良い。倫理の、職業倫理の問題なんだ。『ル・モンド』グループのジャーナリストが独裁者にインタビューをすることはできない」と彼は応えた。私は、数十年に渡って新聞が愛想よく発言の機会を与えてきたアフリカなどの大陸の正真正銘の専制君主数十名のリストを諳んじた。「それは別の話だ。まさにそれだからこそ、君を呼んだんだ。編集者組織のメンバーは君に来てもらって、私たちに説明して欲しいと言っている」と私に言った。「私を裁きたいのですか? モスクワ裁判のように? イデオロギーの逸脱による粛清ですか? それだったら、あなたたちは法廷に力づくで私を引きずり出す、異端審問官や政治警察官の役割を引き受けなければなりませんね」。彼らにそんなことはできなかった。

私に文句は言えない。ナチス体制やスターリン体制、フランコ体制の下で数多くのジャーナリストや知識人に起こったように、投獄されたわけでも、拷問を受けたわけでも、銃殺されたわけでもないのだから。しかし、私は象徴的に処分された。『エル・パイス』、または『ラ・ボス』においてと同様に、『ル・モンド』紙のコラムからも私は消えた。あるいは、バッシングするためだけに私を引き合いに出した。

私が唯一のケースではない。支配的メディアの獰猛なコーラス隊と同じように考えないことで、強制された反カストロの教条主義を拒否したことで、沈黙を強いられ、不可視化され、周縁に追いやられた知識人やジャーナリストを、私はーフランスにおいてもスペインにおいても、他の欧州諸国においてもーたくさん知っている。何十年にも渡ってノーム・チョムスキーは、魔女狩りの国アメリカ合衆国において、最も影響力のある新聞のコラムや主要なラジオ・テレビ放送へのアクセスを禁じる大メディアによって公職追放に処されていた。

これは50年以上前に、はるか遠い昔の埃をかぶった独裁体制において起こったことではない。今現在、私たちのメディア民主主義の中で起こっていることだ。私はこの瞬間もそれに苦しみ続けている。単にジャーナリストとしての仕事を行ったというだけで、フィデル・カストロに発言の機会を与えたことによって。もしかして、裁判で被告には発言の機会は与えられないのだろうか? 支配的な大メディアは絶え間なく彼を裁いては非難している一方、どうしてキューバ人指導者の見解は容認されないのだろうか?

ひょっとしたら、寛容は民主主義の基礎ではないのか? ヴォルテールは寛容を次のような方法で定義した。「私はあなたの言うことに全く同意しないが、それを主張する権利のためには命をかけて闘う」。ポスト真実の時代におけるメディアの独裁は、この基本原則を無視している。

Fidel Castro y la represión contra los intelectuales – Ignacio Ramonet

*この記事で繰り返し言及されるラモネのフィデル・カストロの伝記についてはこちらの記事を参照ください。

ベルタ・カサレス、政治的犯罪ーイグナシオ・ラモネ

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諸事情から遅くなりましたが、ル・モンド・ディプロマティク・スペイン語版2016年04月号論説の翻訳です。

彼女はベルタという名前だった。ベルタ・カサレス。去る3月4日に43歳の誕生日を迎えようとしていた。その前夜に殺害された。ホンジュラスにおいて。環境活動家であったために。服従しなかったために。自然を護ろうとしたために。天然資源の大規模搾取を行う多国籍企業に立ち向かったために。自らの民族先住民レンカ族が祖先から引き継いできた権利を主張したために。

大学生だった20歳のとき、ベルタはCPINH(ホンジュラス民衆及び先住民組織市民評議会 Consejo Cívico de Organizaciones Populares e Indígenas de Honduras)を創設した。この組織には今日では200あまりの先住民共同体が集まり、最も活動的な環境保護運動となっている。クーデタから誕生したホンジュラス政府は、国土の30%を鉱山と水力発電に携わる多国籍企業に譲渡した。数十もの建設中の巨大ダムがあり、300を越える大規模搾取企業が政府の買収を通じて国土を略奪している。しかし、COPINHは、ダム建設の停止、森林伐採計画の中断、鉱山採掘の凍結、聖なる地の破壊の回避、そして、 強奪された土地の先住民共同体への返還を達成した。

それだからこそ、3月3日の夜明け、就寝中に、死の部隊の殺し屋二人がラ・エスペランサ市の住居に侵入して、ベルタ・カセレスを殺害したのだ。

これは政治的犯罪だ。2009年6月に憲法に則ったホンジュラス大統領マヌエル・セラヤがクーデターベルタはクーデタ支持者に反対するデモの先頭に立って、途方もない勇気で抗議したーによって失脚してからというもの、この国は世界で最も暴力的な国の一つとなり、略奪的な多国籍企業や犯罪組織にとっての楽園と化してしまった。このような状況で、フアン・オルランド・エルナンデス[1]体制とホンジュラスの寡頭勢力は、処罰を受けることもなく、権利の侵害に反対する者を殺害し続けている。この7年間で、何十人という農民組織の幹部や労働組合のリーダー、社会運動家や人権擁護をする人、反権力的なジャーナリスト、教育者、環境活動家が消された。何の罪に問われることなしに。何の捜査も行われず、何も明らかにされない。誰も処罰されない。そして、主流の国際マスメディア(ベネズエラで起こった失策に対してはどんな小さなものでも激怒する用意がある)は、その恐怖や非道について言及することはほとんどない[2]

ベルタ・カサレスが殺害されたのと同じ日、ロンドンのNGO、Global Witnessはホンジュラスが「環境問題の活動家にとって最も危険な国である」と告発した[3]。2015年に起こった116 件の環境活動家殺害のうち4分の3あまりがラテンアメリカ起こり、その大半は大陸で最も貧しい国の一つホンジュラスで起こった[4]

2015年にベルタ・カセレスは、何千という先住民の居住地からの追放を引き起こす恐れがあった水力発電の巨大ダムの建設への抵抗によって、環境問題で国際的に最も権威のある賞、「緑のノーベル賞」であるゴールドマン環境賞を受賞した。勇敢な闘いによって、ベルタは中国の国有企業で世界最大の水力発電ダム建設業者シノハイドロと世界銀行関連組織の一つが引き下がって、プカ・オパラカ山地にあるレンカ族の聖なる川、グアルカルケ川のところにアグア・サルカ・ダムを建設する計画への参加を撤回させることに成功したのだ。ベルタとCOPINHによって結集した先住民共同体は、一年以上にも渡って建設現場への道路へのアクセスを封鎖した。そして、世界で最も強力な企業と金融の利権を持つ者に、この計画への参加を諦めさせたのだ。その勝利はまた、ベルタの死の最も直接的な原因でもあった。

世界銀行の資金を受けたBanco Ficohsa(ホンジュラス商業金融株式会社)からの融資を受けたホンジュラス企業DESA(エネルギー開発の株式会社)に推し進められて、アグア・サルカ巨大ダムの建設は2010年に開始された。この計画は、中米経済統合銀行(CABEI)、そして、欧州の二つの金融機関、オランダの開発銀行Nederlandse Financierings-Maatschappij voor Ontwikkelingslanden N.V(FMO)とフィンランドの産業協力基金FINNFUNDからの資金援助を有している[5]。そしてまた、タービン建設を受注したドイツ企業Voith Hydro Holding GmbH & Co. KGも関わっている。こうした企業全てに、ベルタ・カサレスの殺害への責任がある。無関係なふりをすることはできない。

なぜなら、環境保護活動家だけでなくレンカ族も正当な権利を守ろうとしているからだ。彼らは、1995年にホンジュラスが調印した国際労働機関(ILO)の原住民及び種族民関する条約(第169号)の侵害を告発している[6]。先住民族の権利に関する国際連合宣言(2007年)もまた要求しているように、巨大ダムに影響を受ける人々との情報を提供した上での自由な事前協議が存在していないのためだ[7]

ベルタは自分が死を刻印された女性であることを知っていた。何度も脅迫を受けてきた。死の部隊、ホンジュラスの支配者の殺し屋に狙われていた。しかし、彼女はいつも「私たちが彼らを恐れていないから、彼らは私たちを恐れている」と言っていた[8]。ゴールドマン賞を受賞した時、彼女はその賞が身を守る盾になるだろうかと問われて、こう答えた。「政府は環境活動家の殺害を一般の暴力犯罪と結びつけようとしますが、社会運動の闘争を犯罪化する目的で計画され、資金提供された政策が存在していることを示すものは十分にあります。私の考えが間違いだといいのですが。でも、環境を護るために闘う人たち対する迫害は、減るどころか激化しているのです」。彼女は間違っていなかった[9]

アグア・サルカのダムの建設は続いている。そして、それに反対する人たちは容赦なく殺害され続けている。ベルタ殺害から10日後、ホンジュラスの環境保護運動のリーダー、ネルソン・ガルシアの身にも起こったように[10]

ガンディー、マーティン・ルーサー・キング、ロメロ神父(訳注:エルサルバドルのイエズス会宣教師)、シコ・メンデス(訳注:ブラジルの環境活動家)を殺害した同じ人たちが、ホンジュラスの草原の見事な花、ベルタの人生を絶った。しかし、彼女の闘いを沈黙させることはできないであろう。パブロ・ネルダが言うように「すべての花を切り落とすことはできても、春を阻止することはできない」[11]

(翻訳・海老原弘子)

 [1] 2013年11月13日に大統領に選出され(最大のライバル、マヌエル・セラヤの妻シオマラ・カストロは選挙結果を認めずに、不正選挙を訴えた)、フアン・オルランド・エルナンデスは2014年1月27日就任した。彼は、スペインの国民党やフランスの共和党(サルコジの政党)などが加盟する保守派の国際組織、国際民主同盟(IDU)の一員であるホンジュラス国民党に所属する。

[2] このダブル・スタンダードを確認するには、例えば、クオリティ・ペーパーとされるエル・パイス紙がベルタ・カサレスに割いたスペースと、ベネズエラで投獄されているレオポルド・ロペスに2年前から継続的に割いているスペースを比較してみると良いだろう。

[3] https://www.globalwitness.org/fr/press-releases/global-witness-releases-new-data-murder-rate-environmental-and-land-activists-honduras-highest-world/

[4] 「ホンジュラスはラテンアメリカで最も貧困レベルが高い国である」(“国連ラテンアメリカ・カリブ経済委員会(ECLAC)、2015年11月。

[5] FINNFUNDが表明したベルタ・カサレス殺害を非難する文書を読むと興味深い。その中で、このフィンランドの金融機関は、それでもダム建設は継続するであろうと主張しているように読める。http://www.finnfund.fi/ajankohtaista/uutiset16/en_GB/agua_zarca/

[6] http://www.ilo.org/wcmsp5/groups/public/@ed_norm/@normes/documents/publication/wcms_100910.pdf

[7] http://www.un.org/esa/socdev/unpfii/documents/DRIPS_es.pdf

[8] Beverly Bell著「The Life and Legacy of Berta Cáceres」(Counterpunch、2016年3月11日)

[9]  Giorgio Trucchi著 「Asesinaron a un alma indomable」(Rebelión、 2016年3月7日)を参照のこと。

[10] http://www.eltelegrafo.com.ec/noticias/mundo/9/otro-lider-indigena-y-ambientalista-fue-asesinado-en-honduras

[11] Rafael Silva著「Berta Cáceres, otra víctima del capital」(Rebelión、2016年3月8日)より引用。

Berta Cáceres, crimen político – Ignacio Ramonet

 (ル・モンド・ディプロマティク・スペイン語版2016年04月号より)

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参考までに、クーデタから一年後に書かれた記事を転載しておきます。

ホンジュラスを解放せよ-クーデタから一年 グスタボ・ドゥク

2010年6月30日

Original

この6月28日で、ロベルト・ミチェレティと国の実権を握る者たちが率いた国家クーデターから一年が経過した。この間に、我々が国際社会と呼ぶものから発せられたのはは、いくばくかの気弱な告発のジェスチャーだけだ。

その反対に国際的な連帯の動きは、明白な形でホンジュラスの民衆や正義を求める組織や民衆の抵抗を支持し続けている。しかし、農民、教師、ジャーナリスト、聖職者といった抵抗運動を行う人々は、この一年を通じて殺害されたり、姿を消したり、死の脅迫に苦しんできた。

«Grito de los Excluidos(疎外された者の叫び)»と«La Iniciativa de Acción contra los Agronegocios(農業ビジネス化反対行動イニシアチブ)»の告発によると、このような状況が作り出されて維持されている背景には、権力を持って 動いている者たちがいて、その一つがホンジュラスの農業ビジネスを牛耳る少数の権力集団だという。

彼らが最も危険で重大だと訴えているの は、現在コロン県のバホ・アグアンで起こっている事態だ。2010年2月以降現在までに、MUCA (アグアン農民統一運動)のメンバー7人が土地の権利を巡る紛争において殺害されており、直近の例が6月20日に殺害された17歳のオスカル・ジョバニ・ ラミレスだ。3000ヘクタールの土地の譲り受けた2500世帯の農家が追い立てられている [1]のは、アフリカ椰子を扱う企業が、その土地を再征服しようとしているからだ。この椰子油はバイオ燃料の生産に利用できるため、ビジネスとしての価値が上昇中である。

こ の二つの組織が自分たちのマニフェストにおいて「バホ・アグアンで行われている不正義は、ホンジュラスにおいて人権を蹂躙・侵害によって経済力と 政治力を得た農業ビジネス企業家たちの貪欲な利益追求の姿勢を反映したものだ。こうした企業家と呼ばれる人々こそが、一年前の国家クーデター以降その権力 を強化した人々なのだ。」と表現している。そして歯に衣を着せず「それは地元の農産品企業や国際なフランチャイズ企業を牛耳る何人かのことで、その中には ピザハット、ケンタッキー、ペプシ、ゲータレード、バーガーキング、ダンキンドーナツといったお馴染みの企業がある。」と企業名を上げた。

ホンジュラスの人々は、他の社会運動を行う人々の間に同胞愛があることを良く分かっている。手を取り合って、少数のエリートの利益のために、自然を私物化し、人々を搾取している者の化けの皮をはがすであろう。それは彼らのものなのだから。

[1] クーデター直前の6月12日に前大統領セラヤ署名した協定により、この地域の土地の所有権を巡る調査を行うことが決まった。その結果がわかるまで現状を維 持することになったにもかかわらず、軍や警察が数名の大土地所有者に有利になるように農民を追い立てているため、MUCAは抗議活動を行っている。

La desconquista de Honduras– Gustavo Duch

 

新たな恐怖ーイグナシオ・ラモネ

248_temporal大きな戦慄が走った。去る5月22日、オーストリア極右政党の大統領候補者ノルベルト・ホーファーは最終的に大統領に選出されることはなかったものの(僅差[1])、49.7%のオーストリア国民がネオ・ファシストに投票した事実から、オーストリア国民が何を恐れているのか問うことに意味はあるだろう。

フランスの歴史家、ジャン・ドリュモーは「社会の歴史の中で恐怖の形は多様に変化してゆくが、恐怖は存在し続ける」と述べた。20世紀まで人類への災厄は主に自然、飢餓、寒波、地震、洪水、火災、食糧不足、あるいはペスト、コレラ、結核、梅毒などの伝染病の大流行によって引き起こされてきた。かつて人類は常に脅威となる外的な世界に身を晒して生きてきた。災厄はとどまることなく人類を脅かし続けてきたのだ。

20世紀の前半には大戦争の恐怖が刻まれている。1914年から1918年の第一次世界大戦、1936年から1939年のスペイン内戦、そして1939年から1945年の第二次世界大戦。産業のように大量生産される死、聖書のエクソダスのような国外逃亡、大規模破壊、迫害、絶滅収容所……。1945年、第二次世界大戦と原子力爆弾によるヒロシマとナガサキの破壊の後、世界は核戦争の黙示録的な恐怖に常に脅かされてきた。しかしこの恐怖は1989年の冷戦の終結とともに、核兵器の拡散を制限し禁止する国際条約の締結を経て徐々に消え去っていった。

しかし、これらの条約の存在でリスクが消えたわけではない。とりわけチェルノブイリでの原子力発電所事故は、核の恐怖を蘇らせた。また近年フクシマで起こった原子力発電所事故によっても同様だ。日本のように高度な技術で知られる国でさえ、安全に関する基本的な原則を踏みにじり、数十万の人間の健康と生命を危機に晒したことを知って世論は呆然とした。

精神史の歴史家たちは、いつの日にか2010年から2020年にわたる私たちの時代の恐怖を問うことになるだろう。そして、西欧社会を攻撃し続けるジハード主義のテロリズムを例外とし、新たな恐怖とは、どちらかといえば経済的で社会的な性質(失業、プレカリアート、大量解雇、強制立ち退き、新たな貧困、移民、株の大暴落、デフレーション)を帯び、衛生状態(エボラ出血熱、出血性の伝染病、鳥インフルエンザ、チクングニア熱、ジカ熱)、あるいは環境問題(気候変動、自然環境の深刻な変化、手の付けられない巨大火災、環境汚染、大気汚染)から発生していることを見出すだろう。これらの問題は集団的な領域にも個人的な領域にも同じように関係している。

こうした全体的な文脈の中で、ヨーロッパの社会は大きく揺り動かされ、巨大な暴力のトラウマと衝撃に服従している。金融危機、大量の失業、国家主権の終焉、国境の消失、多文化主義、福祉国家の解体によって、多くのヨーロッパ人の精神の中で指針とアイデンティティーの喪失が起こった。

欧州リスク研究所(European Risk Observatory)がEUの主要7カ国で行った最近のアンケートの結果では、ヨーロッパ人の32%が金銭的な問題に直面する恐怖を5年前よりもずっと強く感じている。29%がプレカリアートに転落する恐怖を抱いている。そして31%が失業の恐怖に脅えている。スペインでは近年貧困率が「危機的な状況」で増加しており、1340万人、つまり人口の28.6%が社会から排除され貧困に陥る危機にある……。これらの不安が階級の低下という感情を生み出している。ヨーロッパ人の50%が親の世代と比較して後退した社会に生きているという印象を抱いている。

このように、今日ヨーロッパは新たな恐怖に席巻されている。現在の危機は世界でのヨーロッパの時代の終わりを告げることになるかもしれない。ここ数か月で中東(シリアやイラク)から数十万人の移民たちがやってきてから「異邦人の侵入」への恐怖が膨らんだ。イスラムの勃興、南の人口爆発、アイデンティティーへの脅威となりうる社会文化的な変化など、もはやヨーロッパの各国政府にはコントロールできないであろう外部からの力によって脅かされているという感情が拡大している。これらすべては、汚職事件が増加し、人気のない統治者の大半が自らの正当性が崩壊する様を目の当たりにしている深刻なモラルハザードの文脈で起こっている。ヨーロッパ全土で、これらの恐怖とこの「腐敗」を極右勢力が選挙のために利用しているのだ。去る4月25日オーストリア大統領選出の予備選挙における極右の勝利が示したように。その上、その予備選挙では1945年からオーストリアを統治してきた伝統的な二大政党(社会民主主義政党のSPÖとキリスト教民主主義政党のÖVP)の歴史的な大敗が起こった。

あまりにも多くの変化が暴力的かつ突発的に起こったことで、多くの市民にとって先の見えない不安が増大している。彼らの目に世界は見通せないものになり、歴史はあらゆる種類の制御からも逃れていくように映っている。数えきれないヨーロッパ人たちが右派であれ左派であれ統治者に見放されたと感じている。 その上、こうした統治者たちはマスメディアによって止むことなく投機家、騙し屋、嘘つき、冷笑的、泥棒、汚職まみれとして描写されている。このような混乱のさなかで自らを見失って、多くの市民はパニックに陥りはじめ、かつてトクヴィルが「もしも過去が未来を照らさぬようになったならば、精神は闇の中を歩く」と表現したような感情に襲われている。

雇用への不安、アイデンティティーの喪失、ルサンチマンによって作り上げられたこのような社会的な土壌において、再び古いデマゴーグが現れる。ナショナリズム的な言説に軸を置き、外国人、イスラム教徒、ユダヤ人、ロマ民族、黒人を否定し、新たな混乱状態や新たな危機を告発する連中だ。移民たちは理想的なスケープゴートで、もっとも簡単なターゲットとなる。根本的な社会変化を象徴し、ごく慎み深いヨーロッパ人の目にも、労働市場での好ましくない競争相手に映るからだ。

極右は常に外国人を嫌っていた。あらゆる危機を唯一の犯人、外国人のせいにしようとする。民主主義政党が、ほんのわずかでも排外主義の要素を自らの演説の中に取り入れることの重大さを自問するにとどまっているという歪んだ状態から見ても、現在この傾向には火がついているように思える。

最近のパリやブリュッセルでの憎むべきテロ行為の波を受け、イスラム教徒への恐怖はさらにまた増大した。例えばフランスには500万から600万人のイスラム教徒が存在し、ヨーロッパで一番重要なイスラム教コミュニティーを有していることは思い出しておいた方がよいだろう。ドイツには400万人近くのイスラム教徒がいる。フランスの日刊紙『ル・モンド』の最近のアンケートでは、42%のフランス人がイスラム教徒のことを「どちらかといえば脅威と感じる」と答えている。ドイツ人の40%も同じ考えだ。この2カ国では住民の大部分がイスラム教徒は受け入れ先の社会に同化していないと考えている。75%のドイツ人は「全く」同化していないか、あるいは「ほとんど同化していない」と答えている。フランス人の68%も同じように考えている。

数ヶ月前に、ドイツ首相のアンゲラ・メルケルーその後2015年には亡命を希望をした80万人以上の移民を受け入れたーは異なる文化が調和的に共存するという多文化主義モデルは「完全に失敗した」と発言した。元ドイツ中央銀行幹部のティロ・サラジンは、自身が記したイスラム嫌いを掲げるパンフレットの中で、イスラム系移民には同化の意志が欠けていると批判したが、そのパンフレットはドイツの書店で大ヒットとなり、125万部も売れた。

かつて中国の発展を想像し「黄禍」と呼んだのと同じやり方で、イスラム教徒のことを「緑の禍」と呼ぶヨーロッパ人は日に日に増えている。外国人嫌悪とレイシズムがヨーロッパを席巻している。ヨーロッパのイスラム教徒には完璧とは言えない人々がいるという事実がこの傾向を助長していることは間違いない。とりわけ、マスメディアがイラクやシリアでのISIS(イスラム国連合)、あるいはダーイッシュの残虐行為を報道する中で、サラフィー主義への改宗を拡大するためにヨーロッパの自由の空気を利用しているイスラム教徒の活動家たちだ。彼らは同胞たちや改宗した若いキリスト教徒たちの教えを説く。もっとも過激な者たちは、昨今のフランスやベルギーでのテロ活動に参加した。

政治領域では、有権者の不安や苦悩を呼び覚ます劇的な演説が数多くある。選挙運動中、個人の防衛本能に訴えかける演説はよく見受けられる。慣習的な方法で恐怖に訴えかけるのだ。感情を操作しようとする。そして、この感情を利用することにかけて右派のポピュリストたちはー現在の社会的危機の状況においてーエキスパートとなった。オーストリアに限った話ではない。例えばフランスでも国民戦線とその党首、マリーヌ・ル・ペンの演説には恐怖に訴えかけないものはない。ル・ペンは身体の安全や市民の福祉に忍び寄る「脅威」を常に掻き立てる。そして彼女の政党、国民戦線をこれらの「危機」に対する「守りの盾」だと見せかけるのだ。

オーストリア自由党(ドイツ語表記による略称はFPÖ)および党首のノルベルト・ホーファーの全ての文書では、理想化された過去と守るべきアイデンティティーが執拗に強調されている。彼らは決まって「外部の敵」に言及して恐怖を煽る。つまりイスラム教徒のことで、「オーストリア国家」はそれらに立ち向かう壁として機能しなければならないというのだ。彼らは他者、外国人を国家共同体の結びつきを危険にさらすものとして批判する。あらゆる右派のポピュリスト政党の演説には他者への恐怖が見受けられる。他者は必ず敵である。他者は撃退されなければならない。なぜなら他者は「永遠なる祖国」の価値を共有しないのだから。

演説の中で、新たな極右政党のリーダーたちはEUをも攻撃する。EUをあらゆる悪で糾弾するが、とりわけ、国民国家とその国民を「危機に陥れた」という。EUが国家の分裂の責任者にされるのだ。ノルベルト・ホーファーが「ヨーロッパの闇」について述べると、聴衆は不穏な気持ちに陥いる。なぜなら、西洋とキリスト教文化圏で「闇」とは総じて無か死を意味するためだ。従ってオーストリア自由党は、オーストリア国民を光に導く「救国」の政党として現れる。

ヨーロッパのポピュリズム右派の多くは、現在のところ危機を煽って、演劇のような演出で飾ることに取り掛かっている。彼らの演説はただの幻想を生み出すにすぎない。しかし、現在のような混迷、危機、苦悩、新たな恐怖の時期においては、彼らの言葉がパニックの餌食となり狼狽している有権者たちを最も上手く捉えることができる。

(翻訳・高際裕哉/海老原弘子)

[1]郵便での投票の90万票の再集計の後、エコロジストの候補者で、経済学名誉教授のアレクサンダー・ファン・デア・ベレン(72歳)が50.3%の得票率で、極右候補者ノルベルト・ホーファーの49.7%に勝った。ノルベルト・ホーファーは一次投票の際35%の得票率を得て勝利していた。

 Los nuevos miedos– Ignacio Ramonet

 (ル・モンド・ディプロマティク・スペイン語版2016年06月号より)

戦争、記憶、正義ーイグナシオ・ラモネ

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今年の7月でスペイン市民戦争(1936〜1939年)の開始から丸80年となる。冷酷な20世紀において最も冷酷な紛争の一つだった。その紛争は情け容赦のない独裁によって、さらに40年という途方もなく長い期間に渡って引き延ばされた。そして、集団的記憶を真っ赤に燃えたぎるものとしてしまったのだ。今日においてもまだ何万というスペイン人が、共和国派であるというだけで裁判なしに銃殺され、国内のあちこちの道端に埋められている家族の遺体を掘り起こすことを禁じられている。最近の公のスペースの「脱フランコ化(訳注:フランコ体制に協力した人びとの名前を持つ通りや広場の名称を変更するという動き)」を巡る議論の激高ぶりが示したように、1978年の民主制の回復でさえも、人びとの気持ちを鎮めることはなかった…。

歴史記憶法(2007年)は、フランコ体制の犯罪がスペイン社会全体及び人道に対して犯されたと認めなかったために、戦争の深い傷跡を癒すことができなかった。そして、今日も血を流し続けている…。数年前にスペイン司法が、スペイン市民戦争中に起こった10万を越える共和国派の人びと(その遺体はまともな埋葬を受ける権利もなしに、名もない墓地に横たわっている)の失踪と、フランコ独裁体制下(1939〜1975年)において勝者側の家族に引き渡すため、刑務所の中で母親の手から奪われた3万人を越える子どもの運命に関する調査を2008年10月に開始したことで、判事バルタサル・ガルソンに制裁を加えたことを思い出しておこう。 もっと読む

シルビア・フェデリチ・インタビュー後編

シルビア・フェデリチ:家事労働とは労働力を再生産するものだ

ーフェミニズム、奴隷制、ワーキングプア、女性の身体、マルクスー

先日の記事で予告したフェデリチのインタビューの後編です。2014年11月にEspaiFàbricaに掲載されたものを許可を得て翻訳しました。前編はこちらから)

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―『Can the Subaltern Speak?(サバルタンは語ることができるか?)』とガヤトリ・C・スピヴァクは問いかけました。この意味では、私たちは奪われた者たちに、自らの存在の中にヒエラルキーの行使を含んでいるこうした人びとに、声を与えるという矛盾をどのように克服することができるでしょうか? (この矛盾の克服は)彼らが自分の運命を決める能力と行動力を有する政治的主体となるためには不可欠です。どのように私たちはこの垂直性を水平性に変化させることができるのでしょうか?

実は、私にはスピヴァクの問題を理解できないのです。私の考えでは、サバルタンは絶え間なく語っていて、私たちはそれに耳を傾けています。私は今72歳で、その内の40年は運動に関わってきましたが、下からの運動に由来するもの以外で興味深いアイデアを見たことがありません。これは本当です。例えば、家事労働の賃金の話をするときにも、私ならこの50年間で論理的・政治的に最も重要な変革の一つは、第一に反植民地主義の闘いの成果であったと言うでしょう。これが決定的であったことには間違いありません。また、自らの要求を掲げたアフリカの農民たちとその闘いがあります。これらは後に練り上げられて、もっと洗練された理論になりました。例えば、フランツ・ファノンのケースなどです。しかし、突き上げる力は、労働の国際的な分断を揺るがしたこうした偉大な闘いから出現しました。大きな変革となったのは土地の要求を掲げた農民たちの変革であり、工場での変革でした。そして、こうした下からの大きな運動の基礎に関して、後から知識人たちが一つの思想を作り上げるのです。 もっと読む