フィデル・カストロと知識人の弾圧ーイグナシオ・ラモネ

images-cms-image-000009762

ポスト真実の時代におけるメディアによる独裁

フィデル・カストロと知識人の弾圧ーイグナシオ・ラモネ

フィデル・カストロの死によって、欧米の大メディアではキューバの司令官に対する中傷が大量に流布した。それは私にとって辛いことだった。私は、彼のことをよく知っていたのだから。それで、私は個人的な証言を提供することを決めた。首尾一貫した知識人であるなら、不正を告発するべきだ。それも、自分の国の不正から始めるべきだろう。

メディアの画一性が全ての多様性を押しつぶし、異なる表現はいかなるものでも検閲し、異論を持つ著者に制裁を科すときに、私たちが弾圧について話すのは、全くもって当然のことである。それ以外の方法で、表現の自由に猿ぐつわをさせ、多様な声を弾圧するシステムを評することができるだろうか? どんなにしっかりとした主張であったとしても、反論は一切受け入れないシステムだ。公式の真実を定めて、違反を容認しないシステム。そのようなシステムには名前があって、圧制あるいは独裁と呼ばれる。このことに議論の余地はない。多くの人々と同じように、私も身をもってそのシステムによる鞭打ち刑を体験した。スペイン、そしてフランスにおいて。このことを語ろうと思う。

私個人に対する弾圧は2006年、キューバ革命の指導者との数百時間の会話を扱った5年に及ぶ取材と作業の成果である著作『 Fidel Castro. Biografía a dos voces 』あるいは『Cien horas con Fidel (Edit. Debate、バルセロナ)』をスペインで出版したときに始まった。瞬く間に私は攻撃を受けた。そして、弾圧が始まった。例えば、当時まで定期的に意見記事欄に寄稿していた新聞『El País エル・パイス』(マドリッド)は、私に制裁を加えた。私の記事の掲載を停止したのだ。私には一言の説明もなかった。それだけではない。さらにはー最も素晴らしいスターリン主義の伝統だーそのページから私の名前が消えた。消されたのだ。私の著作が書評に載ることも、私の知識人としての活動に触れることも、二度とはなかった。何もない。削除された。検閲された。未来の歴史家が私の名を『エル・パイス』のコラム欄に探したならば、私は数十年前に死亡したと推論することになるだろう。

同じことが、数年前から毎週『Res Publica』というタイトルのコラムを執筆していた『La Voz de Galicia ラ・ボス・デ・ガリシア』で起こった。フィデル・カストロに関する著作の出版が原因で、こちらも最低限の言い訳もなしに、私を弾圧したのだ。私の記事を掲載するのを止めた。一夜にして、全てが検閲された。『エル・パイス』と同じように、完全無視。伝染病に対するような扱いだ。それ以降、私の活動に言及することは二度とない。

全てのイデオロギー的な独裁においてと同じように、知識人を処刑する最良の方法はメディア空間から消滅させて、象徴的に殺害することである。ヒトラーはそれを行った。スターリンもそれを行った。フランコもそれを行った。『 エル・パイス 』『ラ・ボス・デ・ガリシア』の両紙は、私にそれを行った。

フランスでも幾度となく私に起こったことだ。出版社FayardとGalilée が2007年に私の著作『Fidel Castro. Biographie à deux voix』を出版するやいなや、弾圧はすぐさま私に襲いかかってきた。

公共ラジオ『France Culture 』において、私は毎週土曜日の朝、国際政治を扱う番組を担当していた。フィデル・カストロについての本が出版され、支配的メディアが私に対して暴力的な攻撃を開始すると、放送ディレクターは私を自分のオフィスに呼び出して、さほど遠回しな表現をすることもなく私に言った。「あなたのような、圧制者の友が私たちの電波において発言を続けることはできません」。私は反論しようとした。どうにもならなかった。私に対してスタジオの扉は永久に閉ざされてしまった。そこでも私は猿ぐつわをはめられた。全会一致の反キューバのコーラスで一度音程を外したことで、沈黙させられた。

パリ第7大学において、私は35年に渡ってオーディオビジュアル・コミュニケーション理論を教えてきた。私の著作の流通と私に対するメディアのバッシングが始まると、一人の同僚が私に警告した。「気をつけろ。私たちの学部で独裁者の友が教鞭を取るのを容認できないと言って回ってる役員がいる…」。間もなく、フィデル・カストロを攻撃し大学から私を追放することを要求する匿名のビラが、廊下で撒かれ始めるようになった。程なくして、私は契約が更新されないことを公式に知らされた。表現の自由の名の下に、私は表現の権利を否定された。

あの当時私はパリで、有名な新聞『Le Monde ル・モンド』と同じ出版グループに属する月刊誌『Le Monde diplomatique ル・モンド・ディプロマティク』を率いていた。そして、もう新聞のコラムに寄稿していなかったものの、歴史的な経緯が理由で編集者組織に所属していた。その組織は当時、主要株主であることによって、会社組織の中で非常に重要な存在であった。その中から新聞の編集長が選出されること、職業倫理の尊重に目を光らせていることが理由だ。

まさにこの責務によって、私が書いたフィデル・カストロの伝記が書店に並んで数日が経ち、数々の重要なメディア(その中には新聞『Libération リベラシオン』がある)が私を攻撃し始めると、編集者組織の代表が私に電話をかけてきた。彼によると、私の著作の出版によって編集者組織の内部で支配的となっている抑えきれない感情を伝えるためだった。「私の本を読みましたか?」と彼に訊いた。「いいや。でも、そんなことはどうでも良い。倫理の、職業倫理の問題なんだ。『ル・モンド』グループのジャーナリストが独裁者にインタビューをすることはできない」と彼は応えた。私は、数十年に渡って新聞が愛想よく発言の機会を与えてきたアフリカなどの大陸の正真正銘の専制君主数十名のリストを諳んじた。「それは別の話だ。まさにそれだからこそ、君を呼んだんだ。編集者組織のメンバーは君に来てもらって、私たちに説明して欲しいと言っている」と私に言った。「私を裁きたいのですか? モスクワ裁判のように? イデオロギーの逸脱による粛清ですか? それだったら、あなたたちは法廷に力づくで私を引きずり出す、異端審問官や政治警察官の役割を引き受けなければなりませんね」。彼らにそんなことはできなかった。

私に文句は言えない。ナチス体制やスターリン体制、フランコ体制の下で数多くのジャーナリストや知識人に起こったように、投獄されたわけでも、拷問を受けたわけでも、銃殺されたわけでもないのだから。しかし、私は象徴的に処分された。『エル・パイス』、または『ラ・ボス』においてと同様に、『ル・モンド』紙のコラムからも私は消えた。あるいは、バッシングするためだけに私を引き合いに出した。

私が唯一のケースではない。支配的メディアの獰猛なコーラス隊と同じように考えないことで、強制された反カストロの教条主義を拒否したことで、沈黙を強いられ、不可視化され、周縁に追いやられた知識人やジャーナリストを、私はーフランスにおいてもスペインにおいても、他の欧州諸国においてもーたくさん知っている。何十年にも渡ってノーム・チョムスキーは、魔女狩りの国アメリカ合衆国において、最も影響力のある新聞のコラムや主要なラジオ・テレビ放送へのアクセスを禁じる大メディアによって公職追放に処されていた。

これは50年以上前に、はるか遠い昔の埃をかぶった独裁体制において起こったことではない。今現在、私たちのメディア民主主義の中で起こっていることだ。私はこの瞬間もそれに苦しみ続けている。単にジャーナリストとしての仕事を行ったというだけで、フィデル・カストロに発言の機会を与えたことによって。もしかして、裁判で被告には発言の機会は与えられないのだろうか? 支配的な大メディアは絶え間なく彼を裁いては非難している一方、どうしてキューバ人指導者の見解は容認されないのだろうか?

ひょっとしたら、寛容は民主主義の基礎ではないのか? ヴォルテールは寛容を次のような方法で定義した。「私はあなたの言うことに全く同意しないが、それを主張する権利のためには命をかけて闘う」。ポスト真実の時代におけるメディアの独裁は、この基本原則を無視している。

Fidel Castro y la represión contra los intelectuales – Ignacio Ramonet

*この記事で繰り返し言及されるラモネのフィデル・カストロの伝記についてはこちらの記事を参照ください。

広告

何かが動いている―イグナシオ・ラモネ

LMd

何かが動いている―イグナシオ・ラモネ

アメリカ合衆国大統領、バラク・オバマ政権下で、一期目の国務長官(2008-2012)としての経験を書いた、出版されたばかりの書物、 “Hard Choices”[1]の中で、ヒラリー・クリントンはキューバについて、重要なことを記述している。曰く、「私が任期を終えたとき、私はオバマ大統領に、キューバへの我々の経済封鎖について再考するよう進言した。経済封鎖はいかなる役割も果たしていない上、私たちのラテンアメリカ全体に対する計画を妨げているのだから。」

合衆国大統領の座に就くことを目論む人間が、ワシントンが、カリブ海で一番大きな島に課している経済封鎖に関して、「いかなる役割も果たしていない」と公言するのは、50年以上も経って(!!)、初めてのことだ。つまり、キューバの人民に対して不正極まりなく甚大な苦しみをもたらしたにも関わらず、キューバという小国を屈服させることはなかったということだ。ヒラリー・クリントンの言明は二つの観点から重要である。第一に、ワシントンではもう何年も前から知られていたことを公言することで、タブーを壊したということだ。つまり、経済封鎖は何の役にも立たないということ……。より重要なのは、第二に、米国大統領選挙で民主党候補者に選出される道のりを歩もうとしているまさにその瞬間に、この問題について言及したことだ。つまり、キューバへの経済封鎖について言明すること、ここ半世紀にわたり、ワシントンがキューバに対しとってきた、ありとあらゆる政策と対立するということについて、彼女は2016年の11月8日の投票日まで続く、長い大統領選挙にあたり、クリントン氏はその問題がハンディキャップになるということを恐れていないことを示唆している。 もっと読む

ラモンのインタビュー記事掲載!

発売中の音楽誌『ラティーナ』9月号に、ラモンのインタビュー「音楽に魅入られた三世代の物語 」が掲載されています。(詳細はこちらを参照ください)

ピアノに明け暮れた子供時代から、ジャーナリストの道へ入ったいきさつ、息子マヌについて…。波乱に満ちたラモンの半生記の中で、チャオ家の系譜に脈々と流れる音楽への情熱が明らかになっていきます。

マノ・ネグラについて、今まであまり知られることのなかった事実も明かしてくれたので、マヌ・チャオのファンの方は是非とも読んでみてください!

ラモンとの対面が実現すると決まったときに、最初で最後になるかもしれないこのチャンスを、なんとか最大限に活かす方法はないものかと考え、インタビューを録らせてもらうことを思いつきました。早速ラモンに打診してみると快諾してくれたので、以前にルンバ・カタラーナの記事を掲載してもらったラティーナに相談して、記事掲載の話がまとまりました。

さて、インタビュー記事を書くことが決まったものの、それまでインタビューをしたことなんてなかったので、どうやったものかと当日まで不安だったのですが、ラモンと雑談を始めた瞬間にその不安は吹き飛んでしまいました。

口に出してなんぼという文化のスペイン語圏では、小さい頃からの訓練の賜物か、話の上手な人が多いのですが、ラモンも例外ではありませんでした。抜群のストーリテーラーで、身振り手振りを交えながら、途切れることなく話を繰り出していくんです。

雑談のつもりの会話があまりにも面白かったのであわてて録音を始め、終わってみれば軽く3時間を越えるインタビューが録れていました。とりあえず起してみようと思ったものの膨大な量で、なおかつテーマが四方八方に広がっていくので、文字数の限られた記事に全てを収めるどころか、要約さえ作れない有様。

ということで、ラティーナの記事は、音楽をキーワードにインタビューを再構成し、ラモンにチェック・修正してもらい、まずスペイン語版のテキストを作成。それを日本語に訳して、文字数を調整しました。そのため、中で語られている事実関係は、信憑性の高いものになったと思います。

この記事に掲載できなかった部分も興味深い話ばかりなので、このまま埋もれさせてしまうのは、あまりにももったいない! ということで、このインタビューの続編を今後ジンの形で発表することにしました。今回と同じ手法で『キューバ』『ドン・キホーテ』『オルター・グローバリゼーション』の3つのテーマでインタビュー記事を作成するつもりです。第1回目『キューバ』は9月末を目指して準備を進め、ソシオシステム(詳細はこちら)の一部として企画する予定です。

参加方法等の詳細は決まり次第、このブログ上で発表いたしますので、どうぞお楽しみに!!

マヌ・チャオが語るチェとキューバ-番外編

今回は『マヌ・チャオが語るチェとキューバ-番外編』ということで、前回までに紹介したインタビューを行った雑誌ラ・ヒリビジャに掲載された『チェに捧げ たコンサート』の記事をご紹介します。インタビュー記事を初めから読みたい方はこちらからどうぞ。

マヌ・チャオ、ハバナでチェに捧げる歌

フランス-スペイン国籍の歌手マヌ・チャオは、サイス兄弟協会の招聘でキューバを訪れ、ハバナ大学の外階段で何千人という若者前に、チェに捧げるコンサートを行った。ゲバラのTシャツを着た元マノ・ネグラのリーダーは、ラテンアメリカにある様々な国旗を手にした観客と共に50分を過ごした。

コンサートの冒頭でチャオは「今晩はキューバ。ここにいられて光栄です。」と語り、ラジオ・ベンバ・サウンド・システムのギタリストマジッドと共に、Fernando Bécquerフェルナンド・ベッケル、Diana Fuentesディアナ・フエンテス、Toni Ávilaトニ・アビラ、Adrián Berazaínアドリアン・ベラサイン、Kelvis Ochoaケルビス・オチョアなどのキューバ人ミュージシャンと共演した。オチョアは「Volando Voy」「Desaparecido」を演奏して、コンサートの最後を飾った。

わずか3年前に反帝国主義広場でコンサートを行ったチャオは、キューバと強い一体感を感じていることを明らかにし、曲の間には「ハバナ、愛してる」を何度も叫んだ。さらには、公演後マスコミに「バンドを全員でできるだけ早く」島に戻ってくることを宣言した。

今回のハバナへの旅の間にラ・ヒリビジャが行ったインタビューにおいて、彼はキューバが彼の人生、そして彼のミュージシャンという職業に対してどんな意味を持っているのかを明らかにしている。「小さな頃から父親を通じてキューバ文化は家の中にあったんだ。家にはキューバ音楽のレコードがたくさんあって、ボラ・デ・ニエベが当時僕たちの一番のお気に入りで、僕たちのアイドルだったんだ。彼の歌は全部知ってるよ。いつも僕たちは、父親のレコードの山から、ボラを選んで聴いた。僕はキューバとかフランス、スペインなんていうものをあまりよくわかっていない子供時代から、キューバ文化に育まれてきたんだ。」

「不幸なことに僕たちは、上手く機能していないことをたくさん抱えた世界に生きている。…自分の怒りを吐き出す必要性を最も感じるのが、自分が好きになれないものを見たときだ。そのとき、僕には歌を作ることが必要になる。そうしたものを浄化するために。」と付け加えた。

今回の広場でのコンサートのためにマヌ・チャオが選んだ曲目には「Bienvenida a Tijuana Venvenid」「Clandestino」などのヒット曲が含まれており「Alas rotas」のイントロでは「この曲をキューバ国民の全ての敵に捧げる」と言った。

またコンサート中に、ポーランド人Jacek Wozniakヤセク・ワズニャックやキューバ人アーティストJavier Guerraハビエル・ゲラ、Carlos Guzmánカルロス・グスマンが、ステージの裏側でチェに捧げる一連の壁画を制作した。

来週月曜日にマヌはゲリラの英雄の亡骸が眠る町サンタ・クララで再びコンサートを行う。ゲバラはここで1959年の革命の勝利を決定づけたと言える闘いの一つを率いたのだ。マヌ・チャオは、キューバのバンドTrovuntivitisトロブンティビティスを伴って、アウグスト・セサル・サンディノ・スタジアムでライブを行う。

幼い頃から彼が、我が国との間に持っている絆とキューバ革命に対する支援は父親ラモン・チャオをゆずりのものだ。2006年の忘れがたいキューバとの出会いにつて、マヌはこう語った。「僕は住民たちの間にある何千という小さな革命を夢見ている」。ゲバラの死から42周年に当たる今回、マヌはチェが「今も世界の左派にとって象徴的な人物である」ことを我々に思い出させてくれた。

記事の原文はこちらをご覧ください。

ラテンアメリカを繋ぐTV局Telesurテレスールで放送されたコンサートのニュース映像です。

この記事の最後には「マヌのキューバに対する支援は父親のラモン譲りだ」と記されています。このラモンとキューバを繋ぐ絆については、近々ラモン自身の言葉でご紹介する予定です。

マヌ・チャオが語るチェとキューバ-6

LJ-腰を据えて映画を作っていた時期があったよね。

MC-撮影も編集も大好きなんだ。好きなものにかける情熱は暴君みたいなものだね。音楽もそうだけど、一端捕われたら最後一日24時間、週7日間君を拘束するんだ。ちょっと強迫観念みたいなものだね。アルバムをレコーディングしているときと同じ。一時夢中になったけど少し身を引くことにしたんだ。ギターを手に取ってないことに気が付いた瞬間に我に返ったよ。とは言っても、映画を作るのは今でも大好きで、脚本もたくさん書いてある。カメラで撮影して編集するのが好きなんだ。今は数年前と比べると手軽にできるようになったよね。今ではポケットに入れて持ち歩ける小さな機械で何でもできる。今持ってるこれで、映画も撮影できるし、次のアルバムも作れるし、なんでもできるんだ。これは大きな自由を与えてくれるよ。僕の問題は、一日に十分な時間がないことだね。それで、音楽と映像の両方に自分を振り分けているんだけど、近頃は音楽の方に傾いてるね。

LJ-映画作家としての視点や具象芸術への興味が、君にもたらしてるものってどのくらいある?

MC-いつもたくさんのことをもたらしてくれるよ。僕の歌の多くは映像を編集しているときに生まれたものなんだ。だって映像には音がつきものだからね。僕やマジッドが朝の6時に歌っている映像なんかが、一曲作るためのアイデアを与えてくれることもある。そこにギターを加えて、再び録音して、ここから一曲生まれるんだ。僕の歌の多くは「映画」を編集しているときに生まれたんだよ。どんな芸術活動も全ての要素が一緒になんているんだと思う。これは芸術というより、情熱と言った方がいいのかもしれないね。全てがお互いにに栄養を与え合う。一つ一つが閉じたものではないんだよ。

LJ-君にとって文化って何?

MC-僕にとって文化は、すでに存在している文化が持つ知恵であり、次に自由だね。どこの国でも、その文化を理解して何らかの形で実践してみるために、自分を取り巻いている文化に染まってみるのはいいことだと思う。その次に来るのが自由だ。文化とは自由で、創造とは自由のことだと思っている。だからといって、そういうことを考えてばかりでは、何も創造されない。考えてばかりいたら、クンビアもルンバもレゲエもレコーディングできない。型を破らなければならないんだ。ちょっとくらい冒涜した方がいいものなんだよ。

LJ-じゃあ、マヌ・チャオにとって冒涜って何? 君は良くも悪くも世界をちょっと冒涜していると言えるんじゃない?

MC-難しいテクニックだね。冒涜にはいつでもある種の敬意がないといけないんだ。文化の世界の中でも僕が行くようなところではだいたいにおいて、ちょっとくらい冒涜を実践しても悪くないと思っている。だって、ほとんどの人々があらかじめ決められた型に合せて作業しているからね。僕を夢中にさせたり、新しいものを運んできてくれたりするアーティストは、いつもちょっと冒涜的なんだよ。予想もしてなかったものを聞いたり、見たりするのは素敵だよね。周囲の人たちが行っていることを吸収するのはとても素晴らしいし、それが学ぶということの基礎だとは思うよ。でも、その後で少しばかり背徳的なことをしないとだめなんだ。

LJ-3年前に反帝国主義広場で行ったコンサートで君は「ジョージ・ブッシュは、僕たちや僕たちの子供たちの未来にとって、世界で最も危険な人間だ!!!」と叫んだよね。今ではもうブッシュはホワイトハウスにいないけど、君はどういった方法で世界を変えていけると思っている?

MC-ブッシュが去ったことは何はともあれポジティブなことだよ。あれは最悪だったからね。注意して見ていないといけない。世界中のバランスが物凄いスピードで変わっているからね。今は不穏であると同時に熱い時代なんだ。確実なことなど何もない。明日の世界が今日作られているのだから。経済の世界もテクノロジーの世界も物凄いスピードで変化している。不幸なことにそんなスピードで変えることができないのが人間関係の世界だ。でも、資本主義システム、結局のところこれがこの世界を支配しているんだけど、このシステムが最期に近づいているか、さもなければ、僕たちを集団自殺に追いやっていることに気がつく人が日ごとに多くなっている。以前よりたくさんの人たちが、このまま資本主義の社会が続いていったら、地球が終わることに気づいている。日常生活を変えて、自然の法則にもっと合った方法で生活しようとする人が増えているんだ。ここに希望があるんだよ。

LJ-ラテンアメリカの隅々をあっちこっち訪れた後で、アメリカ大陸の変化についてはどんな展望を持っている?

MC-ラテンアメリカを日ごとに反動的になっているヨーロッパと比較するなら、ラテンアメリカで起こりつつあることは総じてポジティブなものだ。成果が目に見えるようになるまではまだまだ時間がかかるだろう。けれど、以前は身の毛もよだつほど酷い状況だったのだから、それは5年や6年で改善されるものではないんだよ。15年とか20年とかの単位で考えるべきものだ。それでも自分たちの道を歩んでいるよ。その方法は国ごとに違っているけどね。もっと公正な社会を目指すための希望となる実験室が、ラテンアメリカにあることは明白だ。今日のヨーロッパはそういう状況ではないからね。

LJ-未来に対する信頼を失っていない?

MC-この先の未来には厳しい危機に何度か見舞われるだろう。中期的な視点で見る未来は暗雲に覆われている。きっと困難なものになるだろう。必要不可欠な変化が起こるからね。アメリカ合衆国の覇権が終焉して、中国の台頭を止めることはできない。新しい世界の均衡が生まれようとしているんだ。僕たちは凄まじい変化の時代にいるから、この先起こることに対して備えるのは非常に難しい。でも長期的に見てみれば、この夢と日々の闘争は、いつの日か太陽が顔を出すためのものなんだ。(完)

インタビュー原文はこちらをご覧ください.

前回ご紹介したアルゼンチンのプロジェクトLa Colifataを扱ったドキュメンタリー映画『LT22 Radio la Colifata』のワンシーンから。

「気が狂った人とそうでない人の間に引かれた境界線や、国と国の間に引かれた政治的な境界線というのは、僕には全くもって非現実的なものに見える。実際はそんなもの全て偽物で、誰もがそれぞれの狂気を抱えているんだ。おそらく現在のこの世界で僕が知っている最も気が狂った人物は、ジョージ・ブッシュって言うんだけど、どこの精神病院にも入ってないんだよな。」