2013年の予想ーイグナシオ・ラモネ

LMd2013年の予想ーイグナシオ・ラモネ

去る12月21日、マヤの暦で世界の終わりの宣告を私たちは生き延び、慎重に、しかも極めてデカルト的に論理を構築することを通じ、私たちは自らの近未来を予見しようとしている。それに際しては、地政学に依拠することにしよう。地政学は大国の動きを包括的に理解するのに役立つし、主要なリスクおよび危機を予想するのにも便利だ。初めに、チェスのボードを眺めるように、相敵対する大国の動きをそれぞれ予測してみよう。

2013年初頭の地球の地図を見まわしてみると、警告サインが赤く点滅するいくつもの地域を見つけられる。そのうち四つの地域が非常に高い危険のレベルにある。ヨーロッパ、ラテン・アメリカ、近東、そしてアジアである。

欧州連合(EU)では、2013年は危機が始まって以来最悪の年となるに違いない。唯一の信仰としての禁欲主義はますます力を伸ばすだろうし、また福祉国家への容赦ない攻撃が続くことになるだろう。歴史の中で初めてドイツがヨーロッパの覇権を握り、容赦ない鉄拳で欧州を指導している。ベルリンは9月22日に行われるドイツ首相選挙までいかなる変革も認めようとはしないだろう。その選挙ではアンゲラ・メルケル現ドイツ首相が三期目の任期を迎えることになるだろうと予想されている。

スペインでは、カタルーニャ自治政府が同自治州の未来についてカタルーニャ人に問うた住民投票の内容を明確なものにするにつれ、政治的な緊張が高まることだろう。バスク自治州から、バスクナショナリストが強い興味をもって追いかけることになるプロセスだ。すでに最悪の経済状況については、これもこれから起こることにかかっている。イタリアでは、2月24日大統領選が予定されている。ベルリン、およびバチカン共和国から支持を得ている保守派のマリオ・モンティ一派か、あるいは、世論調査で優位に立つ中道左派のピエル・ルイジ・ベルサーニかの一時的な勝利を見た市場の反応次第だ。もちろん、スペイン首相のマリアノ・ラホイが措置を要請しおえた後、ブリュッセルが要求するであろう(間違いなく残酷な)条件にも左右される。もちろん、ばらまかれたガソリンのように広がる抗議運動については言及するまでもない。誰かが火のついたマッチをそこに投げ入れることになるだろう。長く不安定な状況に悩まされている南欧のいずれの国(ギリシャ、ポルトガル、イタリア、スペイン)においてもいつ爆発が起こってもおかしくはない。EUは2013年、トンネルから抜け出すことは無理だろう。それどころか、穏健社会主義者のフランスのフランソワ・オランド大統領に対して、市場が強烈に残酷な措置(新自由主義派と同じように連中はそそのかされている)[1]を取ることになるとすれば、状況は悪化するだろう。

ラテン・アメリカにおいても、2013年は課題が山積みである。第一に、1999年から同地域の進歩主義的改革の先陣を切ってきたベネズエラ。昨年10月7日に再選されたウーゴ・チャベス大統領の癌がいつ再発するか予測不可能であるため、同国の先行きは不透明である。チャベスは最近受けた手術から回復しつつあるが、来る二月に新たな大統領選が行われる可能性は排除できない。ボリバル革命からの立候補者は、チャベスに指名された現副大統領(首相に相当する地位)のニコラス・マドゥーロとなるだろう。彼は人格的にも政治的にも責務を負うために必要な資質を備えたゆるぎない指導者だ。

エクアドルでも2月17日に選挙がある。チャベスと並び、ラテン・アメリカの指導者である現大統領のラファエル・コレアが再選される見込みだ。ホンジュラスでも11月10日、重要な選挙がある。2009年6月28日当時大統領であったマヌエル・セラヤが失脚し、後任にポルフィリオ・ロボが就いたが、二期連続の立候補は許されていない。一方で、選挙最高裁判所は、自由再生党(LIBRE)の政党登録を認定した。同党は前大統領セラヤ氏が党の中心となり、大統領候補として、彼の妻であるシオマラ・カストロを擁立する。11月17日にはチリでも重要な大統領選がある。保守派の現大統領セバスティアン・ピニェーラ氏に対する国民の支持率は低く、社会党のミチェル・バチェレ前大統領が勝利する可能性が高い。

二つの理由から、キューバは国際的な注目を浴びることになるだろう。一つは、同国はラテン・アメリカにおける最後の武装闘争に幕を引こうとしており、ハバナでコロンビア政府とFARC(コロンビア革命軍)との対話が続けられるためだ。もう一つの理由として、キューバに対するワシントンの決定が待ち望まれていることが挙げられる。去る11月6日に行われた大統領選挙ではバラク・オバマがフロリダ州において勝利した。オバマはイスパノアメリカ系米国人の75%の支持を得た。さらに、重要なのは、同州におけるキューバ系米国人の53%の支持を得たということだ。オバマ最後の任期に、国民が彼に与えたものの一つは、キューバに対する経済・貿易封鎖解除を前進させるため、大統領に幅広い手立てを講じさせるための猶予期間であると考えてよいだろう。

何もことが進展しそうにないのは、またしても近東である。同地域は世界の社会騒乱の焦点となっている。「アラブの春」は同地域におけるいくつもの独裁政権を転覆した。チュニジアのベン・アリ政権、エジプトのムバラク政権、リビアのカダフィ政権、イエメンのサーレハ政権。しかし、その後の自由選挙の結果、軒並み反動的なイスラム教政党(ムスリム同胞団)が政権に就くことになった。「アラブの春」以降、エジプトの情勢から読み取れるように、イスラム教の一派はあらゆる手段を使って権力を維持しようとしている。反乱の着火点となった、イスラム教に重きをおかない世俗的グループは、この新たな形の権威主義を拒否している。まさにチュニジアにおいて見られる問題である。

近東において、2011年、自由の春が爆発的に花開いた様を興味を持って追ったにもかかわらず、ヨーロッパ社会は同地域で何が起こっているのか無関心になってしまった。状況が複雑すぎるというのも無関心の理由の一つには違いない。例えば、シリアにおける複雑な背景が絡んだ内戦状態。シリアでただ一つ確かなことは、サウジ・アラビア、カタールおよびトルコと連携関係を持つ欧米の覇権国(英、米、仏)がスンニ派のイスラム教徒反乱軍に支援(資金、兵器、戦略的ノウハウ)をすると決めたことだ。スンニ派は様々な戦線で自らの領土を拡大し続けている。バチャール・エル・アサド政権はどれくらい持ちこたえられるのだろうか。同政権は命運尽きた状態であるかのように思える。シリアの外交上の同盟国であるロシアおよび中国は国連においてNATO軍による攻撃に賛成しないだろう。2011年のリビアのように。しかしモスクワも北京もダマスカス政権の状態は軍事的にどうにもできないことは認めており、両国共に、自国の権益を損なわない形で軍事衝突を収束させる方法をワシントンと交渉を始めている。

「シーア派連合」(ヒズボラ、シリア、イラン)に対し、米国はその地域に広域な「スンニ派連合」を形成させた。その地域はトルコ、サウジ・アラビアからカイロ、トリポリ、チュニジアを経由しモロッコにまで及ぶ。その同盟を作り上げたもくろみとは、バチャール・エル・アサド政権を転覆することである。そして次の春になる前に前に米国と同盟を結ぶの巨大な地域連合からテヘランを抜くことだ。なぜか。6月14日にはイランの大統領選挙があり、現職のマフムード・アフマディネジャード大統領は出馬することができない[2]。同国の現行憲法では大統領の二期以上の在任は禁止されているためだ。つまり、来る半年間、イランでは、米国に対する強硬派と米国との交渉の道を探る党派が激突する選挙戦が展開されることになる。

イランが政治的混乱状態にある一方で、イスラエルはイランの核施設に対していつ攻撃をしてもよいように着々と準備を整えている[3]。同国では、1月22日に総選挙が行われ、超保守派の連合が勝利すると目されている。同党派は一刻も早くイランを攻撃しようともくろむベンヤミン・ネタニヤフ首相を後押しすることになるだろう。

イランに対するイスラエルの攻撃は米軍の参加なしには実行し得ないだろう。ワシントンはそれを認めるだろうか。あまり現実味を帯びたことだとは言えない。1月21日に就任するバラク・オバマは再任され安堵していることだろう。彼は米国の世論の大多数がもはや戦争を望んでいないと知っている[4]。アフガニスタンの前線は展開中である。シリアでも同様だ。また、マリ北部でも展開されるかもしれない。新任のジョン・ケリー国務長官は同盟国イスラエルをなだめるという極めて難しい任務を負っている。

一方でオバマはアジアに注目している。アジアはワシントンが外交政策の再転換を図ってから最も重要な地域である。軍事基地による囲い込みおよび伝統的な同盟諸国の支援を通じて米国はアジアで中国の影響力拡大を阻止しようとしている。同盟諸国とは、日本、大韓民国、台湾の三国である。去る11月6日の再選の後、バラク・オバマの最初の外遊がビルマ、カンボジア、タイだったことは意義深い。三国ともASEAN加盟国であるためだ。ASEANはワシントンとの同盟諸国をまとめており、また、加盟諸国の多くは中国との領海問題を抱えている。

来たる三月に習近平を国家主席に任命する中国の領海は、アジア太平洋地域において武力衝突の起こる可能性が最も高い地域となった。尖閣諸島(中国名では釣魚島)の領有権をめぐり、北京と東京の緊張関係はますます張りつめたものになるだろう。というのも、日本において去る12月16日の選挙で、自由民主党が大勝したためだ。同党の勝利を受け、日本の総理大臣に任命された安倍晋三は「タカ派」のナショナリストとして知られ、中国に対して強烈な批判を繰り広げたことで知られている。また、スプラトリー諸島の領有権をめぐるベトナムとの争いでも、恐ろしいほど声を荒げている。とりわけ、去る6月ベトナム政府は同諸島が自国の領土であると公式に声明してからその傾向は顕著になった。

中国は海軍の近代化を急ピッチで進めている。9月25日、初めての航空母艦「遼寧」を進水させた。周辺諸国を威嚇するためである。中国政府にとって、アジアに米国軍事力が存在するということは、時を追うごとに国辱であると考えられる度合いが増している。二つの超大国の間で、「戦略的不信」[5]という危険な要素が姿を現してきた。その「戦略的不信」が21世紀における国際政治を特徴づけるものとなると考えて間違いはないだろう。

(訳: 高際裕哉)

[1] “France and the euro. The time-bomb at the heart of  Europe”, The Economist, Londres, 2012年11月17日参照

[2] イランにおいて、大統領は国家元首ではない。国家元首は最高指導者である。終身制で選出され、現在の国家元首はアリー・ハーメネイーである

[3] Ignacio Ramonet, “El año de todos los peligros”, Le Monde diplomatique en español, febrero 2012. 参照

[4] The New York Times, Nueva York, 2012年11月12日

[5] Wang Jisi y Kenneth G. Lieberthal, “Adressing U.S.-China Strategic Distrust”, Broo­kings Institution, 30 de marzo de 2012年3月. www.brookings.edu/research/papers/2012/03/30-us-china-lieberthal 参照

Así será 2013: Ignacio Ramonet

(ル・モンド・ディプロマティク・スペイン語版2013年1月号より)

コロンビアに和平か?―イグナシオ・ラモネ

LMd

コロンビアに和平か?―イグナシオ・ラモネ

ボゴタの通りや広場には今までと違う空気が漂っている。その空気は希望の芳香を放っており、もはやあの―鉛のような、痛ましい、おどおどした―果てしない暴力や紛争の匂いはない。コロンビアの戦闘は世界で最古のものの一つ[1]であり、ホルヘ・エリエセル・ガイタンが1948年4月9日に少数支配者集団によって暗殺されたときに始まった(あるいは、激化した)。社会的リーダーだったガイタンは、金融システムや農業の改革を含むより公正な社会を要求したことで、大きな民衆の支持を得ていた[2]。それ以来、犠牲者の数は数十万人にのぼると推定される[3]…。今日、広範囲に渡って平穏な亜大陸において、この紛争―ラテンアメリカ最後のゲリラ戦争―は、別の時代の遺物のように思われる。

この国を旅して外交官、知識人、ソーシャルワーカー、ジャーナリスト、学者、あるいは貧しい地区の住人と話をすると、今回は本当に事が進んでいると推測される。フアン・マヌエル・サントス大統領が9月の初めに政府と反乱者側が和平交渉を開始することを公に発表してからというもの[4]、何かが本当に動いているように見える。交渉は最初にオスロ、次にハバナにおいて「保証人」としてノルウェーとキューバ、「付き添い」としてベネズエラとチリという各国政府の支援で行われた。市民はこのプロセスを信頼しつつある。夢を見る―慎重に―ことを許可してくれるものが内外から形作られていると感じているのだ。そして、ついに和平が可能となったなら?

戦闘の65年において、当局と反乱者側が交渉の席に付くのは初めてではない。なぜなら、この紛争には多くの局面があった。ガイタン暗殺後に真の市民戦争―『暴力』―が勃発し、何万人という死者を引き起こした。それから、農民や中産階級を護るために、厳格に自由主義を引き継ぐ(ガイタンは自由党のリーダーだった)ゲリラ軍が出現したが、その中で最大なのが東部平原地帯のものだ。米国に助言を受けた武装勢力に支えられながら、保守派の少数の支配者集団は、正真正銘の恐怖と弾圧の波を発する。自由主義の武装グループは武器を捨て、政治の道に戻った。トリマ、ウイラ、クンディナマルカといった県に焦点を合わせて武装した小さな分派はそれを行わず、時の流れのともにその中からは共産主義者になるものが出てきて、1964年マヌエル・マルランド“ティロフィフォ”の指揮下で、コロンビア革命武装勢力(FARC)が創設された。

その1年後の1965年には、キューバ革命の影響の下で、ゲリラ集団の民族解放軍(ELN)が創設される。その一つで命を落としたカミロ・トーレスはゲリラ戦士の司祭で、革新的なカトリック教徒にとっては、民衆とともにあることを誓う教会の象徴である。ELNにはまた、後にスペイン人聖職者マヌエル・ペレスも所属することになる。1965年に生まれたもう一つのゲリラ勢力解放人民軍(EPL)は、毛沢東主義のマルクス・レーニン主義共産党(PC(ML))の武装チームで、ペドロ・バスケス・レンドンとペドロ・レオン・アルボレダに率いられていた。

1973年に新しいゲリラ組織419運動(M-19)が出現する。これは、1970年4月19日の大統領選においてグスタボ・ロハス・ピニージャ将軍から勝利を奪った不正に対する、中産階級の一部の抗議の表れであった。この武装グループは年月とともに政治的に過激化していくことになる。

また、1980年代に(政府武装勢力とゲリラに加えて) 『第三の主人公』が浮上する。大土地所有者に出資され、軍隊に訓練された民兵組織で、その目的は、残忍残虐な行為を通じてゲリラの基盤である農村社会を恐怖に陥れること。

その時期に『第四の主人公』も付け加えなければならない。独自の武装団を有して、民兵組織を買収し、反乱者側には『税金』を支払う麻薬密売組織[5]だ。

これが、1980年代までのコロンビア紛争の略図である。これを補完するのが、農村地帯における暴力のレベルが原因で追い立てられた何百万という農民、農村の過疎化で構成される社会的要因だ。彼らは大都市の近郊にやって来て、自らの手で作った地区にひしめき合って暮らしている[6]。特に首都ボゴタ周辺は首都圏に現在9百万人の人口を抱えるが、これは国民の20パーセント以上になる…。

この30年間で何が変化したのだろうか? 戦闘を終わらせようという試みはいくつもあった。保守派の大統領ベリサリオ・ベタンクールは、1984年にFARC とM-19との『停戦』合意を締結することに成功した。改革の実施とゲリラ戦士の政治参加に対する支援を約束した。その後、FARCは愛国同盟(UP)運動を創設して1986年の選挙に参加、上院に6議席、23人の県議、300人以上の市議を獲得した。しかし、この選挙での成功がUPのメンバーに対するテロや殺害の波を解き放った。わずかの間にこの組織の幹部や指導者3000人以上が消されたのだ…。これによって、FARCの内部に深いトラウマが生じて、彼らは再び一気に武装闘争を活発化させる。その反対に、M-19は1989年に武装放棄し、市民的政治行動に参加する。

1998年アンドレス・パストラーナは一芝居打って、マヌエル・マルランダと会見を行い、FARCとの交渉を再開する。FARCは組織内から強い批判があったものの、反乱者側との接触を容易にするために、カグアン地方の農村地帯の武装解除を行う。ELNも同じことを行う。しかし、民兵組織が今回もまた、農民の殺害を増加させて、その努力を妨害する。FRACもまたゲームには乗らず、闘争を再開する[7]

期待が外れて苛立った政府は、ゲリラを軍事的に敗北させる目的の『コロンビア計画』に着手するために、米国との軍事協定を締結する。2002年のアルバロ・ウリベの選出後、専ら軍事的な選択肢というこの賭けが強化される。軍の攻撃は、ワシントンから与えられた洗練された武器とともに激しさを倍増する。何人ものFARCのリーダー(ラウル・レイエス、アルフォンソ・カノ、ホセ・ブリセニョ“モノ・ホホイ”)が殺害される[8]

交渉という選択肢を選んだのが、2010年8月に選出された新大統領、ウリベ時代に対ゲリラで非の打ち所がない防衛相であったフアン・マヌエル・サントスであったのは、どうしてなのか? [9] なぜなら、今回は「惑星が一列にならんでいる」からだと彼は言う。つまり、国内外の情勢がこれ以上あり得ないほどに好都合なのだ。

第一に、FARCはかつての彼らではない。明らかに彼らは現在もラテンアメリカで最強のゲリラであり、何十もの戦線で活動する約2万人の戦闘員を有する。そしてまた、ラテンアメリカで軍事的に敗北していない唯一のゲリラ軍でもある。しかし、衛星による監視や大量の軍事無人偵察機の投入によって、現在では政府武装勢力にはFRACの通信や移動をコントロールすることが可能になっている。FRACが隠れ家にしてきた密林は透明ガラスのジャングルと化し、そこで生き残ることは次第に運まかせとなっている。他方では、その最高幹部の相次ぐ斬首(『標的殺害』というイスラエルの技術を用いることによる)がゲリラの再編を困難にしている。

さらには、FRACは嫌悪すべき闘争方法(誘拐、捕虜の処刑、無差別テロ)を用いてきたことで、市民社会の大部分からの拒絶されることになった[10]。FRACは決して打ち負かされたわけではなく、おそらく数年は抗争を続行することができるであろう。しかし、確実なのは、もはや勝利は不可能であるということだ。軍事的勝利の見通しは消滅した。そして、それが全てを変えた。もし、和平交渉が価値ある合意に至るならば、彼らは胸を張って出てきて、武器にさよならを告げ、政治の道に参加することができるだろう。

しかし、サントス大統領が大方の意表をついて、反乱者側との和平交渉の開始を決めたのは、FRACが軍事的に縮小しているからだけではない[11]。同時に、65年前からコロンビア(事実上大土地所有者の妨げにより、土地の再分配が行われていないラテンアメリカ唯一の国だ)の農業改革に反対してきた大土地所有する少数支配者集団には、もうかつてのような支配力がないからでもあるのだ。この数十年で、新たな都市部の少数支配者集団が力を付け、農村部の集団よりもさらに大きな権力と影響力を持つようになった。

戦闘が最もひどかった数年の間に、その巨大な集団は農村部に孤立してしまっていた。陸路で移動するのが不可能となり、『Colombia útil(有用なコロンビア)』は一種の『都市の群島』と化した。こうした大都市には、紛争から逃げてきた数百万人の人々が集まり、次第に勢いを増す独自の経済(産業、サービス業、金融業、輸出入業など)を発展させてきた。今日では、その経済が国を支配しており、それをある程度代表するのがフアン・マヌエル・サントスである。アルバロ・ウリベが和平プロセスに反対した大土地所有者を代表したのと同じことだ。

都市部の少数支配者集団は、経済的な理由から和平に興味を持っている。第一に、和平の代償、つまり―おそらく控えめな―農業改革を引き受けるのは大土地所有者であって、彼らではない。彼らの興味は土地ではなく、地下にある。なぜなら、現在の国際状況の中で和平によって彼らは、貪欲な中国が切望しているコロンビアの莫大な鉱山資源の開発を行うことができるようになるからだ。他方では、都市の企業家集団は和平が実現した場合には、法外な軍事予算を現在もまだ大きな隔たりがある格差の縮小に費やすことができると見積もっている。企業家はコロンビアの人口が5000万人近づいていることを知っているのだ。平均購買力が増加すれば、それが重要な一定量の消費者層を構成する。その意味では、彼らはラテンアメリカのいくつもの国(ベネズエラ、ブラジル、ボリビア、エクアドル、アルゼンチンなど)で実施されている再分配の政策が国内生産を活性化させ、地元企業の発展を助けているのをじっと見ている。

こうした全ての理由に、もう一つ地域的な局面が加わる。ラテンアメリカは、最近のUNASUR(南米諸国連合)とCELAC(ラテンアメリカ・カリブ諸国共同体)創設とともに、統合の重要な時期の真っ直中におり、この二つの組織においてコロンビアは重要な役割を演じている。こうした力学を前にすると、ベネズエラのウーゴ・チャベス大統領が繰り返し非難しているように、戦闘は時代遅れでしかない。FRACはそれをわかっている.武器を置く時がきたのだ。さらには、ラテンアメリカの現状が、障害があったとしても、革新的な組織にとって平和的で政治的な道による権力の獲得が可能であることを証明している。ベネズエラ、ボリビア、ニカラグア、エクアドル、ウルグアイ、ブラジルでなどでそれは証明された。

まだたくさんの危険が待ち構えている。和平の敵(米国防省のタカ派、武装勢力の極右派、大土地所有者、民兵組織など)が和平プロセスを妨害しようとするであろう[12]。しかしすべては、ハバナでの交渉が継続する限り、紛争集結が近づいていることを示しているようだ。やっと。

(訳・海老原弘子)

[1] 他には1947年からインドとパキスタンに立ち向かうカシミール紛争と1948年からイスラエルとパレスチナ人が対立する近東がある

[2] Luis Emiro Valencia著『Gaitán. Antología de su pensamiento social y económico』(ediciones Desde Abajo, Bogotá, 2012)参照

[3] Marco Palacios著『Violencia política en Colombia 1958-2010』(Fondo de Cultura Económica, Bogotá, 2012)参照

[4] 紛争解決のための対話は2012年2月23日から秘密裏に開始されていた。参考『Qué se sabe del proceso de paz』 Semana, Bogotá, 2012.9.3

[5] コロンビアのコカイン・カルテルには、もはやパブロ・エスコバルの時代(1980年代)に有していた力はない。現在ラテンアメリカの麻薬取引は、メキシコのカルテルが支配している

[6] Raúl Zibechi著『Cerros del sur de Bogotá. Donde termina el asfalto』(Programa de las Américas, 2008.2.18. http://www.pensamientocritico.org/rauzib0308.html)参照

[7] Fidel Castro著『La Paz en Colombia』(Cubadebate, La Habana, 2008 http://www.cubadebate.cu/reflexiones-fidel/2008/11/13/la-paz-en-colombia/)参照

[8] マヌエル・マルランドは2008年3月26日に死去

[9] Hernando Calvo Ospina著『 Juan Manuel Santos, de halcón a paloma』( Le Monde diplomatique en español, 2011年3月号)参照

[10] FARCは2003年からワシントンが作成した『テロ組織』リストに掲載されている

[11] Christophe Ventura著『La nouvelle donne qui explique les pourparlers de paix』(Mémoire des luttes, 28 de septiembre de 2012.9.28  http://www.medelu.org/Colombie-la-nouvelle-donne-qui)参照

[12] Carlos Gutierrez著『La Mesa de Oslo. Las complejidades del proceso』(Le Monde diplomatique, edición colombiana, octubre de 2012年10月号)参照

¿Paz en Colombia? : Ignacio Ramonet

(ル・モンド・ディプロマティク・スペイン語版2012年12月号より)

カタルーニャ州選挙ーCUPの一撃

前回2010年より10,79ポイント高い69,57%という投票率を記録した11月25日カタルーニャ州選挙。独立問題で有権者の気をそらして、さらなる新自由主義政策推進のための絶対多数獲得というマス州大統領は脆くも破れ、得票数に表れているように結局のところCiUの一人負けで終わりました。さらには、一応筋金入りの独立派のERCが第二勢力になったことで、独立を巡る問題もうやむやにできなくなり、まさにCiUにとっては踏んだり蹴ったりの結果。前倒し選挙は完全な失敗でしたね。

ところで、今回の選挙で私が注目していたのが、『Ès l’hora del poble! 民衆の時だ!』をスローガンに初めて州選挙に出て3議席を獲得したCUP-Alternativa d’Esquerra もう一つの左派CUPです。

CUPとはCandidatura d’Unidtat Popular 人民連合の候補者の頭文字を取ったもので、その源流は1968年に「社会的解放なしの民族的解放はない」という前提から生まれた左派の独立主義にあります。1987年から市議選に候補者を立てるようになり、2003 年に初めて当選者を出しました。そして、昨年2011年の選挙で49議席から121議席に大躍進して注目を集めたのは記憶に新しいところ。

「私たちが望むのは希望やユートビア、そして人民連合に抱く記憶、つまりサルバドール・アジェンデのチリ、正義と自由で共同体を構築する可能性との繋がりを回復することだ」と語るバルセロナ県の候補者リストのトップDavid Fernandez ダビ・フェルナンデス。興味深いことに、この人民連合とはラテンアメリカの911、ピノチェトのクーデターに倒れたチリの大統領アジェンデの政党に由来していて、その政策の特徴は市民参加型市政、草の根活動や市民運動とのつながりにあります。

選挙キャンペーン中にダビ・フェルナンデスが繰り返したように、CUPは州議会の「トロイの木馬」となるのでしょうか? CUPについては、彼らの選挙戦も含めてもう少し掘り下げた記事を後日アップすることにして、今回は彼らの主張がよくわかる選挙キャンペーン・ビデオをご紹介して終わりにします。

私たちは 実現可能な現実を信じる夢想家

ユートピアこそが変革への唯一の動力だと確信している

私たちは 押し付けられている服従も放棄も受け入れない

彼らの政策にもニュースにも動じることはない

私たちは 恐れを失い 恐れを感じることもない

私たちは 常に挫折という文化に立ち向かっている

私たちが 欲しいのは鮮やかに彩られた生活で

退廃の灰色の生活ではない

私たちは 未来のない者だが 現在に動きを止められることはない

現在を抱き締めることを決意したから

私たちは 通りや広場を埋め尽くして未来を見つけた私たち

私たちは 政治家や銀行家の手中にある商品ではない

私たちは 空間やジェスチャー、微笑みを分かち合った

言葉と闘争 警棒と他の方法で発生した暴力

私たちは 寄り添い合ってそれを耐え忍んだ

私たちは 『まともな住居が欲しい』と叫び

それを達成すると自分自身に誓った

不当な法律に逆らい 立ち退きに抵抗する

私たちは  家でじっとしていないで 自分の目で見る

私たちは  質の高い公立の学校で自分たちの子供に教育を受けさせたい

私たちは 思想を植えつける教育も工場のような学校も信用しない

私たちは 文化が贅沢品でも消費財でもないことを知っている

私たちは 見せ物と化した社会が導く創造性の空白に対抗して創造する

私たちは 公的医療という命の希望だ

尊厳を持って老いていく権利

私たちは ビジネスではない

私たちは 地域や共同体を形作る全てのもの

私たちは 共有のものである私たち自身の暮らしを開発する

私たちは 全ての人々の市町村

私たちは プレカリアートと闘い まともな仕事を要求する

私たちは 解雇に反対して相互支援と自主運営を行う

私たちは 失業から抜け出したい全ての失業者

私たちは わずかな賃金の労働という奴隷制に飽き飽きしている

私たちは 知識は商品化されるべきではなく

きちんと評価して広めるべきだと理解している

大学は 民衆の手にある民衆のためのものでなければならない

私たちは 私たちの国土をその開発から生まれるお金よりも大切にしている

私たちは 代替案を考えている

私たちは 協力し合い 競い合うことはしない

私たちは 破壊と窃盗を行うマフィアのような人々を追い払う

私たちは 友好的だ

私たちは 無知や不信の壁が私たちを隔てることを望まない

私たちは 移民収容所や強制送還にうんざりしている

私たちは 過去とからやって来て変化を続ける私たちのアイデンティティ

私たちは 私たちの文化と言語に関わるもの

私たちは それぞれを語るカタルーニャ人

私たちは 私たちの在り方で完全な属領性

私たちは 言葉を信じ 空っぽであることをやめ

意味を取り戻さなければならないと考えている

私たちは 完全な独立 現実の独立

他の国家や資本、不正、債務、投機、戦争、社会的疎外の欧州からも遠く離れて

私たちは 民主主義を取り戻したい

集団的、直接的、参加的、能動的かつ包括的な物事の決め方を

私たちは 私たちの責任を委譲したくはない

私たちは 私たちの政治的行動を取り戻したい

誰にも白紙小切手を渡すようなことをせずに

私たちは 自己統治を可能にする共有の政治制度を築きたい

私たちは 彼らの制度に逆らい異議を唱えるために州議会に向かう

その制度は略奪的で自己中心的な秩序のためのものだから

私たちは労働者の伝統、民衆の反乱、そしてこちら側行われたものであれ、

向こう側で行われたものであれ、自主組織と断絶のプロセスの全てを受け継ぐ者だ

私たちは 創造と再創造のプロセス

それは変化を続けて移動し 増殖する

私たちは 私たちが実行し支持した行動一つ一つの結果から学ぶ

私たちは ひとつにまとまって

各々の地域や村を築くことができる空間を運営する時がきたと感じている

私たちは 今ある私たちであり 未来の私たちである

私たちは それ以上のものである

私たちは人民連合

そして、私たちは全てが欲しい

14Nー服従しない権利

スペインでは経済危機に突入して以来、日常的に抗議活動が行われていて、ゼネストもその中の一つに過ぎません(ゼネストについては前回の記事も参照ください)。例えば、バルセロナでは9月以降公共交通機関のストだけでも24回を数えています。

いわゆる「過激な左派」と呼ばれるグループが作成したこのゼネストのまとめビデオにはサボタージュ封鎖ピケテこちらの記事も参照ください)など、ゼネストでの個別の手法が紹介されています。もちろん、スペインでも公共物を破壊したり、通行を妨げたり、商店の営業を妨害したりすれば、法律で罰せられますが、ゼネストの際は抗議の方法としてある程度許容されています。

何故許されるのかというと、ときには抗議のために法律を犯す必要があると考えられているのです。実際にスペインの人々は法律に従わないことで社会を変えてきました。例えば、スペインの社会から徴兵制がなくなったのも、法律で義務とされていた兵役を拒否する行為の積み重ねからでした。

そして、SATのスーパーの一件が『合法であること』と『正当であること』の間にある亀裂を目に見えるものにしました。経済危機から抜け出すためという理由で、社会的な権利を制限する法律がどんどん可決されて行く中で、スペインの人々の『合法であること』の『正当性』への疑いが日に日に大きくなってきています。なによりも、フランコ体制というのは法律によって築かれた合法的な独裁政権だったのですから、スペインの人々が『合法であることの正当性』に敏感なのは当然かもしれません。

「正当性が合法性に優先する」という考え方の根拠になっているのがDesobedencia Civil 市民的不服従という概念です。ゼネストは労働法に定められた権利なので、市民的不服従とはちょっと異なるようですが、PAHが行う立ち退きの阻止もその一つ。

他にも、処方箋あたり1ユーロの支払いを拒む、地下鉄の値上げに抗議して集団で無賃乗車をする、高速使用料の支払いを拒否する…。こうした行為は全て市民的不服従に当たるとイグナシオ・ラモネはインタビューで答えています。彼の定義によると市民的不服従とは、合法であるのかもしれないが、市民が不当だと考える政府の決定を拒否する集団的行為のこと。

市民戦争に関してフランスの作家アルベルト・カミュはこんな文章を残しています。

理のある者が打ち負かされることもあること、力によって精神を崩壊できること、時には勇気が報われないことがあることを私たちの世代が学んだのは、スペインにおいてだった。これがこれほどたくさんの人々が、世界中が、スペインのドラマをあたかも自分の悲劇のように感じる理由であることに、疑いはない。(アルベール・カミュ『スペイン』1946年)

それから半世紀以上が経過して、15Mを契機にスペインの人々は再び立ち上がり、自分たちに理があることを示そうとしています。根気強く抗議活動を続ける彼らを支えるものが何であるのか、明解に説明してある文章をご紹介します。今年の夏に訪日したスペインの経済学者フアン・トーレス氏の「Derecho a deobedece服従しない権利」についてからの引用です。

私たちスペイン人が政府の裏切り、そして、少数の特権階級だけの利益となる嘘に基づいた不当な政策の押し付けを受け入れなければならない理由はない。その政策がスペイン政府から出てくるものであっても、ブリュッセルもしくはまさに地獄から出てくるものであっても同じだ。

1793年の「人間と市民の権利の宣言」第35条に謳われているように、「政府が市民の権利を侵害する場合、民衆やそれぞれの集団にとって蜂起とは、有する権利の中で最も神聖なものであり、義務の中で最も必要不可欠なものである」。なぜなら、世界人権宣言がその前文の中で、民衆には「圧政や抑圧に対して反逆するという最高位の手段」があると明言しているからだ。

もし、人々がこうした権利を行使していなかったとしたら、現在押し付けられているような不当な法律に背いていなかったとしたら、PP国民党幹事長が求めるように「責任を持って」服従していたとしたら、今もなお奴隷制があり、黒人は劣った人種であるとみなされ、そして女性は選挙で投票することができず、父親もしくは夫の許可なしには決断を下すことができなかったであろう。

民衆に逆らって統治する専制君主に服従するのはもうたくさんだ! PPが主役の選挙による詐欺、そして(民主化への)移行から生まれたシステムにどっかり腰を下ろした政党の無能ぶりと腐敗を終わらせるために、恐れることなく総選挙を要求しなければならない。そして、私たちの国民主権と基本的人権の行使の本当の意味で庇護し、悪性の腫瘍のような腐敗と闘い、税制上の公正と正義の原則を敬うことを義務付け、市民と社会の参加のための新しい手段を与え、私たちが自由を失ってもなんとも思わないような首相に統治されるといった恥ずべき状況が再び起こるのを許さない、そのような新憲法への道を開かなければならない。

こうした政策を私たちに押し付けている者たちは、すでにある程度の社会的な答えと拒絶を計算に入れている(「彼らは何千という行進やストを行うことができるが、何も変わらないだろう」と、現在欧州の民衆と同じものに苦しんでいたアルゼンチンにおいて1997年7月メナムは言った)。だからこそ、孤立した団結のない回答では十分でない。彼らには決して打ち負かすことができない唯一の方法で専制君主に対しては応えなければならない。それは、最大限の民衆の団結、市民的不服従、彼らの規則や押し付けに対する平和的、つねに平和的かつ民主的なサボタージュだ。恐れることなく希望を抱いて、行うのだ。ガンジーは非常に明解に言った。「常に専制君主や人殺しというのはいて、一時は無敵なように見えていた。しかし、いつも最後には失脚してきた。いつでも」

つまり、不当なことに対して抵抗するのは権利であると同時に義務であり、不当なことへの服従は義務を怠っていることにもなるというわけです。

また、スペインの人々は、労働条件や社会福祉を勝ち取ってきたという歴史があります。こうした歴史的背景も相まって、年配の人々はその権利を次の世代に残すため、若い世代たちは先人の努力を無駄にしないため、今日もまたスペイン各地で抗議活動を続けています。決して諦めないスペインの人々の根気強さは、過去と未来に対する責任感から生まれているんですね。

「服従しない権利」を盾にした宣戦布告のようなこのPVは、ちょうどスペインがEUに救援プランを要請した直後に発表されたもので、タイトルは『救援ぎりぎり』。

―資本主義者たちよ、テロリストはお前たちだ―

14N―ゼネストを振り返って

11月 14日水曜日のイベリア半島ゼネストは、スペインにとっては今年二回目となるゼネストでした。『疑問の余地のない歴史的なスト』と胸を張る労働組合と『いつも通りの日だった』とコメントした政府。見解の差が大きいのはデモ参加者数に関しても同じ。マドリッドのデモ参加者を約100万人とする労組側に対して、中央政府の発表では3万5000人。上空からの写真を見る限りでは、さすがに3万5000ということはないと思うのですが…。

(『Nueva Tribuna』紙より)

発表者によってデモ参加者数に食い違いがあるのはいつものことですが、これがバルセロナではちょっとした問題になっています。デモ参加者数の発表が原因で二大労組CCOOとUGTがカタルーニャの中央政府代表に辞任を求めているのです( UGT のサイト参照)。デモ参加者数は労組約100万、市警察約11万、中央政府約5万人という数字。

(11月14日のグラシア通り。Kaos en la Redより)

その一方で、中央政府によると10月12日スペインの日に行われた反カタルーニャ独立・スペイン主義者集会の動員は6万5000人。私も現場まで行ってみたのですが、せいぜい会場となったカタルーニャ広場がいっぱいになる程度で、報道機関は約1万人としていました。

(10月12日のカタルーニャ広場)

1キロはあるグラシア大通りから人が溢れ、中心部では身動きがとれないほどだった14日のデモより多いということは、どう考えてもあり得ない…。今回の件で、PP国民党が発表する数字を自分たちに都合が良いように操作をしているのが明白になってしまいました。

このデモの報道を巡っては、カタルーニャの政権党CiUに対する疑念も噴出。というのも、9月11日のカタルーニャの日の独立支持デモのときにはたくさんあった上空からの写真が、今回のデモに関しては一枚もないのです。上の写真もグラシア大通りの高層階からのもの。ヘリコプターは1日中旋回していたので、意図的に撮らなかったか、隠しているのか…。

また、今回もデモ参加者と警察が衝突して、内務省によると逮捕者142人、負傷者74人。バルセロナだけでも30人の逮捕者が出ていて、デモといえば衝突というお決まりのパターンになっていますが、バルセロナには今回以上の参加者を集めたにもかかわらず、警察との衝突が一件もなかった大規模デモがありました。前述のカタルーニャの独立支持のデモで、約150万人を集めたと言われています。

14日のデモで警察と衝突したのは主要な労組が呼びかけたメインのデモではなくて、アナルコサンディカリズム系の労組OGTやCNT、15Mの流れを汲む市民の団体が組織したもの。

反資本主義を掲げるデモで、スペインの一部マスコミが過激派と呼ぶグループが暴徒化したような印象を与える報道もされています。ところが、以前の記事にも書いたとおり、9月11日にもCUPなどが中心となって反資本主義のデモは行われているのです。呼びかけ団体が違うとはいえ状況はほとんど同じで、唯一違うのは9月11日には州警察の姿がなかったこと。人々が溢れる通りには市警察が交通整理をするくらいでした。

今までかなりの数のデモを見てきましたが、一定の規模に達しているにもかかわらず州警察の姿を見なかったのはあれが初めて。なんだか「州警察のあるところに暴動あり」のように思えてきます。いずれにしても、デモに参加する人々の気持ちを政治的に利用する政治家たちには、いい加減うんざり。

そんなわけで、今回のデモ参加者数を政府はスペイン全土で80万人としていますが、どこまで信憑性のあるものやら。おまけに、ゼネストのときは基本的に交通機関がストップしていて、デモが行われる場所まで移動できない人もたくさんいるので、ゼネストの成果を計るためにもう少し信用できる数字を見てみましょう。

それは給与所得者の中のゼネスト参加人数。なぜなら、ゼネストに参加するとその1日分のお給料が月給から引かれ、社会保険の積み立ても1日分停止になります。このシステムによって、ゼネスト参加者数が一桁まできっちりわかるというわけ。CCOOの情報によると…

  • カタルーニャ―給与所得者 240万4179人の内 38万1652人が最低限のサービス提供のためにストに参加できないので、ストができる人数は202万2527人。171万9148人の参加で参加率85% 
  • スペイン全体―給与所得者 1423万1452人の内225万9446人が最低限のサービス提供のためにストに参加できないので、ストができる人数は1197万3699人。918万5383人の参加で参加率77%

スペインの人口約4720万人なので単純計算で約19%がストを行ったことになります。この方法だと自営業者、577万8100人の失業者や学生などはカウントされないので、実際にはもっと多くの人がストに参加したことになります。実はストを行う方法は「働かない」だけではないからです。

こちらの「市民のためのゼネストマニュアル」によると…

  • 働かない
  • 消費しない
  • ストの情報拡散に協力する
  • 0時から5分間電気を消す
  • スト実施中とわかるようにする
  • 公共サービスを利用しない
  • ストについて周囲の人々に知らせる
  • 銀行をボイコットする

と、仕事をしていない人も、いろいろな形でゼネストに参加できるようになっているのです。

そして、ゼネストというのは、労働法改正などが行われたときに撤回を求めるなど具体的な要求を掲げて行われるもの。今回も同様で、ゼネスト後に労組代が連名で首相ラホイに送った書簡は緊縮政策からの方向転換を求めた上で、こう締めくくられています。

あなたがそうした変化を進めることができる状態にないのであれば、少なくとも市民の保証人となる道を模索してください。なぜなら、あなた自身が一番良くご存知のように、あなたたちの選挙での勝利を可能にした市民が投票によって裏書きした選挙プログラムは、現在政府が実施しているプログラムは根本的に異なっているからです。それはあなた自身も認めていることです。市民に発言権を返して、私たちの民主主義の再評価に貢献して、政治や政治を行う政府機関に対する失望や懐疑主義が増大するのを回避してください。

大統領殿、国民投票を実施してください。あなたにはそうする権限があります。私たちの憲法は例外的な状況に対してこの手段を考慮したものになっており、今がそのときなのです。

というわけで、次の目標は国民投票!!すでに10月15日から労働組合含む150以上の民間組織からなるCumbre Social社会サミットが、緊縮政策に関する国民投票を求める署名活動を行っています。同時に経済学者ナバロ氏を筆頭に法律家や作家などが参加する委員会も発足しているので、今後は国民投票の実現に向けての動きが一段と加速していくと思われます。

カタルーニャの独立問題だけでなく、スペインでは選挙以外で国民が民主主義への参加する道として、国民投票が人々の大きな期待を集めています。