現在のスペインの状況は日々目まぐるしく動いていて、ブログの更新がまったく追いついていません…。次から次へといろんなことが起こって、面白いな思ったトピックも流れて行ってしまってる状況なので、メモ代わりに使おうとツイッターのアカウントramonbookprjを作成してみました。
どこまで活用できるかわかりませんが、当面はブログの更新情報と目についたトピックを日本語で残すために使ってみようかと思っています。
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9月11日のLa Diadaカタルーニャの日からちょうど一週間。「Catalunya nou Estat d’Europaカタルーニャ、欧州の新国家」のスローガンを掲げて、この日にバルセロナで行われたデモが史上最大の規模(参加者数は主催者200万人、州警察150万人、中央政府60万人)となったことで、カタルーニャの独立問題がスペイン国内で大きな波紋を呼んでいます。
バックに流れているのが『Els Segadors収穫人たち』と呼ばれるカタルーニャの歌です。また、デモ参加者が手にしている星付きのカタルーニャの州旗はEsteladas エステラダと呼ばれる独立主義者の象徴です。青いものが目立ちますが、赤と黄色の二色のものもあって、こちらは社会主義による独立の象徴。
報道を見ているとカタルーニャ州大統領Artur Masアルトゥール・マスを中心にカタルーニャ人が一丸となって独立に向かって進んでいるというような印象を受けるかもしれませんが、実際のところ独立の問題はそれほど単純ではありません。なぜなら、人々が独立を目指す動機は一つではないからです。
一般にIndipendentista独立主義者と言うと保守派と結びつけて考えたくなると思うのですが、スペインにおいてはちょっと状況が違います。左派の労働組合SATがアンダルシア主義を掲げていることからもわかるように、スペイン各地のナショナリズムは左派と深い関わりを持ってきました。カタルーニャにおいても状況は同じで、ほんの数年前まで独立支持のデモと言えばラディカルな左派組織が行うものだったのです。この流れを代表する組織がCUPことCandidatura d’Unitat Popular 。
彼らは左派的な主張と無関係のメインのデモには参加せず、他の左派組織と「Independència i Socialisme(独立と社会主義)」をスローガンに一時間早く別のデモをスタートさせていました。
そして、Republicano共和主義者の一部も独立を支持しています。市民戦争は王制を廃止し共和国となったスペインに不満を持っていた右派が国家クーデターを起こしたことで始まりました。結局、フランコ側の勝利によって共和政は中断され、民主化を経てスペインは君主制に戻っています。
共和主義の人々たちは、正当性を持つ共和国政府がクーデターによって倒されたことで、不当に共和制が廃止されたのだから、民主化を経てスペインは再び共和制に戻るべきだと考えています。その中にもカタルーニャの独立を主張する人々がいて、こちらを代表するのがERCことその名もEsquerra Republicana de Catalunyaカタルーニャ共和主義左派で、創始者の一人フランセスク・マシアがスペイン第二共和政の下1931年4月14日にカタルーニャ共和国設立宣言をした州大統領。マシアはイベリア半島内で独立を達成した共和国が自主的に集まってFederació Ibèrica イベリア連邦となることを夢見ていて、カタルーニャの独立をその第一歩と位置づけていました。現在はすっかり勢いを失ってしまいましたが、独立主義者の代名詞とも言える政党でした。
次に、独立によってPaïsos Catalans カタルーニャ諸国を実現しようと考えてる人たちがいます。この大カタルーニャ語圏と呼ばれる枠組みは、スペイン領のバレンシアやバレアレス諸島はもちろん、北カタルーニャと呼ばれるフランスのピレネー=オリアンタル県などから成るものですが、言語圏ということからカタルーニャ語を話す地域があるイタリア領サルダーニャ島までも含める場合もあるようです。
こちらの代表がカタルーニャの言語と文化の振興に尽力するOmuniumオムニウスという組織で、カタルーニャの日には毎年凱旋門に巨大な独立主義の州旗を掲げて、カタルーニャ語を振興するイベント「Festa de la llibertat 自由の祭典」を開催。カタルーニャ語のブックフェアやカタルーニャ語で歌うバンドを中心にした無料コンサートなどが行われます。
最後のライブシーンに出てくるのはObrint Pasオブリント・パスというバレンシアのグループ。
そして、このオムニウス・サバデイ支部のスポークスマンが代表を務めるのが、今回のデモを呼びかけたAssemblea Nacional Catalanaカタルーニャ国民会議です。2011年4月に発足した新しい組織ですが、2014年に独立の是非を問う国民投票の実現を目指して、積極的に様々な活動を行っています。今年は6月に内陸部のレイダから「Marxa cap a la independència 独立に向けての行進」という独立支持をアピールする行進を開始、今回の11Sのデモはその最終段階として位置づけられていました。
これに加えて、近年の独立主義を掲げる保守政党も誕生しています。バルサことFCバルセロナの会長を退任し、政治家に転向したJoan Laportaジョアン・ラポルタが旗揚げしたSolidaritat Catalana per la Independència独立のためのカタルーニャ連帯党もその一つです。元バルサ監督ペップ・グアルディオラがビデオを通して、独立支持の発言をしたことが話題になっていましたが、このラポルタこそがグアルディオラを監督に抜擢した人物なわけですから、驚くこともないのかもしれません。
というわけで、一口に「独立支持」といっても人々の思い描く独立の形は多種多様なので、独立までの道のりはまだまだ長そうです。その一方で、この数年で独立を巡るカタルーニャの人々の意識が大きく変化して、選択肢の一つと考える人の数が目に見えて増加したのは紛れもない事実。確実に数年前とは状況が違います。
ただ、それがそのまま独立への気運の高まりを表すのかどうかは、実際のところまだわかりません。というのも、スペインの人々の中には、独裁時代の政権政党ファランヘ党直系であるPP国民党(詳細はこちらの記事を参照ください)に対する根強い嫌悪があって、PPが政権を取ると各地で独立主義者が増えることから、PP政権は『独立主義者工場』とも呼ばれています。つまり、独立を支持することは「PPが政権を握るスペインはまっぴら」という意思表示でもあるわけです。だとすれば、政権交代によって状況が一転する可能性も捨てきれません。
いずれにしても、カタルーニャの人々が現状に飽き飽きして、変化を求めているのは確か。カタルーニャでも熱い秋が始まりました!
*2014年12月に内容を一部修正・加筆しました。
熱い秋—イグナシオ・ラモネ
あたかも夏休みが危機の残酷さを消し去る忘却のマントであるかのように、マスメディアは集団麻痺に陥らせるような素材の大量投入で私たちの気を反らそうとした。サッカー欧州選手権、ロンドン・オリンピック、『有名人』のひと夏の恋、などなど。彼らは私たちに忘れさせたがっているのだ。新たな削減がひたひたと迫りつつあること、スペインの第二の救済プランが社会的にさらに嘆かわしいものになるであろうことを…。しかし、それを成し遂げることはできなかった。いくつか理由の中には、フアン・マヌエル・サンチェス・ゴルディリョとアンダルシア労働者組合(SAT)の大胆不適な警告(訳注)が魔力を破って、社会の警戒態勢を保ったことが挙げられる。秋は熱いものとなるだろう。
8月に行った哲学者ジグムント・バウマンとの公開対話において[1] 、政治を行う伝統的方法に失望している私たちの社会で優勢になっている悲観主義と断絶する必要があるという点で、私たちは意見が一致した。私たちは孤立した個々の主体であることをやめて、変化を起こすもの、相互連結した社会活動家となるべきなのだ。「私たちには自分の生活をコントロールする義務がある。私たちは深刻な不確実性の時代を生きており、そこで人々は指揮しているのが誰なのか実際には知らない。そして、そのことによって、私たちは政治家や伝統的な社会制度に対する信頼を失っている。それが人々に与える影響は、絶え間のない恐怖、不安…といった状況だ。政治家は人々に常に恐怖を感じろと暗示をかけている。こうして人々の支配や権利の制限、個人の自由の縮小が可能となる。私たちは現在非常に危険な時期にいる。なぜなら、こうしたこと全ての結果が私たちの日常生活に影響を及ぼすからだ。彼らは私たちに繰り返す。労働に安心を求めて、厳しい労働条件であっても、不安定な雇用であっても、それを維持するべきなのだ。そうすれば、消費できるお金が手に入るのだから…と。恐怖は、非常に強力な社会のコントロール方法なのだ」とバウマンは述べた。
もし人々が指揮しているのが誰かを知らないのであれば、それは権力と政治の間に分岐が生じたからだ。少し前までは、政治と権力は混じり合っていた。民主主義において、かつては政治という道を通って、選挙で行政執行権を勝ち取った候補者が、完全な正当性を有してそれを行使(もしくは委任)できる唯一の人物であった。今日、新自由主義の欧州においては、もはやそうではない。大統領選での勝利は、当選者に現実的な権力の行使を保障することにならない。なぜなら、政治統治者の上に(ベルリンとアンゲラ・メルケルに加えて)選挙で選ばれていない二つの最高権力があるからだ。統治者が制御できないものと統治者に行動を命令するもの。つまり、欧州のテクノクラートと金融市場である。
この二つの権力機関が自分たちの計画表を押し付ける。欧州クラートたちは、遺伝的に新自由主義である欧州条約や欧州メカニズムに対して盲目的に服従しろと要求する。その一方で市場は、正統派新自由主義から逸れるという不服従には、それがいなるものであっても罰を与える。こうして、二つの堅い土手に挟まれた川床の囚人と化した政治という川は、強制的に一方向に進んでいき、ハンドルを操作する余地もない。つまり無力なのだ。
「伝統的な政治制度は、日に日にますます信用できなくなっている。なぜなら、人々がある日突然に包囲されていると気がついた諸問題を解決する手助けをしないからだ。民主主義(人々が投票したもの)と市場から押し付けられた命令の間に機能停止が生じた。市場は人間の基本的な権利、社会的権利を丸飲みにしている」とバウマンは言った。
私たちは市場対国家の大戦争に立ち会っている。私たちは、市場がその全体主義的野心によって、 全ての支配を欲するところまできてしまったのだ。経済、政治、文化、社会、個人…。そして現在、彼らのイデオロギー的装置として機能する大衆向けマスメディアと結託して、市場は社会的進歩の建物を解体することも欲している。それは、私たちが『福祉国家』と呼ぶものだ。
重要なものが賭けの対象になっている。機会の平等だ。例えば、ひっそりと教育が民営化(つまり、市場に譲渡)されつつある。削減策とともに、低レベルの公教育が増加している。そのレベルでは、教師にとっても生徒にとっても活動を行う条件が構造的に困難なものとなるであろう。公教育によって、貧しい家庭に生まれた若者が這い上がるのを助けることが次第に困難となるであろう。そのかわりに、裕福な家庭にとってはおそらく私的教育がさらに大きなブームとなるであろう。再び社会的特権層が形作られて行き、彼らは国家権力の地位に到達する。そして、それ以外の人々、第二の層からは、服従という地位への道しかない。そんな状況を許すことはできない。
そうした意味では、危機はおそらくショックの役割を果たしている。社会学者ナオミ・クラインが著書『ショック・ドクトリン』で扱ったショックのこと[2]で、新自由主義の計画表の実現を可能にするために経済の惨事を利用することを示す。新たな権力機関が目を光らす冷酷な緊縮プログラムの適用を可能にする(スペインで起こりつつあり、アイルランド、ポルトガル、ギリシャにおいてはすでに起こったように)ために、国家の民主主義を監視と支配下におくための装置が造られた。この新たな権力機関『トロイカ』は国際通貨基金 (IMF )、欧州委員会、欧州中央銀行で構成されるが、これらは民主主義的な機関ではなく、そのメンバーも人々から選挙で選ばれてはいない。市民を代表する機関ではないのだ。
それにもかかわらず、そうした機関は-経済、金融、産業の圧力団体の利益に服従する大衆向けマスメディアの支援を受け-民主主義を見かけだけの影絵の舞台の状態に追いやるコントロールの道具を作り出すのを担当している。政府の大政党の好意的な加担とともに。ロドリゲス・サパテロとマリアノ・ラホイの削減政策の間にどんな違いがあるというのか? ほんのわずかだ。両者ともに金融投機家の前に下僕のように頭を足れて、欧州クラートの指示に盲目的に従った。両者ともに国家の主権を売り払った。どちらも市場の無分別にブレーキをかけるための政治的決断を行わなかった。ベルリンからの命令と投機家たちの攻撃を前にして、唯一の解決策は―古来の残酷な儀式のように―民衆を犠牲にすることだと考えたのだ。あたかも社会を痛めつける嵐が、市場の貪欲さを鎮めることができるかのように。
こんな状況においても人々には政治を再建し、民主主義を再生する可能性があるのだろうか? もちろんある。社会的抗議活動の拡大は止まらない。そして、要求を掲げた社会運動は倍増していくであろう。今のところスペイン社会はまだ、この危機が事故のようなものであり、事態は間もなく以前のような状態に戻るだろうと信じている。それは幻影だ。そんなことが起こらないであろうこと、そしてこうした緊縮は『危機によるもの』ではなくて、構造的なものであり、生み出された状況がそのまま固定されることに気がついたとき、そのときに社会の抗議活動はおそらく重大なレベルに到達するであろう。
そのとき抗議者たちは何を要求するのだろうか? 私たちの友人ジグムント・バウマンにははっきりとわかっている。「私たちは、新しい生活モデルと新しい真の民主主義を可能にする新しい政治システムを構築するべきである」。私たちは何を待っているのか?
(訳・海老原弘子)
[1] 2012年8月16から23日にベニカシ(バレンシア州カステリョン)で開催されたロトトム・サンスプラッシュ・フェスティバルにおいて企画された社会フォーラムの中で行われた。www.rototomsunsplash.com/es
[2] ナオミ・クライン著『ショック・ドクトリン―惨事便乗型資本主義の正体を暴く』(岩波書店/2011年)http://www.iwanami.co.jp/moreinfo/023493+/top.html
Otoño caliente : Ignacio Ramonet
(ル・モンド・ディプロマティク・スペイン語版2012年9月号より)
私がスペインに移住してきたのは、リーマンショックに先立つ2008年5月。あれから4年以上が経過して、私の目に映るスペイン社会の姿は日に日に変化しています。「一体スペインで何が起こっているのか? スペインを苦しめている経済危機とは何なのか?」それが知りたくて、個人的な共感から15-M運動を支持する人々の記事を読んだり、講演会に足を運んだりして、その一部はこのブログでも紹介してきました。
そのうちにわかってきたのが、経済学者も怒っているということでした。彼らは、経済がただお金を増やすための道具に成り下がってしまった現状を、腸が煮えくり返る思いで見ているのです。なぜなら、彼らは経済が人間を幸せにすることを信じて、学問に身を捧げてきたのですから。そんな経済学者の一人でセビリア大学の経済学部教授Juan Torresフアン・トーレス氏が来週日本を訪問します。
彼は昨年秋にVicenç Navarroビセンス・ナバロ、Alberto Garzónアルベルト・ガルソンとともに、スペインの経済危機を分析して問題の解決法を示した『Hay Alternativas(もう一つの道はある)』を発表しました。ATTAC ESPAÑAがマドリードの出版社Seuiturと共に出版したこの著作は、一般にはなかなか語られることのない経済危機の背景をわかりやすく解説した本で、PDF版が無料ダウンロードできるにもかかわらず、第9版まで出るほどのベストセラーに。さらに、今年の6月には続編とも言える『Lo que España necesita(スペインに必要なこと)』が出版になり。こちらも話題になっています。
現在ATTAC JAPANとともに邦訳を準備しているところなのですが、翻訳の許可を取ろうと3人の著者に連絡を取ると、すぐさまトーレス氏から3人を代表して快諾するというの知らせが。そこからやり取りが始まり、ちょうど一週間後の8月26日日曜日に開催されるATTAC JAPANの勉強会に、トーレス氏の参加が決まったと言う次第です。
日本のマスメディアがほとんど語ることのないもの『もう一つの視点からの欧州経済危機』に興味のある方は、是非とも足を運んでみてください。詳細は以下の通りです。
【8・26】もう一つの道はある~経済危機とオルタナティブ~attacスペインのトーレスさんと語ろう
attacスペイン科学評議会のメンバーら3人による著書『もう一つの道はある~スペインにおいて雇用と社会福祉を創設するための提案』の翻訳が進んでいますが、著者の一人であるフアン・トーレス・ロペスさんと交流の機会を持ちます。
日時 8月26日(日)14:00~16:30
場所 文京区民センター3階D(定員36)
交通 地下鉄「春日」「後楽園」など
会費 500円
主催 ATTAC Japan(首都圏)また、トーレスさんと共に、おつれあいのリナ・ガルベスさんもご一緒されます。リナガルベスさんは、スペインや欧州でも活躍されている経済学者で、ちらっとウェブサイトをみたところ、ジェンダーと経済に関する著者多数、という感じの方のようです。
トーレスさんのウェブサイト
http://juantorreslopez.com/リナ・ガルベスさんのウェブサイト
http://www.linagalvez.com/
チャベスの選挙戦-イグナシオ・ラモネ
14回目だ。1998年4月に、一度目の大統領選に勝利してからというもの、ウーゴ・チャベスは直接的にせよ間接的にせよ、13回のベネズエラ有権者による投票を経験した。最も要求基準の高い国際機関(国際連合、ヨーロッパ連合、カーターセンター、など)から派遣された監視団の立会いの下保障された、民主的合法性に支えられ、ほぼ常に、彼は勝利し続けてきた[1]。
来る10月7日の選挙は、ベネズエラ市民へ14年間の信を問うものとなる。今回、争点となるのは自身の大統領再選についてだ[2]。公式の選挙キャンペーンは7月1日から始まった。予備選挙に際しての有力候補は二人いる。一人目はウーゴ・チャベスである。2011年6月に見つかった癌の13か月の闘病生活を経過したのちの出馬だ。二人目は、今回団結に打って出た保守派からの対抗馬である。民主連合会議(Mesa de la Unidad Democrática)は再編成をし、何度かの党内予備選挙を経て、2月12日に同党の候補者を決めた。エンリケ・カプリレス=ラドンスキだ。40歳の弁護士であり、ミランダ州知事の地位にある。
ベネズエラでも指折りの資産家の家に生まれたエンリケ・カプリレスは2002年4月11日クーデター首謀者の一人だった。クーデター主義者と共に在カラカスキューバ領事館襲撃に参加した[3]。彼は超保守派である伝統・家族・所有権[4]出身であり、最も右寄りの陣営(その中にいまだに情報を広く統制している巨大マスコミが存在する)に支持されているが、カプリレスはボリバル主義政権の社会政策のすべての実施を要求して、巧妙に選挙キャンペーンを行っている。また彼は、自分の目指すのはブラジルの元大統領、ルイス・イナシオ・ルラ=ダ=シルバの左派的政策であると言っているほどだ……[5]。しかし、彼は何よりもチャベス大統領の身体的な衰弱に賭けている[6]。
この点においては間違ったと指摘せざるを得ない。筆者は去る7月にベネズエラに滞在し、大統領選挙戦の2週間を体感し、何度もチャベスと話をした。また、大統領の民衆との数えきれない集会にも何度か出席した。そこから、彼が健康であることは間違いないし、彼はとりわけ身体的にも知的にも抜群の状態だと断言できる。
複数のメディア(ザ・ウォール・ストリート・ジャーナル紙、エル・パイス紙)で流れている誤ったニュース(曰くチャベス大統領は「骨や脊柱に癌が移転した」と考えられ、それにより、「余命は6か月か7か月である」のだという)とは正反対の事実を告げるかのように、7月28日で58歳を迎えたチャベス大統領は、反対派が茫然自失とするような事実を述べた。「病気は完全にどこかに飛んでいった。私は日ごとに調子が良くなっているようだ」。
選挙キャンペーンに、ベネズエラの指導者がヴァーチャルにしか立ち会わないだろうと思っていた手合いは、チャベスの決断にまたもや驚かされることになった。彼は「路上に再び出て、三期目を獲得するため、ベネズエラの国中を回り始めるというのだ。「『あいつはミラフローレス(大統領府)に閉じこもっていて、ツイッターやらビデオやらのヴァーチャルキャンペーンをするに違いない』などと、言いたい放題に連中は私を嘲笑している。しかし、ボリバル火山の不屈の力をわがものとし、私は再びここにいる、私はここに帰還した。すでに私は民衆の匂いや、通りでとどろく民衆の声が恋しくなっていたのだ」。去る7月12日と14日それぞれ、チャベスを受け入れるためこの力強く熱狂的なとどろく民衆の声を、筆者は、バルセロナ(アンソアテギ県)やバルキシメト(ララ県)の大通りよりほかで聞いたことがない。そこは民衆の海であった。多くの旗や、党のシンボル、赤いシャツが激流のようにはためき、叫び声、歌、激情、忘我の情が大きな波を打っていた。
何キロにもわたる大衆の人波をかきわける赤い選挙カーに乗り、チャベスは休みなく数十万人の支持者に手を振り続けた。人々は病の床から初めて人前に姿を現した大統領をこの目で見ようと集まった。人々は感涙にむせり、一人の人間と一つの政府に熱い感謝の口づけを送った。彼らは自由と民主主義を守り、持たざるものたちへの約束を守ったのだ。政府は社会債務を払ったし、すべての人間に無償教育、雇用、社会保障、住居を与えた。
反対派のごくわずかな希望を奪うかのように、チャベスは長い選挙演説の中で疲れも見せずに以下のように言った。「私はニーチェの永劫回帰のようなものだ。なぜなら、現実には私は数多くの死からやってきたからだ……。誰も幻想など持たないほうがよい。私は神が命を与えてくださっている間、貧民の正義のために闘い続けるだろうから。私の身体がついえたとしても、私はこの路上に、この空の下あなた方と共に残る。なぜなら私はすでに私ではない。私は民衆が肉を受けたものだ。もはやチャベスは民衆そのものになった。チャベスはもはや私たち数百万人のことだ。ご婦人、あなたがチャベスだ。若者よ、君がチャベスだ。子供よ、君がチャベスだ。兵士よ、君がチャベスだ。チャベスはあなたたちだ、漁民であり、農民であり、そして商人である。私に何が起ころうとも、チャベスにはもはや何もおこらない。なぜならチャベスは今や全ての不屈の民のことだからだ」。
チャベスは公の発言の中で、有権者たちとの約束を破った自身の党に所属する州知事、市町村の長を批判することも辞さなかった。「私は第一の敵になった」と明言した。「革命を批判することは可能だが、ブルジョアに投票はできない。それは裏切りというものだ。私たちは失敗することもままあるが、しかし、私たちは心の中に民衆への本当の愛を抱いている」と言い訳もしたけれども。
チャベスは並外れた雄弁家である。彼の演説は愉快であり、口語的であり、たとえ話に満ちており、ユーモアもあれば歌もある。一方で、そうとは思われないかもしれないが、彼の演説は明確な目的を持ち、真剣かつプロ意識を持ちながら準備され、洗練された教訓に満ちた作品である。彼は演説の中心的な主題となる中心的なアイデアを伝えられるよう常に配慮している。この選挙キャンペーンでは、チャベスのプログラムを方法論的に提示し、説明することになるだろう[7]。
しかし、つまらなくなったり、重苦しくなったりするのを避けるため、チャベスはその中心の議題からしばしば逸れ、「林間学校への遠足」とでも言いたくなるような(たとえ話、思い出、冗談、詩、民謡)などに話を移す。それは中心的な話題とは関係ないことのように見えるけれども、常に中心的な話題を含んでいる。それこそが、彼をして名弁士たらしめているのだ。明らかにテーマから逸れ、ずいぶん時間が経ったと思うと、やがて中心的なテーマへと戻り、話が逸れたまさにその地点からチャベスは話を始める。これがサブリミナル効果というもので、聴衆に感嘆の情をわき起こさせる。その修辞的な技術によって、彼の長い演説が十分聞きうるものになるのだ。
最近の選挙演説において、チャベスは、EUの様々な国で行われている福祉国家の解体的な政策(スペインのマリアノ・ラホイ政権の横暴極まりない緊縮財政政策に言及した)と「ベネズエラ社会主義を建設」を続けることにこだわるチャベス政権が成し遂げた重要な社会的成果を比較している。
彼の14年間の任期(1999-2012)において、ボリバル革命は地域のレベルで、並々ならぬ成果をあげた。例えば、ペトロカリベ、ペトロスール、バンコスール、ALBA、スクレ通貨(地域決済の唯一のシステム)、ウナスール、CELACの創設、メルコスールにおけるベネズエラの加盟など。このほかにもウーゴ・チャベス政権下のベネズエラでは、ラテンアメリカの絶対的な独立に向けた革新的政策が数多く提出された。
反チャベスの攻撃的なプロパガンダキャンペーンでは、ボリバル主義下のベネズエラでは、国家によってマスメディアがコントロールされていると喧伝されることだろう。しかし、良心に従うのであればどの情報によっても裏付け可能であることだが、公共のラジオ放送局はわずか10%が公営で、残りの90%は民営である。テレビに至っては12%のみが公営であり、残り、88%は民営か、公共放送である。活字媒体に至っては、主要紙エル・ウニベルサル紙とエル・ナシオナル紙は民営であり、制度的に政府とは対立する形を取っている。
チャベス大統領が強いのは、彼の活動がすべからく社会的なものと関係しているからだ(福祉、食糧、教育、住居)。人口の75%ほどを占めるベネズエラ国民の低所得者層は、こういったテーマにもっとも敏感に反応する。国家予算の42.5%は社会支出へと割り当てられている。彼は乳児死亡率を半分にまで減らしたし、文盲を根絶した。公立学校における教員の数を五倍(6万5000人から35万人へ)にまで伸ばした。ベネズエラは今日、同地域で高等教育を受ける学生数(総数のうち訳83%)が二番目に多い国である。キューバの次であり、アルゼンチン、ウルグワイ、チリより数が多い。米国、日本、中国、英国、フランス、スペインを抜いて世界で五番目である。
ボリバル政権は無償の医療・福祉制度と教育を与えることに成功した。住居の建設は進んでいるし、最低賃金も上がった(ラテンアメリカでは一番高い)。すべての労働者(非正規労働者や、主婦も含む)および、年金積立をしていないすべての困窮した高齢者への退職年金が支払われた。医療インフラストラクチャーも改善された。メルカルシステムを通じて、スーパーマーケットよりも60%安い値段で経済的に困難な家庭には食料も支給されている。大土地所有制を制限すると同時に、食糧生産量は二倍にまで跳ね上がった。数百万人の労働者に職業訓練を施した。社会の不平等も是正された。貧困者数は三分の一以上も数が減った。対外債務も減らしたし。環境に悪影響を及ぼす底引き網漁法も禁止した。エコロジー社会主義を推し進めた……。
これらすべての行動は、14年間動きを止めることなく推し進められてきたものだ。チャベスへの民衆レベルでの支持はこれらの施策に裏打ちされている。選挙戦ではこううたわれている。「私たちのしてきたことは小さい。これから私たちが成し遂げることに比べたら」。
筆者は何百万人もの貧しい人々が、チャベスを聖人のように崇める姿を見てきた。貧しい出自の、村の通りで飴を売る行商人の子供であったチャベスは、落ち着いてこう繰り返す。「私は貧しい者たちからの立候補者であります。私は貧しい人たちのために仕えるためこの身を砕くことでしょう。」彼ならやるであろう。あるとき、作家のアルバ・デ・セスペデスはフィデル・カストロにこう質問したことがある。「民衆のためにどうしてそんなに多くのことができるのですか。教育、衛生、農地改革、その他……。」フィデルはこう言っただけだった。「大きな愛でそれを成し遂げるのです。」ベネズエラについて、チャベスも同じように答えるだろう。では、ベネズエラの有権者たちはどう答えるだろう。答えは10月7日に返されることになっている。
(訳: 高際裕哉)
[1] 彼は一度だけ、ごく僅差で2007年12月7日の「憲法改正計画」における国民投票で負けたことがある。
[2] ウーゴ・チャベスの他に、6名の候補者が10月7日の大統領選に出馬する。エンリケ・カプリレス=ラドンスキ: 民主連合会議(MUD)、オルランド・チリーノス: 社会主義自由党(PSL)、ヨエル・アコスタ=チリーノス: 共和国200年前衛党(VBR)、ルイス・レイェス=カスティージョ: 真正革新組織(VBR)、マリア・ボリバル: 平和と自由のための自由連合党(Pdupl)、レイナ・セケーラ: 人民権力党
[3]以下を参照のこと Gilberto Maringoni, “En Venezuela, Chávez sigue favorito”, Le Monde diplomatique en español, mayo de 2012. 同様に以下の記事も参照のこと: Romain Mingus, “Henrique Capriles, candidat de la droite décomplexée du Venezuela”, Mémoire des luttes, 28 de febrero de 2012. http://www.medelu.org/Henrique-Capriles-candidat-de-la
[4] 彼はベネズエラにおける支持機関の共同創設者であった。
[5] ルラ元大統領は、7月6日付でチャベスに公式書面を送った。チャベスを全面的に支持する文面だ。曰く、「君の勝利は、すなわち我々の勝利である」。
[6] 7月半ばの世論調査では、エンリケ・カプリレス候補を15ポイントから20ポイント上回り、チャベスが優勢である。
[7] Propuesta del candidato de la patria Comandante Hugo Chávez para la gestión bolivariana socialista 2013-2019, Comando Campaña Carabobo, Caracas, junio de 2012.
Ignacio Ramonet : Chávez en campaña
(ル・モンド・ディプロマティク・スペイン語版2012年8月号より)